ティク・ナット・ハンについて

https://www.tnhjapan.org/thich-nhat-hanh  より

ティク・ナット・ハン師は、キング牧師の推薦によりノーベル平和賞候補にもなったベトナム出身の僧侶である。史上最も名を知られた禅師の一人であり、西洋社会にマインドフルネスを紹介したことで広く知られている。同時に、人権運動家、詩人、作家でもあり、その著作は世界中で出版され、累計数百万部に及ぶ。弟子たちからは親愛をこめて「タイ(ベトナム語で先生の意)」と呼ばれている。

 ティク・ナット・ハンは 1926年ベトナム中部に生まれ、16歳で仏道に入ったが、ベトナム戦争は僧侶たちに瞑想の生活に徹し、修行僧として僧院にとどまり瞑想を続けるか、それとも爆撃やその他の戦争被害に苦しむ村人たちを助けるか、選択することを迫った。

 ティク・ナット・ハンはどちらか一つではなく、「行動する仏教」運動を設立することで、両方の道を進むことを選択した一人である。その時以来、彼は個人と社会のための内面からの変革という仕事にその人生を捧げてきている。

 1960年代初期、ティック・ナット・ハンは爆撃を受けた村の再建、学校や医療施設の建設、ホームレスとなった家族の移住支援、農業協同組合の設立などを行う草の根からの救済組織である青少年社会奉仕校をサイゴンに創設した。

 一万人ほどの学生ボランティアを招集し、青少年社会福祉校は非暴力と思いやりという仏教の二つの教えに基づいてその活動を行った。

 またティッ・ナット・ハンは、自らの活動に対する政府からの警告にもかかわらず、仏教大学、出版社、そしてベトナムにおいて広い影響力をもつ平和運動雑誌も創設した。1966年、平和使節団としてアメリカとヨーロッパを訪ねたが、そのためティク・ナット・ハンはベトナムに帰ることが禁止されることとなった。

 その後のアメリカ訪問では、連邦政府や防衛長官ロバート・マクナマラを含む国防総省の官僚に平和への訴えを行った。

 マーティン・ルーサー・キング牧師にベトナム戦争を反対するよう説得し、広がりつつあった平和運動に刺激を与えたという意味では、ティク・ナット・ハンはアメリカの歴史の方向を変えた人物だと言うこともできる。

その翌年、キング牧師はティック・ナット・ハンをノーベル平和賞に指名した。その後、ティック・ナット・ハンはパリ和平会談に仏教徒使節団を率いて参加している。

 1982年、ティク・ナット・ハンはフランスで亡命中の仏教徒のコミュニティーとしてプラム・ビレッジを設立し、そこでベトナムや第三世界の難民、小舟で国外脱出を試みるボート避難民、政治的囚人、飢えに苦しむ家族、といった人たちの苦しみを和らげるための活動を続けている。

彼はまた、ベトナム戦争に参加した旧軍人のための奉仕活動、瞑想のためのリトリート、さらに瞑想、マインドフルネス、平和に関する数多くの著作で知られている。ティク・ナット・ハンが出版した詩、散文、祈祷などについての一般読者向けの著作は85冊にも及び、40冊以上は英語で書かれたものである。

 その中には、『私を本当の名で呼んで』、『一歩一歩が平和』、『ビーイング・ピース』、『平和に触れる』、『生けるブッダ、生けるキリスト』、『愛について』、『解放への道』、『怒り』といったベストセラーが含まれている。

 2001年9月、ワールド・トレード・センターへのテロリストによる自爆攻撃のあったほんの2、3日後には、ティク・ナット・ハンはニューヨーク市のリバーサイド教会で非暴力と赦免についての記憶すべき講演を行った。

 2003年9月には、アメリカの国会議員たちを対象に2日間のリトリートを行っている。

ティク・ナット・ハンは現在も彼が設立した瞑想コミュニティーであるプラム・ビレッジに住み、法話、著作、庭仕事を続けている。そして世界の各地で「マインドフルな生活法」についてのリトリートの指導にあたっている。

 

 ティック・ナット・ハンの教えの核心は、マインドフルネスの実践を通して、私たちは過去や未来ではなく、今現在に生きることを学べるということである。彼の教えによれば、今現在を生きることこそ、自らの中に、また世界において平和を育む唯一の道なのである。

※ティク・ナット・ハン師は2014年11月に脳内出血で倒れ、一時重篤と伝えられたが、その後奇跡的な回復を見せ、2015年4月に退院。サンフランシスコの専門医療機関でリハビリの集中プログラムを受けたのち、現在はプラムヴィレッジに帰還し、療養を続けている。(2016年追記)

http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-671.htm  より

ティクナットハン:  腹が立ったときは何も言ってはいけません。何もしないほうがいいです。自分に戻って、ゆっくり息を吸って、息を吐きます。それを何回かして、何か行動を起こす前に、怒りの面倒をみてあげます。これは平和の行動になります。

すぐに反応したりしないんです。自分の怒りの面倒のみかたを知っていれば、ゆっくり呼吸しながら「今のはカチンときた。でも別に反応して行動する必要はない」とわかりますし、「この人は今、幸福でないから、あんなことをしたのだ」と思えますから、その人に対して思いやりを持ち微笑みます。これは大きな勝利です。

ナレーター:ティク・ナット・ハンの原点、それは祖国を焼き尽くしたベトナム戦争でした。怒りと憎しみが渦巻く中、ティク・ナット・ハンは、自らの怒りを見つめることで、敵味方の区別なく、ありのままを慈しむ境地に至ります。そして仏教の力により世界を変えることができると立ち上がります。紛争やテロ、そして現代に蔓延(はびこ)る心の闇まで、怒りや憎しみに向き合ってきました。しかし祖国を追われ、八十八歳を迎えた今、その教えは貴重なものとなっています。シリーズ「禅僧ティク・ナット・ハン」第一回は、紛争や対立、差別などの怒りなどを如何に変容したらよいのか。ティク・ナット・ハンの波乱に富んだ人生を辿りながら教えの真髄に迫ります。ティク・ナット・ハンが拠点を構えるフランスのボルドーにほど近い田園地帯、仏教瞑想センター「プラムヴィレッジ」です。教えを求めて世界中から年間八千人が集まります。「リトリート(瞑想合宿)」と呼ばれる瞑想合宿を一週間単位で行い、日常から離れ、自分自身に立ち帰ります。みなそれぞれに苦しみを抱えてやって来ます。仕事の同僚や友人・家族などの人間関係、そして自分の存在とは何なのか。内に潜む怒りや苛立(いらだ)ち、ゆっくりと時間をとって自分の心の声に耳を澄ませていきます。実践するのはブッダの教えに基づくマインドフルネス(mindfulness)。それはブッダが説いた八つの正しい道「八正道(はつしようどう)」の一つ「正念(しようねん)」です。誰もが今ここに生きているありのままの自分に気づくことができる。これがティク・ナット・ハンの教えの真髄です。プラムヴィレッジで重要な瞑想があります。「歩く」ことです。

ティクナットハン:  プラムヴィレッジでは、このように左足を一歩、その一歩の中で、あなたは「根源」と出会うことができるのです。日常私たちは、求め、走り回る習慣がついています。いつもまるで走るように歩いています。みな平和を求めて成功を求め、愛を求め、神を求め、私たちはいつも走りまわっています。いつも走ることが習慣化してしまっている人たちにとって、このように歩き、走ることをやめるのは「革命」です。

ゆっくり・・・ゆっくり一歩歩きます。一歩、息を吐いて、もう一歩、息を吸いながら、自分の全てを、この一歩に注ぎ込みます。自分の注意を、吸う息に向ける。そして心を体に連れ戻す。

心と体が一つのとき、あなたはこの瞬間に存在しています。完璧にいま・ここに存在しています。あなたがいま・ここに存在すると、いろんなことに気づきます。いのちの奇跡は私たちの中にも、まわりにもたくさんあります。

青空、新鮮な空気、美しい樹々、小さなお花、そうすればほんの一息で安らぎと喜びが生み出されます。このように私たちは毎日を過ごしています。

Peace is Every Step. Peace is Every Breath. 一歩歩むたびに平和を感じ、ひと息ごとに安らぐ。平和があれば喜びもあります。それが私の実践方法です。毎日行っています。

ナレーター:  呼吸に立ち帰ることにより、起きてから寝るまで、日常生活のすべてが気づきの瞑想になります。

今ここに生きているありのままの自分に気づく。すると自分を慈しむ心が生まれてきます。そして慈しむ心は自分から他者へと広がっていきます。

ティクナットハン:  あなたは、ひとつの庭です。

この庭に帰ってきて、よく良い種だけに水をやる方法を身につけておくと、落ち着き、安らぎ、希望、喜びに満たされます。

そうして初めて他の人の庭の手入れを手伝うことができます。

でもまずは、自分自身に立ち帰って、自分の庭を手入れします。

それが一歩です。

実践を知らない人は、常に相手を変えようとします。

「一緒に暮らしていくために、あなたはこう変わるべきああすべきだ」など今度は相手も要求してきます。

どちらも自分に立ち帰ることを知らないのです。

自分の庭の手入れを身につけて、相手も自分の庭を美しくできるように手伝ってあげてください。すると相互理解が生まれます。

深く心を分かち合うことができます。

ナレーター:  互いに理解し合おうとした時、怒りや憎しみが湧き上がってくることがあります。そこで大切になるのが自分への気づきです。自分に気づくとは、自分のいのちの意味を知ることです。

質問者:  親との関係に問題があって、時々怒りや暴力もありました。

どうしたら自分を大切にできるのでしょうか。

自分はそのような愛にふさわしくないと思っているので・・・

ティクナットハン:  なぜそのように愛を拒否するのですか。

あなたの先祖は、みなあなたの中にいます。

あなたの細胞ひとつひとつの中に生きています。

彼らは生きている間充分な愛を受け取っていなかったかもしれません。

でもあなたはいま愛する実践ができるのですから自分を愛することでご先祖にも愛を与えてください

あなたは自分を愛するとき、すべての先人に愛を与えます。

それが無我の智慧です。

あなたは独立した存在ではなく、親・先祖の継続ですから自分を愛し大切にすると、あなたの中の親と先祖をいたわることができます。彼らへの優しさです。

そういう実践は、同時にまわりの人への優しさでもあります。

あなたが自分を優しくいたわる姿を見ると他の人々もそうしたくなります。

良い見本になります。自分を愛することで、他の人も大切にすることができるのです。

これが「無我」の光です。

ナレーター:  自分に気づき、他者と理解しあうために手がかりとなる考えがあります。インタービーイング(Interbeing:相互共存)すべてのものは繋がり合って存在する。自分と他者の区別を越えるブッダの智慧です。

質問者:  私は誰でしょうか。知りたいです。

ティクナットハン:  海の波が自分に尋ねます「私は誰でしょう?」

海の表面の波が自分に問いかけています波に自分に立ち帰る十分な時間があれば

波は「自分が海だ」と知ることができます。波は波ですが、同時に海でもあります

波はそのひとつの波であるだけでなく、他の波でもある

そして他の波とつながっていてインタービーイング 相互に共存していることが分かり

もう自分と他者を区別することはなくなります

ナレーター:  自分のいのちが、自分だけのものではなく、互いに支え合って生きている。そう気づくことで目先のことに惑(まど)わされずにありのままの姿を見つめることができます。

ティクナットハン:  仏教の唯識学(ゆいしきがく)の中で、この言葉はとても重要です。

すべてを含む阿頼耶識(あらやしき)も 中にある すべての「種子」も

本質は定められない 善くも悪くもない 好きでも嫌でもない

水そのものは 良くも悪くもありません

空気そのものも良くも悪くもありません

現実のありのままの姿をしているだけですから

たとえばあなたの愛する人を見つめてみると

あなたの表層意識を通して見ているので

ありのままの姿で見てはいません

あなたが勝手に心で作り出した人を見ているのです

誰かに恋したとき ありのままのその人に

恋しているわけではありません

普通はあなたの心が描いている人に恋しているのです

あなたの意識の表れです

しかし阿頼耶識はちがいます(無分別の)智慧があります

 

「これは泥 これは蓮」

「私は蓮だけが欲しい 泥は欲しくない」と

そのように表層意識は働いています

いつも差別しています

ナレーター:  差別とは、自分の意識が作りだしたもの、それに気づくことによって、他者への怒りや憎しみが変容するというのです。 

ティクナットハン:  この二年間、アメリカはテロによる憎しみと暴力をおさえることはできませんでした。実際は、憎しみと暴力は強まっています。だからこそ現状を深く見直し、これ以上(国民の)お金を使わずに、私たちにも彼らにも平和をもたらす方法を探し出すときなのです。暴力で暴力を消すことはできません。ベトナム戦争中、アメリカの爆撃は、より多くの共産主義者を生み出しました。イラクでも(怒りの連鎖が)くり返されるのを恐れています。  ティク・クアン・ドック師が身を捧げたのは、平和を望んで殺戮を止めたかったからです。私たち(仏教徒)は、(メディアを持たず)爆撃や怒り、恐怖の中で声を失っていました。だから生きながら自らの身を燃やしてメッセージを伝えるしかなかったのです。暴力的な行為ではなく、私たちは板挟みになりながら、戦いを望んではいなかったのです。

(行動する仏教(エンゲイジド・ブディズム)とは)貧困・社会的不公正・人権問題と闘う仏教だけをいうのではありません

「エンゲイジド・ブディズム」とは、何よりもまず人生のすべての瞬間を「生きる」仏教です。

生きた仏教 日常のすべての瞬間を経験する仏教です。

それなしに社会的な活動で平和や社会主義を促進しようとしてもできないでしょう。

ナレーター:  そんな中、自分たちを攻撃する者たちへの怒りが変容する経験をします。アメリカの北爆によってある村が全滅した時のことでした。

ティクナットハン:  名前を忘れましたが、米軍の指揮官がこのように新聞で語っていました。

「私は、その村を破壊しなければならなかったのだ。共産主義から守るために」。

その村を破壊し、人々を殺しておいて、彼らを守ったなどと言えるのか。

その時の怒りは大きかった。そこで私は実践者として自分自身に立ち帰り、じっと「怒り」を抱いていました。

心を静め、何日もかかってようやく加害者への慈悲を感じるようになりました。

彼らは「村を守る」といいながら、村の人を殺してしまった。それは彼らが「間違った認識の犠牲者」だからです。

正しい理解・正しい見方・正しい考え方を持てなかった。だから彼らに対して怒るよりむしろ助け出すべきなのだと。

ナレーター:  傷つけられた人たちと人を殺(あや)めることを命じられた兵士。共に怒りや憎しみ、欲望が生んだ戦争の犠牲者である。ティク・ナット・ハンは自分と他者の区別を越える慈悲の境地に至りました。一方アメリカでは反戦運動が高まりを見せていました。互いの政論を主張し、怒りがまた新たな怒りを生み出す時代。ティク・ナット・ハンはアメリカのある人物に協力を求めます。黒人差別撤廃を求め、非暴力での運動を展開していたマーティン・ルーサー・キングです。ティク・ナット・ハンがキングに宛てた手紙です。

タイトルは、「人間の敵についての探求」。

私たちの敵は人間そのものではありません。本当の敵は、私たちすべての人間の心にある怒り・憎しみ・差別です。翌一九六六年、ティク・ナット・ハンは渡米、キングと出会います。「怒りの炎を包み込むような愛で繋がる共同体を作っていこう」そう誓い合いました。

ティクナットハン:  私たちはシカゴで話し合いました。キングはその後ベトナム戦争への反対を表明しました。

私たちはジュネーブでの平和会議の時にも会いました。彼は十一階、私は一階の部屋でした。彼は私を朝食に招いてくれました。その朝、私は記者に囲まれて約束に遅れたのですが、彼は私のために朝食を温めておいてくれました。

「ベトナムでは、あなたは菩薩のように素晴らしい存在だと称賛しています」と話すとうれしそうでした。そして私たちはサンガ(同じ志をもつ共同体)作りについて話しました。

サンガなしに遠くまで行くことはできないからです。彼はサンガを「愛による共同体」と呼んでいました。 

ナレーター:  キングはティクナット・ハンをノーベル平和賞候補に推薦します。敵味方の区別なく、すべての存在に慈しみと愛を抱く人間の繋がりが平和へと導く。彼の平和へのアイディアが実現されれば、それはあらゆる宗教の融合、世界中の友愛、そして人間性を讃える記念碑となるだろう。その頃ベトナムでは戦争が激化、ティク・ナット・ハンを大きな悲劇が襲います。共に戦禍を生き抜き、村の再建を手掛けた若者四名が、無残にも殺害されたのです。ティク・ナット・ハンは一時鬱状態にもなったと言います。 

シスターチャン・コン: (当時からともに活動していた弟子)

ティク・ナット・ハン師は、絶望し、怒り、こうしたただ顔を覆っていました。ブッダの教えでは、怒っている時は、口を開いたり、武器を手にしたり、グラスを割ったりしてはいけないのです。かわりに呼吸にもどって、歩く瞑想や座る瞑想をして静けさを取り戻すのです。師は何ヶ月もかけて静めていました。

 

ナレーター:  ティク・ナット・ハンは、詩に思いを託し、心を落ち着かせました。

彼らの肉体は 私の肉体

彼らの血は 私の血

私の体は押しつぶされ

私の血は乾ききってしまった

 

彼らの手を人々に返しましょう

何も傷つけなかった手を

彼らの心を人々へ返しましょう

誰も憎まなかった心を

 

さらにティク・ナット・ハンを絶望のどん底に突き落とす出来事が、一九六八年四月、あのキングが暗殺されたのです。愛や慈悲で繋がる共同体を作ろうと誓い合った半年後のことでした。

 

ティクナットハン:  彼が暗殺されたとき 私は怒り、そのあとで病気になりました

「彼は逝ってしまった。でも私はサンガ作りをこれからも続けていかなくては」と心に誓いました。

サンガ(共同体)がなければ(私たちの目指していることは)成し遂げられないからです

ナレーター:  キングとの約束を胸に、ティク・ナット・ハンは世界中を奔走します。怒りや憎しみを残さずに非暴力による平和の実現を求めて、そして自分自身の苦しみや怒りの炎を抱きしめていきました。

ティクナットハン:  苦しみの扱い方を知っていれば 理解を生み出すことができます。

ブッダは、その方法を説きました。

(苦しみを)嫌がったり、消そうとするのではなく 優しさいっぱいに抱いてあげます。

自分の苦しみと戦ってはいけません。

しっかり見つめてよくあやしてあげると落ち着かせることができます。

苦しみ方を知ることは、慈悲と愛を生むことにつながります。

慈悲には癒やす力があり、慈悲と理解は、苦しみから生まれます。

泥から蓮が生まれるように。

ナレーター:  一九七三年、パリー和平協定締結。七六年には、ベトナム社会主義共和国建国。南北ベトナムが統一されます。しかし、ティク・ナット・ハンは、祖国ベトナムを逐われます。南北どちらの政府にも組せず活動していた仏教徒の多くが投獄されました。ティク・ナット・ハンは、フランスへ亡命を余儀なくされます。

「Please Call Me by My True Names」(私を本当の名前で呼んでください)

 

明日彼はもう旅立ったなんて言わないで

今日私は辿り着こうとしているのだから

深く見つめて

わたしは刻一刻と辿り着いています

 

春の小枝の芽になって

新たな巣で囀りはじめた

いまだか弱き羽の小鳥となって

花芯に安らぐ青虫となって

石に隠れた宝石となって

笑ったり泣いたり

恐れたり望んだりするために

わたしは今も辿りつきつつある

 

わたしの心臓の鼓動は

生きとし生けるものすべての

生と死そのもの

 

わたしは川面で変身する陽炎(かげろう)

そしてわたしは小鳥

春がくると陽炎を食べにくる

 

わたしは澄んだ池で

幸せそうに泳ぐカエル

そしてわたしは蛇

静かに近づきカエルを飲み込む

 

わたしはウガンダのこども

骨と皮だけになって

両足は細い竹のよう

そしてわたしは武器商人

ウガンダに死の武器を売りに行く

 

わたしは十二歳の少女

小さな船の難民

海賊に襲われ

海に身を投げた

そしてわたしは海賊

わたしの心は見ることも

愛することもできません

 

わたしは共産主義の政治家で

腕には巨大な権力をもつ

そして私は一人の男

彼の血の負債を払わされ

強制収容所でひっそり死んでいく

 

わたしの喜びは春のように温かく

すべての花を開かせる

わたしの痛みは涙の川のよう

四つの海を満たしている

 

私を本当の名前で呼んでください

すべての叫びと

すべての笑い声が同時に聞こえてくるように

喜びも痛みも一つになって見えるように

 

わたしを本当の名前で呼んでください

わたしが目覚め

そして心の扉が開かれて

慈悲の扉が開かれるように

 

一九八二年、亡命先のフランスで新たな拠点を築きます。今日までおよそ五十年余り、祖国を離れた暮らしが続いています。時代は変わっても、世界では紛争や対立が絶えることはありません。ティク・ナット・ハンの教えはますます広く求められるようになりました。怒りの炎を如何に抱きしめるべきか。大きな問いは、今尚続いています。

二○○三年、イスラエルとパレスチナ双方の人たちが一同に会しました。中東和平案のロードマップが、アメリカ、EU(European Union:欧州連合)、ロシア、国連により提示された半年後のことでした。

 

ティクナットハン:  (本当の)平和へのプロセスはワシントンから届きません。ロードマップもあなたの心から生まれるのです。政府にやってもらうのではありません。政府は努力してきたと思いますが、成功してはいない。本当の和平への行程を知らないからです。

平和を政治的に考え語っているだけで「人間らしい平和とは何か」という観点ではないからです。お互いを理解した上での合意であれば、平和への解決策となります。しかし合意書に署名しても、両者の内面に恐れ・怒り・疑いが残っていれば、それはただ一片の紙に過ぎず、「本当の平和」ではありません。しかし慈しみと相互理解があれば、紙に署名する必要もありません。世界中の人々が、世界のためになる人間らしい平和会議をサポートしにくるでしょう。そうすればみなさんは政府を助けることができるのです。政府もあなたたちという「平和の存在」を認め、あなたたちの言葉に耳を貸してくれるでしょう。

 

ナレーター:  紛争が、たとい終わってもまだ問題は残っています。イラクやアフガニスタン、そしてベトナム戦争の帰還兵が、今も癒やされることのない心の傷を抱えています。

 

ティクナットハン:  あるベトナム戦争帰還兵が、リトリートに参加しに来ました。あれは北カリフォルニアでした。彼は自分自身を受容できませんでした。ベトナム戦争でひどいことをした経験があり、五人の子どもを殺しました。その日、彼の仲間が待ち伏せ攻撃で殺され、彼は大きな怒りを抱え戻ってきました。次の日、彼はサンドイッチに薬をはさみ、袋に入れて仲間が殺された村に置きました。復讐したかったのです。身を隠して見ていると、五人の子どもが現れ袋を見付けました。おいしそうなサンドイッチを食べ、食べた後に子どもたちは反応を起こし、泣き苦しみ始めました。彼は戦争を生きのび、アメリカに帰りました。それから彼は眠れなくなりました。寝ても覚めてもあの子たちが出てきます。部屋に子どもたちが現れ、耐えられずに部屋を飛び出すしかありませんでした。ある日「帰還兵のためのリトリート」があり、それを知った彼は参加し実践をしました。リトリートの中で、ある時、自分の苦しみについて話す機会がありました。それまで彼は苦悩を話せたのは母親だけでした。「戦場ではそうしたことが起きてもしかたがないのよ」と母親が助けようとしても、彼の心は楽にはなりません。リトリート中、彼のために静けさと慈悲に満ちた「深く聞く」時間を設けました。そこにいた多くはベトナム人でした。戦争の直接の犠牲者です。最初口を開けなかった彼が、ある日みんなに真実を話してくれました。

デイビッド、あなたは五人の子どもを殺した。でもあなたはまだ若い。自分の人生を五人の子どもを救うことに使えるはずです。過去子ども五人を殺めたなら、今日、明日、明後日、五人、十人、十五人の子どもを救えばいい。世界中で毎日子どもたちは亡くなり、一錠の薬がないだけで死ぬ子もいる。一日十人の子を救ういろんな道があるのに、なぜそこでただ嘆き、自分を嫌悪しているのですか。何か始めなさい! そこで彼に意志と望みを投げかけ、この先の意欲や憐れみの行動に繋がる糧となりました。会話の後、彼は楽になり、私の提案を実行し始めました。洞察が大事なんです。自分自身を受容できないときは、深く内観し、過去から未来を無私の視点から眺めたら自由への道が姿を現し、想像より遙かにはやく変容は起こるでしょう。

 

ティクナットハン:  神が「光あれ!」と言ったとき、

光は言いました「私は待っているのです」

「何を待っているのですか」と神は光に問いかけました。

「一緒に現れるように、相棒の闇を待っているのです。光と闇はカップルですから!」

神は不思議そうに言いました。

「でも闇はすでにここにあるではないか」

すると光は答えました。「闇があるということは、すでに私もここにいます」それが共存の智慧です。

 

あなたが政治家で左派であるとして、

自分と国の苦しみを右派のせいにしたとします。

でも「相互共存(インタービーイング)の教え」から考えれば、左は右なしには存在することはできません。

しかし多くの人々は、そのことに気づかずに、反対側が消えることを願っています。

この蓮の茎を見てください。ここが左側、あなたの左側は、私の右ですね。

こちらが共産主義とか社会主義とか、

そしてこちらが右派の人々だとしますね。

あなた左側にいると、右の人が敵にみえるでしょう。

政治の世界から消えてほしいと思っているかもしれません。

でもそれは賢明ではありません。

右がなくなると、左のあなたももうそこにはいないのですから。

左側が右側を取り除こうとして切り落としたとします。

左と右を分けている点がどこかに一つある・・・

でもちょっとこちらが長すぎますね。

多数派だから、相手側を取り除くためにここを切るとします。

「ああ右側がなくなってくれた」と思っています。

すると今度はここに現れます。右の中に左があるからです。

あなたが社会主義者である場合、その中にも革新的な人と保守的な人がいて、彼らは右側の人とそっくりでしょう。そのように右があれば、必ず左があります。相互に共存していますから。左だけが存在することはありません。それが真実です。

これがすべての礎となっています。それがサハーブッダアシュヴァヤ 相互共存です。

その智慧に反することは真実ではありません。

あなたは独立した存在ではありません。

宇宙のすべては深く関わって存在しているのです。

雲や石ころや川や星、すべてがこの相互共存

インタービーイングという法則からなりたっています。

 

ナレーター:  今ここに生きている自分と他者を包む命に気づく。そして怒りの炎を抱きしめる。

 

ティクナットハン:  すべてはあなた自身から始まります。

あなたはすべての行動の源泉です。

あなたが怒っている時、「怒り」の面倒をみないで、怒りから逃げようとしていたら、

たとえあなたが仏教書を読んでいたとしても

仏教の実践をしていることにはなりません。

もし怒りがわきあがってきたら、自分の怒りを認識しなければなりません。

静かに集中して(マインドフル)、呼吸し歩くことによって

あなたの中の怒りがあることに気づきます。

怒りを優しく抱き、深く見つめて、何がその怒りの根にあるのかを見ていきます。

それが間違った認識や優越感・劣等感によって抑圧された強い感情からなのかどうかを見るのです。

 

ナレーター:  二○一四年十一月、世界に衝撃が走りました。ティク・ナット・ハンが脳出血で倒れたのです。幸い一命を取り留め、今回復へと向かっています。その教えは途絶えることなく、弟子たちによって続けられています。

 

私は両手で顔をおおう

「孤独」を温めるために「怒り」をあやすために

両手は守ってくれているのです

私の心が怒りの内にとらわれないように

 

     これは平成二十七年四月五日に、NHK教育テレビの

     「こころの時代」で放映されたものである