Facebook・清水 友邦さん投稿記事
夢幻の世界に気づくことができれば恐れや不安を乗り越えて本当にやりたい事をするようになります。
現象の世界はいずれ無に帰ります
平家物語の冒頭は
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし たけき者もつひには滅びぬ ひとへに風の前の塵に同じ」で始まっています。
この世を去る前に、夢から目が覚めて「春の夜の夢のようだった」と思うのか、それとも眠ったまま、再び別の夢を見るのかはその人の人生の熟成次第かもしれません。
訪れた京都・奥嵯峨の祇王寺の『平家物語』の巻第一「祇王」の物語は次の通りです。
美貌で才智があった「祗王(ぎおう)」は都でも評判の白拍子でした。やがて「祗王」は全盛期を迎えていた平清盛に寵愛されて母と妹も一緒に立派な家屋敷をあたえられて、毎月米百石、銀百貫の仕送りを受ける贅沢な暮らしをしました。
器量と芸の巧みさで天下人の心を射った祗王の栄耀を人々は憧れました。
三年後の都に加賀国(石川県)から十六歳の仏御前(ほとけごぜん)という白拍子が上京して評判となりました。祗王の栄華にあやかりたいと仏御前は西八条の清盛の邸宅にまかりでました。
清盛は「祗王がいるのに目通りなんぞできん、とっとと帰らせるがよい」と追い返そうとしました
が祗王が、「すげなく帰されるのはかわいそうでございます。白拍子は、わたしも昔はやっていたのですから、他人ごととは思えません。仏御前の悲しみはわかります。舞や歌をおさせにならなくとも、お会いなさるだけでも」と口ぞえをしたので、清盛は祗王のいうことももっともだと思って仏御前に会ってみることにしました。
「会うたからに歌も聞いてやらねば」と歌わせると、皆うっとりしてほめたたえました。
「舞う姿もさぞかし上手であろう」鼓打ちを召して舞わせたが、髪姿・容貌も声も美しく節まわしも見事な舞でした。
清盛は仏御前に心を奪われ召抱えようとしました。
「そんなことをおっしゃれば、祇王さまがどう思われるか。わたしの方が恐縮でございます。どうか、早くおいとまを下さいまし」と仏御前が驚いて帰ろうとすると清盛はますます執着して「お前が祇王がいることで心がはばかるならば、祇王の方にひまを出そう」と家臣に「祗王をいますぐ邸から出せ」といいつけました。
祇王は三年間住みなれた住まいを突然追い立てられることになりました。
祗王はもう二度と来ることはないだろうと「 襖障子」(ふすましょうじ)に、「もえいづるも枯るるも野辺の草 いづれか秋にあはではつべき」と和歌を書いて名残りおしく、泣く泣く去りました。
歌の意味は「若くして寵愛を受けたあなたも、今の私と同じく、いつの日かあきられて捨てられる運命」
清盛からの仕送りも途絶えた祗王一家でしたが祗王はただただ引きこもって悲しんでいるばかりでした。
仏御前が清盛を訪問した時に余計な口添えをしなければこんなことにはならなかったのに、と後悔しても時はすでにおそしです。
翌年の春になって、その祗王のもとに清盛から使者が来て、「仏御前が退屈そうに見えるので、参って、歌い、舞など舞って、仏御前をなぐさめよ」ときましたが返事をしないでいると
「なぜ返事をしない。来ないつもりなのか。それなら、こちらでも考えがある」という脅しの催促が来ました。
祗王は気が進みませんでしたが母のたっての勧めもあったので妹祗女と他の白拍子二人を連れて出かけると以前の上座と違って下に座らされたのでした。
落ちるくやし涙をこらえつつ
「仏もむかしは凡夫なり、われらもついに仏なり
いづれ仏性具せる身をへだつるのみこそかなしけれ」と2度歌いました。
歌の仏は仏陀と仏御前をかけた意味でしょうか。「仏御前。あなたもむかしは凡夫の白拍子でした。わたしも仏になる身の上 いずれ人はみな仏性をもっております、おなじ凡夫といえど、仏といえど、わけへだてするのはかなしいことでございます。」
祗王の思いも知らず清盛は感心して「これからは、使いがゆかなくても、しょっちゅうここへきて、はやり唄をうたったり、舞ったりして仏御前をなぐさめてやってくれ」と言いました。祇王は悲しみをこらえて家へ帰りました。
祇王はこれからもつらい思いをするなら、身を投げようと決心し、妹も母もこれに同意することとなりました。
しかし、母まで一緒に死なす罪を祇王は恐れて、自害を思いとどまり、三人で嵯峨の奥の山里に尼となって引きこもりました。
人里離れた嵯峨の庵で夕暮れに親子三人念仏していると杉の戸をたたく音がしました。
化け物が来たかと恐る恐る戸を開けると、これが意外にも仏御前でした。
「清盛様に召されても、書きのこされた和歌が、もっともと思われ、いつか我が身の上と思えば、ちっとも嬉しくはありませんでした。いつぞやはおいでになって、唄をうたって下さった時も、恩を仇でかえしたようなわたしの身の上をつくづく情なく思ったことでございました。
その後、祇王様が尼となって念仏修業にはげんでいると聞き、羨ましくて、お暇を乞うたが許されませんでした。現世の栄花は夢の夢、楽しいこととて、いったいなんの楽しみでございましょう。今朝決心して、ひそかに邸を出て、この姿になってお訪ねしました」といってかぶりものをとると、すでに尼姿になっていました。
祗王は、涙をこらえて、
「あなたが、これほど思っているとは知らず、我が身の不運と思えば良いのに、あなたを恨んで往生を遂げることができないでおりました。この世もあの世も中途半端な失敗した者と嘆いていましたが、今あなたの姿を見て、心がすっかり晴れました。
私の出家は世を恨み、人を恨み、我が身を恨んでのことでしたから、あなたさまの出家にくらべたらものの数ではありません。あなたは恨みもなし、嘆きもなし、今年わずかに十七歳になるばかりで俗世を捨てて浄土をねがう深い心こそ誠の仏でございます。私たちを導いてくださる仏道の師はあなたしかおりません。」と言って
「これからは、この庵で四人いっしょに住んで、仏前に花香をそなえ、朝夕念仏を講じれば、多少の早い遅いはありましょうけれど、それぞれ、浄土へ往生できますでしょう」と手をとりあいました。
以上は『平家物語』の巻第一「祇王」に出てくるあらすじでした。
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