http://www.ganshodo.co.jp/mag/moon/files/m_a001.html【月の満ち欠け(月の位相)】より
●月の満ち欠けの原理
月も地球も自ら光り輝くものではないので、月は太陽に照らされた部分が反射して地球からはあたかも満ち欠けをしているように見えます。
月の満ち欠けは地球と月と太陽の位置関係によって決まります。月は地球の周りを公転しているので太陽に照らされた部分が変わり、地球から見た月は劇的な満ち欠けを繰り返します。
新月(朔)から三日月、上弦(半月)とふくらみ望(満月)を迎え、以降次第に欠けはじめ下弦(半月)となり、さらに欠け再び新月を迎える。この新月から次の新月までの満ち欠けの周期を朔望月と呼び、その周期は約29.53日です。この朔望月が太陰太陽暦(旧暦)の一カ月の基本になっています。一日に0.53日という端数を付けることはできないので、太陰太陽暦は小の月(一カ月が29日の月)と大の月(一カ月が30日の月)で成り立っています。
下図は、月と地球、太陽の位置関係を示すものです。
内側の月が太陽に照らされた部分を示し、外側の月が地球から見た、いわゆる見かけの月の満ち欠けを表しています。
地球は時計と反対方向に自転をしているとお考え下さい。
部屋を真っ暗にし、横から懐中電灯などを太陽に見立てて一定方向から照らし、白いボールを月に見立てて腕を伸ばした感じで持ち、自分を地球に見立てます。
この状態で腕を伸ばしたまま自分を中心にぐるりと回ってみて下さい。ボール(月)と懐中電灯(太陽)と自分(地球)の位置関係が変わりボールの照らされた部分と影の部分が変化します。こうすれば月の満ち欠けの原理を理解しやすくなるかも知れません。
新月とは、太陽・月・地球の順に並び、月と太陽が同じ方向にいて地球の自転に合わせて昇り、そして沈みます。月が昇っている時間帯は、地球では昼間にあたり、地球には、月は太陽の光の影の部分しか見せていないので、月をみることはできません。この新月の時、太陽、月、地球が一直線に並ぶと、月の影が届く限られた地域で日蝕(日食)を見ることができます。
満月は、太陽・地球・月の順に並び、月は太陽の反対方向にいるので、太陽が沈むとほぼ同時に東から昇り太陽の光を受けた月は夜の間中、地球から見るとまん丸くみえます。この満月の時、太陽、地球、月が一直線に並ぶと、地球の本影に月がかかった時に月蝕(月食)となります。月食は、月が見えている地域ならどこでも同じ欠け方をします。
同様に上弦の月は地球から見ると右側半分が太陽に照らされ半月となり、太陽が沈むお昼頃南の空に浮かんで見えはじめます。下弦の月は左側半分が照らされて半月となり、真夜中に昇り、夜明け頃南の方向まで昇り、やがて太陽の明るさで見えにくくなります。
このようにして、月は劇的な満ち欠けを繰りかえし、私たちを楽しませてくれるのです。
しんげつ 月暦で一日(朔)の月。月は太陽と同じ方向にいてほぼ同時に動くので地球からは見ることができない。
新月
ふつかづき 月暦で二日目の月。殆ど見ることができないが、陽が短い冬の空気の澄んだ頃、運がよければ日暮れ前、西の空に見られることがある。
二日月
みかづき 月暦で朔の日から数えて三日目の月。日没前、西の空に浮かび。太陽を追うように西に沈む。だいたい月はこの頃から見え始める。
三日月
じょうげん 朔と望の間の半月をいう。弓張とも呼び、月暦の七日頃の月。日没前の夕方ごろから南の空で見えはじめる。
上弦
とおかんや 月暦で毎月十日の月。特に十月十日の月をいうことがある。午後間もなく昇るが見え始めるのは夕方ごろ。
十日夜
じゅうさんや 月暦で毎月十三日の月。特に九月十三日の月をいうことがあり、この日各地で観月の宴が行われている。
十三夜
まちよいづき 月暦で毎月十四日の月。小望月とも呼ばれ、十五夜の前の月であるところからこう呼ばれている。
待宵月
じゅうごや 月暦で毎月十五日の月。特に八月十五日は仲秋の名月で知られる。必ずしも満月とは限らないが、一般的に満月をいう場合もある。
十五夜
ぼう 満月のこと。満月は純粋に天文学的な事象で、月暦で何日の月とは特定できない。月は公転速度が一定でないためで、だいたい月暦十五日~十七日頃の月。
望
いざよい 月暦で毎月十六日の月。十五夜より月の出が遅くなるさまをいざよい(遠慮がち)と呼んだ。
十六夜
たちまちづき 月暦で毎月十七日の月。日没後立って待てる頃合いに月の出があることからこう呼ばれている。
立待月
いまちづき 月暦で毎月十八日の月。さらに月の出が遅くなり、しばらくしてゆっくり待つうちに出るところからこう呼ばれている。
居待月
ねまちづき 月暦で毎月十九日の月。臥待月とも呼ばれ、寝て待つくらい月の出が遅くなるところからこう呼ばれている。月の出は20時から21時ごろ。
寝待月
はつかづき 月暦で毎月二十日の月。更待月とも呼ばれ月の出は22時前後。
二十日月
かげん 望と朔の間の半月をいう。月暦で毎月二十二日から二十四日ごろの月。下つ弓張りともいう。
下弦
にじゅうさんや 月暦で毎月二十三日の月。下弦の頃の月、真夜中に昇る。月待ち行事として各地に伝わっている。
二十三夜
にじゅうろくや 月暦で毎月二十六日の月。日の出前、東の空に船の形をした細い月が昇る。逆三日月と呼ぶ場合もある。
二十六夜
みそか つごもりともいい(つきがこもるが転じて「つごもり」という)、月暦で毎月三十日の月(末日=小の月の場合は二十九日)。肉眼で見ることはできない。
晦日
注:上記表の月の形はあくまでも目安です。例えば満月の場合、十五夜であったり十六夜、立待月が満月であったりします。
また、二十三夜が下弦の月であったりします。
月の満ち欠けと観月習慣
上の表でも分かるように月暦(旧暦)では月の満ち欠けをみれば、おおよその日付が分かります。また、三日月や十日夜は別として月の和名が望(満月)前後から次の新月までに集中していることが分かります。
これは、かつての日本でいかに観月や月待ちの習慣(今年の満月の日を掲載しています)が定着していたかを示すものです。月の出を待ちわびる当時の人々を思い起こしませんか。月の出は一日平均50分ずつ遅れますが、満月以降の月の出の遅れを立待ちとか、寝待ちと待ち呼び、愉しんだのでしょう。二十六夜の月ともなれば、月の出は朝方近くに昇り、日の出とともに見えなくなってしまう、このわずかな瞬間のために時間を惜しまなかった当時の人々が偲ばれます。
因みに、月の出を肉眼で見ることができるのは、満月前後から次第に欠けはじめ旧暦の二十七~二十八日までです。一方、満月以前の月は、月の入りを見ることはできても、太陽の光に邪魔されて基本的には月の出を見ることができません。
十日の月の入るまで 二十日の月の出るまで
十日の月は沈むのが遅く、二十日月はなかなか昇ってこないことから「待たされる」ことのたとえです。
月の満ち欠けと潮汐
月の満ち欠けは地球と月、そして太陽との位置関係によって決まると述べてきましたが。このことは月の満ち欠けがわかれば、大体潮汐力や潮の干満を予測することができます。潮汐力や潮の干満は<月の潮汐力><月の満ち欠けと釣果>の項で詳しく書いているのでそれぞれ参照してください。
太陰太陽暦(旧暦)のおもしろい点はここにあります。
上記表でも分かるように、旧暦は月の満ち欠けをもとに成り立っている暦なので旧暦の日付と月の満ち欠けはほぼ連動しています。また、月の満ち欠けは潮汐力とも連動しているので、この両方を知ることができるのです。さらには、月の満ち欠けのリズムは、動植物の生命とも何らかの関連性が認められているので(個々の事例については科学的に証明されているとはいえない現状ですが)、月のリズムとして様々な事象が報告されています。
月齢と月の満ち欠けについて
月齢とは月の満ち欠けの状態を知るための目安になる数字で、理科年表などにも掲載され、新月(朔:太陽と月がほぼ同じ方向に位置した時)から数えた日数です。新月を0として翌日が1、翌々日が2、と一ずつ増やしていきます。
月は太陽の光を反射して満ち欠けを繰り返します。その周期は平均で29.53日でこれを朔望月と呼びます。
月齢と月の満ち欠けは必ずしも連動するものではありませんが、かなり参考になります。例えば月齢が2ぐらいになると細い三日月となって日没後西空に浮かびます。月齢7位で上弦の月(半月)が夕方あたりから南空に見えるようになります。月齢14~15位になると日没とほぼ同時に東からまん丸い月が昇ってきます。完全に丸くなった状態を満月(望)と呼びます。以降月は欠けはじめ月齢が22頃に再び半月になり明け方くらいまで見ることができます。月齢が29近くなれば新月が近いということになります。
月齢と月の満ち欠けが完全に一致しないのは、月の公転速度が一定ではないからです。朔望月も長い時で29.8日にもなりますが、短い時は29.3日しかありません。月齢はあくまでも朔から数えた日数にすぎないのです。
また、理科年表などの月暦の項に掲載されている月齢には小数点がついています。ある日の月齢を表すときに、「正午月齢」といって、その日の正午の月齢で代表させます。しかし、月齢を数え始めるのは新月の瞬間からですので、正午における月齢を計算しようとすると、24時間未満の端数がでてしまいます。1日を1としてその端数を表現するために、月齢の値に小数をつけるのです。
例えば、新月の瞬間が10日の19時27分だとすれば、翌11日の正午(12時0分)まで16時間33分かかります。24時間を1とすると、16時間33分は
16時間33分 ÷ 24時間 = 0.689…
と計算されるので、小数第二位以下を四捨五入して、11日の正午月齢は0.7ということになります。以降、12日の正午月齢は1.7、13日は2.7・・・と1ずつ増えていきます。因みにこの例で見ると10日が旧暦一日(朔)で、11日が旧暦二日、12日が旧暦三日にあたります。
http://www.ganshodo.co.jp/mag/moon/files/m_c202-2.html 【月ことば】
月を冠した言葉や月を表す言葉の多さは私たち日本人にとっていかに月が身近な存在であったかを示す証でもあります。死語となってしまったのも多くあるのは残念ですが、なおその語彙の多さがを示すものこそ、日本人の繊細で豊かな創造力のあらわれでしょう。
合理的な思考や発想が求められる現代にあっても、失いたくない日本人の感性であると思います。
■月に関する故事・ことわざ
■月の故事・諺
【月と鼈 すっぽん】 似て非なるものの喩え。すっぽんの甲羅が丸いところから「丸」の異名があるところからきた、という説と「素盆」「朱盆」が訛ったものとする説があるが、最近は鼈の方が主流か?
【月下氷人 げっかひょうじん】 月下老人と氷人が結合した言葉。月下老人に同じ。
月下老人 げっかろうじん 唐の葦囲(いご)が旅行先で月夜に会った老人から将来の妻を予言されたという故事から媒酌人、仲人のこと。(続幽怪録-巻四)
【月の定座 つきのじょうざ】 連歌や連句、俳諧で一巻の中で月を詠むように定められた箇所をいう。
【雪月花 せつげつか】 雪と月と花。四季が織りなす自然美の代表的なもの
【花鳥風月 かちょうふうげつ】 自然の美しい風景。風流な遊び
【光風霽月 こうふうせいげつ】 心が高名で執着しない。快活・洒落なこと
【一月三舟 いちげつさんしゅう】 ひとつの月でも止まっている舟、南行している舟、北行している舟から見れば三者三様に見えるように、仏の教えも衆生は異なってうけとめることの喩え。(仏教用語)
【松風蘿月 しょうふうらげつ】 松風とツタカズラをとおして見る月。
【嘯風弄月 しょうふうろうげつ】 風にうそぶき月をもてあそぶ。自然の風景を愛で、風流に心を寄せること
【月夜に提灯 つきよにちょうちん】 無益・不必要な喩え
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