バッチフラワーエッセンス

facebook・石川 眞樹夫さん投稿記事

私がバッチフラワーレメディについて今まで語ってきたことをシリーズでお届けします。

自分で決めて自分で生きる、自分で決めて自分で治す。

それが人本来の道であり、それを可能にする神の恵みがバッチフラワーレメディです。

クリニック光のいずみ院長

自然療法医 石川眞樹夫

https://ameblo.jp/makio-ishikawa/entry-12535846801.html?fbclid=IwAR2zhNW-okG_iEcO3qgMWJ4zzWPjCNzXHL3vBiOGPGGSRRSb-Yor1TMJHek   より

『喜びの回復』バッチフラワーレメディー:自分で決めて自分で生きる

おはようございます。クリニック光のいずみ院長、自然療法医の石川眞樹夫です。

世界と未来に幸せと笑顔を増やすこと。子ども達のすべての苦しみを取り除くことが私の使命です。

私は24年前からクリニックの現場でバッチフラワーレメディを用いて、他の医療機関では回復の希望を得ることの出来なかった方々が、自分自身の足で歩みだして多くの希望を得て、現に回復する姿を目の当たりにし続けて来ました。

どれほど優れた治療方法があったとしても、患者さん自身がその治療方法に確信をもてなければそれを継続する事は出来ません。そして、治療中断の最大の原因は、患者さんご自身の中の葛藤であり、悲しみであり矛盾した欲求のせめぎ合いなのです。

一見、家族の中での意見の食い違いがあって、それによって治療が中断されるように見える場合でさえ、その状況を作り出したのは本人だと言う事が出来るでしょう。

ですから、回復を求める私達一人一人が、自分の中にある恐れ、怒り、悲しみ、寂しさ、間違った思い込みなどを手放さなければ、何を選んで良いのか、何が自分にとってふさわしいのかさえ見いだすことが困難になります。それらの葛藤と苦しみを手放すための最も穏やかで確実な手助けが、バッチフラワーレメディです。

今日からしばらくの間、私がバッチフラワーレメディに出会ってから色々な場所でレメディを紹介した文章をシェアさせて頂きます。

自分で決めて自分で生きる事を望むあなたのために。

クリニック光のいずみ院長

自然療法医 石川眞樹夫

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2003年8月9日 第二回バッチフラワー・コンフェランスでの講演から

全人的であることができれば、すべての病は消えてゆきます。人が病気になるのは自分の肉体の一部、あるいは自分という存在を本来の全体性(魂)から切り離して喜びを失うためです。

逆に、心からの笑いは全体性を回復し、人間を本来あるべき姿へ連れ戻します。私達が笑顔と喜びを見失うのは、私達が親から受け継いだ恐怖、不安のためです。病気になった時に経験する苦悩でさえ、私達が生まれた時から繰り返し植え付けられた、分離という幻想、私達がお互いにばらばらで、永遠性とは縁のない存在である、生と死には連続性がないという幻想に由来しています。生と死に連続性がないという幻想は、正常な組織と癌組織に連続性がないといと言うのと同じように誤解です。

バッチフラワーの奇跡を知る人にとっては、愛と憎しみに連続性があるばかりか、愛と憎しみは実は同じエネルギーの異なった表現形式だということも分かるでしょう。病と健康もまた、同じ人間存在のこの世界に対する異なる表現形式にすぎません。そして、分離の幻想から自由になりさえすれば、苦悩は消えます。他方、分離の幻想に捕われた個性は、自己と魂が一体であることを忘れ、苦しみます。

レメディーはこの分離を消し去ることで人間の魂の本質である愛と一体性を回復します。自然療法はその成り立ちの中に、人間と自然、宇宙が深く一体であることを示し続けているのです。私達が全人的であるための一番の方法は、世界と他者に対して全人的にふるまうことであり、私達がこの世界と一つであることを悟るには、そのように生きることが最善の道です。病もまた自己であることに気付き、すべてに感謝して生きること、これが全体性の回復であり、病からの解放です。光あるところ、闇は自然に消えてゆきます。私達は病と戦う必要はないのです。分離の幻想から解放される時、人はすべての闇を消し去る自己の永遠の輝きに気付くでしょう。

中国医学では、喜怒哀楽と恐れは臓腑に対応して消長すると認められており、感情が循環し、臓腑の相互作用とその内部での陰陽のバランスがともに保てれていれば、全身的な気の流れも滞りなく維持され、風・暑・湿・乾・寒などの外因性の邪があっても病むことはないと理解されています。その一方、感情の抑圧をともなう行動や陰陽のバランスを乱す生活習慣は臓腑の内部に気の流れの滞りを生じさせて身体的な症状を引き起こします。また、「恐れ」は生命力の本源である腎精を傷つけて個人と生命力の結びつきを弱めてしまうのということも明確に理解されています。端的な言い方をすれば、「恐れなく生きるひとは病に煩わされる事もない」となるでしょう。

個人のBody-Mindにおいて陰陽のバランスをとることがなぜそれほど重要かというといえば、

「バランスされた陰陽の合一」は太極図が示すように、補いあって真円を形成し、Body-Mindの境界を、ついにはBody-Mind-Spiritの境界線を消し去るからです。つまり「無境界なるもの」=「Spirit」の流入を可能にする経験だからです。

この経験をもたらし、全人的自覚(Body-Mind-Spiritの統合意識)を回復させる事が、

「身体だけ」を扱ってきた過去の医学と、「心と身体」を扱い始めた現在の医学を超えて、次の時代にくる、未来の医療の像です。

少し具体例を用いて説明しましょう。

互いに愛し合う事、特に男女が愛し合う事は、一番強力な陰陽の合一であり命を開きます。-これによって個人の病も癒され、またこの世界へは新しい生命の増加ももたらされます。一組の男女が、お互いにバランスされて一つになるときに生まれる愛と喜びは、

境界と分離を消し去ります。生きとし生けるものが一つであり、宇宙と自分が一つである感覚、

私たちが完全である認識は全ての分離と恐怖をぬぐいさるのです。

これこそが「恐怖」の対極にある感情であり、「恐怖」に終止符を打つ経験です。セックスにおける合一の最高状態にあっては、この経験が垣間見えます。私たちの日常経験に照らして、陰陽の合一がもたらす可能性の分かりやすい例がここに認められます。

次に、レメディーの使用により可能になる癒しの道筋、「タマネギの皮剥き」について私の理解を述べます。

私達は、つい特別な経験、劇的な経験で「奇跡的に救われる」ことや「奇跡的に癒される」といったことを期待しがちですが、

実は私たち人間の存在と自由意志は、奇跡そのものなのです。-あなた方は神である、ただそのことに気づいていないのだ-というインドの聖者の言葉はそのまま受け取るべきものです。つまり、私たちが本来の自分の能力を発揮するなら、すべて可能だという意味です。

-本当にすべてが可能なのです。

「奇跡的に救われる」という表現は、自己選択と自助努力によってではなく、「神の助け」や「上からの奇跡」といった、

「非日常の恩恵により」という意味を含む表現ですが、それらの「恩恵」を可能にする条件-バランスされた個性の表現と直感的な理解、覚醒した意識での自己選択は、実は私たちが自分の選択で作り出すことができるのです。

そして、それを作り出しさえすれば、「恩恵」は奇跡ではなく必然になり、非日常ではなく日常的な経験になります。

少し分かりづらくなったかもしれませんが、忍耐して聞いてください。

バッチフラワーは、ネガティブに表現された感情を指標にして選ばれ、レメディーを用いると、その人のより良き本質、

その人の創造的な個性をこの世界に表現させることが可能になるという方法で、一人一人の人間を宇宙とのユニティー、

他の存在との一体性、回復への道へと連れ戻します。

そして最終的には、私たちの本質が傷つくことのない魂そのものであり、神の命の輝きそのものであることに気づかせてくれるのです。

私たちは、生まれてすぐに恐怖に支配された二元論の世界構造に組み入れられるための訓練を受け始め、

この訓練は社会的と呼ばれる自我構造が確立されるまで、外から押し付けられます。そして、やがては一人一人が無意識の内に、

自分で自分に対して罠をかけ続けるように仕組まれています。多くの人はこの罠、牢獄の中にいて眠ってしまい、

ただ人生の出来事に反応して生きるようになり、個人の創造力を失います。

世界を自己選択により創造する力は、目覚めた意識、自分の思いと言葉と行いを、自分の選択で選び取る者にだけ与えられるものです。

この創造力を人間から奪うシステム、個人を真の自己から隔離する教育プロセスの恐ろしい結末は、現代社会の児童虐待や、人間同士がしばしば示す無慈悲さ、戦争、犯罪といった世界の混乱となって私たちの知るところとなっています。

バッチ博士はこの事を極めて明瞭に理解して「私たちに与えられたただ一つの義務は、自分の良心の命令に従うことであり、ほんの一瞬も他人の支配に屈しないということです。」と述べています。「何々でなければならない」「何々せねばならない」ではなく、「何々だからする」「しないではいられない」という自己選択による自由意志の行為だけが人間の魂を自由にします。そして自由な魂とはその本性を自在に表現し、愛し愛されることができるのです。

真実の自己(魂、ハイアーセルフ)の命令に従い、本当の自己選択によって生きるためには、私たちの精神と心を蝕んで、直感的な選択を不可能にしている「抑圧され、ゆがめられた感情」「内部に貯めこまれたエネルギーブロック」などを浄化することが必要です。レメディーはこれらの障害をおだやかに、その人その人に最適なスピードで取り除くことを可能にします。そのようにして、レメディーは私たちを内側からも外からも常に導いてくれる魂(ハイアーセルフ)ともう一度親しく交われるように助けてくれます。

この浄化のプロセスが、バッチフラワーの使用経験の中で、「タマネギの皮剥き」と呼ばれる過程です。

この過程が進んでゆくと、私たちは忘れていたコミュニケーションの道具を徐々に上手に使えるようになってゆきます。

その「道具」は、直感、イメージ、経験などですが、これらは言葉以上の「魂とのコミュニケーション手段」であり、分析的な思考が分離を促進するのとは対照的に、私たちの全人的な統合を促進し、私たちが創造的に生きるための道を示してくれます。

私たちは、生まれてこのかた、誰よりもまず、両親によって植え付けられてしまった「誤った義務感」と「恐怖」によって自己選択を失い、自己の直感にしたがって生きる習慣を見失い、聖なる魂との常なる交わりを失ってしまっています。

バッチフラワーレメディは、「自己選択」によるタマネギの皮剥きにより、「自己選択」そのものをよみがえらせ、同時に「直感」「感情による導き」「経験による理解」などの、「ハイアーセルフによるエンライトメント」が行われる状態を導く、極めて優れた療法です。

近年、インフォームドコンセントが盛んに言われていますが、患者さんが自らを癒す道は、インフォームドセルフチョイスしかありません。まさに「汝自身を癒せ」ということなのです。私は逗子でレメディーを使う町医者として、患者さんの自由選択をできるだけ尊重するように心がけ、その結末を観察してきました。-その観察の結論は、「いずみの会」の中山さんがおっしゃているとおりでした。

つまり、自分自身の決断で自分の命の責任を引き受けて(それまでの生き方を変えて)楽しく、自分らしく生きると決めた人は、癌になっても苦しむことはなく、しばしば癌も消えてゆくという事実。

「病気には生き方の変容をせまるという隠された目的がある」というのが私の観察の結論です。

人間の社会においても「癌」と呼ばれる人々がいます。他人に対して残酷に振舞い続ける人、

あるいは自分に対して残酷に見える生き方を選択して生きている人たちです。-自己の破壊と隣人の破壊は同時に生じています。

また時には、大人の世界を鏡のように映してしまう、子供たちの犯罪に驚いて、多くの人が他人事のように「厳重な処罰を望む」と口にします。しかし、身体におけるや排毒が、身体全体を守るために現われる自衛反応であり、自分の生き方を反映する鏡であることに照らして考えれば、怒りに満ちて隣人や自分自身を破壊する生き方を選んでいる人々(子供たちを含めて)が、実は社会が抑圧した恐怖、怒りを代弁しているに過ぎないという事実に気が付くのではないでしょうか。彼等は他人ではなく、私たち自身の影なのです。

そして肉体の病も社会の病も、最終的には私たちが真実の自己に目覚めたときだけ消えていくでしょう。自分自身が自分を照らして導く光になった時にだけ、私たちは隣人に対しても光となることができるでしょう。

レメディーは私たちを、私たちの中にあふれる光の本源へと連れ戻してくれます。自分自身で自分のために最善を尽くすこと。それだけが求められているのです。外面の状況とは関係なく、常に変わらずにある平和の源に、私たちはいつでも帰ることができます。

その喜びの回復を穏やかに助けてくれるものが、神の恵みによるバッチフラワーレメディなのです。