夏石番矢 世界俳句協会編『世界俳句2008 第4号』・評

http://fuco1123.jugem.jp/?eid=101【夏石番矢 世界俳句協会編『世界俳句2008 第4号』・評】  より

夏石番矢 世界俳句協会編『世界俳句2008 第4号』(「図書新聞」08.3.8号)

 かつて衝撃的な第一句集『猟常記』をもって、高柳重信の、あるいは安井浩司の若き継承者と目された俳人・夏石番矢は、当然のように俳壇的な世界と一線を画し(https://ameblo.jp/ranyokohama/entry-12448338524.html)ながら、その後も精力的な活動を続けている。前代未聞の俳句ブームに乗って、俳句の国際化といったムーブメントも起きているなか、しかし、そういった平板な位相ではない独自の「世界俳句」というものを指向して、夏石は、二〇〇〇年九月に世界俳句協会なるものを設立した。(設立者の一人 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E4%BF%B3%E5%8F%A5%E5%8D%94%E4%BC%9A)わたしの記憶に間違いなければ、確か、夏石は学際的な場所では、比較文学が専門領域のはずだ。日本固有の俳句表現を、世界的な詩表現と比較し、どう拮抗しうるのかと思考していくのは必然的なことだったに違いない。世界俳句協会誌として〇四年十一月に創刊され、本集で第四号に達した。内外の百五十人以上の俳人の作品とジュニア俳句作品が収載されている。夏石は、「世界俳句の未来」と題した論稿のなかで次の様に述べている。

 「その起源において、詩は神話や説話よりも短かった。日本神話で、最も目覚しい英雄は、スサノオとヤマトタケルであり、両者とも短詩を詠んでいます。(略)とりわけ、ヤマトタケルは、筑波の道、すなわち俳句の道の創始者として考えられています。」

 短歌は、和歌へと遡及し、さらには記紀歌謡の世界へとその淵源を求め、時間性のもつ豊饒さによって、俳句との差異化を図る場合がある。歌会始とした祭儀は、あたかも、短歌が天皇制の詩型となっていることの証左であり、それが表現水位を保持することになるのならいいが、必ずしもそうではない。短歌も俳句も「短詩」として括るなら、夏石がいうように、なにも子規以降の近代俳句をその始まりとする必要もないし、芭蕉をもってその始祖とする必要もない。夏石が提示するように記紀神話の豊饒な歌謡世界へと淵源を求めることは否定するものではない。保田與重郎は、芭蕉のなかに記紀神話の影響が色濃くあると捉えていたし、俳句表現を拡張した時間性に置き換えて見直すことは、現況の弛緩した俳壇情況を考えれば、必要なことのように思われる。夏石は、こうも述べている。

 「私の最高の喜びは、日本からのみならず、海外からの、詩として豊かな俳句を詠んだり、訳したりすることであり、最低の悲しみは、詩として貧しい俳句を受け取ることでした。」

 外野席からは、俳句を詩として捉えるなら、詩を書けばいいじゃないかと、声が掛かりそうだが、それは転倒しているいい方だ。江戸期の漢詩が知識の披瀝の象徴だったことを考えれば、いわゆるわたしたちがいま考えている「詩」のかたちの祖型は、西欧や大陸からの移入である。オリジンなものは詩を拡張した表現として見做すことから始めるべきだ。詩形式の表現だけがポエジーを有しているわけではないし、短歌も俳句もすべて詩性(あるいは詩魂)を包含しているのだ。

 夏石が、世界俳句へとその指向を定めたのは、あまりに「詩として貧しい俳句」が俳壇という狭量な場所で跋扈しているからだと思う。(七月堂刊・08.1.30)

https://banyahaiku.at.webry.info/201806/article_5.html  より

【「コールサック(石炭袋)」誌94号到着 ついでに金子兜太批判】

コールサック社

http://www.coal-sack.com/index.html

鈴木比佐雄さんらの詩への情熱と理想が、核となった詩誌。いわゆる自由詩のみならず、短歌、五行詩、俳句、川柳、小説、評論も網羅されている。

角川俳壇や思潮社詩壇に、嫌気がさしている私には、少なからず慰めになる。

●レポート 夏石番矢「第十三回世界俳句協会日本総会と第七回世界俳句セミナー」

●俳人論  鈴木比佐雄「「世界俳句」の「黒い心臓」であり続ける創造的試み 夏石番矢句集『氷の禁域 The Forbidden Zone of Ice』の寄せて」

この二本の掲載がありがたい。

●俳句時評 鈴木光影「追悼金子兜太 造型論とは何だったか」

この評者は 顕在意識での観察にしか意識が向けられていないからではないでしょうか?

「電車の中」「トイレの中」、それは金子氏にとって俳句表現として出てき安い場、常識や観念からも解放された場所、~~~それは思考にフォーカスしていないので 嘗ての体験が まるで夢の啓示のように、言葉と繋がって ~~~しかも金子氏の中には俳句理論ははっきりと根差しているはず。理論は学んで忘れるところに不易流行の妙味が発揮されたとも考えられます?

https://ameblo.jp/ranyokohama/entry-12448572640.html 

参照    【金子兜太の俳句】

https://ameblo.jp/ranyokohama/entry-12448600677.html

参照  【俳句は音楽 感覚の確かさを信じて】

これは、とてもまっとうな論だ。私などは、この「重鎮」俳人の俳論とは裏腹の金子兜太晩年の「偽善」と「虚偽」と「嫉妬」の被害を受けた(あきれるほど低レベルの被害だった)ので、こういう論を冷静には書けない。(つまり夏石番矢氏は 金子氏の評価を得ていなかったことが被害者意識に??)

ここからは、この時評批判ではなく、私の金子兜太批判。

金子兜太の偽善と判断ミスが近年の俳壇を決定的にダメにした。(故に俳壇とは一線を画する?)その現場を何度か私は目撃している。そのすべてをここで例証する余裕はない。

時評で例句として挙げられた、

 銀行員等朝より螢光す烏賊のごとく  金子兜太(『金子兜太句集』、1961年)

は、このような硬い口調(7・9・6音)のリズムが、金子兜太俳句の本領であって、晩年「定型、定型」と繰り返したのは、世間、たとえば角川俳壇やその他メディアへの媚びであり、老いの蒙昧だったと私は思う。(「定型、定型の」と繰り返したとは その利も知り抜いていたとも取れますね。 そのうえで理論から自由になって 湧き出てきた俳句ともとれるのでは???)

そして、この「烏賊のごとく」の比喩がどこまで、有効なのかが、実は造型論に限らず、金子兜太俳句の真価につながるが、私はこの比喩が、事務机に銀行員一人一人に置かれていた「蛍光灯」を発想の基盤として生れ、銀行員たちの脆弱さを批判しているとしても、いまひとつのところで、決定打になりえていないと評したい。

何かが足りない。

金子兜太の造型論による、作者、対象、創る自分と言う三分法は、確かに論の乏しい俳壇では画期的だったが、「創る自分」を超えるものについての視野が欠けている。

「創る自分」は、実は一つではない。いくつかある。(自分の統合ができていないということ??  もちろん 場面場面で引き出されるサブパーソナリティは違ってくるでしょうが ちょうどオーケストラに指揮者が必要なように そのサブパーソナリティが統合されている中心・セルフがしっかりしていないとそんな混乱が起きるのかもしれませんね)

「創る自分」を超えるものが、存在する。これをどうとらえるかが問題。(サブパーソナリティを統合するセルフと言えるのかもしれません)

これらへの視野を持っていたのが、中村草田男、尾崎放哉、種田山頭火、高柳重信だった。金子兜太はこれらの俳人に触れていない。

「創る自分」を超えるものとは、人間を超える存在。これを考えないで人間の愚昧さが無批判に盲信されたのが、日本の戦後社会である。

国政を徹底的に腐らせたのが、安倍晋三。俳壇を徹底的に腐らせたのが、金子兜太。

安倍晋三も、金子兜太も、戦後の自己盲信社会の行き着く果てであるのは、同じなのである。

この自己盲信社会の裏には、醜悪な支配者がいる。

参照

「アベ政治を許さない」ではダメだ!

http://banyahaiku.at.webry.info/201710/article_20.html

https://www.gendaihaiku.gr.jp/intro/part/kokusai/index.html

【国際部 - 各部の活動 - 現代俳句協会】

国際部

私たちの部は

私たち国際部は、今日の俳句の国際化に対応するために活動しています。

世界各国の俳句関係者との交流をはかったり、我が国の俳句に関する情報を海外に提供することをその目的としています。国際俳句交流協会をはじめ各国の俳句団体と協力し、日本の俳句を世界に向けて発信し続けています。

活動のひとつ、国際部研究会(俳句・比較文化研究会)は、国際部員や内外の俳人・研究者とともに国際俳句の諸問題について意見を交換する場です。研究会の一環としては、参加者が持ち寄った自作句の「英語翻訳ワークショップ(初級)」も開催しています。開催については、協会ホームページのお知らせ欄や、『現代俳句』誌上にて告知しています。どなたでも参加可能ですので、皆さんのご参加をお待ちしています。