俳句でスートラ

http://pleasure-yoga.co.jp/archives/5212.html  【ジヴァムクティヨガ ―『もう、うんざり』】 より

今回のフォーカスはジヴァムクティヨガの創始者の1人、デイビッド・ライフ先生から!

atha yoga anushasanam

アタ ヨガ アヌシャーサナム

いま これがヨガ 私はこれを自然の世界に認める

-パタンジャリのヨガスートラ (PYS 1.1)

これはヨガを学んでいく時に多くの人が出会う『ヨガスートラ』という書物の、最初に書かれている一文です。

『ヨガスートラ』の考案者は、頭の部分が沢山のヘビになっている姿で表現された「パタンジャリ」とされています。

スートラとは、その語源を「糸」と訳されることが殆ど。

『ヨガスートラ』は、糸のように短文が連なって1冊を構成しています。

短歌や俳句集を想像すると、私たち日本人には分かりやすいかもしれません。

この短歌や俳句が、ヨガについてのステップを言葉で紐解いているのです。

こんなヨガスートラの最初の文…何十もあるスートラの文の中で、私は今までに何度この文を目に、耳にしたか分かりません。

この文を、一文で後に連なる全てを表すのだと言われた先生もいます。

デイビッド先生の解説によると、athaの意味は「いま」だけれども、この「いま」は「いまから」とか「ここから」のようなニュアンスを含むと言います。

yogaは「ヨガ」ですね。そしてshasanam、これは「規律の一式」と言えばいいでしょうか。

この規律は外から与えられる規律を意味します。

ここにanuが付きます。anuはその語源がatom、「原子」です。

つまり、anuが付くことで、外側の規律ではなく、内側から発生する規律という意味になるということです。

自身の内側から発生するヨガをここから始める。

そんなニュアンスです。

外側のうんざりから、内側の自然へ

ヨガの練習は外側から強制されるものでも、誰かに強制するものでもありません。

しかし困難に直面したとき、練習のチャンスになります。

自分を自然の力から引き離しているものを理解し、そこを通り抜け、自然と共にある自分と繋がるチャンスなのです。

これは容易なことではないかもしれません。

でももし貴方が今、自分の古い型にうんざりしているなら、それを変えることがヨガの練習を通して出来るのです。

私たちの体、そしてマインドは、世の中の様々な文化や決まりごとの影響を受けています。

それが私たちのマインドを通して神経に根強く影響しています。

だから多くの人が、「人生まぁまぁ、だけど、人生にはもっとある」ということに気づきにくくなっているのだとデイビッド先生も言っています。

日本語にも「狂気の沙汰」とか「火事場のくそ力」という言葉がありますね。

それが良い悪いはここでは抜きにして、私たちには深層にそんな力を備えているのです。

ダルマ・ミットラという、ニューヨークでヨガを教えている先生がいます。

彼はヨガを練習する過程で、この狂気を勧めることもあるようです。

同じようにデイビッド先生は「もう うんざりしてるからやりなさい」と言います。

でもその理由は、言われるからではなく、貴方がやりたいから。

貴方がこれまでの何かを変えたいからやるのです。

デイビッド先生は、とても現実的に物事を捉え、そしてたまにユーモアを挟みながら、男性らしい厳しさをもって教えてくれる先生だと私は感じています。

どうでしたか?

ヨガには沢山の学びがありますね。