流れるままに

https://note.com/liberty0201/n/nf7613bafa1ae  【流れるままに。そう、流れるままに生きよう。】 より

誰もが知る伝説的な武道家であるブルース・リーは、生前にこんなことを言っていた。

「頭を空にして水になるんだ。水はカップに注がれればカップの形になり、ボトルに注がれればボトルの形になる。友よ、水になれ。」

この言葉はブルース・リーが生み出した武道である、截拳道(ジークンドー)の核となっている思想だ。ブルース・リーの武道は単なる武術としてだけではなく、人生に対しても役立つものだったのだ。水になるという考えは、中国の思想家である老子の「上膳は水の如し」という言葉が有名であり、中国の思想や哲学に興味を持っていたブルース・リーも、老子からの影響を少なからず受けていたのだろう。

さて、このように淡々と、あれこれ誰々が何々を言ったなどと書かれたものを読んでもつまらないだろう。書いている私自身もまるでWikipediaになったような気分でおもしろくもなんともない。そんなものは意識高い系の大学生がまとめる書評やらなんやらに任せておけばいい。これはエッセイだ。ブルース・リーも老子も知ったこっちゃない。だからここでは、彼らの思想をちょいと拝借し、自分なりに水のように生きることについて考えてみた。

私は川の流れをただぼーっと眺めているのが好きだ。川の水は常に流れているし、でっかい石があったり子どもが入って遊んだりしても流れが止まることはない。寒い冬には表面が凍ることはあっても、水の流れ自体は水面下で脈々と流れ続けている。これはまさに、私たちが生きる人生と同じではないだろうか?

人生はご存知のとおり一方向へとしか進まない。時間が未来へと進んでいく限り、人生は決して振り返りはしないし、過去に戻ることも今に留まることもない。人間が過去に行けるのは頭の中にある想像の世界だけであり、人生は常に動き続け、時間も常に流れ続けている。まるで川の水のように。

でも、流れているのは人生や時間だけではない。私たち人間も、一人ひとり時間の流れとともに、社会や文化、感情や情動、人間関係や自然の流れの中で生きている。昨日食べたクリームパンが今日美味しく感じないのは、あなたが流れる存在だからだ。頭の薄い嫌いな上司と以前よりうまく話せるようになったのは、あなたが成長という流れの中に生きているからだ。二年前は誰しも知られずひっそりと生きていたけれど、今日YouTuberとして有名人になっているのは、あなたが人生という流れに身を任せているからだ。

この世に存在するすべてのものは変化する。万物は流転するのだ(ちなみに、万物は流転するという言葉は、ギリシャの哲学者であるヘラクレイトスが述べた言葉だ)。昨日のあなたは今日のあなたではないし、明日のあなたは今日のあなたではない。パッと見ではなにも変わっちゃいないように見えるが、人間は一人ひとり一分一秒単位で変化しているのだ。悲しいことに、私人間にはそのことが理解できない。気づくのは糖尿病になって病院に運びこまれた時か、体が思うように動かなくなってきた時だけである。

人生も人間も時間もなにもかも常に流れ続け、変化し続けるものであるなら、その流れに従って生きるのが自然な生き方だと言える。よく小説の世界では、時間の流れに逆らうことは神への冒涜であると語られているが、それはつまり、不自然なことはするなということである。

自然体のまま生きることが、どれだけ楽かを実感している人は多い。本当の自分を誤魔化して、他人から求められる自分でいることに、苦痛を感じたり嫌気が差してくることがあるだろう。自分を誤魔化すことは人間にとって不自然な行為であり、人間には生まれつき不自然を嫌う性質が備わっているのだ。人工のものよりも自然なものを好んだり、加工された世界遺産の写真よりも自然な風景のほうが感動したり、コテコテにメイクした美女よりも寝起きのすっぴん姿の彼女のほうが好きなのである。

水のように生きるというのは、不自然なことはしない生き方である。万物は流転するという言葉のとおり、人生の流れに身を任せ、時間の流れに従って生き、社会や人間関係の流れに流されながら生きる。勘違いしてほしくないのだが、流れのままに生きることと自我を殺して生きることは違う。水のように生きるからといって、自分の意見を持っちゃいけないだとか、他人の意見に同調して流されろだとか、嫌なことでも流れのままにやれと言っているわけではない。

自分の意見を持たないことも、他人の意見に同調することも、嫌なことをすることも、どれも不自然なことであり、それは水の流れに逆らう生き方である。思い出してほしい。水のように生きるというのは、不自然なことはしない生き方だ。人には一人ひとり自分だけの流れがある。その流れに逆らわず、自然のままに生きることこそ、水のように生きることなのだ。

なんだかややこしくて訳がわからないという人には、いつどんなときにも役立つ指針となるキーワードを教えよう。それは、「不自然なことはするな」だ。私たち人間に備わっている、自分にとって自然か不自然かを判別するためのナンセンス感知器はとても優秀だ。不自然なことはしちゃいけない。それで苦痛を感じるならなおさらだ。

自分の流れのままに自然体で生きていれば、無駄な仕事で精神をすり減らすこともないし、無意味な努力をしようとも思わないし、お金にとらわれることもないし、人間関係を過剰に求めることも、結婚に焦りを感じることも、将来に不安になることも、死ぬのが怖くなることも、生きるのがつらくなることもなくなる。私たち人間は、水のように自然体のまま流れて生きるのが性に合っているのだ。