朝顔の歴史

https://www.ebayama.jp/merumaga/20080901.html  【秋の七草】  より

皆さんは「秋の七草」をご存知でしょうか。

万葉集を代表する歌人、山上憶良が次のような二首の歌を読んで以来、秋を代表する草花として「秋の七草」と親しまれるようになりました。

 「秋の野に 咲きたる花を 指折り かき数ふれば 七種の花」

 (あきののに さきたるはなを およびおり かきかずふれば ななくさのはな)

 「萩の花 尾花葛花 なでしこの花 女郎花 また藤袴 朝顔の花」

 (はぎのはな おばなくずはな なでしこのはな おみなえし またふじばかま 

  あさがおのはな)

 この秋の七草、現在の名前に置き換えると、

萩=ヤマハギ、尾花=ススキ、葛=クズ、なでしこ=カワラナデシコ、女郎花=オミナエシ、藤=フジバカマ、朝顔=キキョウ

となります。

 ここで、朝顔=キキョウ?と思われる方もいるかもしれません。現在では朝顔=アサガオですが、このアサガオ、平安時代初期に遣唐使により日本に渡ってきたといわれています。

 また朝顔がムクゲを指す場合もあるそうですがムクゲも中国原産で平安時代に日本に渡ってきたといわれており、平安時代の漢和辞典「新撰字鏡」(892年頃)には「桔梗、二八月採根暴干、阿佐加保」という表記があることから、アサガオ・ムクゲとも山上憶良が生きた奈良時代に野に咲いていたとは考えにくく、この山上憶良の詠んだ朝顔はキキョウではないでしょうか。

 ちなみに日本最古の本草書(今の薬用植物事典・918年頃)である「本草和名」には「牽牛花(アサガオのこと)、和名阿佐加保」との記述があり、このころに朝顔の指す植物がキキョウからアサガオに変化してきたのかもしれません。

 さて、この「秋の七草」。日本を代表する秋の花として古くから親しまれてきましたが、皆さんは野生の「秋の七草」を全部見たことがありますか?

 ヤマハギ・ススキ・クズは身近に見ることができますが、カワラナデシコは岩手県・埼玉県・宮崎県・鹿児島県などでレッドデータブック(絶滅のおそれのある野生生物について記載した本)に載っていますし、オミナエシもめっきり見かけなくなってきました。フジバカマ・キキョウにいたっては環境省のレッドデータブックに載っており全国的に数が少なくなってきています。

 このめっきり見ることが少なくなってきたカワラナデシコ・オミナエシ・フジバカマ・キキョウには共通の特徴があります。

 実は、日当たりの良い手入れされた草地が好きなのです。ですから人間の生活の場に近いところにたくさん生え、よく目にするので「秋を代表する草花」になったのでしょう。

 ところが、近年開発などによって草地が減少したために、都市部では「秋の七草」を全部見るのは難しくなってきたようです。


https://manyuraku.exblog.jp/11699708/ 【万葉集その二百二十七(桔梗:キキョウ)】より

秋の七草といえば山上憶良が詠った「 萩の花 尾花葛花 なでしこの花 をみなへし また藤袴 朝貌(あさがほ)の花 」  巻8-1538 ( 万葉集その25「秋の七草」既出)

がよく知られています。

ところが最後の「朝貌」とは何か?については長年意見がわかれ、「槿(むくげ)」、

「朝顔」、「桔梗」、「昼顔」など諸説ありました。

まず、「朝顔」は平安時代に中国から渡来したものと考えられているので省かれ、「昼顔」はさしたる根拠なしとして、最後に残ったのが「槿」と「桔梗」。

最終的には我国最初の漢和辞典「新撰字鏡」(901年頃:僧 昌住著)の「桔梗、阿佐加保(アサカホ) 又云 岡止々支(オカトトキ=桔梗の別名)」の記述や、歌の内容などによって「桔梗」とするのが現在ではほぼ通説となっています。

よって、以下の歌の「朝顔」はすべて「桔梗」としてお読みください。

「 朝顔は 朝露負(お)ひて 咲くといへど

    夕影にこそ 咲きまさりけれ 」    巻10-2104 作者未詳

( 朝顔は朝露を受けて咲くというけれども、夕方の光の中でこそ、

  なお一層その美しさが際立つものなのですね。)

「咲きまさりけれ」は花の色が一層美しくなったの意。

この歌こそ「朝顔」が「桔梗」であるとの説を最も有力にした一首です。

何故ならば、槿、朝顔、昼顔は朝に咲いて夕方萎む1日花、そして槿は草ではなくアオイ科の落葉低木とされているからです。

「朝顔が濃紫の気品高い花をつける桔梗であるとすれば、信州の陽暦八月下旬の薄暮を押しのけるようにして咲くその花の風情を幼童時代にしばしば体験している。

それは、尾花の白いそよぎとともに、童心に深い詩情を与えずにはおかなかった。

放置するに忍びず、折り取るに忍びずというのが、その花の姿であった。」

                         (伊藤 博:釈注)

「 臥(こ)いまろび 恋ひは死ぬとも いちしろく

             色には出(い)でじ 朝顔の花 」 

                       巻10-2274 作者未詳

( あなたのことを思い悩んで夜も寝られず毎晩寝返りばかり打っている私。でも、万が一、恋患いのまま死んでしまうようなことがあっても、朝顔の花が咲くように、はっきりと顔に出すようなことはいたしますまい )

「臥(こ)いまろび」の原文表記は「展転」:「横になってころがる」意で「激しい嘆きや

悲しみの姿態として好んで使われる言葉 (伊藤博)だそうです。

「灼然(いちしろく)」は→「いちしるし」→「いちじるしい」と現代語に転訛しました。

思いつめた表情で朝顔に見入っている作者。

「やや年たけた美しい女のいささか不倫の匂いも漂う妖艶な恋を思わせる」

( 永井路子 万葉恋歌 光文社 ) そうで、やはり「桔梗」は大人の花なのでしょう。

「言(こと)に出でて 言はばゆゆしみ 朝顔の

          穂には咲き出ぬ 恋もするかも 」

                 巻10-2275 作者未詳

( 恋人の名前や恋心をうっかり口に出してしまうと、不吉な結果を招くといわれているので、その素振りさえも見せないようにして密かにあの方を恋い慕っています。朝顔の花のように人目に立つようなことは決していたしますまい。)

言はばゆゆしみ:禁忌に触れてはならないという恐れる心情

穂には咲き出ぬ: 「穂」は「秀」で目立つもの。ここでは花。

             目立つように外には表れないようにして。

「 桔梗はまだ秋の気配もない頃に咲きはじめる。花の姿も色も きりりとしていて、しかも色気がある。早乙女ではなくて、子供を一人くらいは産んだひとの夕涼みする風情に似かよう。紫のほかに白桔梗もあるが、この花ばかりは紫のほうがいい。

              ( 杉本秀太郎 花ごよみ:講談社学術文庫)

       「 きりきりしゃんとして咲く桔梗哉」 一茶

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