脳の働き方のメカニズム・行動停止がつくる破滅

https://www.porsonale.co.jp/semi_i196.htm  より

脳の働き方には「ハード」と「ソフト」があります。

「ソフトウェア」とは、「言葉」と「行動」を生成するメカニズムのことです。

 ポルソナーレのカウンセリング・ゼミは、人間の脳の働き方の「ソフトウェアのメカニズム」の解明を徹底しておしすすめてきています。現在、「脳は、どのように行動を生成するのか?」「脳は、どのように、言葉を生成するのか?」について解析して、解明しています。

 しかし、このようにお話しても、「それが自分とどう関わりがあるのか?」とあまり関心をもてない人がいるかもしれません。

 あるいは、脳の「ソフトウェアのメカニズム」は、機械とか、建築材のようにじかに手で触って確かめたり、それらの物資が動いて何かを作り出すように結果が目に見えないので、「あまりにも抽象的な説明で難しいので、眠くなってくるよ」という人もいらっしゃるかもしれません。

 しかし、それでもポルソナーレのカウンセリング・ゼミが、「脳の働き方のソフトウェアのメカニズム」の解明をおしすすめてこれたのは、「脳の働き方の仕組み」を分かることによるメリットを理解していただけている現ゼミ生の皆さまのおかげです。たいへんにありがたく感謝いたしております。

 では、「脳の働き方のソフトウェアのメカニズム」を学習して分かるということには、どういうメリットがあるのでしょうか。

 人間の「行動」は「脳のソフトウェアのメカニズム」がつくり出すことは、サッと考えただけでも誰も否定しえないところです。人間の「行動」は今日一日元気で働けて、楽しい思いをして、夕方になって夜になり、「明日もきっと楽しいことがいっぱいあるぞ」と思えるようなものがもっとも望ましいものです。

 こういう「行動」は、みなさまが子どもの頃からずっとつづけてきて、くりかえしてきたものです。ふりかえって考えてみれば「明日もきっといいことがあって、楽しいことがあるよ」と思った場面が思い出されるでしょう。それは、年齢がふえるにしたがって、いろんな節目や、すてきな人との出会った体験の局面のことであるでしょう。

 もういちどふりかえってみてほしいのですが、そのように胸がときめいたり、体中に元気がみなぎったときというのは、「明日はこういうことをやろう」、「明日はこういうことを言おう」「明日は、こんなふうに工夫して試してみよう」「明日もまた、今日のように忘れずに、もっと熱心に集中してみよう」というように「言葉」が思い浮んだのではありませんか。

 こういう「言葉」が「行動」をつくり出します。「生成する」といいます。人間は、誰でも「自分が考えたとおりに行動する」のです。これを「経験同一化の法則」ということはよくご存知のとおりです。「言葉」(考えたこと)と「手、足の動きの行動は一義的にむすびついている」という意味です。

脳の働きによる行動の本質

 ところで、「行動」には二つの種類があります。

 一つは、「仕事をする」「勉強をする」「たくさんの未知の人と会い、関わりを広げつづける」という社会的な行動です。もう一つは、「長い間、薬を飲みつづけて家の外には一歩も出れず、家の中だけで過す」「ほんとうは、独立してアパートを借りて自活するべき年齢に達しているのだけれども、親と一緒に住んでいて、趣味や娯楽のために行動している」「人間関係というものにどうしても緊張感を感じるために、緊張しない家族とだけしか会話せずに、じかにしゃべらなくてもすむメールやネットのバーチャルの中の人間関係とだけ関わるための行動しかしたことがない」などといったものです。これは「半社会的な行動」です。「反」ではなくて「半分」しか社会的な行動がおこなわれていないという意味です。

 この二つの「行動」にはどういう違いがあるのでしょうか。

 「未来があるか、ないか」の違いがあるのです。「未来がある」とは、脳の働き方のソフトウェアのメカニズムにもとづいていうと「楽しいことがやってくる」、そして「自分だけに得することが手に入る」という結果のことをいいます。「未来がある」というとたいていの人は「明るい未来」「楽しい未来」というように「輝いている自分の状態」を思い浮べます。このイメージのとおりのことが「未来」の正しい意味です。「半分しか社会的な行動がおこなわれていない人」は「自分は楽しくない」「自分は得していない」と思っているのでしょうか。「働かないから楽だ」(楽しい)、「勉強していないから楽だ」「趣味とか娯楽、ネットで気晴らししておもしろい」と思っているのではないでしょうか。だから「自分にだって未来はあるよ」と思っているのでしょうか。みなさまは、まずこういう考え方になることはないにちがいありません。みなさまは、なぜこのようには考えないのでしょうか。

 自由という言葉があります。何ものにも「行動を規制されない」ということです。しかし、この「自由」とは、「社会的な行動」を支えて、支持するルールの範囲の中での「行動のしかた」のことです。「働かない」「勉強しない」などの「行動」は、誰も支持しません。

 支持しないとは、社会的に価値があるとは認められないということです。「働かない自由、勉強しない自由だってあるはずだ」という人がいるかもしれません。もちろん、それも「自由」です。それは、「生きるも自由、死ぬも自由」という個人の選択の結果の「自由」のことです。「どのように生きるか?」もしくは「生きたくないから死ぬのだ」という行動の選択は誰にも、どうすることもできないという「脳の働き方」の本質にかかわることです。脳の働き方の本質とは、「視床下部」という「欲の脳」といわれる恒常性(ホメオスタシス)にもとづいています。「自分は今、水を飲みたいと感じた」「自分は今、空腹で、食事を摂りたいと感じた」などというのが恒常性(ホメオスタシス)の機能です。このような欲求を「自然な欲求」といいます。「勉強をしたい」「人と仲良くしたい」というのも恒常性(ホメオスタシス)です。やはり視床下部が「欲求」をつくり出します。男性は「背内側核」がつくり出し、女性は「視索前野」がつくり出します。このような欲求は「人工的な欲求」といいます。

「行動」の根拠

 「人工的な欲求」とは「社会的な欲求」のことです。「勉強をする」「人間関係を充実させる」というのは「水を飲む」「食事を摂る」などの「自然な欲求」と同義です。同義とは、同じ内容と意味をもつ、ということです。「人工的な欲求」は「財力欲」「名誉欲」「権力欲」などという欲求の形式をもっています。これは、かくべつ「威張る」とか、「エラくなる」といったことを意味しません。「自然な欲求」を実現するために、社会の中で「行動の目標」として与えられている評価される価値の到達点といったほどの意味です。脳の働きの恒常性(ホメオスタシス)は、自然な欲求を実現するために「人工的な欲求」を実現しつづけるべきである、という「脳の働き方」を発達させてきた、というように理解することができます。自然な欲求(食欲、休息欲、性的な欲求の三つです)を実現するために「人工的な欲求」のための脳の働き方のソフトウェアのメカニズムが発達してきた、という理解の仕方になります。この「自然な欲求」を「人工的な欲求」として実現する行動の仕方を「自我」(じが)といいます。「自我」(じが)とは「自分の欲求は、自分の思うとおりに実現したい、自分の行動は、自分の思うとおりにあらわしたい」という欲求にもとづく身体行動のことをいいます。

 すると、「仕事をする」とか「勉強をする」というのは、「死ぬ自由」ではなくて「生きる自由」を実現しつづける「行動」のことを意味します。「脳の働き方のソフトウェアのメカニズム」を正しく分かるとは、「人間の最も望ましい生き方」も明らかになることでもあるのです。「仕事をせずに家の中に何年も引きこもる」とか、「家族に生活を依存して趣味や娯楽だけのために行動して社会的には無為に行動する」ことが皆さまにとって「望ましくない」と直感的に思われるのは「死ぬ自由を選択するに等しい」というイメージが「右脳」に表象するからです。

 「水を飲むことを止めなさい」「ご飯を食べることを止めなさい」「夜、眠ることを止めなさい」ということを強いられたら誰もが心おだやかではいられません。

 「勉強することを止めている人」「仕事をすることを放棄している人」は、今、たしかに「水を飲む」とか「ご飯を食べた」という事実はあっても、脳の働き方のメカニズムは「今、自分は水を飲んでいない」「自分は、ここ何年もご飯を食べていない」といった「死ぬ自由を選んでいる不安」の中で、仮に「生きている」といえます。皆さまが、「仕事をしない生活」や「勉強をしない生活」に魅力を感じないのは、それが、ただ人生を浪費するだけだから、というだけの理由ではないことはよくお分りいただけていると思います。

「行動」の浪費

 「浪費」とは何でしょうか。「花ビンの中で咲いている活花」と同じ生き方のことです。根がなく、球根もないので、その場限りの生き方しかできないという意味です。「活花」は、せいぜい生きて一週間といったところでしょう。「浪費する人生」も、せいぜい保てて「3日くらい」といったところではないでしょうか。

 ところで、人は、何のために仕事をして、そして、勉強をつづけるのでしょうか。「財力」「名誉力」「権力」などに象徴される欲求を実現することを「社会的な行動」の目的にするのでしょうか。一つは「自分のため」です。もう一つは「他者のため」です。「自分のため」というのは、経済学ふうにいうと「信用」と「交通」を手に入れるということです。「信用」とは何か?というと「価値ある有意義な言葉(情報でもいいのですが)を受け取る能力」のことです。皆さまも、直感的に、「勢いのある人の所へは出かけて行って話をしたい」とお思いになるでしょう。これが「信用」ということです。「勢いの無い人」とは、「自分の過去の不安のことばかりしか話さず、他者に過去の不快な言葉しか与えない人」というのが典型です。「何をやってもムダ」「何もしたくない」「やっても何もならない」などというような話ばかりを聞くと同じイメージが「右脳」に思い浮び、憂うつになるでしょう。この人は「信用がない」ので、誰もが近づいて行くことを避けます。「交通」とは、自分の生活にとって必要で有益なものが、いろんなところから運ばれてくる、ということです。もちろん、自分が出かけて行って手に入れることも含みます。「本を読む」「新聞を読む」なども「交通」です。

 ポルソナーレのカウンセラー養成ゼミでは高木徹のノンフィクション『大仏破壊』(文春文庫)をとりあげてご紹介しました。「9・11」の数年前から「アルカイダ」とか「タリバン」などの情報が断片的に報道されていました。日本のテレビは、「お茶の間」向けというコンセプトで、こういう国際情勢については報道していませんでした。しかし、世界は、「アフガニスタンの女性弾圧政策」の批難などのニュースが飛びかっていました。高木徹は、日本人のこのような「内向きの盲目状態」にくりかえし不満を書いています。「交通」とは、このような現実のリアルな実体についての言葉を、つねに手に入れつづけることをいいます。

 「他者のため」とは、何のことでしょうか。これが今回の本ゼミの主題です。「他者のため」に勉強する、もしくは仕事をする、ということの具体的な事例をご紹介します。

 黒沼克史(くろぬまかつし)が書いた『少年にわが子を殺された親たち』(文春文庫)の中のエピソードです。

『少年にわが子を殺された親たち』

(黒沼克史、文春文庫、敬称略)

1992年(平成4年)1月28日。

沖縄県石垣市。石垣中学2年生田本任(まこと)は、中学2年生6人、中学1年生3人の9人によって集団暴行を受けた。

学校帰りに金を要求された。金を持っていなかったので殴られた。これが一回目の暴行だった。

1992年2月2日。田本任(まこと)は、二度目の集団暴行を受けた。二度目は、金を要求された。自宅にいるところを電話で呼び出された。

200円を渡した。「何でそれしか持って来ない。10分以内にあと千円持って来い」と要求された。

田本任(まこと)は、友だちに借りてきて要求額を渡した。

だが、それでも殴られた。

田本任(まこと)は、新栄公園に連れてこられた。7時を回った時刻だった。

田本任(まこと)は2ヵ月後には最上級生になる。正義感がつよい田本任(まこと)は、「自分が3年生になったら、金銭の巻き上げを止めさせる、不良のいない中学校にする」と公言していた。田本任(まこと)は、身長一七二センチだった。

リーダー格の2年生が「3年になったら、おれたちを殴ると言っただろう」と田本任(まこと)の顔面を殴った。任(まこと)は反撃していない。手が痛くなると道路工事の時に立てておく三角錐(すい)の「カラーコン」で殴った。一人が任(まこと)の右腕を引っぱり、もう一人が左腕を引っぱって十字架にして動けないところを走ってきて飛び蹴りを入れる。

田本任(まこと)は鼻血を出す。命じられてトイレで顔を洗う。人の気配がした。少年たちは、樹木が植えてある小高い丘に移動した。その丘の上でも、木の枝を使って殴打した。逃げないようにスクラムを組んで、この輪の中に任(まこと)を閉じ込めて蹴り、踏みつけた。

「大人に見られた」という声が上がり、こんどは市民会館の駐車場に移動した。9人がいちどに移動すると目立つので、二手に分かれて移動した。この移動の路上と駐車場の奥でも、殴る、蹴るの暴行を加えた。任(まこと)はこの段階で足を引きずり、首を大きく腫れ上がらせた。目も腫れ上がった。少年たちは気づいていた。

暴行はまだつづいた。第五、第六の現場は、倉庫街だった。夜になると人通りがめっきり少なくなる。殴りすぎて手が痛くなった少年がいた。そこで、拾ってきたアルミ棒と角材で殴った。人の気配がして死角の多いコンテナ置き場に移動した。

1年生はコンテナに隠れて見張りをおこなう。殴り疲れたという1人がジャンケンで1人10分ずつ殴る。

1人が10分を時計で計った。

ここでも角材を拾い振り回した。

この場所が、引っぱり回された7ヵ所目の暴行現場だった。

「疲れた」と言って田本任(まこと)は動かなくなった。少年らは任(まこと)を抱きかかえて近くのマンションに連れていく。三階までは階段を歩いて歩いて行く。

屋上まで連れていった。誰とも会わない。踊り場や壁、床に田本任(まこと)の出血した血が落ちて付いた。

少年らは、氷、スナック菓子、飲み物、タバコを買いに行く。氷で任(まこと)を冷やした。「冷たい」という声を聞いた者もいる。血の混じった嘔吐(おうと)をしてから声も出なくなった。

ここでようやく救急車を呼ぼうという声が出た。少年らは3階まで、田本任(まこと)を連れおろした。だが、非常階段に通じる踊り場に放置して逃げた。

1992年2月4日。

田本義光(よしみつ)が帰宅したのは夜10時すぎだった。

同居している実の妹が待っていた。

「みんな、沖縄県立八重山病院に行っている」。

任(まこと)が救急車で運ばれた、と言う。父親の義光は病院に行く。

「顔からぼんぼん血が出ている。目からも耳からも血が出ていた。助かっても植物人間だ、と病院の先生から言われた」

「息を引き取る前に、まことー、絶対にカタキを取ってやるからなーって耳元で言いながら手を握った。握り返してきたんだよ。僕には、頼む、カタキをとってくれという感覚が残っている」

死因は、脳の硬膜下出血だった。頭部へのしつような打撃によって内部で多量の出血が起きた。その血が脳を圧迫して致命的な原因になった。

田本義光は写真を撮った。

「手術前」「手術後」の写真だ。酸素を送る太い管が口に固定されている。鼻に入れられた細い管は血色に染まっている。

眼部はどす黒く腫れ上がっている。

タバコの火で焼かれた指は、表皮を溶かして白い肉を露出させている。小さな表皮の剥奪(はくだつ)は全身に広がっている。

暴行を加えた少年たちは、13歳と14歳だった。13歳は、刑法41条が「14歳に満たない者の行為は罰しない」と定める。

刑事責任はない。

集団暴行は、任(まこと)が死亡したことで「傷害致死事件」になった。

6人の「2年生」はその日のうちに補導された。主犯格の14歳の3人が逮捕された。

教育関係者の反応は早かった。

記者会見を開いて23項目に及ぶ対応策を発表した。

田本義光は、学校を訪ねた教頭主任の教諭に会った。

逮捕されなかった「少年」らと会った。

「涙も、土下座もない。彼らはただ黙って頭を下げるだけだった」。

事情を聞くと信じられないような金銭巻き上げの実態が分かってきた。3年生を頂点とした金銭巻き上げがおこなわれていた。

1年生と2年生の不良グループが巻き上げたお金を3年生の不良グループに上納する、というシステムだ。曜日ごとに受け取る3年生が決まっている。月曜日はA、火曜日はB、水曜日はC、木曜日はDだ。一日飛んで土曜日はA、B、C、Dの4人で山分けする。

金曜日と日曜日は「ハンパー・デイ」だ。

4人のボス以外のハンパな3年生が分け合う。金額も決まっている。1日2万円だ。

1年生と2年生が半額ずつ負担していた。事件の日は、2万5千円に上がっていた。不良グループは1年生が6人、2年生が8人だ。ノルマは1人あたり1日1,500円から2,000円になる。彼らは、少し多目に巻き上げて余った金を自分たちが使っていた。

3年生が田本任(まこと)への暴力を命じていた、という話も出た。

3年生のたまり場は、暴力団関係者の事務所だという。

「その暴力団事務所に行って、出入りしている3人を呼び出せと言った。

18名くらいがぞろぞろと僕の家に来た。ノートを渡して、正直に書けと言った。その後、街で見かけた3年生を殴った。警察からこれ以上手を出したら落ち度になると止められた。絶対に許せんと思うけどどうしようもない」

1992年6月22日。

事件から4ヵ月が過ぎた。

田本義光は「那覇地方裁判所石垣支部」に訴状を出した。加害少年とその親、中学校を管理する立場にある「石垣市」を相手に加えて総額二億四三○○万円の損害賠償を求めた。

逮捕された14歳の3人は、家庭裁判所の「審判」によって「初等少年院」への送致が決まった。この3人に遅れて犯行当時13歳だった2年生が1人、初等少年院送致になった。家庭裁判所の「審判決定日」までに誕生日を迎えての「送致」だった。

「少年院送致」の「保護処分」を受けたのはこの4人だけだった。「2人の2年生」は自宅で謹慎した。

だが、「1年生の3人」は、事件の直後に登校していた。

田本義光が学校を訪ねて、教務主任と「暴行現場」を回った時、「リーダー格の1年生の少年」がいた。

「少年法のことはよく分からないから、どうしてみんな逮捕されないのか?と思ったよ。僕に言わせると少年院も形だけのこととしか思えない。

半年とかそこらで帰ってくる。裁判所に出廷した時も髪を赤く染めているし、ピアスもつけている。反省しているようには見えない。みんな、何事もなかったように、中学を卒業していったさ」。

少年たちの多くは「長期欠席児童」だった。とくに2年生はひどい。

100日以上の欠席はざらで、二学期からほとんど学校に顔を出していない少年もいる。登校したらしたで、ろくに授業には出ない。校内をフラつく。

そして悪さをする。親と連絡をとって指導してもまるで効果がない。

学校もお手上げの状態だった。それは、家に引きこもってパソコンに熱中するようなタイプの不登校とは違う。時期がくれば解決するようなものではなかった。

2月27日。「集団暴行を考える緊急PTA集会」が開かれた。

それまでにも「金銭巻き上げ」や「集団暴行」が問題になっていた。学校側がうやむやにしてきたことがこの集会で明るみに出た。

「昨年の9月、運動会当日に小学6年生が暴行された。石垣中学の3人が教室に呼び出して金属性の棒、カサ、ほうきなどで殴り、小学生は全身に打撲傷を負った」というものだ。

この時の主犯格と暴行を加えた1人が田本任(まこと)の加害者だった。

12月には、「石垣二中」の生徒が「新栄公園」のトイレのあたりで、10人近い他校の生徒から集団暴行を受けた。このうち加害者の3人が「田本任(まこと)事件」とダブっている。「緊急PTA集会」は学校への不信が渦巻いた。

裁判は、4年、5年と月日を重ねても終わらないまま7年目の「七回忌」を迎えた。

田本の妻、美佐子は息子を殺されたショックで、1年も2年も家から出ることができなかった。

裁判が長引くにつれて家業の「田本工業」の行方に不安を覚えるようになった。家族の生活もある。経営もグラつきはじめた。妻は「裁判なんか早く終わらせてほしい」と言う。義光は「じゃあ、お前は自分の子どもが殺されて泣き寝入りしろと言うのか」と言う。二人はしょっちゅう喧嘩した。

だが、妻の美佐子の方が怒りは激しかった。

「私は、任(まこと)が亡くなるまで病院で付添をしました。加害者の中に小学校の時に親しかったA君、B君も入っていて、お互いの両親も知っていただけに残念です。その加害者の母親にも今の私の苦しみを味わわせてやりたい気持ちです。加害者の子らには厳しく罰してほしいと思っています」。

まず、葬儀費だけで一五○○万円かかった。訴訟は印紙を訴状に貼る。その印紙代は一○○万円を超えた。

「裁判関係で最初八○○万円入れた。次に四○○万円入れた。あと二○○万円。二五○○万円使って、全部で四○○万円かかっている。借金がふくらんだ」(田本の話)。

裁判は、「和解」に入った。

一件が九五年に六○○万円を払った。あとはみんな弁護士をとおして分割にしてくれと要求してきた。月々、5万円だ。2件が三回分を払って自己破産した。

市との和解は、一二○○万円だった。

1996年7月1日。

石垣市内の「高校2年生」が友人ら5人の集団暴行を受けて死亡するという事件が起きた。田本任(まこと)が殺害されてから4年後の事件だった。

被害にあったのは「富永政信、広美」夫妻の次男「政貴」だった。

田本は遺族に香典を送った。田本の事件が起きた平成4年は「傷害」「殺人」「暴行」の合計した「少年」による事件はそれぞれ八八○七件、八二件、一九三一件、合計二万一二二九件、平成8年は「一日28人」が検挙されている。

母親の広美が田本の家に電話をかけた。訃報(ふほう)を聞いてかけつけてきた姑に言われた。

「今のあなたの気持ちは肉親の私にも分からない。何を、どうしなさいと教えられない。その気持ちは、田本さんにしか分からないでしょう。田本さんにすがりたいなら、すがればいいのよ」。

「すがれるものには何でもすがりなさい」という言葉に勇気づけられたのだ。

田本が電話に出た。広美はその日まで目から出るはずの涙がノドの奥にたまっていたような感じだった。苦しかった。初めての田本の声を聞いたとたんに、たまっていた涙があふれてきた。

「調書には、自分の本当の気持ちを書かないと後悔するよ。僕の妻は、殺してやりたいって書いたよ」。

田本の言葉で気持ちが強くなった。勇気づけてくれる田本がいなかったら「押しつぶされていたかもしれない」(広美の話)。

「この子たちのやったことは許せない、絶対に。日がたつにつれて怒りがこみあげてきます」。

加害者の少年の5人のうち、3人のことは広美も知っていた。「政貴」の親友ともいえる少年も1人いる。

少年たちの母親の中には、広美の学生時代の同級生もいた。

富永夫妻は、「裁判」を起こすことにした。きっかけは、加害者の親たちの誠意がまるで感じられないからだった。

葬儀の時に加害者一人の父親が何の謝罪の言葉もないままに家に上りこんで焼香した。誰も加害者の親とは思わなかった。

広美の同級生だったという母親が来た。「広美、あんたの優しさがアダになったよね」と言って背中をポンと叩いた。広美の姉が仏壇の前から連れ出すと「うちの子も加害者みたい」と言った。

四十九日に焼香に来たのは、親友だった少年の父親だけだった。

広美は、加害者の少年の家に電話をした。父親が出た。

「人の子どもを殺しておいて、うんともすんともないのはどういうつもりですか?」

「ぼくには関係ありません。子どもがやったことです。今、弁護士と対策を相談しています」。

広美は、政信にこのことを話した。

「なにーっ、そんなことを言ったか、それは絶対に許せない!!」。

広美は、裁判をしようと決心するまでは世間から逃げるように生活してきた。仕事も退職した。みんなが事件のことを知っている。行く先々で声をかけてくれる。そのたびに涙が出てくる。仕事にならなかったのだ。

一年くらいたってから、誘われてレストランに同行した。そこに同級生だったという加害者の母親がいた。

加害者の少年は「少年院」に送致されている。いつか読ませてやろうと思っていつも持っていたその少年の「供述書」を、広美の姉が、広美のバックから取り出した。

加害者の母親のテーブルに行く。

祖父をまじえて一家で、明るく、楽しく食事をしていた。

「あんたたちの子どもがやったことだから読みなさい。政貴をあんなことにしておいて、あんたたちは家族そろって食事ですか」

広美が姉の後からついてきた。

「あっ、広美。こんな所で」とその同級生の母親が言う。

一年間、つもりつもった気持ちがこみあげてきて広美は、その母親の横顔の面を叩いていた。

殺された政貴の親友Bの父親は毎月、焼香をたやさなかった。

他の親のように弁護士をつけて争うことはしなかった。できるだけの努力をして償いをしていくという姿勢を見せていた。B少年の父親は、少年院の退院を半年延ばした。富永夫妻への配慮だった。Bが父親と一緒に富永宅を訪れた。

「息子も一緒ですが、いいでしょうか」

広美は断りきれなかった。Bはずっとうつむいている。政信が何かを言うと肩がピクッと動く。

「この子は重さに耐えきれなくてダメになるんじゃないか、間違ったら自殺するんじゃないか、そう思ったんですね」。叩かんといかん、と思った。叩くことで、何かを吹っ切れるかもしれない。「私は、叩いたんです」。何発か顔を叩いた。政信が止めに入った。

「いいんですよ、いいんですよ、叩いてください」Bの父親が言った。

「あんただけはかばってくれると思った。そして、帰れっと言った」。

裁判で一回目の和解金額が提示された。4家族の提示だ。4家族の合計で「一○○万円」と言ってきた。その後、「一家族一○○万円」になった。

「3日くらいで一○○万円集めて、あなた方を殺してあげましょうかと言いたい気持ちだった。本当に頭に来た」(政信)

1998年12月25日。裁判で判決が言い渡された。判決は、富永夫妻が請求したとおり「約八四○○万円」を支払うよう命じた。四家族への支払命令だった。

「保護下にある被告らに対し、指導、監督の責任を尽さないか、その責任を放棄していた」(裁判長)。

「さらに一家族は、死んだ政貴への慰謝料二四○○万円を支払うのが相当である」。

「親」の脳の働きが「子ども」の脳の働き方の一生を左右する

 ご紹介した事例は、「脳の働き方のソフトウェアのメカニズム」としての概念の「行動停止」と「半行動停止」のケーススタディです。「行動停止」も「半行動停止」も病理を生み出します。病理の特性は、「集団暴行」に象徴される現実破壊を生み出します。そういう因果関係になっているというのが「脳の働き方」のメカニズムです。

 事例で注目されるのは「集団暴行」をおこなった13歳、14歳の少年らの「親」です。「行動停止」といっても、親のどこが行動停止なのか?と多くの人は思うに違いありません。

 「裁判の判決」でのべられているように、「子どもへの教育の責任を果していない」ことが当てはまります。これが、子どもの「学校に行かない」「学校に行っても授業に参加しない」という行動停止の原因になっています。

 脳の働き方のソフトウェアの概念の「行動」とは、「現実を必要とする」という意味の言葉です。現実とは「今日の行動」のことです。「今日の行動」とは、脳の働き方に即していえば「認知されている事実と事実関係」のことです。「今日の行動」は「明日」につながります。例えば「今日食事をした。だから、明日も身体が動く」といったことが「明日」につながる内容です。「学校に行くべきである」「学校の授業を受けて、教科書の言葉を学ぶべきである」というのが「学校」「行く」「勉強」「学ぶ」の認知です。そして、子どもに向けて「発語する」ことが「親」による認識になるのです。このように発語(話すこと)をしなかった「親」は「しなかった」ことが「行動停止」に当ります。すると、「今日、食事をしなかった」ことと同じように「空腹で動けない」ことと同義の「学校に行かない」「勉強を放棄する」という「現実を必要としない行動」をつくり出しています。

 「現実を必要としない」とは『初期ノート』の中の吉本隆明氏の言葉です。この「現実」とは「今日、食事をしたので、明日も身体が健全に動く」という「未来の意味」を内容にしていることはよくお分りのとおりです。

 事例の親の言い分が想定されます。「僕には関係ありません。あれは子どものやったことです」(加害者の父親の言葉)と語る親は「何度も学校に行くように言いました。言うことを聞かない。もうどうしようもないじゃないですか」、と弁明するでしょう。

薬を飲ませる家族も「半行動停止の人」

 これが「半行動停止」のケースです。

 「学校に行ってもムダ」「勉強してそれが何になる」「勉強すると疲れて、ぜんぜんおもしろくない」という言葉(右脳に表象されるイメージ)があって、「学校」や「勉強」を「パターン認知」として記憶していないことが「半行動停止」です。「学校へ行くように言った」という時の「学校」は単に「記号としてのコトバ」にしかすぎません。

 「学校」「勉強」にたいして距離をとって客観的に見るのではなく、「自分はこう思った」「人がこう言っている」(多元的無知)など距離の無い(パターン認知の記憶の無い)という認識の言葉が「記号としてのコトバ」です。これは「右脳系の大脳辺縁系」の「線状体」が不安のイメージを思い浮べさせます。「子どもが学校へ行き、勉強にとりくむ」ことに不安を感じます。

 「子どもが学校に行かず、破滅行動をする」と「安心」します。

 「僕には関係ありません。子どもがやったことですから」の発言は、血縁関係として地続きにある人間の「感情」「欲求」が同化していて、一体になった「左手意識」(子ども意識)が表象されています。

  このような脳の働き方は「家に薬物療法の人がいる」「引きこもりがいる」などのケースにも共通します。