虹の上を とぶ 船・魔女の宅急便

https://ameblo.jp/melo2melon/entry-10701596282.html  【虹の上を とぶ 船】

josephineで癒されてたらね?魔女の宅急便に出てくる絵を、ふと思い出したん。

これらは、josephineの作品♡うっとりぃ~( *´艸`)

でね?

これが、魔女の宅急便に出てくるウルスラの絵。

だいぶ昔...初めて魔女の宅急便を見た時この絵に心奪われたのを思い出したん♡

それからずーっと見るたびに誰が描いた絵なんやろぉ?って気になってて...

やっと昨日、謎が解けた♬八戸市立湊中学校養護学級の共同作品 「 虹の上をとぶ船 」に、一部加筆された作品だった♡

あの頃の謎が今さら解けまして...もっと早く調べればよかった(笑)ジブリ作品大好き♡ 駿は神ぃ♡だけど...魔女の宅急便は、最近ご無沙汰だったぁp(q・ω・`。)

どうしても、ナウシカとか...優先で見てしまう...♡

落ち込んだら、魔女の宅急便を見る友達がいるの♡それ、何かわかるよね( *´艸`)ウン!

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『魔法も絵も似てるんだね。あたしもよく描けなくなるよ。』

「でも、今はどうやって飛べたのかわからなくなっちゃった。」

『そういう時は、ジタバタするしかないよ。描いて描いて、描きまくる。』

「でも、やっぱり飛べなかったら?」

『描くのをやめる。散歩したり、景色見たり、昼寝したり。そのうち急に描きたくなるんだよ。』

「なるかしら?」

『なるさ。』

https://studioghibli.fandom.com/ja/wiki/%E9%AD%94%E5%A5%B3%E3%81%AE%E5%AE%85%E6%80%A5%E4%BE%BF_(%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%82%AA%E3%82%B8%E3%83%96%E3%83%AA%E4%BD%9C%E5%93%81) 【魔女の宅急便 (スタジオジブリ作品)】  より 抜粋

概要 編集

宮崎駿が監督を務めたスタジオジブリの長編映画としては史上初の他者原作作品であり、宮崎が『ハウルの動く城』の監督に就くまで15年間にわたって唯一の他者原作作品であった。

これまでジブリを支えてきた徳間書店に加え、ヤマト運輸、日本テレビがスポンサーに付き、テレビCMなど広告宣伝面にも力が入れられた結果、配給収入21.5億円と前作『となりのトトロ』の3倍以上を記録した。主題歌には荒井由実の楽曲を採用した。

また、1978年公開の『さらば宇宙戦艦ヤマト-愛の戦士たち』の記録を抜いて日本の劇場用アニメ映画の興行記録を更新した。英語版作品名は"Kiki's Delivery Service"。

日本テレビで2年に1回ほどの割合で『金曜ロードショー』で放映されている。

タイトルがテンプレート:要出典範囲その原因は原作者の角野栄子が第1作刊行時に宅急便はヤマト運輸の登録商標である事を知らなかったためである。映画化に至って、1989年夏の映画公開告知ではヤマト運輸の企業広告と組み合わせたCMも制作された(BGMは久石譲の『海の見える街』)。なお同映画をもとにした登録商標をスタジオジブリが取得している[1]。

あらすじ 編集

魔女の娘は13歳になると家を出て、よその町で一年修行するという掟があった。13歳になった魔女の娘・キキは、掟にならい黒猫・ジジと共にコリコの街に降り立った。パン屋の女主人に気に入られ、店先を借りて宅急便を開業することにしたキキ。そこには新しい生活と喜び、失敗と挫折、人力飛行機に熱中する少年トンボとの出会いが待っていた。

主な登場人物 編集

キキ

13歳になり魔女の掟である独り立ちの日を迎えた活発な女の子。飛ぶことだけが魔女としての唯一の取り柄。おソノの店で「魔女の宅急便」を開業し、様々な経験を通じて成長していく。原作ではロングヘアーであったが、こちらはショートヘアー。

ジジ

キキの相棒の黒猫。ちょっぴり生意気でいじわるな性格。喋れる猫というわけではなく、キキが魔法の力でジジと会話をしている。原作によると、魔女の家に女の子が生まれると同じ月日に生まれた猫を探し、大切なパートナーとして共に育てるという風習がある。映画版では後半からキキの魔法の力が弱まって会話が不可能になる(原作では最後まで可能)。

おソノ

キキの居候先のパン屋のおかみさん。恰幅がよく親切。ふとした偶然からキキと出会い、彼女を気に入ってパン屋の屋根裏部屋に住まわせた。妊婦でありお腹が大きく、最後に出産する。

トンボ(コポリ)

空に憧れ、飛行クラブに所属する丸メガネの少年。「トンボ」は愛称で、本名はコポリ。キキが空を飛んでいる場面を偶然見かけ、興味深げに声をかける。最初はキキに煙たがられていたが、徐々に親しくなる。ちなみに彼の所属する飛行クラブは人力飛行機作りを研究しているが、原作では非科学的な手段で空を飛ぶ方法を研究している(空飛ぶ絨毯、空飛ぶほうきなど)。また原作は平仮名標記で「とんぼ」である。

おソノの夫(フクオ)

無口で寡黙だが心優しいパン職人。パン作りを覗き込むジジにウィンクするなどお茶目な部分も持っている。原作ではフクオという名前がある。劇中の声の出演は極端に少ない(息遣いの時に発する程度)。

ウルスラ

森の中の小屋で絵を描くことに没頭する画家の少女。19歳。彼女がキキと出会うエピソードは原作と同じだが、映画では落ち込んだキキを元気付けるなど役どころも増えている。またウルスラという名前は公式設定であるが、劇中では1度も名前で呼ばれておらず、エンディングテロップでも声優の名前のみがクレジットされているため、作中から「ウルスラ」の名を探し出すことは出来ない。当作で公式に名前を持ちながらも名前が一切明かされないのはウルスラとフクオ(おソノの夫)の2人だけである。

オキノ

キキの父親。あっさりとした性格。原作では魔女や妖精の研究をする民俗学者。愛娘であるキキを優しく送り出す。「オキノ」は苗字ではなく、名前である。一部の視聴者からは、その外見と名前から日本人ではないかと誤解されているが、日本人ではない。

コキリ

キキの母親で彼女もまた魔女。魔女としての力は優れているものの、「空を飛ぶ魔法」と「薬草から薬を作る魔法」しか使えない。時代とともに扱える魔法の数が減っているせいであり、キキの代になって更に1つ魔法が減ってしまうことを嘆いている。劇中で名前を呼ばれる事はなく、自宅前の案内に「魔女にご用の方は ベルを鳴らしてください コキリ」と書かれているのみである。

制作の経緯 編集

1985年12月、映画プロダクション風土舎は角野栄子の児童文学『魔女の宅急便』の長編アニメーション化の企画を立ち上げた。「宅急便」がヤマト運輸の登録商標であったことから、真っ先に同社にスポンサーを要請した。当初ヤマト運輸は難色を示したが、同社のトレードマークである黒猫が偶然にも物語に登場することから次第に前向きになりスポンサーになることを了承した[2]。

1987年春ごろ、風土舎とヤマト運輸は電通を通じて徳間書店に協力を申し込み本作はスタジオジブリで制作されることとなった。

風土舎は、「監督またはプロデューサーに宮崎駿か高畑勲を」と意向を示した。『となりのトトロ』『火垂るの墓』の制作を開始したばかりでもあり当初監督は有望な若手を起用することとし、宮崎はプロデューサーのみを請けることになった。しかし実際には宮崎が脚本と絵コンテも担当することになり、制作が進むうちに当初の70〜80分の構想が100分を越える本格的長編となってしまった。監督は片渕須直を起用することになっていたが、スポンサー企業の意向をうけて降板[3]。結局、宮崎が監督も務めることになった。

長編アニメーション映画としては制作期間が短く、作画が困難な群集シーンも後半に多くスタッフは非常に苦慮した。音楽監督を高畑が受け持ったのも、宮崎に余裕がなくなったためである。さらに作曲者である久石譲も自身のアルバム制作とスケジュールが重なり、作曲打ち合わせから演奏録音までが公開間際になるという状態だった。

原作をかなり自由に脚色し背景にはスタッフがロケハンしたスウェーデンのストックホルム及びゴットランド島のヴィスビュー、宮崎自身が1988年5月に個人的に旅行したアイルランド、その他サンフランシスコ、リスボン、パリ、ナポリなどの風景を織り交ぜて使っている[4]。街の名前は、劇場公開時のパンフレットによれば原作のまま「コリコ」の街とされている。この街では白黒テレビが普及している一方でボンネットバスや大きな飛行船が使われているなど、現代ではなく過去の時代を舞台にしているものとみられる(宮崎によれば「第二次世界大戦を経験しなかったヨーロッパ」という設定)。ちなみにストックホルムとヴィスビューは宮崎がAプロダクション(シンエイ動画)時代の1971年に幻の映画企画『長くつ下のピッピ』のロケハンで訪れた場所でもある。

角野との関係 編集

原作者の角野は映画化に際し、当初は唯一の注文として「キキが旅立つ時にキキの故郷の木に付けられていた鈴を鳴らすこと」のみを求めていた。その後制作が進むに連れ内容が大きく変わることに否定的になったが、宮崎と角野が数回対談し解決した[2]。

声の出演 編集

キキとウルスラの主役級の2人を当時声優3年目の高山みなみが1人で担当している。高山は元々はウルスラ役のみ演じる予定だったがキキ役に適任者がいなかった為、オーディションを受けた上でキキ役に選ばれたが今度はウルスラ役に適任者がいなくなりキキとウルスラの一人二役を演じる事になった。