Facebook・清水 友邦さん投稿記事
先日、高野山、比叡山と並ぶ日本三大霊場の一つ、下北半島の恐山を訪れた。恐山といえばイタコが有名だが、恐山にイタコが住んでいるのではなく、普段は散らばって住んでいる。
恐山の大祭の時だけイタコが各地から集まって来るのである。青森県は昔、右側は南部藩で左側は津軽藩に分かれていた。以前は盛んだったイタコの市も最近では恐山の他に津軽の川倉地蔵堂と南部の法運寺の三カ所だけだという。
昭和10年頃から始った恐山のイタコの人数は最盛期80人もいたが昭和29年には50人、昭和40年に31人になり、平成になると10人以下になり今年は3人である。イタコは衰退の一路をたどり、イタコ組合も消滅し、もはや終わったも同然である。
最も古い日本の宗教の形態はと問えば仏教でも神道でもなく、それはシャーマニズムである。シャーマニズムはおそらく数十万年も遡ることができる人類最古の宗教的伝統でもある。世界中の狩猟採集民族にはあらゆる事物には精霊が宿るというアニミズムの信仰がほぼ共通して見受けられる。そして霊的存在と交流する人々をシャーマンと呼ぶ。エリアーデによるとシャーマンにはトランス状態になって肉体から抜け出して霊的存在と交流して帰還するエクスタシー(脱魂型)と霊がシャーマンの肉体に憑依するポゼッション(憑依型)がありイタコは憑依型である。
東北地方におけるシャーマンが誕生するプロセスには2つのタイプがありイタコ系とカミサマ系に分かれる。カミサマ系はある日、突発的に神懸かり、シャーマンの病とよばれる変容をへて、祈祷師としてデビューする。信者を持つ新興宗教の教祖タイプである。南部地方では屋号をつけて○○のカミサマと呼ばれる。津軽ではゴミソと呼びカミサマ系は死者の口寄せをせず予言や託宣、占い、災難を祓う祈祷を主に行なう。イタコ系はほとんどが盲目の女性でイタコの師匠に弟子入りして一定期間修行して、死んだ人の霊をおろさせる口寄せの技術を学んで自立する。
イタコの口寄せには決まりがあり「百日過ぎているかどうか?」をイタコは問題にした。百日すぎなければ霊はよんでも答えず、別な霊を呼んでしまうからだという。しかし厳格に定められていたこの決まりもだんだん守られなくなり末期にはなんでもかんでも降ろすイタコがあらわれた。
明治以前の仏おろしは一回の口寄せで話が出来なくなるくらい消耗し、1日に1~2回が精一杯だったらしい。
特に恐山はあまりにも有名になったために、商売目当てにイタコのほかにカミサマやゴミソも参加するようになった。短時間で現金収入が得られるので、口寄せの時間も2~3分と短くなり、本来の地元のイタコによる死者の巫儀の意義はすたれて、観光客相手に簡単な口寄せで済ましてしまうお粗末なものになってしまった。
イタコは一般にインチキだと思われているがイタコにもピンからキリまであり、昔よく当たると評判がたつイタコには長蛇の列ができた。最も評判が高かったのは伝説となった「間山タカ」だった。しかしイタコもよる年波には勝てず次々と他界しイタコの数は激減した。真性のシャーマニズムを期待して出かけても恐山でのほとけおろしは様式化された演技の口寄せしかみられなくなっていた。
恐山の口寄せパターンは次の通り
イタコが数珠を鳴らしながら仏おろしの祭文を歌う。
「あーいーやーあー」
「何がしらのご縁か、何の引き合わせか。
「今日は恐山に呼んでくれて、ありがだいことだ。」
「本当は死にたくなかった。」
「先に逝ってしまって申し訳ない」
「家族の健康を願っている。」
「夫婦、兄弟、親子、仲良く暮らしてくれ。」
「某月某日、喜びあり。良いことがある。」
「某月某日、交通事故に気をつけろ。戸締まりに気をつけろ。」
「今日はおまえに会えて良かった。喜んで帰る。」
イタコは数珠をじゃらじゃら鳴らしながら津軽弁で話すので通訳が必要である。
イタコはかつては地元の人々との繋がりの中で部落のオシラサマの儀礼や正月の恵比寿まわり、農作物の作柄を占ったりと濃密な関係を保っていた。
口寄せには死口(しにくち)といって行方不明になった死者の霊を憑依させ「ワ(私)のからだはどこそこにある。」と遺体の場所を遺族に告げることもあった。
ほかに生口(いきくち)といって行方不明の生霊(いきりょう)を憑依させ居場所をつげることさえあった。生口(いきくち)は最も辛く3時間も汗だくになりながら全国の神さん稲荷さんにお願いして四方八方手を尽くして探してから魂を抜きイタコの身体に寄せる、そうしてタコ部屋に監禁させられていた行方不明者をあてたイタコ(三浦かしの)もいた。
昔の東北は津々浦々までイタコが大勢いた。かつては生者と死者の境界が分たれてはおらず生と死は連続していた。
昔の全盲の女性はイタコになるしか生活の道はなかった。盲目の娘は特に霊能力がなくとも、まわりの勧めにより、しかたなく、イタコの師匠のもとに弟子入りするのである。入門は早いほど良いとされる。
J・ピアスによると7歳くらいまでの子どもは透視、テレパシー、予知能力がありESPも多数報告されるという。そして7歳から14歳 ころまでの子ども達は暗示にかかりやすく、8歳から11歳がその頂点だといわれる。子供は大人の様に世界と自我との境界がはっきりと確立されてはいない。
自我がまだ未発達の方がイタコの世界感を受け入れやすいのである。師匠も弟子も盲目なので般若心経や観音経などのほか三十から四十のイタコの巫歌を口うつしでおぼえる。様々な仏教、神道、修験道、民間宗教の神々、権現、大明神、菩薩、諸天善神の名前とダラニ、祝詞をおぼえなくてはならず、おぼえが悪く10年もかかったイタコもいたという。
仕上げの入魂儀礼は「大事ゆるし」と呼ばれる。祭壇が祀られている行場で弟子に神懸かりが訪れるまでおこなわれる。食事は精進で塩断ち、穀断ちをして干し柿、干し栗、などの果実で餓えをしのぐ。水垢離の行場にはしめ縄がはられ、師匠も弟子も真新しい白装束に5尺のはちまき、白足袋を身につけ、冬でも暖をとらずに食事前に日に三度、毎日水を三十三杯かぶる。
マントラを唱えながら右回りにぐるぐる旋回したり、気合術師を呼んで気合いをかけることもあったらしい。イタコの弟子は極度の疲労と緊張の中ではげしく身体を震わせて失神する。師匠はその時に「何がついたか?」と問いかける。そうして答えた神仏の名がイタコの生涯の守護霊になる。数珠を譲り受けて師匠から独立するのである。
イタコの数珠はイラタカ数珠と呼ばれ普通の数珠と違い独特である。珠は無患子(むくろじ)の実で子安貝、熊の爪、獣の牙と角が使われている。イタコはこのイラタカ数珠をじゃらじゃらならしながら「仏おろしの祭文」を語って仏に来てもらうのである。
イタコの入魂儀礼も時代と場所によって多様であるが、いずれにしても神懸かりになる為に大変な苦行をする。寒い冬の水垢離は冷気に耐えかねて逆に身体に熱を発生させる。下半身に発生した熱が背骨を通って頭まで達成して変化が生じるのである。蛇や龍はこの熱エネルギーの象徴である。不動明王が右手にもつ、倶利伽藍(くりから)の剣に蛇が巻きついているのは、このことを表しているように思える。
正常な意識では耐えられないので思考から切り離すため祝詞や祭文といったマントラを延々と唱え続ける。イタコは変成意識状態の中で神や仏と出会うのである。
右耳の上にある大脳の右側頭葉は魂の座と呼ばれている。自己と意識の接点があり、右側頭葉を刺激するとテレパシー、光のヴィジョン、音の幻聴、人格の変容、体外離脱体験が起きることが解っている。この領域に脳の損傷がおきると魂の抜けた自動機械の状態になり、さながら生きる屍のようになる。
イタコの入魂儀礼は堪え難い疲労と緊張によるストレスが引き金になり大脳の右側頭葉の回路にスイッチが入るのである。儀礼はスイッチが入るまで続く。そうして右脳の中から声が聞こえるようになって、はじめてイタコが誕生する。
イタコ系は人為的だがカミサマ系の新興宗教の教祖達の特徴は人生の中で突然、極端な不幸、災難、困難に出会い、発狂寸前まで追い込まれる。病気や苦悩の頂点でカミサマと出会うのである。 シャーマンの病と呼ばれる危機状態を通過したのち霊能力を活かし、相談事を請け負う拝み屋になり、人が集まり教団ができあがる。
古代日本のシャーマニズムは審判者(サニワ)と巫女によっておこなわれていた。しかし、地方のそれぞれの神々が勝手に託宣していては統制がとれなくなる。そこで天皇を頂点とする国家体制がしかれると、中央に神の託宣を審議する役職がおかれるようになった。神の序列がなされ、女性の地位は低下して儀式から遠ざけられるようになった。仏教が広まると神は仏の臣下となり、神託は仏教教団が管理する様になっていった。
狩猟採集社会から農耕社会に変わり、 右脳から左脳優位になると神の声は聞こえなくなり、 わずかに神々の声を聞く事が出来る者は予言者や神託者、巫女、占い師などの専門の職能者になった。時代が下がると神託者もいなくなり残された言葉を解釈するだけになりシャーマニズムは形骸化していった。
スピリットを見失うとシャーマンをささえる共同体は崩壊してシャーマンも姿を消してしまうのである。
0コメント