前衛俳句の祖 反戦を貫き通した信念の俳人99歳の人生

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平成30年2月21日朝6時、テレビをつけると「俳人金子兜太が20日午後11日、誤嚥性肺炎のため逝去、99歳」とのニュースが報道された。

昨年の9月頃には、熊谷駅前を下駄ばきでトコトコ歩いてる姿をお見かけしたし、この人は死ぬことなどあるまいと思っていた…

その昔、家内が八木橋デパートのカトレアサークルで金子兜太の俳句教室に通っていたことがある。

家内の句は、少し変わっていたこともあり、兜太先生からお言葉をかけてもらっていたらしい…

その頃、私も新幹線で東京へ通っていて、時折兜太先生と出会うことがあった。

兜太先生は朝日新聞の俳句の選者をやられていたので、その帰りだったと思うが、先生とお会いするのは、たいてい新幹線を下りた駅のトイレでした。

先生に「内の富子がお世話になっております。」と声をかけると「おう、元気にしているか…」と気さくに応えてくれた。

何と先生と並んで、互いに顔だけ横向きにして交わした言葉なのです。 こうした出会いが、何度かあったのを覚えている…

平成27年7月12日に自宅からほど近い熊谷市立図書館のホールで開催された第37回の俳句大会の記念講演(忘れえぬ人々)金子兜太のお話を聴くチャンスがあった…

先生の講演で必ず取り上げられるのは、戦争体験のお話である。

金子兜太はトラック島へ主計係の士官として赴任し、その眼にした現実は…

「戦況が悪化すると、トラック島では武器も弾薬も補給できなくなる。そこで、工作部が手りゅう弾を作って実験するという事があり、これが私の戦争に対する考えを一変させました」

「実験は兵隊ではなくて民間人の工員にやらせました。失敗して工員は即死、指導役の落下傘部隊の少尉が心臓に破片を受けて死にました」

「心に焼き付いたのはその直後のことです。

10人ほどの工員たちが倒れた仲間を担ぎ上げ、2キロ離れた病院へ走り出した。腕が無くなり、背中は白くえぐれて、死んでいることは分かっています。でも、ワッショイワッショイと必死で走る。その光景を見て、ああ人間というのはいいものだとしみじみ思いました」 

「ところが落下傘部隊に少尉の死を知らせると、隊長の少佐以下、皆笑っているんです。彼らは実戦を通じて死ぬということをいくつも体験してきた。

だから死に対して無感動というか、当たり前なんですね」

「工員たちの心を打つ行動があって、今度は死を笑う兵士がいる。置かれた状況が人間を冷酷に変えるんです。戦争とは人間のよさを惜しげも無くつぶしてしまう酷薄な悪だと痛感しました。あの出来事は私にとって衝撃であり、今から思えば収穫でもあります。

あれ以来、戦争を憎むという姿勢は一貫しています」 「『水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る』は餓死した人を思いながら、船尾から遠ざかる島を見ていたときに作った句です」

戦後の食糧不足や貧しい暮らしは覚えているが、戦時中の厳しさを知らずに育った私でも、身が引き締まるような思いで聴き入った…

先生のお話は面白い…

戦争の悲惨な話だけでなく、ご婦人方が沢山聴講しているのに堂々と、しかも何の悪びれることもなく下ネタの話をされるのは、これぞ人間・金子兜太なのです…

いつかNHKの「課外授業」という番組で母校の皆野小学校を訪れて教壇に立ち、自分が愛用しているという「尿瓶」を取り出し「良く洗ってあるから汚くはないよ。」と言って、俳句教室を始めたのです。そんな日常のことから、子供たちとの距離感を一気に締め、人間兜太は気の好いお爺さんになってしまい、荒川の河原に出かけて子供たちと俳句を詠むのだった…

今回の講演を聞いて私は俳句は作れないので、下手な短歌を詠んで見た…

・九条を犯す安保は許すまじとふ兜太が杖に信念宿せり

・兜太翁の句が思わしむる無邪気さよチンコチンボーマラに牛萎へ

昨年の夏、参院で審議中の安全保障関連法案に反対する市民団体が8月30日に開いた集会への一般市民が数多く参加し、国会正門前や国会周辺に集まったことが報道された。

この報道に先駆けて、朝日新聞に金子兜太の「安全保障関連法案」の成立に反対する記事が掲載された。

その記事に「アベ政治を許さない 兜太」という色紙の写真も載っていた… この記事が大きな波紋を呼び、普段は沈黙していた一般市民も重い腰を上げて立ち上がったその時、人々は兜太の書いた標語をコンビニでコピーしてデモに持寄り、それを掲げたと言われている…

その兜太の標語を手に手に掲げた市民が、国会議事堂周辺に集結した…

しかしながら、安保関連法案は国会で一括承認され、可決してしまった…

行く末に不安ふくみの法案に デモにも行かむ男孫がために 小南

この安保関連法案の先には、徴兵制度も懸念されるので、こんな短歌を詠んだ…

最近のこと、フランスの若い首相が徴兵制度へ移行することを決めた…

< 金子兜太 展 平成29年9月23日 >

八木橋デパートの催物ホールで金子兜太展が開催されていたので、家族で見に行った。

金子 兜太(かねこ とうた、1919年(大正8年)9月23日 - 2018年2月20日)は、埼玉県出身の俳人。加藤楸邨に師事、「寒雷」所属を経て「海程」を創刊、主宰。戦後の社会性俳句運動、前衛俳句運動において理論・実作両面で中心的な役割を果たし、その後も後進を育てつつ第一線で活動した。上武大学文学部教授、現代俳句協会会長などを歴任。現代俳句協会名誉会長、日本芸術院会員、文化功労者。 上記のようなプロフィールに関わる資料と写真、兜太の生い立ちを物語る資料や写真が所狭しと展示されていた…写真撮影が許されていたし、時間もあんまりなかったので、スマホで撮らせてもらった。その中から、金子兜太の句碑の写真を紹介する。

開場の出口に「ありがとう兜太」と野太い兜太書体の額があたった。

「名は体を現す」という諺があるが、今や「書は兜太を現す」のではないかと思う…

 最後の写真にある「他界」を読んでみたいと思っている。只々、ご冥福をお祈りするばかりです…