https://www.amorc.jp/blog/202007311753_2676.html?tc=melma200731?utm_source=haihaimail&utm_medium=email&utm_campaign=emailmagazine&utm_content=mailid-758 【「数とは何か?」】
この簡単そうに思える問いに即答することができる人は、決して多くはないと思われます。
なぜなら、数には様々な側面があり、数学的、哲学的、形而上学的、宗教学的、神秘学的な側面などから、「1、2、3、4…」という数について説明することができるからです。
・「7」という数字からは、何を思い浮かべますか?
「創世記の天地創造」「一週間」「ラッキーセブン」「素数」「プレアデスの七姉妹」「北斗七星」「オクターブ内の7音」などでしょうか?
・「12」という数字からは、何を思い浮かべますか?
「時計」「黄道十二宮」「十二支」「一年(12か月)」「十二使徒」「正十二面体」「オクターブ内の12音」などでしょうか?
算数や数学を学び、公式などによって客観的に数というものを捉えるようになると、「数」とは、様々な物理的な法則を司る「絶対的なもの」のように思えたりもしますが、上に挙げたように、数学、哲学、思想、宗教、神話、音楽などの様々な側面において、数に様々な意味を与えることができます。
ですから、最初の「数とは何か?」という問いについて、そう簡単に答えることができないばかりか、人類は「数」というものの本質について、「実は何も理解していないのではないのか?」とさえも思えてきます。
では、以上のことを踏まえ、神秘学的、形而上学的な観点から、数というものの本当の姿を見つける旅に出ることにしましょう!
数学のヒーロー、天才少年
■「0」とは?「1」とは? ~「在る」、「無い」~
形而上学的な観点から簡単に説明すると、「0」とは「無い」こと、「1」とは「在る」という概念に置き換えることができます。
そして、この場合の「0」と「1」は、決して物を数えたりする際に使用される、「0」から始まって「1、2、3…」と続く数直線上にある「0」と「1」という通常の概念ではなく、「1」は「全体」を意味し、下記のように直線全体を「1」として閉じた世界として表現することを意味します。
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それでは、この「0」と「1」の概念を「宇宙」という観点から考察してみましょう。
・「宇宙」の始まりは「0」から? 「1」から?
もともと、「0」という概念は数学上の概念でもあり、自然科学的には、「0」ということは「無い」ことであり、もともと「存在さえもしていない(不存在)」ことであり、それについては議論することもできないと言えます。
そうすると、「宇宙」は「0」から始まることは無いと言えるかもしれません。
なぜなら、「何も無い」ということは、「宇宙」の素さえも存在せず、そこからは「何も生まれない」ということを意味するからです。
ただし、数直線上の「0」を中心に正負の数を考えた場合、「0」は「正の数(+)」と「負の数(-)」を隔てる壁のようなものであり、その場合、通常の「0(無い)」という概念とは少し異なり、下記のようにまさに壁のようなイメージになるのではないかと私は考えています。
負の数 0 正の数
潜在意識 0 顕在意識
精神 0 物質
ですから、私は、ビックバン以前の宇宙は、何も無い状態だったのではなく、現在の「宇宙」を構成するすべてのものが超高密度で一点に集まった状態であり、それは「無い(0)」という状態とは異なり、無限大に小さかったとしても、全体が集まった状態で、「在る(1)」という状態だったのではないかと考えています。
ですから、宇宙とは、始まりから現在に至るまで、その大きさは異なったとしても、すべてを含む全体として存在しているのではないかと考えています。
宇宙(イメージ)
■「2」とは何か? ~分割~
では、「1(全体)」を「宇宙」に置き換えた場合、「2」とは何を意味するのでしょうか?
別々の「1(宇宙)」を2つ足して「2」を「1」+「1」であると考えた場合、我々の宇宙のほかにもう一つの「宇宙」が存在すると考えることができます。
同様に「3」では、3つの別々の「宇宙」が存在すると考えることができます。
しかし、少し前で述べたように「1」を全体として考えた場合、「2」とは「1」を分けて、2つに分割(均等でなくても)した状態であると考えることもできます。
これを陰陽思想の太極図で説明すると、円である「全体(1)」を「陰」と「陽」に二分すると考えることができ、太極図は、そのことをとても分かりやすく図式化してくれています。
太極図
太極図
また、ひとりの人間を「全体(1)」として考えた場合、「陰」と「陽」になぞらえて「心」と「身体」、または、単に体の四肢などに、全体を任意の数に分けることができ、その分けられたものをすべて集めると「全体(1)」になります。
これをギターで例えると、一本の弦が「全体(1)」であり、その弦をどう分割するか、どこを押さえるかによって音の高さが変わりますが、まさにこれが「全体」を「分割」するという概念の基本であり、数学的に考えると、1/2、1/3、2/3、1/4などの分数で表すことができます。
そして、ギターの弦には、当たり前のようで、とても重要なことがあります。
それは、ギターの弦をある高さの音にチューニング(調弦)した場合、その弦の最低音(基音)よりも低い音は出ないということです。
しかし、高い方に限れば、原理的にはどこまでも高い音を出すことができます。
弦の振動を物理的に考えれば、当然で本当に当たり前のことなのですが、私は、それを知ったとき、なぜかすべての未来が開けているような前途洋々な気分になりました。
なぜかって?
それは、高みを目指せばどこまでも行けるような気がしたからです。
ギターの弦
そして、この弦の振動については、「倍音」と「素数」が思いもよらない形で絡み合い、思いもよらない世界が展開されますが、これは今後のお楽しみにしておいてください。
では次回は、この「全体」と「分割」について、様々な例を挙げてその実態に迫ってみたいと思います。
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ふたたび本庄です。
昔『超現実数』という題の本を呼んだことがあります。
自分とは何かという疑問を抱いたことがきっかけで無人島で生活するようになった男女が、無から数がどのように創造されたかが記されているらしい謎の石版を見つけるところから話が始まる、とても本格的な数学小説です。
まだ読み終えていません・・・。
たしかこの本の中ごろで、1+1が2であることが「証明」されます!
「無から」ですので、この本を読むのに基礎知識はいらないのですが、ご興味のある方は、十分に覚悟を固めてからどうぞ。
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