哲学名言集 Memento Mori(メメント・モリ)

https://matome.naver.jp/odai/2148892670021574401  より

孔子、老子、ニッコロ・マキャヴェッリ、マルティン・ルター、ジャン・カルヴァン、ミシェル・ド・モンテーニュ、ルネ・デカルト、ブレーズ・パスカル、ヴォルテール、ジャン=ジャック・ルソー、イマヌエル・カント、フリードリヒ・ニーチェ、ジークムント・フロイト、西田幾多郎、谷岡俊一


孔子

紀元前552~紀元前479 中国の春秋時代の思想家『論語』

学びて思わざれば則ち罔し、思いて学ばざれば則ち殆うし。

朝に道を聞けば、夕に死すとも可なり。

徳、孤ならず、必ず隣あり。

君子は和して同せず。小人は同じて和せず。

【中国の思想家】孔子 未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん

老子

中国の春秋戦国時代の思想家

道は沖にして之を用うる或に盈たず。淵として、万物の宗に似たり。其の鋭を挫き、其の紛を解き、其の光を和らげ、其の塵に同ず。

天の道は、争わずして而も善く勝ち、言わずして、而も善く応じ、招かずして而も自ずから来たり、繟然として而も善く謀る。天網恢恢、疎にして而も失わず。

【中国の思想家】老子 人は地に法り地は天に法り天は道に法り道は自然に法る

ソクラテス/プラトン

古代ギリシアの哲学者『ソクラテスの弁明』『饗宴』『国家』『法律』

もう行かなければならないのです。私はこれから死ぬために、諸君はこれから生きるために。しかし我々の行く手に待っているものは、どちらがよいのか、誰にもはっきりわからないのです。神でなければ。

哲学者達が国々において王となるのでないかぎり、あるいは、今日王と呼ばれ権力者と呼ばれている人達が、真実にかつ充分に哲学するのでないかぎり

孟子

中国の戦国時代の思想家

自ら反みて縮からずんば、褐寬博と雖も、吾惴れざらんや。自ら反みて縮くんば、千万人と雖も、吾往かん。

道は邇きに在り、而るにこれを遠きに求む。

事は易きに在り、而るにこれを難きに求む。

【性善説】孟子 至誠にして動かざる者は、未だこれあらざるなり

筍子

中国の戦国時代の思想家

君子の学は通ずるが為に非ず。窮するも困しまず、憂うるも意衰えず、禍福終始を知りて心惑わざるが為なり。

荘子

中国の戦国時代の宋の思想家

昔者、荘周は夢に胡蝶と為る。栩栩然として胡蝶なり。自ら喩しみて志に適する与。周たるを知らざるなり。俄然として覚むれば、則ち蘧蘧然として周なり。知らず、周の夢に胡蝶為るか、胡蝶の夢に周為るか。周と胡蝶とは、則ち必ず分有り。此れを之物化と謂う。

其の大なる所に因りて之を大とすれば、則ち万物大ならざるは莫し。其の小なる所に因りて之を小とすれば、則ち万物小ならざるは莫し。

【中国の思想家】荘子 人皆、有用の用を知るも、無用の用を知る莫きなり

アウグスティヌス

354~430 神学者

私は二つのことしか知りたいとは思わない。知りたいのは神と魂のことだけだ。

ヘンリー・ブラクトン

イギリスの法学者

王は何人の下に立つこともない。しかし王といえども神と法の下に立たねばならない。

レオン・バッティスタ・アルベルティ

1404~1472 人文主義者

人間は欲しさえすれば、何でも可能となる

デジデリウス・エラスムス

1466~1536 人文主義者『痴愚神礼讃』『平和の訴え』

人間の生き様というのは、狂気の戯れ以外の何ものでもない

ニッコロ・マキャヴェッリ

1469~1527 フィレンツェ共和国の外交官『君主論』

君主は野獣と人間を巧みに使い分けることが必要である。野獣の中ではキツネとライオンに習うようにするべきである。

全ての国にとって重要な土台となるのは、よい法律とよい武力とである

今までに、ある人物の中に、神がイタリアの贖罪をあがなうよう命じられでもしたかのような、一条の光が射したことがあった。だが、残念なことにこの人物は、その活動の絶頂期に運に見放されてしまったのである。

私は我が魂よりも、我が祖国を愛する

マルティン・ルター

1483~1546 神学者

キリスト者は、自分自身の内に生きるのではなく、キリストと自分の隣人とにおいて生きる。すなわち、キリストにおいては信仰を通して隣人においては愛を通して、生きるのである。彼は信仰によって自分を超えて神へと昇り、神の所から愛によって再び自分のもとへと下り、しかも常に神と神の内にとどまる。

聖書に記述されていないことを認めるわけにはいかない、我ここに立つ。それ以上のことは何も出来ない。神よ、助けたまえ。

マルティン・ルターの言葉

ジャン・カルヴァン

1509~1564 神学者『キリスト教綱要』

神は全ての人間を平等な状態につくったのではなく、あるものを永遠の生命へ、あるものを永遠の断罪へと定めた

ミシェル・ド・モンテーニュ

1533~1592 フランスの哲学者『エセー』

言葉は半分は話す側のものであり、半分は聞く側のものである

結婚は鳥籠のようなものである。その外にいる鳥は必死になって入ろうとするが、中にいる鳥は必死になって出ようとする。

ジョルダーノ・ブルーノ

1548~1600 哲学者

宇宙の広さは無限であり、世界は無数にある。何故なら神の卓越性は、有限なものの中より無限のものの中に、はるかによく現れるからだ。

判決を受けた私より、判決を下したあなた方の方が震えているではないか

異端審問の判決を受けた時の、ジョルダーノ・ブルーノの言葉

フランシス・ベーコン

1561~1626 イギリスの哲学者『ノヴム・オルガヌム』

人間の知識と力は合一する

読書は、反対したり反駁するためのものであってはならない。信じたりそのまま受け入れたりするためのものであってもならない。話や談論の種を見つけ出すためであってもならない。思慮し考察するためのものである。

私は最初の犠牲です。私が最後であることを望みます。

ガリレオ・ガリレイ

1564~1642 イタリアの天文学者『星界の報告』『天文対話』

自然の書物は数学の言葉で書かれている

【世界を変えた科学者】ガリレオ・ガリレイの生涯

トマス・ホッブズ

1588~1679 哲学者『リヴァイアサン』

万人の万人に対する闘争

平和と防衛とを人間に保障する地上の神が、生まれると言うべきだろう

自分が他者に対して持つ自由は、他者が自分に対して持つことを、自分が進んで認めることができる範囲に限られる

ルネ・デカルト

1596~1650 哲学者『世界論』『方法序説』『省察』

学院で行われる論争という手段によって、前に知られなかった何らかの真理が発見されたということを、一度も見たことがない

ルネ・デカルトの言葉

理性を正しく導き、学問において真理を探究するための方法の話(方法序説)。加えて、その試みである屈折光学、気象学、幾何学。

ルネ・デカルトは、天文学についても書いていたが、意図的に『方法序説』の中から除外した。

ルネ・デカルト 我思う、故に我あり

ブレーズ・パスカル

1623~1662 フランスの哲学者『パンセ』

人間は一本の葦に過ぎない。自然の中で最も弱いものである。だがそれは考える葦である。

空間により宇宙は私を包み、一つの点のように飲み込む。思考することにより私が宇宙を包む。

ブレーズ・パスカル『パンセ』名言集 人間は一本の葦に過ぎない

バールーフ・デ・スピノザ

人の心を征服するものは、決して武力ではなく、愛と寛容である

全て高貴なものは、稀であるとともに困難である

神、即ちその各々が、永遠で無限の本質を表現する無限な属性から成り立つ実体は、必然的に存在する

アイザック・ニュートン

1643~1727 イングランドの数学者

If I have been able to see further, it was only because I stood on the shoulders of giants.

ロバート・フックへの手紙の中の一文

「私がさらに遠くを見ることができたとしたら、それはたんに私が巨人の肩に乗っていたからです」

ジャンバッティスタ・ヴィーコ

1668~1744 イタリアの哲学者

弱者は法を欲し、強者はこれを拒む。野心家は追随者を得るために法を促進(改革)させ、君主は強者と弱者を平等にするために法を庇護する。

ジョージ・バークリー

1685~1753

存在するとは知覚するということである

ヴォルテール

1694~1778 フランスの哲学者『哲学書簡』『カンディード』

我々が尊敬しなければならないのは、暴力によって奴隷を作る連中ではなく、真理の力で人々の心を支配する人物に対してである

全ては善であると叫ぶ偽哲学者たちよ、ここに来て、この残骸の山をよく見るがいい

この最善なる可能世界においては、あらゆる物事は全て最善である

踏み固められた道を歩く者は、新しい道を教える者に絶えず石を投げつける。惨めな人類はこのように生まれついている。

ディヴィッド・ヒューム

1711~1776 哲学者『人間本性論』

人間とは、思いもつかない速さで次々と継起し絶えず変化し動き続ける、様々な知覚の束、あるいは集合に他ならない

ジャン=ジャック・ルソー

1712~1778 哲学者『人間不平等起源論』『社会契約論』『エミール』『告白』

あらゆる人間の知識のうちで最も有用でありながら、最も進んでいないものは、人間に関する知識であるように思われる

人間は自由なものとして生まれた。そして、至る所で鎖に繋がれている。他の人々と主人であると信じている者も、その人々以上に奴隷であることを免れていない。いかにしてこのような変化が生じたのであろうか。私はわからない。何がそれを正当なものとしているのであろうか。私はこの問題を解くことが出来ると信じている。

万物を創る神の手から出る時には全て善いが、人間の手に渡ると全て堕落する

お前の事が好きだったんだよ!

私たち各々が苦しんでいるかそうではないかを知ることが問題なのではなく、宇宙が存在したのは善いことなのかどうか、また私達の不幸は宇宙の構成上不可避であったかどうかを知ることが問題なのです

【哲学者】ジャン=ジャック・ルソー なぜ人間は平等ではないのか?

イマヌエル・カント

1724~1804 プロイセン王国の哲学者『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』『永遠平和のために』

汝の意志の格率が、常に普遍的立法の原理として妥当しえるように行為せよ

我が上なる星空と、我が内なる道徳法則、我はこの二つに畏敬の念を抱いてやまない

人類全てに妥当するのか、決して戦争を止めようとしない国家元首らに妥当するのか、あるいは甘い夢を見る哲学者のみに妥当するのかは、未定とする

永遠平和は空虚な理論ではなく、我々に課せられた使命である

私の誤りをルソーが訂正してくれた。目を暗ます優越感は消え失せ、私は人間を尊敬することを学ぶ。

善なる意思は、自らの中に全ての価値を持ち、一つの宝石のように、それだけで光り輝く

人は哲学を学ぶことはできない。哲学することを学ぶことができるだけである。

マルキ・ド・サド

1740~1814 フランスの作家『ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』『ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え』『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』

神は美徳に向かう人間と悪徳に向かう人間と二つのタイプの人間を造ったが、善と悪の両方によって世界のバランスを取ろうとする企図がおありだからであろう。そうであれば、キリスト教が定めた美徳の勧めを偽善的に守ることも一つの生き方であろうが、悪徳に徹することも世間でいう神の栄光を表すための一つの生き方であろう。

私はこうした種類のことで考え得ることは全て考えた。しかし考えたことを全て実行したわけではなく、これからも勿論実行しないだろう。私は犯罪者ではなく、人殺しではなく、一個の啓蒙的無神論者に過ぎない。

ジェレミ・ベンサム

1748~1832 イギリスの哲学者

自然は人間を苦痛と快楽という、二つの主権者の支配の下においてきた。我々が何をしなければならないかを支持し、我々が何をするであろうかということを決定するのは、ただ苦痛と快楽だけである。一方において善悪の基準が、他方においては原因と結果の連続が、この二つの王座に繋がれている。

最大多数の最大幸福は、道徳と立法の基盤である

各人は等しく一人として数えられ、誰もそれ以上に数えられてはならない

いかなる法律も自由の侵害である

ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ

1762~1814 ドイツの哲学者『人間の使命』

日は昇っては沈む。星は沈んではまた現れる。あらゆる天体はその輪舞を踊る。しかしそれらは消えた時と同じ有様で現われることは決してない。生の光り輝く源泉そのもののうちには、生と絶えざる形成とがある。諸天体によってもたらされるどの時も、すなわちどの朝もどの夕べも、新しい繁栄をもって世界に下る。新しき生と新しき愛は、露滴が雲から滴るが如く、諸天体から滴り、涼しき夜が地を包むが如く、自然を包む。

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル

1770~1831 ドイツの哲学者『精神現象学』『大倫理学』『エンチクロペディー』『法哲学』

死を避け荒廃から身を清く保つ生命ではなく、死に耐え死の中で自らを維持する生命こそが、精神の生命である

真理とは酒の神バッカスの祭りの陶酔であり、そこにいあわせた人は誰一人として酔わぬことはない

理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である

世界史とは自由の意識の進歩を意味する

私は、皇帝、この世界精神が、町を通り陣地偵察の為に馬を進めるのを見た。一地点にあり馬車に座しながら、全世界を覆い支配する人を見ることは、何とも言えない気持ちがする。

ナポレオン・ボナパルトについて

近代においては政治的国家と市民社会が分離しているが、市民社会は自分のみの欲求を満たそうとする欲望の体系であるため、そのままでは様々な矛盾が生じる

アルトゥル・ショーペンハウアー

1788~1860 ドイツの哲学者『意志としての世界と表象としての世界』

人生は苦しみと退屈の間を、絶え間なく揺れ動いているよ

世界もしくは人類が、全て無上の幸福に恵まれるためには、時間というものをぴたりと停止してしまわなければならない

全ての人間の一生は、全体として通観すると、一つの悲劇であるが、部分的に眺めると、一つの喜劇である

仏陀、エックハルト、そして私は、本質的には同じことを教えている

アルトゥル・ショーペンハウアーの言葉

ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハ

1804~1872 ドイツの哲学者『キリスト教の本質』

『キリスト教の本質』ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハ

ジョン・スチュアート・ミル

1806~1873 イギリスの哲学者『自由論』『功利主義論』『代議制統治論』『女性の解放』

その名に値する唯一の自由は、我々が他者の幸福を奪おうとしたり、それを得ようとする他者の努力を邪魔せぬ限り、我々自身の幸福を我々自身の方法で追求する自由である。

満足した豚であるよりは不満足な人間である方がよく、満足した愚か者であるよりは不満足なソクラテスである方がよい

チャールズ・ダーウィン

1809~1882 イギリスの地質学者『種の起源』

殺人の自白をしているようだ

チャールズ・ダーウィンの言葉、自らの進化論に対して

最も困難なことは、誰を優秀なものと認めて、登録するかでしょう

チャールズ・ダーウィンの言葉、フランシス・ゴルドンの優生学に対して

【世界を変えた科学者】チャールズ・ダーウィンの生涯

カール・マルクス

1818~1883 哲学者 経済学者『資本論』『共産党宣言』

哲学者達は世界を様々に解釈してきたに過ぎない。重要なことは世界を変革することである。

歴史上のあらゆる偉大な事実と人物は二度現れると、ヘーゲルは言った。彼はこう付け加えるのを忘れた。最初は悲劇として、二度目は茶番として。

セーレン・キェルケゴール

1813~1855 デンマークの哲学者『不安の概念』『死にいたる病』

不安ほどの極度の拷問は、どんな宗教裁判所長でも用意しない

罪とは、人間が神の前に絶望して彼自身であろうと欲しないこと、乃至は人間が神の前に絶望して彼自身であろうと欲することである

人は他の何ものを知るより先に、自己みずからを学ばねばならない

この秘密を知るものは、私の全思想の鍵を得るものである

自らの婚約破棄について

アンリ・フレデリック・アミエル