横光利一と虚子

https://blog.goo.ne.jp/kojirou0814/e/08cb931336ad3b893bb6db865508bfa3 【横光利一と虚子】 より

車谷弘は、横光利一が俳句を始めたのは、虚子とともにヨーロッパ旅行に出かけたことがきっかけと思っていたようである。ということは、これが一般的理解とみてよいだろう。

たしかに船上俳句会ではともに句を読んでいるのだから、こういう誤解が生じるのは仕方がないかもしれない。しかし、それならば、帰国後、ホトトギスと何らかの関わりを持ってしかるべきにも関わらず、利一はそれを一切せず、反ホトトギスの秋桜子らのグループとの交流を深めている。利一は自分を中心とした句会「十日会」を渡欧前年に作るが、ここには石塚友二や石田波郷など、馬酔木系の俳人ばかりが集まっている。

考えてみればこれは当然で、自ら「旧守派宣言」を唱え、花鳥諷詠のみに閉じこもり、さらには小説、戯曲などの文芸を罵倒するに至る虚子と、文芸の革新を目指す利一では、所詮交わるところなどなかった。

そして、自らを芭蕉の末孫と自覚する利一にとって、虚子など問題にもならなかったろう。

虚子の「花鳥諷詠論」というものがいかにいい加減なものであったかは、その言動が恥ずかしいほど証明している。例えば、

『私は嘗て「俳句須菩提経」といふものを書いた。これはかりにも十七文字といふ俳句に接したものは悉く成仏するといふ意味のことを書いた。仏を信仰しなくっても、仏像にゆき会っただけでも、仏の名前をきいただけでも其の人は仏に縁故が出来たのである。すでにゆき逢っただけでも名前をきいただけでも無縁の衆生といふことは出来ない。それと同じ事で仮りにも俳句といふ名前をきいたか、もしくは俳句といふものを一句でも二句でも見たか、さういふ人はすでに俳句に対して有縁の衆生である。

私は須菩提経に於いてこの事を説いたのであって、立派な俳句を作る人はもとより成仏する。立派な俳句を作らぬ人でもとにかく俳句を作った人なら成仏する。俳句を読んだことのある人も成仏する。読まなくとも俳句といふものに目を触れた人なら成仏する。又、俳句といふ名前だけに接しただけの人でもなほ成仏する。成仏するといふのは俳句に対して有縁の衆生となるといふのである。』

これを説といったらいいのか、寝言といったらいいのか。普通の頭で判断するなら、これは程度の悪い信仰宗教、「俳句教」ともいうべき狂信者の発言といわざるをえない。誰も成仏などしたくて俳句などやるものか。これが虚子という人物の頭脳構造なのである。こんな発言をする人間に、どうして利一が接近するだろうか。

虚子の他の文芸、とくに小説に対する批判は激しい。その結果、小説という文芸に対する無知と偏見を露呈する。

『私は曾て極楽の文学と地獄の文学と言ふことを言って、文学に此の二種類があるが何れも存立の価値はある。俳句は花鳥諷詠の文学であるから勢ひ極楽の文学になるといふ事を言った。如何に窮乏の生活に居ても如何に病苦に悩んでゐても、一たび心を花鳥風月に寄することによってその生活苦を忘れ、病苦を忘れ、仮令一瞬時と雖も極楽の境に心を置く事が出来る。俳句は極楽の文芸であるといふ所以である。

貧乏人は窮乏を描いた文芸に接する事によってその心を慰む事が出来る。又病人は病苦に喘ぐ事を描いた文芸に接することによって、その病苦を慰む事が出来る。考へ様に依れば人生は陰鬱なもの悲惨なものとも見る事ができる。その事を描いたものは地獄の文学と言ってよかろう。地獄の文学というものが小説なのである。

俳句は花鳥諷詠の文学である。花鳥風月に遊んで此の人生を楽しむといふ事は、俳句の生命とする所である。徒にクヨクヨジメジメして苦渋の人生に執着すべきではない。地獄の文学もとより結構、しかし又一方に極楽の文学が存在する事は、人生にとって必要な事である。』

虚子によって、ついに小説は「地獄の文学」にされてしまった。こういう粗雑な頭で芸術が理解されるのかと思うと恐怖感さえ感じてしまう。

当時、このような言説に従いホトトギスという結社の中で俳句を作っていた人々がいたことは事実であり、多少、軌道修正されてはいてもホトトギスの路線は基本的に変わってはいないのだ。

それはそれとして、利一は小説家であるわけで、こうまで言われて一緒にやっていけるわけもない。

利一は俳句と関わったが、それは虚子のいう花鳥諷詠としての俳句でもなければ、極楽の文学としての俳句でもなかった。芥川が一時期にせよ、虚子の指導を仰いだこととは違うのである。〔続く〕


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