新興俳句弾圧事件

https://dot.asahi.com/aera/2018022600084.html?page=1 【新興俳句弾圧事件】より

「アベ政治を許さない」の揮毫は衝撃だった。集団的自衛権の行使を容認した、ということは米国の意向次第で戦争に引きずり込まれかねない“安全保障関連法案”の国会審議が続いていた2015年、これに反対するプラカードの言葉を、金子兜太(とうた)さんが毛筆で書いていた。

 旧知の作家・澤地久枝さんの求めに応じた。とはいえ、俳句という伝統的な文芸の世界の重鎮が、かりそめにも時の総理大臣にそこまで言うか、と思った。しかも金子さんは、「許」の字を特に大きく力強く、首相の名字をカタカナで表記したのである。

 これには頼んだ澤地さんも驚いた。「そこまではお願いしませんでしたから。あれは兜太さんの感性です。今のようなご時世にあって、それでもご自分を貫かれることは大変だったと思う」。だが金子さん本人は、報道陣に真意を問われても、「こんな政権に漢字はもったいない」と呵々大笑したものだ。

 伊達や酔狂でできる業ではない。金子さんをしてそうさせたのは、五体から噴き出してくる危機感だった。

 埼玉県は秩父で幼少期を過ごす。東京帝大経済学部を卒業し、日本銀行入行後、海軍主計中尉として赴任した西太平洋のトラック諸島(現・チューク諸島)で、彼は人間の修羅場に遭った。

 空襲で基地機能を喪失した島々には、もはや米軍も侵攻してはこなかった。けれどもサイパン島からの補給を断たれて、食糧も武器弾薬もない。

 飢えて死ぬ者、毒フグや野草、トカゲを食べて死ぬ者が続出した。金子さんはコウモリを食べて生き延びた。

 現地の娘を暴行して報復される事件や、男色のもつれが殺し合いに発展する事件が相次いだ。試作された手榴弾の実験で軍属が爆死した。戦争は悪以外の何ものでもないと知った。

 父親も俳人だった。旧制水戸高校(現・茨城大学)時代から俳句に本気で取り組み始めた金子さんは、東大時代にも戦争の、というより戦時下にある社会の非道を目の当たりにしていた。

 目をかけていてくれた雑誌「土上(どじょう)」の主宰・嶋田青峰が1941年2月、治安維持法違反で検挙された事件である。総計44人が検挙された新興俳句弾圧事件の一環だった。特段の言動があったのでもない。だがこの当時、人間の生命も尊厳も、特高警察の胸三寸で、どうにでもなるものでしかなかった。虐待された青峰は獄中で喀血し、釈放された後も回復できぬまま死に至っている。

 戦後の金子さんは、虚子以来の花鳥諷詠にも、五・七・五の定型にもとらわれない、現代俳句運動の先頭を走り続けた。復帰した日銀では組合活動に従事し、冷や飯を食わされもしたが、彼は不遇さえもエネルギーに変えて、膨大な句を詠み、一茶や山頭火の研究に精魂を傾けた。

 現代俳句協会の会長および名誉会長職。朝日俳壇の選者。蛇笏賞、日本芸術院賞、スウェーデンのチカダ賞、文化功労者、菊池寛賞、朝日賞……。功績を挙げていけば際限がない。晩年は東京新聞で15年にスタートさせた「平和の俳句」の仕事を、とりわけ大事にしていた。

「AERA」編集部と私は、そんな金子さんの魅力溢れる人間像を「現代の肖像」欄で読者に紹介しようと、かねて取材を進めていた。とことん自由な魂を湛えて、誰にも愛される人だった。2月25日には長野県上田市の無言館近くで前記の俳句弾圧事件の犠牲者たちを語り継ぐ「俳句弾圧不忘(ふぼう)の碑」の除幕式があり、呼びかけ人の金子さんも出席する予定だったから、悲願を叶えての思いを存分に語っていただいた上で、一気に書き上げるつもりでいたのに──。

 私たちはまたしても大きな道標を失ってしまった。だが泣いてばかりいるわけにはいかない。

 水脈(みお)の果(はて)炎天の墓碑を

 置きて去る

 金子さんがトラック島から引き揚げた際に詠んだ句だ。彼に学び、その心を忘れずに生きたいと思う。(文中一部敬称略)(ジャーナリスト・斎藤貴男)

http://mugentoyugen.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_b0d4.html  より

「俳句」誌のバックナンバーで、川名大『新興俳句弾圧事件の新資料発見!』(0605、0606)という論考が目に止まった。

新興俳句弾圧事件とは、治安維持法下における思想弾圧事件の一つで(8月13日の項)、昭和15年2月14日の第一次「京大俳句」弾圧事件から、18年12月6日の「蠍座」(秋田)弾圧事件までの、4年間にわたる一連の出来事である。

事件の性格上、多くの資料が極秘扱いになっているし、関係者の多くは既に故人となっていて、その全体像は未だ明らかにされているとは言い難い。

川名さんは、思想弾圧関係の極秘資料を多く所蔵する国立公文書館と国立国会図書館を中心に関係資料を探索し、司法省刑事局編「思想月報」「思想資料パンフレット」の中から、新興俳句弾圧事件の新資料を発見した。

「特高月報」によれば、新興俳句関係で治安維持法違反容疑で検挙された事案(検挙日と被検挙者)は以下の通りである。

1.「京大俳句」関係

・第1次…昭和15年2月14日

井上隆證(白文地)、中村修次郎(三山)、中村春雄(新木瑞夫)、辻祐三(曽春)、平畑富次郎(静塔)、宮崎彦吉(戎人)、福永和夫(波止影夫)、北尾一水(仁智栄坊)

・第2次…昭和15年5月3日

石橋辰之助、和田平四郎(辺水楼)、杉村猛(聖林子)、三谷昭、渡辺威徳(白泉)、堀内薫

・第3次…昭和15年8月31日

斎藤敬直(西東三鬼)

2.「広場」関係…昭和16年2月5日

藤田勤吉(初巳)、中台満男(春嶺)、林三郎、細谷源太郎(源二)、小西金雄(兼尾)

3.「土上」関係…昭和16年2月5日

島田賢平(青峰)、秋元不二雄(東京三・戦後は秋元不死男)、古家鴻三(榧夫)

4.「日本俳句」関係…昭和16年2月5日

平沢栄一郎(英一郎)

5.「俳句生活」関係…昭和16年2月5日、7日、21日

橋本淳一(夢道)、栗林農夫(一石路)、横山吉太郎、野田静吉(神代藤平)

6.「山脈」関係…昭和16年11月20日

山崎清勝(青鐘)、山崎義枝、西村正男、前田正、鶴永謙二、勝木茂夫、紀藤昇、福村信雄、宇山幹夫、和田研二

7.「きりしま」関係…昭和18年6月3日

面高秀(散生)、大坪実夫(白夢)、瀬戸口武則

8.「宇治山田鶏頭陣」関係…昭和18年6月14日

野呂新吾(六三子)

9.「蠍座」関係…昭和18年12月6日

大河隆一(加才信夫)、高橋凱晟(紫衣風)

こうして改めて書き出してみると、実に多くの俳人が検挙されているし、累の及んだ雑誌の数も多い。

治安維持法違反容疑といっても、例えば「菊枯れる」とか「枯れ菊」という季語があるが、菊は皇室のことを指しているから、「菊枯れる」は皇室の衰退を意味する、というようなもので、言い掛かりとしか言いようのないものが多かった。

現時点では想像することすら難しい暗黒の時代である。

しかし、こういう言い掛かりによって、実際に被検挙者は長期にわたり拘留されると共に、上記の中で13人は起訴され、懲役2年(執行猶予3~5年)の刑を受けた。

当時、反体制のレッテルを貼られることは、生存権の剥奪にも等しく、容疑を掛けられただけで辛酸の生活を余儀なくされたのだ。

コズミックホリステック医療・教育企画