http://www.waseda.jp/sports/supoka/research/sotsuron2008/1K05A001.pdf#search='%E6%AD%BB%E3%81%A8%E5%86%8D%E7%94%9F%E3%81%AE%E5%84%80%E5%BC%8F'
【走る王~走行儀礼と古代エジプト人の死と再生~ 】
本研究の目的
古代エジプト全王朝時代(紀元前3100年ごろ~紀元前30年ごろ)を通してファラオと呼ばれる王は、古代エジプト人達が長年にわたって作り上げてきた、死後の再生復活という死生観を利用し、神から祝福をうけた神の代行者としてエジプトの大地を統治し守らなければならなかった。巨大な国を守るための超越者として、エジプト王に求められたものは、肉体的・魔術的力であり、それを兼ね揃えた超越的な存在として認識された人間が、王として認められ国土を統治していた。それは死を迎える瞬間まで維持し、保持しなくてはならないものであった。しかし、王に求められた強大な力は、年齢と共に衰えるものと考えられ、王はその超越的な力を家臣及び民衆に知られる事を何よりも嫌悪していた。超越的な力の維持と保持のため、王達は身体運動の1つであるマラソンを取り入れた儀式を、即位30年後とそれ以降3年毎に行なうようになった。この走行儀式が更新の儀式と言われるセド祭である。セド祭は王の肉体的・魔術的力の復活を祈願する走行儀式であるが、「形式的な王の死」という王殺しを備えた神事であり王の再生復活を表現した、死と再生を表す神事でもあった。
セド祭と呼ばれる神事は、エジプトが統一される以前(~紀元前3100年ごろ)から、古代ローマ帝国によってエジプト最後の王朝プトレマイオス家が滅ぼされるまで、各王朝の中で30年以上国を統治した王達によって何度も行なわれてきた儀式であり、王の行なう神事の中でも最も重要な儀式と今日までの研究で判明している。そこで本研究では、古代エジプト代々の王達が人々に求められていた事を、王の死と再生復活が組み込まれた、走行儀礼の中の身体運動によってどのように理想の国王像を表現してきたのかを、文献・博物館及び美術館の観覧・映像資料を基にし、明らかにする事を目的とする。
第1章 再生復活と身体の構成
古代エジプト人にとっての再生復活は、神々そのものである自然環境の一部と考えられていた。
彼等の再生復活という死後への信仰は元々死に対する恐怖心から生じたものであり、死への恐怖と死後も生前と同じ生活を送りたいという強い願いから成長した思想である。また、古代エジプト人が死後に望んだ再生復活を叶えるには、完全な肉体の保持が義務付けられており、古代エジプト人達は身体の構成要素を生前と死後両方の生活で、1つでも欠けないようする事を心がけていた。
1) 再生復活の原点と、古代エジプト人の生と死 2) 古代エジプト人の身体構成再生復活という思想が生まれた3つの理由。再生復活の思想の定着により生まれた死への準備と、生への執着。
「カー」「バー」「アク」「名前」「陰」によって構成される、古代エジプト人の身体構成と、構成要素の意味と役割。
第2章 走行儀礼セド祭の概要
セド祭は、エジプトが1つの国として統一される以前(紀元前3100年以前)から存在する、古代エジプトの中でも最も起源が古いとされる神の1人を祭る神事である。その内容はエジプト王政と王朝にとって、最も重要視されるものであった。セド祭の機能は全王朝全ての時代を通して、王の権威と権勢をより強くし守るものであったとされ、王の力が衰えるとされる即位30年時と、それ以降3年毎に行われる身体運動を取り入れた宗教的儀式の1つであったとされている。
1) セド祭の概要 2) セド祭を司る祭神 3) セド祭を行なう、統一王朝最初の首都メンフィス
セド祭の原点と概要。セド祭の特徴。
祭神の概要。セド祭との関わり。
都市の概要。重要地としての役割と必需性。
第3章 身体運動における王の役割と職務
死を迎える事でしか得られない再生復活を、古代エジプト人達はセド祭の儀式の中に形式的な死を取り入れることによって成立させ儀式の終了と共に、年と共に衰えた超越的な肉体的・魔術的力を再び得、エジプトの国土を統治するに相応しい、国民が望む王に生き返るのである。
1) 儀式の中の形式的な死と再生復活 2) 身体運動によって表される理想的な国王像 儀式
における王の形式的な死の必需性と、再生復活の関わり。
王に求められていた役割と職務が、身体運動によって表される意味とは。
結論
以上のことから、古代エジプト王は誰よりも超越的な力を持つことを義務付けられた。超越的な力の表現は全エジプト王朝を通じ、身体運動を行う事によって表される。王の超越的なちからは、富国の絶大なる支配者というイメージを家臣・民衆、そしてエジプトの脅威となる諸外国に見せ付けることに結果として繋がり、王は人々が望む理想の国王像を表現する事が出来たのである。
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