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【第八回 俳句形式という愛憎あるいは「こと」と「ことたま・ことだま」の俳句 松本 光雄】
「ことだま」あるいは「ことたま」という「ことば」は、「もの・こと」と同様、短詩型文芸(特に俳句や短歌)においてよく使われる便利な言葉の一つだが、あまりにも安易に、またはその語義(淵源)を知らずに使われているのではないかと感じることがある。
日本語(やまとことば)の「ことだま・ことたま」の「こと」の意義は、既に江戸中期から現在までの先達たちの実証的・文献学的研究・考察(因みにニーチェもハイデッガーもその出発点においてギリシャ古典の優れた文献学者)によって、その言葉の拠ってきたるところは、ほぼ証明されている。
それにも関わらず、いまだにこの「ことたま・ことだま」を「言霊」として理解し、使用しているケースが圧倒的に多いのは、「こと」を文字化以前の上古の人々の発話(パロール)の原点にまで遡り憶いをいたすことの困難さにあるのかもしれない。しかしながら、その到達点あるいは知の蓄積の成層こそ、まず今を生きる私たちにとっての出発点とならなければ、自己満足で自己慰謝的な言説になってしまうだろう。
「言霊」説の最初で重要な根拠は、ともに柿本人麻呂作の『万葉集』巻第十三の相聞長歌(3253)とその返歌(3254)に由来するものと思われるが、まずそれをを引用する。
長歌(万葉仮名):
葦原 水穂國者 神在随 事擧不為國 雖然 辞擧叙吾為 言幸 真福座跡 恙無 福座者 荒磯浪 有毛見登 百重波 千重浪敷尒 言上為吾 言上為吾
(あしはらの みづほのくには かむながら ことあげせぬくに しかれども ことあげぞわがする ことさきく まさきくませと つつみなく さきくいませば ありそなみ ありてもみむと ももへなみ ちえなみしきに ことあげすわれは ことあげすわれは)
*文脈のなかで言幸(ことさき)という言葉が使われているが、それが「ことだま」を意味していると解釈するには無理がある。葦原の水穂の国は、神意のままには言挙げをしない国だが、わたし人麻呂はあえて言挙げをし、妹の旅の無事を言葉で祈ると言っていると読むのが妥当だろう。この「言幸」に「言霊」をもってくるのは飛躍であり、誤用であることは、「言霊」のルーツとして多分もっとも膾炙している以下の返歌で確認できる。(引用者)
返歌(万葉仮名):
志貴嶋 倭國者 事霊之 所佐國叙 真福在与具
(しきしまのやまとのくにはことだまのたすくるくにぞまさきくありこそ)
また、『万葉集』の「ことたまの」で始まる歌の万葉仮名による表記は、
事霊 八十衢 夕占問 占正謂 妹相依
(ことたまのやそのちまたにゆうけとひうらまさにのるいもはあひよらむ) *巻第11・2506
の一例のみであって、「言霊」とは書かれていない。
さらに言えば、折口信夫もまた「言霊」信仰を退け、もし言葉に霊力のようなものがあるとすると、それは文字としての言葉ではなく、書かれたもの(エクリチュール)そのものにあると言っている。(「国文学の発生」)
さて迂回するようであるが、この問題をより深く本質的に理解するためには、「書き言葉あるいは書かれた言葉」としての日本語の起源に少し触れておく必要があるだろう。
神話・神秘思想に属すると言ってもよい神代文字はともかく、『古語拾遺』に「上古の世、未だ文字あらず」とあるように、漢字が伝来するまで日本社会は、他の先行する古代文明圏とは異なり、長きにわたり口碑・口承の時代を過ごしてきた。アジア大陸文化圏から地理的に隔絶された極東の島国という客観的自然条件もあり、「漢字」が使われ始めたのは、5世紀を過ぎてからで、7世紀になって公式の記録(皇紀や律令、碑文等)として定着した。(無文字社会が長く続いた理由は、地理的要因だけではなく、縄文から弥生、古墳と続くの人々の内面世界に起因していることが考えられる。つまり彼らは文字社会を切実には必要としていなかった。)
日本最古の書物(漢文)は、聖徳太子によって著されたとされる(異説がある)『三経義疏』(経典注釈書、615年頃成立)―『法華義疏』・『勝鬘経義疏』・『維摩経義疏』の三部からなる肉筆遺品の総称―であるが、文字文化が本格的に普及したのは、やはり『古事記』(712年撰録、漢文および変体漢文・上代特殊仮名遣)、『日本書紀』(720年撰、漢文)以降と考えられる。
やまとことばの文献学的資料の宝庫としては、漢文が主体ではあるが、歌(和歌)は日本語の語順で万葉仮名で書かれている『万葉集』(8世紀後半成立、759年までの約350年間のおよそ4500首+漢文詩や書翰を収録)がある。
そこでは、無文字時代の日本語を漢字に置き換える際、「こと」を「事」と「言」という二つの漢字に書き分けていた。
話し言葉としての母国(語)を、音訓読みの表音・表意文字としての外国(語)である漢字に 移し替えるという作業は、長谷川三千子氏の『日本語の哲学へ』(ちくま新書)によれば、〈無自覚に使っていた母国語の全領域を「意味測定器」にかける〉という革命的な出来事であった。
また豊田国夫氏の実証的労作『日本人の言霊思想』(講談社学芸文庫)は、『万葉集』中の「こと」という言葉は全部で282回使われており、その表記は、万葉仮名(表音)が28%、現在とほぼ同じ意味で使われているのが、「事」が24%、「言」が23%、「事」と書いて「言」の意味が23%、「言」と書いて「事」の意味が1%、と精緻な分析をしている。それを豊田氏は「混用」として理解しているが、長谷川氏はそれを明らかな「書き分け」として、「事」の意味が「言」に先立つと結論付けている。(前掲書)
また少し本旨とはずれるが、すでに和辻哲郎氏は『続日本精神史研究』(岩波書店、1935年刊、最終章「日本語と哲学の問題」)において、「こと」の語義を説明し、さらに「ことともの」との関連(相互性)に言及しながら、
〈「言」としての「こと」が「事」として「こと」と全然区別され得ないとはいうことができぬ。「言」「事」というごとき漢字をあてはめて区別することが―たとえばすでに古代において「ふること」が「旧辞(ふること)」とも「古事(ふること)」とも書きしるされたごとく―そのことがすでにここに区別の認められていることを明示する。〉
と書いている。
上記からもまた判断できるように、「ことたま」の第一義的な意味は「事たま」であって「言たま」ではないということである。では、「事」とは何かということになるが、それは文字化以前の発話としての「こと」を、「旧辞(ふること)」、「古詞(ふること)」、「古事(ふること)」として、外国語としての漢字に振り分けて使っていた上代の人々の生活と自然に対する考え方や感じ方に関係しているし、また、和辻氏が同じく前掲書で取り上げた〈あるということはどういうことであるか〉という古代ギリシャ哲学以来の中核的なテーゼ(存在の問題)を、日本語で問い続けることの背後に浮上する「こと・もの・ある・する」の差異(あるいはキルケゴールの反復不可能なものとしての「反復」)を考え続けることで、少しずつ見えてくるものでもある。
さて長々と詞書(前書き)を書いたが、タイトルにあるようにわたしにとっての愛憎は俳句の「句」ではなく、その「形式」にある。一般的な意味での俳句の属性―五・七・五+ほぼ十七音+季題+一行棒書き―は、最初の数年間は大げさに言えばひとつの恩寵であった。つまりこの属性を使えば、俳句というごとき(らしき)ものが書けてしまうのである。
しかし、多少とも短詩としての「俳句」という底なし沼が見えてくると、その表象ないし意匠としての「形式性=既成性」は、惰性と頽廃の無意識的な条件反射の温床にたやすく変容してしまうことが分る。
そのとき俳句作者は、俳句を断念するか、俳諧性(遊戯性)に逃げるか(を追及するか)、または沈黙にもっとも親和性のある形式としての「俳句」を無限に試行(志向)しながら、作者としての主体が言語作品のなかの主体へと融合して、いわば制作物から無名(あるいは他者)の生成態へと反転交叉する瞬間をひたすら渇仰するか、であろう。
俳句形式の〈形式〉は、単なる形式ではなく、能やギリシャ古典劇あるいは伎楽等の古代舞踏の面(仮面・ペルソナ)と同様の役割を果たしているように思われる。その仮面=ペルソナをつける、使うことによって、自分のようでもあり、自分でないようでもあり、自分の中の他人、他人の中の自分を見出し、それを自律的・他者的な記号としての言語自身に語らせるための〈形式〉である。
愛だけのまた憎だけの句(作品)は、たぶん行き詰まりに来ている。既に文学は当然として、思想・哲学・自然科学(とくに量子論)あるいは宗教ににおいてすら、一元論的世界観が崩壊した現代、愛と憎の二面性・二重性・二元性あるいはもっと重要な多重性・多層性こそ問われており、その見えるものと見えないもの(可視と不可視)、夢とうつつ、自己と他者、聖と俗、生と死、一と多、自然と文化、此岸と彼岸といった両義性のうちに俳句を含む作品は存在する「場」をもつ。
そんな句(作品)を、ここに一句挙げるとすれば、それは山口誓子氏の:
冬河に新聞全紙浸り浮く (昭和33年『方位』)
である。
この句は所属する同人誌の句会の席上で、創立メンバーではあるが、わたしよりはるかに年下の同人から教わった句で、特別な言葉も措辞もなく、フツーの日常言語でどこにでもありそうな光景が書かれている。
それでもそれ以来忘れられない句としてわたしの記憶にとどまり続けているのは、この句こそあるいは究極の「事霊」の句かもしれないとの予感があるからだ。
新聞という内容を含意する言葉ではなく、新聞紙それも新聞全紙という物体が冬河に浸り浮いているのは、まさに「こと(事象」と「もの(事物)」とが一体・融合した宇宙的なシーンである。
ここには「隠れた神」がいるようだが、その真の姿はまだわたしには見えていない。
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