瞑想は無我夢中になる方法?

http://meiso.love/paged=3&gclid=EAIaIQobChMI9OW0iu_12QIVwwcqCh3_Rw18EAAYASAAEgKcLvD_BwE  より

瞑想するとどうなるのでしょうか? 幸せになるのでしょうか?

そのことは、バガヴァッド・ギーターの中で、こう書かれています。

無心に一生懸命に行うと宇宙の法則に従う

バガヴァッドギーターの中で、創造神のクリシュナは言います。

「単なる道具になれ」

無我夢中で何かを行えば、それは神が定めた通りの結果になると書かれています。

自分の損得を考えず、無我夢中で行うことが重要だということでしょう。

そのように無我夢中で何かを行えば、あなたが生まれてきた理由がわかるということです。

その最短の方法が、瞑想であるとギーターに書かれています。

瞑想とは、無我夢中になるための方法だと言えるのではないでしょうか。

会うべき人に会える、出会うべき人と出会う、そんな引き寄せがあります。

実は、今日、母校で開催された心理学の勉強会に、たまたま誘われて出席しました。

心理学には興味があったものの、友人は都合で欠席、直接仕事に関係するわけではないし、かなり専門的なテーマなので出なくても良いかとも思いましたが、誰一人知り合いのいない勉強会に一人で参加したのです。

引き寄せ効果、びっくりする出会いが!

勉強会の内容は、自分で想像していたものよりも、自分の仕事に関係が深く、非常に勉強になりました。

しかし、それが良い出会いである事は事実なのですが、いえいえ、それ以外にビックリすることがありました。勉強会が終わり、そのまま懇親会が行われました。いわゆる、同じ心理学科卒業の皆さんが集まる会だったので、同窓生が殆ど、だから飲む飲む!

途中、半分くらいがお帰りになるも、僕は何となく、風を感じて苦手なお酒にお付き合い。

引き寄せで、なんと小学校の先輩が!

話が出身地の話題になると、「あら、**さんも市原市だったわよ」と同郷の人がいるみたい。

その人は別のテーブルで歓談中。

残る人数がかなり減ったところで、テーブルが1つに。

そこで、先ほどの方と話すと、なんとなんと!

小学校の1つに上の先輩で、中学も一緒、高校も一緒、大学も一緒! 確かにお顔に見覚えがあります。

今住んでいる街も一緒、歩いて数分。いやぁ、こんなことってあるんですね。

なんとなく風を感じて、最後まで残っていて、いやぁ、面白いですね。

引き寄せは、理屈じゃありません

こういった引き寄せは、実は、僕には日常茶飯事です。

僕を知っている人は、人脈製造機、人脈HUBと言います。

必要な人に会える確率は、9割を超えると思います。

なぜ、そんなことができるのでしょうか。

端的に言えば、一瞬の瞑想の力です。

瞬間的な瞑想状態の中で、何かを感じているのです。

それは五感では察知できない風のようなものです。

「今日僕は、心理学の勉強会に行きたいの?」

と、その瞬間の瞑想の中で問いかけます。

普通、自問自答というのは、損得だとか体調だとか、行くべきかどうかだとか、現世的なしがらみを基準に判断しますね。

ところが、瞑想の中での問いかけは、心の奥底の言葉にならないものとの対話です。

明確な言葉で答えが返ってくるわけではありません。

そう、風を感じる、という雰囲気です。

一瞬の瞑想、ぜひ、お試しください。一瞬、頭を空っぽにするだけです。痴呆のようなボケた感じだと思います。

何か起きると思います。

瞑想の目的と手段について原書を開いてみます。

バガヴァッド・ギーターの中でクリシュナ(創造神)は語ります。

「美容・健康体操は、それ自体はヨーガではないし、瞑想でもない」

ヨーガ・スートラの中でパタンジャリ(著者)は語ります。

「美容・健康体操は、それ自体はヨーガではないし、瞑想でもない」

古代のインド哲学では、このようにヨーガと体操を分けて考えています。しかし、今行われているヨガを否定するわけではありません。 ヨーガとは「真理へ向かう方法」という意味で、様々な形態があるとされています。

たとえば、勉強のヨーガ、思考のヨーガ、体操のヨーガ、スポーツのヨーガ、戦いのヨーガというようなものです。

ゴールは真理を理解すること

つまり、ゴールであるこの世の真理を理解する方法をヨーガといいます。その中に、いろいろな種類があるということです。

ただ、数多くあるヨーガの中でも「瞑想」が重要で、もっとも近道であるとされています。

瞑想を手に入れるには

もう少し具体的に言えば、正しい瞑想を手に入れるために、そのほかの多くのヨーガがあるということになります。

ですから、美容・健康にいいヨガ(体操)も、より良き瞑想に入るための1つの手段です。

座禅も、より良き瞑想に入るための手段です。

スポーツや芸術も瞑想に近づきます。

瞑想は肉体から離れるということ

どの書物でも、瞑想は肉体と精神を切り離す作業だと説かれています。

「ヨガ(健康体操)が瞑想ではない」という意味は、瞑想が完成すると肉体が精神から切り離されるわけですから、体操(ヨガ)自体が意味を持たなくなります。 それゆえ、健康や美容に目を奪われているうちは瞑想には届きません。瞑想に届かないのですから、ヨガ(体操)自体の健康・美容効果も薄くなります。 まさに、禅問答ですね。

このように、考えること自体がヨーガであり、瞑想に近づいているということを意識しましょう。

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