横光利一の俳句

https://blog.goo.ne.jp/kojirou0814/e/356509a507ef9d2f51cd4f4579b04c41  【横光利一の俳句】より

横光利一の残された句は約四百句と言われている。中田雅敏の『横光利一―文学と俳句』の巻末には、その殆どが収録されている。

ここから独断と偏見で、横光らしい句を択んでみよう。飽くまでも「らしい」であり、秀句というのではないことをお断りしておく。

 圓木の揺れやむを見て青き踏む        オリオンを直上にさす雛祭

 鵞鳥朝あけを告げ来る若芽          春暁や罪ほの暗く胃に残る

 白梅の垂直を見る夜のしゞま         摘草の子は声あげて富士を見る

 天主教会庭木に登る春の子ら         遠く来て見しものかリラの花咲くを

 流れ木の芽立ちしままに砂州光る       匂ひ立つ材木乗せし春の貨車

 白鳥の花振り別けて春の水          春の夜の桜にかかる投げテープ

 桜散りて国遠ざかる海路かな         行く春を小夜中山の石なでつ

 膝抱きて旅の疲れや白あやめ         蟻薹上に餓ゑて月高し

 屋上のインコ真白し夏の月          栗の花ちる径たるむ腕時計

 梅雨曇りベルの音よく冴ゆる門        夏のや夜通し落ちる花の音

 蜩や風呂わき来れば人にすすむ        秋の日の反射爐に満つ嫁ぐ人

 秋の夜や交番の人動かざる          無花果を押し潰しみる薄疲れ

 ショパンなほ続く妹の秋の薔薇        白菊や衰へし人礼正し

 栴檀の実の色つきぬ胡蝶隊          梨の芯黒きを残すひるの留守

 ふるさとに芒なびきて霰来る         名月やあるじ眠らん香のなかに

 山峡のレール秋ひき立ち迎ふ         嬉野に油こぼれて師走来る

 大掃除床下の羊歯正しかり          風花や石みなまるく水に入る

 靴の泥枯草つけて富士を見る         木枯や海女の足裏水底に

 紫の河浮き沈む冬筏             横綱と顔を洗ふや冬の宿

 押しよせて波みな妻の顔に見ゆ        繭玉に金色の風ゆらぎ立つ

十日会の常連であり、利一の小説の弟子である石塚友二は、利一の句について「熟れかかった果実」と評しているそうだ。

中田は「練達の境にはほど遠く、句風が未完成であったと言うことであろう。芥川の句のような洗練された趣きはなく、総じて真率簡素、訥訥とした表現で、作句の姿勢の厳しい構えと相俟って素朴である」と述べている。

たしかにそうかもしれない。

ヨーロッパ旅行吟から、拾ってみよう。

 暴れ若葉九龍の波尖とがる       アフリカも知らざる火夫の声低し

 アラビヤの波塩辛き末路かな      京に似しペナンは月の真下にて

 キャラバンの疾風に眠る塩の山     コンコルド女神老けにし春の雨

 シャンゼリゼ驢馬鈴沈む花曇      十五夜の月はシネマの上にあり

 天井に潮騒映る昼寝かな        ペナン行花さす客の口赤し

 まるまると陽を吸ひ落す沙漠かな    鰐怒る上には紅の花蔓

以上の句は、新感覚的な景の捉え方が比較的強く出た句と思うが、これらの系譜とは別に、これが利一! と思うような古風な句もあるのだ。

 白梅のりりしき里に帰りけり      夜桜や隣りの人に会ひにけり

 墨するや月のぼりゆく春草忌      芍薬を売り残したり花車

 日ぐらしや主客に見えし葛の花     待つ朝の鏡にうつす青落葉

 あづき煮る火もとさびしき野分かな   日ぐらしは草より低き嵯峨野かな

 ささ鳴きの枝うつりゆく夕ごころ    人棲まぬ隣家の柚子を仰ぎけり

 此の借家また借りる人の荷の軽し

こういった句がお好きな向きは多い。そして利一にとって、この手の句は造作もなかったろう。しかし十日会に集まった仲間達は、おそらくこういった句を作ろうとしてはいなかった筈である。

中田は利一の句のなかで「蟻」の句を引いて、これがもっとも利一の心境を反映した句であると言っている。

 蟻薹上に餓ゑて月高し/利一

「この句は横光の残した俳句の中でも暗示と象徴から成る名句でもある。小さな蟻が台上に攀じ登って飢えを訴えながら月を仰ぎ見ているその姿こそ横光の野心と貧欲なまでの執着心とを見ることができる。けし粒ほどの蟻が、とどきもしない天空の月を眺めて飢餓を訴えるところに、おのれの芸術と文学の完成とを求めて頑ななまでに孤軍奮闘している横光の姿が見えて来る。そうした姿は一種滑稽でもあり悲愴でもあるが、内面の焦燥と昏迷をかかえながら自らの力量でその道を劈り開こうとする強烈な詩精神を看取することができる」

そうなのであろう。そして、この強烈な敢闘精神が十日会のまわりに若き信奉者を集め得た理由である。石田波郷など、当時としても句の腕前は利一よりも上であった。そんな彼らでさえも惹きつけた利一は、高浜虚子とは別の不思議なカリスマであったといえそうだ。〔終わり〕