http://toraaki.blog.fc2.com/blog-entry-427.html 【百年を旅して黄落の一本】
百年を旅して黄落の一本 夏井いつき
11月19~20日、道後温泉に行っておりました。
決して近いとは言えない愛媛県ですが、こうして度々足を運ぶことができることに感謝。
写真は、一遍上人の生まれた宝厳寺。
その境内にある銀杏の木が見事に色付いておりました。
「黄落」という季語があります。
銀杏などの木の葉が黄色く染まって落ちることをいい、一帯が黄色く光っているようなイメージがあります。
実際にはまだはらりはらりと散ってはいなかったのですが、
「紅葉かつ散る」ようになるのも間もなくってところでしょう。
この銀杏を目にした時、頭の中によぎったのが写真の下にある一句。
夏井組長の句です。
いや、実を言うと最初は間違って思い出されてきました。
「百年を生きて黄落の一本」
もともと句またがりの句なので「中七」などと言いにくいのですが、これでは字足らずですね。
思うに、9月に道後俳句塾に参加した際、宝厳寺は火災に遭ったが、この銀杏の木は生き残った
というエピソードが印象に強く残っていたからかも?
だからといって間違って組長の句を思い出してしまったのは私の未熟さ。反省反省。
この宝厳寺の山門を出ると急な下り坂があります。
途中にある組長の庵「伊月庵」に挨拶しながら歩を進めると、道後温泉本館の裏に出ます。
本館は只今改装中(規模を縮小して1階の入浴のみ可能)。
今回は本館には入らずに別館「飛鳥の湯」で入浴してきました。
時間的に夕方を過ぎていて、湯上りに道後ビールをいただいていたら、
「飛鳥の湯」の写真がこんな幻想的に撮れていました。
http://natsui-and-co.jugem.jp/?eid=4416 【百年を旅して黄落の一本】
先だってのNHK「ごごナマ」で紹介していただいたこの句について、播磨陽子さんが書き込みをしてくれてました。番組で「夏井さんの人生を象徴するような一句を解説して」と言われたのですが、自句を解説する、しかも非常に短い時間で解説すると、句がチンケになりますし・・・一句あげることはできるけど、解説は断りました。番組内で、船越英一郎さんがこの句の感想を誠実に語って下さったのが嬉しかったのですが、播磨陽子はさすが俳人です。書き込みの中に埋もれてしまうのは勿体ないので、改めてご紹介します。たくさんの皆さんに鑑賞していただいてこそ、作品が豊かに育ってくるのです。俳句とはそういうものです。有り難いことです。♪
百年を旅して黄落の一本 夏井いつき
紅葉の季節となった。古刹の木々も色鮮やか。中に一本すっくりとたたずむ黄落を見る。樹齢は百年という。木としては若い。いたずらに両手を回して目を閉じると、木の記憶がなだれ込んできたように錯覚した。
一年目の秋、人の膝にも届かぬ苗木であった。十年、なんとか抜かれずに生き延びた。三十年、鳥も住まうような枝葉がつき、根はしっかりと大地をつかむ。百年という年月を一所ですごし、多くの葉と、多くの実をふりまいてきた。
今、この黄落の幹に身をゆだねる一人の私。黄落の見た景色を見る。この木が見てきた百年と、私の時間を重ねる。時を経てなお生命力旺盛なこの黄落に、自らの志を重ねる。
上五の百年から黄落へとポイントが絞られ、一本という言葉に収れんしていく過程に旅を感じ、木と詠み手の交信を感じました。
私のようなものが先生の句を勝手に鑑賞するなんて、不躾かとも思いましたが、ごごナマで紹介されていたこの句が頭から離れず、寝床を抜け出して書き始めました。秋の夜のせいです。
播磨陽子 2018/09/20 12:22 AM
この書き込みの一つ前に、播磨陽子はこんなことも書いてくれてます。
「先生の夢、心から応援したいです。私も私ができることをします。
子どもたちに、学校のテストの点以外での人間の見方を、人間の立ち方を、示してあげたいです。」
俳句集団『いつき組』を名乗ってくれる組員たちは、俳句の種蒔きを手伝ってくれる同志たち。
全国各地、いや世界各地にもいる組員たちに会う旅もまた、「百年を旅する」過程の小さな喜びです。
さあ、これから大阪に移動♪ 俳句の種蒔きの旅を続けます。
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