https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E7%AE%92%E6%9C%A8_%28%E3%81%AF%E3%81%AF%E3%81%8D%E3%81%8E%29/ 【ははき‐ぎ【×箒木/×帚木】 の解説】 より
1 ホウキギの別名。《季 夏》
2 信濃(長野県)の園原 (そのはら) にあって、遠くからはあるように見え、近づくと消えてしまうという、ほうきに似た伝説上の木。転じて、情があるように見えて実のないこと、また、姿は見えるのに会えないことなどのたとえ。
「園原や伏せ屋に生ふる―のありとは見えて逢はぬ君かな」〈新古今・恋一〉
3 《語頭の2音が同音であるところから》母の意にかけて用いる。
「大后の宮…日の本には―と立ち栄えおはしまして」〈栄花・駒競べの行幸〉
http://kokken.onvisiting.com/genji/genji014.php 【「帚木」とは何か】『源氏物語の謎』増淵勝一 著 - 国研ウェブ文庫 より
『源氏物語』第二帖の巻名は「帚木」(ははきぎ)と言います。「帚」はホウキ。本によっては「箒」を用いる場合もありますが、そのときは竹ボウキが原意。つまり「帚木」はホウキの木という意味になります。それが空蝉(うつせみ)という女性の別名になっており、その帚木が第二巻のヒロインであるところから、巻名ともなっているのです。
ただし、このホウキの木は、ただのホウキの木ではありません。この木は園原山(長野県下伊那郡阿智村智里に所在。飯田市と岐阜県中津川市とのほぼ中間)の中腹にあった檜(ひのき)の一種で、周囲六メートル余り、地上二十二メートルの大木で、枝が四方にのび、遠くから見るときはまるでホウキを立てたように見えていて、近寄るとどれがその木かわからなくなってしまうという、不思議な大木だったということです。(『観光の飯田』86号、昭49・9刊)。現在はその根元だけが残っているそうです。
光源氏は十七歳の夏、方違(かたたが)えに赴いた中川の紀伊守邸で、紀伊守の父・伊予介の後妻である空蝉とはからずも契りを交します。彼女を忘れられない源氏は、空蝉の弟の小君に手引きをさせて再び中川邸を訪れますが、空蝉は身を隠して、源氏の求愛を拒否します。そのとき源氏は空蝉を園原の帚木にたとえて、
帚木の心を知らでそのはらの道にあやなく惑ひぬるかな(近づくと見えなくなる帚木のようなあなたの心を知らずに、園原を行く旅人のように、わけもわからず迷ってしまったことよ。)
とよみかけます。空蝉の返歌。
数ならぬ伏屋(ふせや)に生(お)ふる名の憂(う)さにあるにもあらず消ゆる帚木
(いやしい伏屋〈園原にある施し小屋〉の生まれと言われるのがつらいので、居たたまれぬ思いで帚木のように消える私です)
近づくと消える園原の帚木に空蝉はたとえられ、そのヒロインの物語を語るので、巻名も帚木と付けられたわけです。
近寄ると見えなくなる箒木の話は フォーカスすると全体が見えなくなるイメージ、近視眼の問題、エゴイズムの問題を感じます。
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