千日紅・百日紅・十日紅

http://k-ichikawa.blog.enjoy.jp/blog/2012/01/post-14aa.html  

【千日紅・百日紅・十日紅】 より

千日紅(せんにちこう)は春播き一年草で、7月から9月にかけて咲き、乾燥させても色が褪せないのでドライフラワーにも利用されます。 これが 「千日紅」 と書く由来です。

百日紅(さるすべり)はミソハギ科の落葉中高木で、比較的長い間紅色の花が咲いていることから「百日紅」の字が当てられています。

百日草(ひゃくにちそう)も開花期間が長いことから名付けられました。 キク科の不耐寒性一年草で、ジニアとも呼ばれています。

ところで、「花無十日紅」 という言葉があります。

・花が紅く咲いているのは、せいぜい10日くらい

・人気というものは本当にはかないものだ、権力の虚しさ

を意味します。

「花に十日の紅なし」と、細川元首相が熊本県知事時代に三選不出馬の心境を語ったと言われています。

また、落語や講談では 「花に十日の盛りなく、人に百歳の齢あるは稀なり、生まれて死するは世の習い」 などと、よく出てきます。

(桜の)花は十日で散り、生きとし生けるものには定められた寿命というものがある、それに逆らおうとしても無駄であると・・・。


https://ameblo.jp/turishi-04/entry-12184883385.html  【「千日紅(センニチコウ)」と「百日紅(サルスベリ)」】

昨日は厚生労働省から「日本人平均寿命」が更新されたという発表があった。これによると男女共に過去最高だ、

2015年の平均寿命が、男性は80.79歳、女性は87.05歳といずれも過去最高を更新したという、

2014年迄は3年連続で長寿世界一だった日本であるのだが、2015年は女性は-----香港に次ぐ2位、男性はこれまで3位だったのだが、-----香港、スイス、アイスランドに次ぐ4位だという、順位からすれば1位後退ではあるのだがそれにしても凄いというのが実感だ。

これは医療技術の進歩、人の健康志向、健康願望などが寄与しているのだろうと思う、僕らの子どもの頃にはこんな長寿など想像だにしなかったのだから-----、凄いとそんな思いがあった。

これからもまだ伸びて行くのだろうな!100歳までも、とこんな花を思い出していた。

そう「千日紅(センニチコウ)」の花と「百日紅(サルスベリ)」の花だ!

センニチコウの花は1000日(千日紅)も、

サルスベリの花は100日(百日紅)も、長い期間咲くことで知られている花である、このセンニチコウの仲間は、何でも100種類以上が知られているという、その殆どが熱帯アメリカだそうだ、

これは、百日紅(サルスベリ)の花だ、白色だから「百日白(シロバナサルスベリ)」の花である、

いずれの花も7月10日頃に出会った花なのだが、この花たちには数字が込まれた花だ、千日紅が1000、百日紅が100である、

「千日紅(センニチコウ)」は原産がアメリカ、中央アメリカで日本には江戸時代初期に渡来したようだ、名前の通り花を(千日も)長く咲かせることで千日紅(センニチコウ)である、実際は、「百日紅(サルスベリ)」の花が100日も咲いているからと真実性があるのだが、千日紅(センニチコウ)の1000日はちとオーバーなのかも知れないが、いづれにしてもこれほど長く咲いて、人々を楽しませてくれる花には間違いのないことである。

「千(せん)」という字は、非常に長いという意味があるそうだ、日本では仏様にあげる花は長続きする花が好まれるが、そんな意味ではこのセンニチコウが一番人気だそうである、

ボンボンのような花をそ〜と近づけて見ると、そこに小さな黄色の花片が存在している、これが可憐であり可愛い花だ、こんな小さな花が集まって丸い花の形を作っているセンニチコウの花である。

千日紅(センニチコウ)花言葉は、「色あせぬ愛」「不巧」「終わりのない友情」

この言葉から、花が咲いている期間が長いことだけでなく、乾燥にも強く「ドライフラワー」としても綺麗な花色を保つことが「色あせぬ愛」という花言葉になっているらしい。

サルスベリ(百日紅)とて100日も、人たちを楽しませてくれる花なのだ、

今朝の日本人の平均寿命が更新されたというニュースから、センニチコウの花を思い出していたのだが、僕らもこの「センニチコウの花」を見習って健康で長生き出来るよう、人の迷惑の掛からない長寿を目指そうじゃないか!

ふとそんな思いを感じた朝である。

(健康作りです、朝散歩の勧め-----、)


https://kazsan.blog.ss-blog.jp/2014-08-09  【百日紅千日紅と百日草】

サルスベリは真夏の花です。

小学4年生の時、近所の同級生の女の子が伝染病で亡くなりました。田植えの繁忙期で、農家の両親は、子供の健康状態などを斟酌するゆとりもなかったのでしょう。ほんの二三日前には、一緒に遊んだ覚えがあるのに、あっけない最期でした。

その子のお墓には、大きなサルスベリの木がありました。なめらかな木肌も特異で、紅い不思議な風情の花も、この世の外のもののようでした。

サルスベリを百日紅と書くことを知ったのは、もっとずっと後のことでした。

白花のサルスベリがあることも、ずっと後に知りました。白花なのに百日紅とはこれいかに、なんて、大人になってから戯れても、あまり面白くありません。

百日紅の句も、数多いようですが、子規の句にこんなのを見つけました。

百日紅咲くや小村の駄菓子店

どこかで見かけた光景のような気がします。

「仁丹」とか「三ツ矢サイダー」とか「カルピス」とか「サクマ式ドロップス」とか、あるいは「大塚ボンカレー』とか(時代がごちゃまぜですが)のレトロな看板のあるわらぶき屋根の駄菓子屋さん。前庭には大きなサルスベリのきがあったような、、、。

百日紅    高浜虚子

昔俳句を作りはじめた時分に、はじめて百日紅といふ樹を見た。それ迄も見たことがあつたのかも知れないが、一向気がつかなかつた。成程(なるほど)百日紅といふ名前のある通り真赤な花が永い間咲いてゐるものであるわいとつく/″\其梢を眺めた。又さるすべりといふ別の名前のある通り木の膚のすべつこいものではあると、其皮の無いやうな膚をもつく/″\見た。

 其後百日紅といふ題で句作する

時分に、私の頭の中では、真夏の炎天下にすべつこい肌を持つた木の真赤な花を想像するのであつた。さうして葉はどうかと思つたが、葉は全然眼に入らなかつ

たから無かつたのであらう、葉は花が散つた後に出るものであらうと考へてゐた。たゞぼんやりとさう考へてゐた。

其後実際よその垣根や森の中などに百日紅の咲いてゐるのを見たことがあるが、唯百日紅が咲いてゐるわいと考へる許(ばか)りで別に右の印象を訂正するやうなことにも出食はさなかつた。

私の庭に百日紅を植ゑてからよく見て居ると、事実は全然間違つてゐた。葉が無いどころか、葉はあるのである。真赤な花は葉の先に咲くのである。それに真夏の炎天下にはまだ花をつけはじめた時分で花の盛りではないのである。

先づ冬は唯枯木である。他の落葉する木と共に全く枯木であるが、唯肌のすべつこいのが特に目立つて見える。春の間は外の木が花をつけたり木の芽を吹いたりするに拘(かかわ)らず、素知らぬ風をして枯木のまゝである。夏の始になつても尚ほ枯木である。外の木が大方若葉を吹き出す頃になつても尚ほ枯木である。

私の家の庭にある木の中では一番最後迄枯木の儘(まま)であつた。さうして外の木の若葉がもう若葉といはれぬ位、緑も濃い色になつた時分に漸く若葉らしいものを着けはじめた。もとからあつた枝に一応葉が揃つた時分に、新らしい枝がつい/\と出はじめて其枝にみづ/\と柔かい大きな葉が出はじめた。夏も末の頃になつて漸く新らしい枝のさきに白い粉の吹いたやうな莟(つぼみ)が沢山につきはじめて、其の苔がほころびるとはじめて赤い花が咲くのであつた。其の赤い花は長い間咲いてをるが、其は夏の末から秋にかけて咲くのであつて、むしろ秋の部分が多いのである。

実際庭に植ゑた百日紅を見て、はじめて右のやうなことが判つた。

が、しかし席題に百日紅といふ題が出た時などは、ふと真夏の炎天下に真赤に咲いてゐる、葉の無い、花ばかりが梢にある、肌のつる/\した木を想像するのである。さうではなかつたと考へてもどうも其最初の印象がこびりついて居るのである。

其最初の印象といふのは、子規に俳句を見てもらひはじめた時分のことである。一本の百日紅を、こんな変てこな、肌のすべつこい、真赤な花の群がり咲いてゐる木があるものかと、熱心に見上げてゐる若い自分の姿さへをもはつきりと思ひ浮べることが出来るのである。

(昭和六年九月)