自分史・3

和多志の潜在意識に眠るものは 自己神化の欲望? いいえ、決して。

今ですら「無になって結構」が和多志の本音です。

潜在意識に眠るものは 愛欲? 多分満たされていると思います。

地位と名誉? 今更、十分です。

しかし自己実現への欲求は明らかに願いとして存在します。

以前スリー・イン・ワンという プログラムの中で 自分の心の小部屋を見たことがあります。

心の小部屋には「 紫光に満ちていて 全てが一つに溶ける様な安らかで平穏な部屋」があるとともに 「深い、真っ暗な部屋」がありました。

そのワークを導いたリーダーは 「その穴に蓋をしなくていいか?」と尋ねましたが 「和多志の中にあるものだから構わない」と答え 、穴に下りていく階段さえイメージしました。

その小部屋から出る時 ドアに鍵をかけるように勧められましたが 人工的な鍵をかけたくなく ありのままに置いておきたいイメージで終わりました。

その穴は 虚無の淵、孤独の淵でした。

今は 死の淵と思えます。

それ故、和多志は霊現象とともに死の淵をさまよい続けたのかもしれません。

(激しい嘆きが生じました。 多分そうだと思います。)

幼い頃、我が家では 母と兄の死はタブーとして扱われ それに向き合ったのは 30代になってからです。

大学院の 聴講科目の課題で「ファミリーツリー」を完成する必要が生じ、可能な限りの戸籍を取り寄せ、抵抗を振り切って 義母やレイプをした腹違いの兄から できる限りの情報を収集しました。


父も自分の母を幼い時に亡くしています。

最初の妻を亡くし、和多志の母を亡くし、その母との間に生まれた愛子(和多志の兄)を見送っています。

最初の妻を失ったことに伴い 仕事も、住まいも、娘も失い 自律神経失調症になりました。

それは父の持病となり 晩年それが昂じて自死をしました。

両親に全面依存する 幼い子は 両親の不仲や 自分が虐待される状況に置かれると自分が「悪い子」だからだと 考えると言われます。

母と兄が「和多志の出生」が原因で亡くなったと信じた故、母や、兄(聞き取りによると 母と兄は自分を無条件に守り、愛してくれた存在だったようです)以外の者を愛してはならないし 愛されてはならないと 自分に命じたと考えられます。

周囲に愛があっても愛を受取らない枠組みを自分に嵌めることになったとも言えます。

ニヒリストであった思春期 「武者小路なんて、なんと甘い!」と考えていました。

愛なんて歯が浮くような欺瞞だとも、決めていました。

そんな思いは 渇望しても得られない願いを誤魔化すための 自我の防衛機制だったとも考えられます。

人生の最終点が死であるのであれば 自分を満足させてくれるものを求め 、切羽詰まれば死ねばいいと 考えていました。

「 自分を満たしてくれるもの」

「自分の存在の意味」を 脅迫的に求め続けました。

しかし一番渇望しているものを封じ込めていたため、 ニヒリズムに足を掬われ 中学生半ばから学業も放棄してしまいました。

キルケゴールは 死とは絶望を生き続けることだと言います。

つまりは 和多志にとっては 虚無と孤独と死が一つだったと言えるのかもしれません。

和多志の人生脚本はデビルチャイルドでした。

そのイメージはナイル川に流されるモーセイメージでした。

それを箱庭で表現した時、「流されるはずの赤子」は「羽の取れたまるまる太った天使」。流されるのでなく遡るイメージ。

行く手には般若や、いろいろな障害物。

それ等は皆白いものでした。

置いてみての観想は この人生は自分が選んだという実感でした。人生への使命や意味は自分が選び創造するものという確信です。

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