https://news.yahoo.co.jp/articles/561271ccbca11afa9a9ff9dbac1d8b3633b6bdcc 【李登輝氏死去 評伝 「公に奉ずる日本精神」説き続けた旧制高校生】 河崎真澄 より
作家の司馬遼太郎は、1993年と94年の台湾取材で親しくなった元総統、李登輝を「旧制高校生」と評した。2人とも大正12(1923)年の生まれだ。
互いに70歳に手が届いていたが、「僕はね」と語りかけた口調に、司馬は懐かしき旧制高校生に再会したと感じたのだろう。李登輝は旧制台北高から、京都帝大(現京大)に進んだ。
本紙連載「李登輝秘録」の取材で台北郊外の自宅を訪れたとき、李登輝は右手を首まで水平に持ち上げ、「僕はここまで、22歳まで日本人だったんだ」と言った。
李登輝は高校時代に新渡戸稲造(にとべ・いなぞう)の「武士道」を読み込んだ。自著「『武士道』解題」(小学館)で「日本の伝統的価値観の尊さ」を訴え、戦後日本の「自虐的歴史観は誤り」と書いた。
台湾民主化の父と呼ばれた李登輝が「日本精神」にこだわったのはなぜか。
2002年11月、慶応大で学生向けに話すはずだったが、訪日ビザ(査証)を日本政府に拒まれ“幻の講演原稿”となった「日本人の精神」にこう綴(つづ)った。
「いま、私たちの住む人類社会は未曽有の危機に直面している。危機竿頭(かんとう)に面したとき、日本人に対する国際社会の期待と希望はますます大きくなる。数千年にわたり積み重ねてきた日本人が、最も誇りと思うべき普遍的価値である日本精神が、必要不可欠な精神的な指針なのではないか」
その実例として李登輝は戦前の台湾で、東洋一とされた「烏山頭(うさんとう)ダム」を作った日本人技師、八田與一(はった・よいち)を挙げた。工事は苦難の連続だったが、灌漑(かんがい)用水路も整備し、干魃(かんばつ)や洪水に苦しんだ不毛の地を広大な農地に変えた。台湾農民のために八田は生涯をささげた。
李登輝は、「人間いかに生きるべきか」「公に奉ずる精神」を実践躬行(じっせんきゅうこう)したとたたえた。八田は台湾でいまも尊敬を集めている。
李登輝は講演原稿をこう締めくくった。「皆さんの偉大な先輩、八田與一のような方々をもう一度、思い出し、勉強し、われわれの生活に取り入れよう」。私心ではなく「公」のために誠意をもって行動する。戦後の日本人が失った「日本精神」をいまこそ取り戻すよう、李登輝は事あるごとに日本人に説いたのだ。
台湾における教育改革にも心を砕いた。「(国民党政権の)反日教育をやめさせ、台湾の子供たちに正しく日本と日本人を理解させなければ」と考え、96年に新たな中学の教科書「認識台湾」を作らせた。それ以前の教育では、大中華主義の歴史観で台湾の歴史や地理は教えず、日本統治時代は一律に否定していた。
だが李登輝は戦前に普及した教育の制度やインフラ建設など、日本の功績も認める客観的な記述を取り入れて再評価させた。その結果、若い世代が公平な目で日本を見て判断し、親しみを感じる傾向が強まったという。反日教育を90年代から加速させた中国や韓国と台湾の差がここにある。
「僕はね、戦後の日本人が失ってしまった純粋な日本精神を、今も持ち続けているんだ。だから政治の苦難も乗り越えられた」。そう話した李登輝の生き方こそ、今を生きる日本人が手本とすべきものだった。(元台北支局長 河崎真澄、敬称略)
商品の説明
メディア掲載レビューほか
「武士道」解題 ノーブレス・オブリージュとは
台湾前総統で旧制の日本教育を受けた著者は「日本の良いところや、精神的価値観の重要性を人一倍よく知っている」と言う。新渡戸稲造が100年余り前に著した『武士道』を解説しながら、日本人が忘れかけている高い精神性を取り戻そうと訴える。
新渡戸は「義」を重んじ、「忠」を尊び、「誠」をもって率先垂範するといった武士道が、民族固有の歴史や風俗、仏教や儒教、神道などと深く関わっていることを記した。著者は1000年もの長い間、日本に浸透し、世界に誇るべき精神的支柱だった武士道や「大和魂」を、戦後、日本が意識的に踏みつけてきたことを批判する。
日本再生を期す今こそ、武士道の規範を徹底的に再検討し、実践に移すべきだと熱く説いている。
(日経ビジネス 2003/05/05 Copyright©2001 日経BP企画..All rights reserved.)
-- 日経BP企画
出版社からのコメント
100年前に書かれた新渡戸稲造の『武士道』には、現代の日本人が忘れてしまった普遍的思想が貫かれている。その深遠な日本精神を、戦前日本の教養教育を受けて育った台湾の哲人政治家が、古今東西の哲学知識を総動員して解説。
内容(「MARC」データベースより)
「日本人よ、やまとごころを取り戻せ」 新渡戸稲造の「武士道」を台湾前総統が諄々と説く、21世紀の日本人必読の書。新渡戸稲造と李登輝、2人の国際人が考えるノーブレス・オブリージュとは?
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
李/登輝
1923年1月15日、日本統治下の台湾・台北県に生まれる。旧制台北高等学校卒業後、44年に陸軍に志願入隊。46年に中退して台湾大学に編入し、48年に卒業。同年から52年まで台湾大学講師。52~56年台湾省農林庁技正兼経済分析係長。この間アメリカに留学。58年より台湾大学非常勤教授。再びアメリカに留学し、68年にコーネル大学大学院農業経済学博士課程修了。71年国民党に入党。72年行政院政務委員(無任所相)として入閣。78~81年台北市長、79年国民党中央常務委員、81年台湾省政府主席などを歴任。84年副総統に指名。88年1月蒋経国の死去にともない総統に昇格。台湾人として初めて総統になる。96年3月台湾初の総統直接選挙に当選し5月就任。2000年3月総統選で国民党の連戦候補が民進党の陳水扁候補に大敗した責任を取り、国民党主席を辞任。同年5月総統を退任。2001年8月新党・台湾団結連盟(台連)を発足。2001年4月心臓病治療のため来日。現在、シンクタンク「台湾綜合研究院」名誉会長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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