人は皆ひかりと闇を体験する中から彩りに満ちた人生を織り成す機織(はたお)りなのだ☆

https://note.com/stars/n/n8cd58dba229b  【人は皆ひかりと闇を体験する中から彩りに満ちた人生を織り成す機織(はたお)りなのだ☆】 より

スサノオノミコトから、人生の過酷な運命や苦労という影の部分にあると感じている人への愛のメッセージです。

人はみな陰陽を体験して彩りに満ちた一生という美しい絨毯を紡ぎだす機織りなのだ、泣くなら前を向いて泣け、その涙は未来を拓(ひら)く、と呼び掛けています。

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運命とは、酷な選択をしなければならぬ時もある。わざわざ、苦労をするよう仕向けられることもある。

それを學びや糧(かて)へと変換するのはその渦中にあるうちは困難なものだ。

魂を切り裂かれるような痛みも自分としての意識を消してしまいたくなる衝動も 至極当然で、責めるべきものはない。(過酷な選択や苦労に翻弄(ほんろう)されているとしても)

真意(真実の意図)は(おのれの)内に(確かに)ありそれ(過酷さや苦労)は宿命(さだめ)として流されてみるも善(よ)し。反発してみてもたどり着く先はひとつだ(からだ)(同じところへたどり着く)。

なれば、思うまま流されて反発しながらも、その人生を色鮮やかに彩るは人なればこそ(自分の意図の通りに進み、過酷さや苦労に反発しながらもその中で人生は色鮮やかに彩られていくのが人の有りよう、だからこそ)支え手は、ひとつにあらず(お前をサポートする手はいくつもあるのだから)気負いは捨て去りあるがままの自分を(生きれば良い)。

道はひとつではない(正解の道があるわけではない。)遠回りも良いではないか(遠回りが実は近道であるものだから。)

人の世は儚(はかな)いというがそうは思わん。(ワシが思うには、人というものは)力強く色彩豊かな(一生を作り出せる)(陰陽を体験した)人にしか彩れぬ(彩りに満ちた)一生を作り出す(ことができるのだ)。

現実から目を背けずに、前を向き泣くならば前を向き泣くがよい。後ろを振り返り泣いたところで意味はない。

その(前を向いた)涙は未来を拓(ひら)く涙となる。


http://www.irodori-movie.jp/ 【映画「人生、いろどり」について】  より

映画「人生、いろどり」は、2012年9月15日に公開された映画です。徳島県上勝町で行われている「彩(いろどり)事業」の軌跡を描いた作品で、第37回湯布院映画祭の特別試写作品としてお披露目されました。先行上映された徳島県内2館の観客動員は、公開2週間で1万人を突破。東京ではシネスイッチ銀座のみの単館公開でしたが、ミニシアターランキングで2週連続1位を記録するなど、好評を得た作品です。キャッチコピーは「もうヒトハナ、咲かそ。」でした。

https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-38073955 【がんと闘病の小林麻央さん、BBCに寄稿 「色どり豊かな人生」】 より

日本では一般的に、がんについて表立って話をするのは珍しい。著名人の場合、回復した、もしくは亡くなった時に初めて、その人ががんだったと知ることの方が多い。しかし34歳のアナウンサー、小林麻央さんは病気を公表し、既成概念を破って闘病中の経験や思いをブログでつづり始めた。小林さんのオフィシャルブログは現在、日本で最も人気のブログと言われ、多くの支持者を集めている。病気によって生きることへの考え方が変わったという小林さんが、BBCに思いを寄稿した。


2年前、32歳の時に、私は乳癌であることを宣告されました。娘は3歳、息子はまだ1歳でした。「治療をして癌が治れば、元の自分に戻れるのだから、大丈夫!」と思っていました。

けれど、そんなに簡単ではありませんでした。今も、私の身体は、がんと共にあります。私は、テレビに出る仕事をしていました。

病のイメージをもたれることや弱い姿を見せることには「怖れ」がありました。なので、当時、私は病気を隠すことを選びました。

隠れるように病院へ通い、周囲に知られないよう人との交流を断ち、生活するようになっていきました。

1年8か月、そんな毎日を続けていたある日、緩和ケアの先生の言葉が、私の心を変えてくれました。「がんの陰に隠れないで!」

私は気がつきました。元の自分に戻りたいと思っていながら、私は、陰の方に陰の方に、望んでいる自分とはかけ離れた自分になってしまっていたことに。

何かの罰で病気になったわけでもないのに、私は自分自身を責め、それまでと同じように生活できないことに、「失格」の烙印を押し、苦しみの陰に隠れ続けていたのです。

それまで私は、全て自分が手をかけないと気が済まなくて、全て全てやるのが母親だと強くこだわっていました。それが私の理想の母親像でした。

けれど、病気になって、全て全てどころか、全くできなくなり、終いには、入院生活で、子供たちと完全に離れてしまいました。

自分の心身を苦しめたまでのこだわりは失ってみると、それほどの犠牲をはたく意味のあるこだわり(理想)ではなかったことに気づきました。

そして家族は、私が彼らのために料理を作れなくても、幼稚園の送り迎えができなくても、私を妻として、母として、以前と同じく、認め、信じ、愛してくれていました。

私は、そんな家族のために、誇らしい妻、強い母でありたいと思いました。私は、闘病をBlogで公表し、自ら、日向に出る決心をしました。

すると、たくさんの方が共感し、私のために祈ってくれました。そして、苦しみに向き合い、乗り越えたそれぞれの人生の経験を、(コメント欄を通して)教えてくれました。

私が怖れていた世界は、優しさと愛に溢れていました。今、100万人以上の読者の方と繋がっています。

人の死は、病気であるかにかかわらず、いつ訪れるか分かりません。例えば、私が今死んだら、人はどう思うでしょうか。「まだ34歳の若さで、可哀想に」「小さな子供を残して、可哀想に」でしょうか??私は、そんなふうには思われたくありません。

なぜなら、病気になったことが私の人生を代表する出来事ではないからです。

私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき、愛する人に出会い、2人の宝物を授かり、家族に愛され、愛した、色どり豊かな人生だからです。

だから、与えられた時間を、病気の色だけに支配されることは、やめました。

なりたい自分になる。人生をより色どり豊かなものにするために。だって、人生は一度きりだから。

<解説>大井真理子 BBCニュース

自分ががんだと隠したい日本人は、小林さんだけではない。そもそも日本人は、自分の個人的な問題を他人に話すことをためらいがちだ。ましてや、深刻な病気となればなおさらだ。スポーツ新聞が今年6月に小林さんの病気を特ダネとして報じたとき、多くの人はプライバシーの侵害だと反発し、世論は非難の嵐となった。

小林さんの夫で歌舞伎俳優の市川海老蔵さんはただちに記者会見を開き、「病気ですし、子どもたちも小さいし、なるべく、見守っていただきたい」と述べ、報道陣には「追いかけてこないようにお願いします」と懇願した。それだけにその3カ月後に小林さん自身がブログ開始を決心したことは、家族を含めて大勢を驚かせた。

しかし、頻繁に更新を重ね、たとえば子供の幼稚園の運動会は絶対に見に行きたいなどと思いをつづるそのブログは、同じようにがんと闘う人を含め、多くの人を元気づけている。