想像と祈り

http://sadhana.jp/sozo/sozo-1.html  より

【1】想像力を用いた祈り―その力と恵み―

  神様は霊でおられ、またそのお恵みも霊的な働きです。ですから、神様がおられることも、働いていてくださることも、感覚に直接に感じ取れません。

 しかし実際に居られるのです。また、働いてくださっています。ですから、そのことは想像することで、私たち自然レベルに生きる人間も、神への接近のために助けが得られます。

 サダナでは、じっくりと体の感覚を呼びさまし、感性を活発に鋭敏に研ぎ澄ました後、「想像力を用いた祈り」をします。想像力を用いると、神様が人間にどれほど力強くきめ細やかな心遣いで世話してくださっているかを感じやすくなります。そして、その感動や感謝は、神様への限りない祈りとしてあふれでていきます。

【2】たんぽぽときつねとさくらんぼ ―想像力の訓練―

 ここで、いちど、想像力のトレーニングをしておきましょう。次に示す枠組みのもとで、

自由に登場者たちに話し合いをさせてください。まったく、自由に、あなた独自の“物語”を繰り広げてみてください。

《枠組み》

たんぽぽときつねとさくらんぼが話し合います。

初めは、たんぽぽときつねの対話から。あなたは、たんぽぽになってきつねに話しかけてください。あなたは、何と話しかけますか? それに対して、きつねは何と答えますか? しばらく、話し合いを続けてください(あなたは、きつねにもなることができます)。(約8分)

次に、さくらんぼが、話し合いに加わります。あなたは、さくらんぼになって、たんぽぽときつねに話しかけてください。あなたは、何と話しかけますか? それに対して、たんぽぽときつねは何と答えますか。

しばらく、話し合いを続けてください。(約8分)

  

(注)サダナでは、このような想像の力を活発に用いようとします。しかし、それは、静かな平静さと、澄んだ透明な心を得てから、行うようにしていきます。

【3】福音の場面を想像し、自分もその中でイエスに出会う――神殿でシメオンと共に聖家族に出会う――

  新約聖書の福音(注1)のエピソードの中に、想像の力で入ってみましょう。そして、イエスとの積極的な出会いを達成するようにしましょう。

 ここでは、神殿で、救い主に会えるよう待っていたシメオン老人が、幼子イエスに出会う場面を取り上げます。《ルカによる福音書2章25~35節(注2)》

――進行役に言葉をかけてもらいながら、想像します。――

 あなたはエルサレムの神殿に行きます。

 中庭に入ります。 

 中庭の様子を活き活きと想像してください。

 広さは? 地面の感じは? 人々は多いですか、少ないですか? 

 神殿に近づきます。

 神殿を生き生きと想像してください。

 大きさは? 形は? 作ってある材料は?

 神殿の入り口には石段があります。

 どんな石段ですか?想像してください。

 大きさは? 形は?

 石段半ば辺りに一人の老人が座っています。

 老人の様子を活き活きと想像してください。

 どのようなポーズ? どのような着物? 顔の表情は?

 あなたも、その老人の脇に座ります。

 あなたが境内の様子や、人々を観察していると、シメオン老人が静かに立ち上がって、まっすぐに一つの方角をめざして行きます。

 あなたも、立ち上がってついて行きます。

 シメオンが一心に顔を向けている方向に、父親と幼児を抱いた若い妻とが見えます。

 シメオンはずんずんとその若い夫婦のところに近づきます。

 この若い夫婦の姿を想像してください。

 夫のヨセフの姿は、どのようですか? 

 妻のマリアの姿は、どのようですか? 

 妻のマリアはかわいい幼子を抱いています。

 その幼子の姿をよく想像してください。

 近づいたシメオンに、妻マリアは幼子を抱かせてあげます。

 シメオンは、この子を抱き神をたたえて言います

 「主よ、今こそあなたはお言葉どおり、・・・・・」。

 やがてシメオンは、聖家族のもとを離れ、神殿から出て行きます。

 あなただけが聖家族と共に残ります。あなたはどう感じますか?

 間もなくマリア様は、幼子をあなたに抱かせてくださいます。

 あなたは幼子を抱きます。

 どういう感じがしますか? 重いですか? 軽いですか? 温かいですか? 

 何か匂いを感じますか?

 しばらく、幼子を抱いていてください。

 どのような気持ちになりますか? 

 抱きながら、神様に向かって話しかけたくなれば、自然な心持ちで神様に話してください。

 さあ、お別れする時がきました。あなたは、マリア様に幼子を返します。

 そして、お二人に挨拶して外に出ます。

 外に出ると、どういう感じがしますか?

(注1) 福音 

  福音とは、本来「良い知らせ」の意。ここでは、イエス・キリストが人としてこの世におられた間に行なった数々の出来事を指している。

(注2)ルカによる福音書2章25節~35節

 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。

 「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、このしもべを安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」

父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。

 「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」(新共同訳聖書より)

想像と祈り

【4】 仲間のためにする「執り成しの祈り」 ――想像力を生かして――

 この「執り成しの祈り」は、仲間(グループ)との祈りの集いなどで行うことができる祈り方です。

 イエス様が、私たちひとりひとりの頭の上に手を伸べて、祝福してくださる姿を想像しながら祈ります。私自身ばかりでなく、今、共に祈っている仲間の祝福を願って、イエス様に執り成します。

 具体的には次のようなプロセスとなります。

――進行役に言葉をかけてもらいながら、想像します。但し、⑦の時点では、暫く沈黙の中で、それぞれが按配して祈ります。――

①グループ全員で、輪になるように着席します。

②グループ全員が各々、十字架の上で苦しみを受けておられるイエス様のお顔を思い描きます。

③そのお顔をじっと見つめます。(1分くらい)

④次に、復活されて喜びの表情に変わるイエス様のお顔を思い描きます。(1分くらい)

⑤喜びの表情のイエス様があなたの前に立たれて、両手をあなたの頭の上に伸べて祝福してくださる姿を思い描きます。どうぞ、ご自身のために、イエス様の豊かな祝福をお祈りください。(2分くらい)

⑥イエス様は、あなたの右隣りの人の所に移られ、また両手を伸べられます。その方のために執り成しの祈りをしましょう。(2分くらい)

⑦同様に、ひとりひとりに2分ずつ時間をとって、右隣りへ右隣りへと、執り成してゆきます。

⑧最後に、この場に臨席していない重要な2人のために祈ります。ひとりは、「私のことを嫌っている人」、もうひとりは「私が嫌っている人」です。

 4人から7人くらいのグループであれば、全員が一つの輪になって座り、全員のために執り成します。

 グループの人数が多い場合は、輪が大きくなったり、二重三重の輪になります。こういう場合は、イエス様に、先ず自分の右隣りへ、右隣りへ、その後は、自分の左隣りへ、左隣りへ、というように移動していただきます。このように、5人~7人ほどのために、一生懸命集中して、執り成しの祈りをします。

【5】 イエスの御名の祈りの応用形――イエスの御名をすべてに向けて――

 イエスのお名前を唱える祈り方を、実生活におけるどの場もすべて、聖化されることを目指して応用してみます。この祈り方は、「イエスの御名の祈り」(注)になじみが深くなってから行うと、効果的です。

 意識においては、イエスの御名を敬虔な気持ちで唱えることが続きます。内的に御名を唱えながら、活発に想像しますが、その想像は、自分が関わる物すべてを、一つ一つ思い描いて行きます。具体的には、次のようになります。

 自分の洗面台を思い描き、その洗面台に向けて、「(主)イエス」。洗面台の鏡を思い描き、その鏡に向けて、「(主)イエス」。自分の机を思い描き、その机に向けて、「(主)イエス」。自分の電話機を思い描き、その電話機に向けて、「(主)イエス」、というように・・・・・。その他、引き続き、自分の携帯電話、調理場のまな板、ガス台、蛇口、食堂のテーブル、自分の家全体、道路のバス停、街のコンビニ、最寄りの駅舎、自分の町全体、・・・・・などへと御名を唱えます。

 願いは、明らかです。自分の生活のすみずみまで、イエスと共にありたいのです。自分が関わるすべての物事を、聖化したいのです。こうして、唱えかける対象は当然に、小さな具体的などのようなものでも、また広い、日本全体や地球をも思い描くことができます。

 地味な祈り方ですが、素晴らしいところを目指しています。自分の関わるすべての物事、自分が身を置くすべての場を、イエス様とともに聖なるものへと高めようとします。そして、長い道のりであるとはいえ、この求めは無駄にはなりません。いつどこにでも臨在しておられる神様において、すべての物事は聖なるものになり得ます。

 速やかな効果を追おうとせず、根気強く続けましょう。

(注)「イエスの御名の祈り」は、「体(呼吸)と祈り」のコーナーの5番目に説明されています。

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