心の色眼鏡

心の色眼鏡はみんながかけてしまうもの。

例えば 

「跡取り息子」というステレオタイプは 日本の社会に未だ残っていますね。

そんな暗黙の価値観がある大家族の中で 子どもが与えられる。

一人目女の子(女の子は育てやすいとされ、一姫二太郎など言われるわけですから 歓迎です。)

二人目も女の子(そこそこ受け取れるのが一般的です。 

然し3番目が男の子であった時 周囲の愛と関心は 男児に傾き ストレスフルな子ども時代を過ごす傾向が強いです。)

三人目の男の子(周囲の期待がかけられ 男の子イメージが 自己イメージとして植えこまれることが多いです。)

三人目の女の子(男の子だったらよかったのに という呟きを聞いてしまうことが多いです。 性を否定されることは生を否定されること。)

心理療法をしていると その人の痛みの源泉が 兄弟の布置に起因していることが多いのに気付きます。

幼い時に 周囲の大人たちが言った 何気ない一言を 受け取ってしまったがために それを自己イメージと変え 自分の一生を縛ることがあります。

私たちは関係存在ですから 文化の中で、グループの中で 色々な評価を受けてしまいます。その評価が外からのもの(外的抑圧と呼びます)である間は評価と自分が一つにはなっていませんが 外からの評価のあるものが 自己イメージを造り上げます。(内的抑圧と呼びます)

そして怖いことに 私たちは自己イメージのように生きていきます。

前にも書きましたが パーソナリティの語源はペルソナ=仮面、社会的役割です。

エデンの園の中央に植えられた木から 木の実を採って食べたが故に 人間は裸体で生きられなくなったと聖書は語ります。

木の実を食べてはならないという掟を破ると 死ぬからとも記しています。

裸体で生きられないとは「心にも沢山の服を着せずには 生きれない」と解釈されます。

フロイトの言う自我の防衛機制の概念は そのことを裏付けます。

自我は現実適応能力です。投影とか、合理化とか、抑圧とか、昇華とか そんな類のことが自我の防衛機制です。

自己イメージを検証し 色眼鏡を外していく作業、衣を脱いでいく作業は素敵なことではないでしょうか?

数年前 スリーインワンのワークショップで 全身のスタックポイントを見ました。

驚くことに正中線と関節の全てがスタックポイントでした。それを省みて 口から出た言葉は「邪魔ものでした」

母と兄を殺した デビルチャイルドという信じ込みを持っていたと 以前 書きました。

私は終戦直後(昭和20年)に受胎しました。

食糧難の極致の時代ですです。

何度も堕胎の刺激を受けました。

それでも命が与えられました。

然し母は 私が1歳になる前に、私を負んぶしたまま、栄養失調で倒れてなくなりました。

私には同じ母から生まれた光義という名の兄がいました。

母が亡くなって この兄が私を愛してくれました。

私が2歳の時 よちよち歩きで崖っぷちを歩いてしまったようです。

 三輪車で遊んでいた兄が心配して 三輪車ごと駆けつけ 崖から転落しました。

勿論入院し 院内感染で肺炎になり 亡くなりました。

この事故で 私を愛した人を 私が殺したと 信じ込んでしまったのです。

そんな自己イメージがあれば 愛される資格がないと思いますよね。

生きていて御免なさいの人生を歩むことになりました。

小学低学年は生きる屍だと書きました。

新しい母に愛されてはならない子どもであり続けました。

父さえ拒絶することをしました。

レイプも引き付けました。

女であることをどれだけ呪ったことか!!

それでも 愛するものに自分の歪を手渡さないよう 自分と向き合い、癒し続けました。

勿論多額のお金も使いました。

この痛みを原風景として描くと ナイル河に流されるモーゼのイメージだと先に記しました。

これを箱庭で表現した時 河に流される幼子は 羽の取れた 丸々と太った天使でした。

私がこの箱庭から得たメッセージは 「デビルチャイルドという人生を 自分の意志で選んで生まれた。生き切れるように 多くの力を神によって供えられた。 」という 内容でした。

振り返ってみると 壁は人一倍(以上かも)ありましたが、多くの恵みを得、社会からも人々からも信頼を得、生かされて来たことへの感謝を捧げずにはおれませんでした。

中学生時代 行きつく先が墓場なので 好きなことをしようと心に決め 満足できることを探し求めましたが 得られず、生きる意味を失ったニヒリストになってしまいました。

お金、地位、快楽 得ても仕方がないものでした。

もしそれを得ることを目的とすれば 得れば得るほど「もっと」を望み

あたかも「勝ち得たことが次の欲望への誘い水になる」かのように 飢えと渇きは身を焦がすほどになると思わずにおれなく、それ以上に 求めたい気力も湧きませんでした。

生きる意味を求め続けた思春期の問いを棚上げしましたが 今はそれは「自分が創造するもの」ということができます。

魂と一つになって意味を創造するために 力になるのがヒーリングです。

真実の創造の為には 色眼鏡が拭い去られなければなりません。

心の浄化が必要だとも言えます。

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コメントをいただきました。

心の色眼鏡・・・。

最も恐ろしいのは親から子へ、子から孫へ

形を変えながらうつってしまうトコだと思います。

私が子供の頃、自ら死を望むほどイヤだった

母から受けた行為は

母が祖母から受けたものが原因だと気がついてから

やっと母を許せるようになりました。

祖母も母もそれは良かれと思って

やっていたのです。

聖書の冒頭、私が一番心に残っているのは

食べてはいけないとされた木の実は

『善悪の知識』の実だったところです。

良い悪いを判断するのではなく

あるがままで生きて生きたいものですね。

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親は人生の先輩だと思って 子どもに色々強要してしまいますよね。

私は 夫にも 二人の愛子にも キリスト教を強要してしまいました。

意識では 自分が最善だと思うものを 伝えるのが責任だくらいに思っていました。

思春期生きる「意味を問う」ニヒリスト、レギオンを脱し 神様に「いかに生きるかを問われるものになろう」と心に決め 虚無の淵を 乗り切った経緯は記してきましたが それ故に 善きクリスチャンワーカーとして 自他からの評価に耐え得るよう もがき続けてしまったのだと思います。

弱く敗れに満ちている自分を(神に愛されるものとして)愛する力がなかったからだと思います。

日曜日は家族で教会に行くのは我が家のルールでした。

しかし娘が中1の時 「自分は生まれた時から教会に連れていかれ 価値観の根底には嫌でもキリスト教がある。学校で友人からいろいろ誘われても 教会があるからと断ればみんな引いてゆく。 自分を自由にしてほしい。」という旨 宣言され、唖然としてしまいました。それ以来キリスト教の強要は止めました。  

そして今  霊現象故に 神観も、人間観も、価値観もすべて覆され ようやく新しく生まれ変わろうとしているという実感です。よく止めたと今でも思います。

善悪を判断するのでなく あるがままで生きていきたいですね。

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まあ、生まれてきた名を

背負う

これは、正直

逆らったら終わりかもしれませんね。

俗に 名は体を表す。

呼ばれるように自己イメージを持ち

自己イメージのように生きる。

名を背負うということでしょうか?

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セネカは

怒りの状態の人に

「鏡」

だそうですよ。

怒りは自分の心の投影だと言われる故、じぶんをうつしだすかがみといえますね。