俳句とマインドフルネス

https://ameblo.jp/197001301co/entry-12585924318.html  【マインドフルネスと俳句〜遠い未来を近づける】 より

俳句をやる効果、として最近興味深い研究を目にした。

関西福祉科学大学 島井哲志教授による「マインドフル俳句~俳句をマインドフルネスのツールとして使うために」(2019年9月)。

「マインドフルネス」とは「今ここ」に集中することによって自己の存在を実感し、身心両面に良い効果を期待する概念。

その実践法に「瞑想」があるが、俳句も同等の効果が期待できるというこの科学的視点は、俳句をやる私たちに大いなる期待をもたらす。

「その日の獲物を追う事だけ」

に集中していればよかった原始の頃に比べて、私たちには未来に達成しなければならない課題が多く、「未来が遠い」状態だ、という見方がある。

その為、不安になる人も多いという。

マインドフルネスの観点から考えれば、不安の解消のためには「小さな目標」を設定し「今に集中すること」だという。

その「こま切れ」の目標をひとつずつ達成することで「遠い未来を近づける」ことが可能になるのだ。

「小さな目標」―確かに俳句はこれに匹敵するかもしれない。

俳句実作者の私自身、作句に集中することで得られる精神的安定感は日々実感するところだ。

人間は「今ここ」に集中することによって、ホルモンバランスが保たれ、安定した精神状態になるという。

瞑想などを実践することで「オキシトシン」という母親が授乳の際に出す「幸せホルモン」の分泌が盛んになり、ストレスを受けた時上昇する「コルチゾール」が減少するという。

この時代に「俳句」をやる、という行為の小さくて大きな効果を思う。

俳句を詠むことで、私たちは「遠い未来」を自らの手で近づけることが出来るのかもしれない。俳句という小さな器の大いなる力を信じたい。

(「宮城県現代俳句協会NEWS」№40 巻頭エッセイより転載)

https://note.com/god24hrs/n/n0975b3081715  【俳句とTwitterとマインドフルネス】

3ヶ月前くらいからなぜか俳句をやっている。

よく行くカフェのママから句会に誘われたのがきっかけだけど、(そういえば好きだった本上まなみさんがだんなさんと出会ったのが巣鴨の句会だったよね。あんときは俳句かぁー!そこにいたんかぁー!!って悔しがったなぁ… という話はどうでもいい)そんなこんなでもう7回も続いている。

座長である先生は本宮ひろ志の漫画に出てきそうなThe★無頼漢といういでたちだし、周りはみんないい大人(50代以上)で知識人ばかり。元社長もいるし、先生と呼ばれる人もいる。で、一人だけ僕(30代)。

毎回緊張しております。

けれど、やはり年上の方々から学ぶことは多く、(正直年下より年上のほうが好き)俳句というものがとても魅力的だと気づけたことが何よりの収穫だと思っている。

*俳句とTwitter

Twitterが140文字の制限をなくす、という話を聞いた。

Twitterの魅力ってなんだろう?と改めて考えると、この何でも自由な時代に『なぜか文字数に制約がある』ということだ。Twitterのアイデンティティなんて(僕にとって)それでしかない。

はっきり言って不自由極まりない。

しかし、人間というものは『制約』を見つけると、とたんに活き活きする生き物だ。(と思っている)

書こうとした文字数を超えることがある。でも複数ツイートするのはダサい。必死に無駄な語彙を探す。削る。表現が端的になりエッジが立つ。シンプルになり本当の論点は何か考える。このようなプロセスを経ることができるTwitterはとても知的なツールだと思っている。

だからこのTwitterを知的なツールたらしめている『制約』をなくすことに僕は反対です。

このプロセスが俳句にはある。そしてもっと厳しい。まず『季語』がある。季語とは『季節を連想させる装置』のようなもので、この装置を使って俳句はより少ない文字数で大きなものを表現することが可能となる。俳句は季語以外にも~を連想させる装置達をうまく使って『過去、今、未来のできごと』を表現する、ということだと理解している。

*俳句とマインドフルネスについて

俳句を作るには、まず何かに心惹かれるというプロセスが必要となる。次に観察する。そして、全項で紹介した『装置』を連想する。

マインドフルネスの訓練法として『レーズンをまるで初めて食べたかのようにゆっくり驚きと感動を持って味わう』というものがある。

レーズンをまったく初めて食べるものだとしたらどうするか?

まず、匂いをかぐかもしれない。なめる?眺める?そして、恐る恐る口にいれて、ゆっくり租借する。すぐに吐き出せるように。そして味わう。

今ある何かを一生懸命五感を働かせ、観察し、認識する。川のように流れ行く感情の波を掴む。集中する。

このマインドフルネス的行動プロセスが、この心惹かれ→観察する、という俳句のプロセスと似通っている、と勝手に思っている。

*最後に

通常句会で俳句を作る場合は、あるお題が出される。そのお題に合った句を作り、句会で発表する。(投句)ちなみに今回のお題は『恋』だった。

① 恋しきを 恋しいものと 童かな

② 愛しきの 声を阻むる 父巌

③ 恥じらいを 捨てよとばかり 盛り猫

以下、批評。

① うーん。弱いね。そして季語がない。

② 巌(いわお)さんっていう父がいるの?(以下句の説明:中学生のころ家電話で好きな女の子の家に告白しようと電話したら相手の父が出て「そんな娘はいません!」という経験から巌のような父だった云々)うーん。そういう態度巌っていうかなぁ…。そして季語がない。

③ 盛り猫って直線的過ぎない?エロいね(笑)季語として”さかりねこ”を使う場合は、”盛り“は”交り”じゃないかな?あ、もっとエロいねwww

俳人への道は遠い …

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