http://macroscope.world.coocan.jp/yukukawa/?p=7648 【「異常気象」の考え方】
木本 昌秀, 2017: 「異常気象」の考え方 (気象学の新潮流 5)。朝倉書店
「異常気象」というのは著者にとって納得のいく用語ではない。本書1.2節によれば、著者は(たとえば)「低頻度気象現象」と呼びたいそうだ。気象の状態はいつもゆらいでいて、いわゆる異常気象はたまにしか起こらない大きさのゆらぎにすぎないのだ。しかし、本を書くからには、本の内容に興味がある人に届く必要がある。それで題名には今の日本語圏でよく聞かれる用語である「異常気象」を選んだのだ。(ただし、かぎかっこがついている。) また、気象庁が使っている用語だからでもある。気象庁は「異常気象」を「ある場所・ある時期において30年間に1回以下の頻度で発生する現象」という意味で使っている。
著者は(気象庁勤務の経歴はあるものの)大学教員だが、気象庁が2007年6月に発足させた「異常気象分析検討会」のメンバーで、発足から2017年5月まで会長をつとめていた。検討会ができたきっかけも、2005年12月から2006年1月の大雪をもたらしたメカニズムの説明について、気象庁で季節予報を担当していた前田修平さんに著者が助言したことだった(本書コラム2)。検討会というしくみによって、現実の天候のデータを気象庁職員だけでなく外の専門家が見て「異常」が生じた要因を考える。その結果は気象庁の公式見解の裏づけになることもあるし、専門家の見解として補足的に発表されることもある。
「異常気象」には大雨や突風のような時間規模の短いものも含めることもあるが、本書で論じられているのは、月単位でまとめた観測値の平年値からの偏差で見えてくるようなもので、「異常天候」と言ったほうがよいかもしれない。「天気、天候、気候」の説明は1.4節にある。「数日ないし数か月程度平均した天気の傾向のことを『天候』と呼ぶ。それより長い期間の平均を『気候』と呼ぶ。」とある。わたしの感覚では、ENSO (エルニーニョ・南方振動)などの年々変動あたりまで「天候」に含めたいのだが、著者の用語ではそれは「気候変動」なのだ。著者は「気候変動」と「気候変化」を区別する(4.6節の注)。地球温暖化は「気候変化」のほうだ。本書ではそちらの話題は最小限にとどめている。「気候変動」には、ENSOのほか、太平洋と大西洋それぞれの十年規模変動などが含まれる(4.5節)。なお、十年規模「振動」(oscillation)という表現を使う人が多いのだが、著者は「変動」(variability)がよいと判断している。
気象学の初歩から書いているとページ数がたりなくなるが、みんなが同じ基礎知識をもっているわけではない。そこで本書では第2章で、大規模(惑星規模・総観規模)の気象の理解に必要な基礎概念を「ミニマム気象学」として提示している。初歩の人にとっては記述が短すぎるだろうが、入門教科書で確認する手がかりにはなるだろう。教科書の推薦はないが、例として参考文献リストから選べば、浅井ほか(2000)『基礎気象学』[わたしの読書ノート]がある。第2章には、ミニマムではないが異常天候の話題にはよく出てくる「定常プラネタリー波」などの概念も紹介されている(プラネタリー波とは惑星規模のロスビー波である)。
第3章の前半では、異常天候の解釈に使われる「力学的」概念が紹介される。「異常」とみなされる平年値からの偏差も、季節変化に比べて大きくはない。そこで線形論が有効だ。変数を基本場と擾乱にわけ、擾乱についての式をたてる。解は、複素数の指数関数、つまり実数の指数関数(増幅・減衰)×三角関数(振動)で書ける。基本場が「不安定」であって、擾乱が(線形論が有効なかぎりで)指数関数型で増幅することがある。また、ノイズによって擾乱が励起されることもある。
第3章の後半では、具体的な問題によく出てくる構造が紹介される。温帯では、定常ロスビー波の(水平)伝搬によるテレコネクションが見られる。熱帯では、熱源への応答として、赤道ケルビン波・赤道ロスビー波などによるMatsuno-Gillパターンが見られる。熱帯の熱源応答は対流圏の上下で逆位相、温帯のテレコネクションは上下で同位相の構造をもつので、前者が後者をもたらすしくみは簡単ではないが、ポテンシャル渦度の移流によるしくみ、鉛直シア(shear)によるしくみなどが考えられている。
なお、熱帯の力学にとっての熱源をもたらすのは主に積雲対流である。その変動をともなう現象として、モンスーンと、季節内変動(とくにMadden-Julian振動)がとりあげられている。
天候の偏差は大気だけでつくられるものではなく、海洋、海氷、土壌水分などが、大気よりも長い時間の記憶をもつが、因果関係は一方的ではなく双方向で考える必要がある。
第4章では、「気候変動」として、おもにENSOと十年規模変動を論じている。
4.6節では、地球温暖化について、「異常気象」とかかわる論点にかぎって論じている。その準備として4.6.1節では、気候システムの「感度」と、それを強めたり弱めたりするフィードバックの考えかたを紹介する。4.6.2節では、地球温暖化に伴って降水がどう変わるかの見通しについて述べている。4.6.3節では、「異常気象」といえるような現象が起きたときそれがどのくらい「地球温暖化のせい」だと言えるかを評価する event attribution という考えかたを紹介する。
第5章では、気候・気象の数値モデルの構成と使いかたを紹介している。大気がもつ「カオス」性による予報の限界と、それを(いくらか)克服する方法としてのアンサンブル予報の話もある。
5.3節のはじめに「もう少し詳しい(しかし数式は使わない)解説は、別のところ(木本, 2012)で試みた」とあるのだが、参考文献リストにそれがない。東京大学に著者のウェブサイトがあり、そこに著作リストがあるので参照すると、次のどちらかにちがいない。岩波講座のほうならば、本全体としては参考文献リストに含まれているので、「(住ほか 2012の木本執筆部分)」という形で参照すればよかった。
木本 昌秀, 2012: 予測の科学。『計算と地球環境』(岩波講座 計算科学 5, 住 明正、露木 義、河宮 未知生、木本 昌秀 著、岩波書店) 165-216.
木本 昌秀, 2012: 数値モデルによる気候変動研究。『二つの温暖化』(甲斐 憲次 編著、成山堂書店)[増田の読書メモ] 74-93.
折り返しのあとに詳しい目次をつける。
== 目次 ==
はじめに
目次
1. 異常気象とは — さまざまな時間・空間スケールでゆらぐ大気運動
– 1.1 最近の異常気象
– 1.2 異常気象 = 低頻度気象
– 1.3 気候の年々のゆらぎ — 東京の気温時系列を例にとって
– [コラム1] 確率密度分布の話
– 1.4 天気、天候、気候
– [コラム2] 異常気象分析検討会
– 1.5 異常気象時の天気図の例
– [コラム3] ゆらぐ風は心地よい
– [コラム4] あなたのノイズはわたしのシグナル
2. グローバル気象の考え方 — 大気大循環のキホン
– 2.1 放射と南北気温差、大気・海洋による熱・水輸送
– – 2.1.1 大気上端での放射収支の緯度分布
– – [コラム5] 地球の平均気温のもとめ方
– – 2.1.2 大気-海洋による熱・水の南北輸送
– 2.2 ミニマム気象学 (1)
– – 2.2.1 気圧傾度力
– – 2.2.2 状態方程式
– – 2.2.3 静力学平衡、層厚温度
– – 2.2.4 地衡風
– – 2.2.5 温度風
– 2.3 大気大循環の概要 — 熱帯と中高緯度の違い
– 2.4 ミニマム気象学 (2)
– – 2.4.1 大気の鉛直構造について
– – 2.4.2 移動性高低気圧の構造
– – 2.4.3 風の場、渦度と収束・発散
– 2.5 ミニマム気象学 (3)
– – 2.5.1 渦度保存則
– – 2.5.2 孤立した渦度 (ポテンシャル渦度) 偏差に伴う風
– – 2.5.3 ロスビー波 — 位相伝搬とエネルギー伝搬の特徴
– – [コラム6] 波の位相伝搬とエネルギー伝搬
– – 2.5.4 擾乱の鉛直構造と持続性
– 2.6 偏西風蛇行をもたらす波動
– – 2.6.1 定常プラネタリー波
– – 2.6.2 長周期変動
– – 2.6.3 移動性高低気圧
– 2.7 熱帯の大循環の特徴
– – 2.7.1 大気中の水蒸気、対流
– – 2.7.2 積雲対流に伴う循環
– – [コラム7] 大気の気温減率
– – 2.7.3 熱帯の大規模循環
– – – a. 風の回転・発散成分
– – – b. 降水分布の特徴
– – – c. ハドレー循環とウォーカー循環
– – – d. 雲活動の多様性
– – [コラム8] 熱帯収束帯 (ITCZ) が北半球側にある謎について
3. 異常気象の考え方
– 3.1 異常気象をもたらす大気循環のゆらぎ — ゆらぎの生ずる理由 (1)
– 3.2 異常気象の「力学」の考え方
– – 3.2.1 線形解析
– – 3.2.2 不安定問題
– – 3.2.3 強制応答問題
– – 3.2.4 振動子
– 3.3 ゆらぎの生ずる理由 (2)
– – 3.3.1 力学的不安定によるゆらぎの発現
– – 3.3.2 ノイズによるゆらぎの励起
– 3.4 球面上の定常ロスビー波とテレコネクション
– – 3.4.1 球面上の定常ロスビー波の特徴
– – 3.4.2 エルニーニョ時の偏差パターンと定常ロスビー波
– – [コラム9] ロスビー波の鉛直伝搬と傾圧性
– 3.5 テレコネクションパターン、持続する偏差パターン
– – 3.5.1 テレコネクションパターンとは?
– – [コラム10] 相関解析とは
– – 3.5.2 代表的なテレコネクションパターン
– – – a. 北半球冬季の代表的なテレコネクションパターン
– – – – (1) NAO (North Atlantic Oscillation; 北大西洋振動)
– – – – (2) AO (Arctic Oscillation; 北極振動)
– – – – (3) PNA (Pacific North American pattern; 太平洋/北米パターン)
– – – – (4) WP (West Pacific pattern; 西太平洋パターン)
– – – – (5) EU (Eurasian pattern; ユーラシアパターン)
– – – b. 日本の夏季天候に影響が大きいテレコネクションパターン
– – – – (1) PJ (Pacific Japan; 太平洋-日本) パターン
– – – – (2) シルクロードテレコネクション
– – [コラム11] 再解析データ — 大気、海洋、そして大気海洋
– – 3.5.3 ブロッキング現象
– – [コラム12] ブロックされた移動性高気圧の役割
– – 3.5.4 「テレコネクションパターン」はどう理解されているか
– 3.6 熱帯の対流偏差が大気循環を変えるしくみ
– – 3.6.1 赤道の特殊性、赤道波
– – 3.6.2 対流活動の偏差に対する熱帯大気の応答 — Matsuno-Gillパターン
– – 3.6.3 熱帯から中緯度へのテレコネクション
– – 3.6.4 エルニーニョ後の夏のインド洋コンデンサ効果
– 3.7 熱帯の長周期変動
– – 3.7.1 モンスーンとその変動
– – 3.7.2 熱帯季節内変動
– 3.8 海洋、陸面、海氷、ゆっくりと変化する境界条件への応答
– 3.9 異常気象分析の実際
4. 気候変動の考え方
– 4.1 エルニーニョ現象の概要
– 4.2 海面水温の決まり方 — 大気海洋相互作用のキホン
– – 4.2.1 海面フラックスと海洋混合層
– – 4.2.2 風応力の効果
– 4.3 海洋から大気、大気から海洋への影響
– 4.4 赤道大気海洋結合系の考え方
– – – a. 定常解
– – – b. 振動解
– 4.5 十年規模気候変動
– – 4.5.1 太平洋と大西洋の十年規模変動
– – 4.5.2 より長期の気候変動
– 4.6 地球温暖化
– – 4.6.1 温室効果と気候フィードバックについて
– – 4.6.2 地球温暖化時の気候変化予測のまとめ
– – [コラム13] 東京の温暖化の2/3は都市化のせい
– – 4.6.3 地球温暖化と異常気象の考え方
– – [コラム14] 数値実験を用いた要因分析
– – – 温暖化は止まった?
– – – 温暖化で寒波?
5. 異常気象を予測する?
– 5.1 天気予報の限界 — カオスの壁
– 5.2 長期予報可能性
– [コラム15] さまざまな気象現象の時間、空間スケール
– 5.3 コンピュータで異常気象を科学し、予測する
– – 5.3.1 気候のコンピュータモデルとはどういうものか
– – 5.3.2 離散化とパラメタリゼーションについて
– – – a. 離散化について
– – – b. パラメタリゼーションについて
– [コラム16] 気象学者は講師感覚をどこまで細かくしたいのか
– 5.4 気候モデルの成果と課題
– – 5.4.1 なしえたこと
– – 5.4.2 再解析、データ同化
– – [コラム17] アンサンブル・確率予報と胴元必勝則
– – [コラム18] 機動的観測
– – 5.4.3 気候モデル、気候予測の課題
– – – a. スケールギャップ
– – – b. パラメタリゼーション向上への道筋
– – – c. 予測は役に立っているか?
– – [コラム19] スーパーコンピュータ「京」によるMJOの予測
あとがき
付録
– A. ミニマム数学
– – (1) 指数関数、三角関数
– – (2) 微分
– – (3) 偏微分
– – (4) 微分方程式
– B. n項移動平均の「応答関数」のもとめ方
– C. コリオリ力
– D. 高気圧と低気圧の非対称性
– E. 基本場の空間非一様性と擾乱の構造
参考文献
索引
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