https://ins8.net/souhotaitai6 より
まず、私は無から分離した。
分離の可能は空間(距離)を前提とする。
そこから空間が拡がりはじめた。
空間の出現によって、私といくつものあなたが生じた。
そのすべては、あらゆる方向へ移動し変化をはじめた。
観察する私は、そこから時間の流れを経験しはじめた。
すかさず私は私の継続を決定した。
その瞬間から、私は固有の位置と固有の時間軸を持つことになった。
この記憶を封印し続けておくために、
私はねじれを生じ、動き続ける波の集合体を持つことになった。
この集合体は大地の上にあり、その大地は回転と移動を繰り返す。
大地を照らす太陽すら移動していて、天体すべてが止まることはない。
ありとあらゆるすべてが変化する。
それは変化しない、ありとあらゆるすべてだ。
「四方八方」の、8方っていったいなんだ?
この社会システムは「対象」というものをベースに話を進めることが多いので、当然のように僕たちの思考も目に見える「対象」をもとに展開していきます。そこで人は本来であれば関係性によってその現れ方を変えるものでも、そこには絶対的な「対象」が元に存在していると思い込んでいます。
例えば、上と下。
上はいつだって上ですし、下はいつだって下です。
そりゃあ、当たり前のことでしょう。
けれども、実際には上も下も存在しないことを僕たちはどこかで知っているはずです。
この瞬間に突然、宇宙空間に放り出されたとしたら……
上ってのは太陽の方向でしょうか、それとも月の方向でしょうか?
下というのは、地球の方向でしょうか、それとも頭に対しての足の方向でしょうか?
宇宙では、僕たちが慣れ親しんだ「上」と「下」という言葉はその意味を消失します。
この世界のあらゆるポジションとは、そのポジションが固定されることを前提としたパラダイム(考え方、見方の枠組み)です。
ここで本当のことをいってしまえば、宇宙にはポジションを固定されているものはひとつもありません。
それは「変易」……万物のポジションはすべて移動して移り変わっていくのです。
これはドンファン(カスタネダ)の言葉だったか……
「世界はアテンションによって保持される」
そのポジションに固着するアテンションだけが、そこには存在しています。
そして、多くの人は固有のポジション = 「それこそが私」と思い込んでいます。それにアテンションを向け熱心に思い込み続けることによって、固有のポジションを所有できることは人間の持っている素晴らしい能力のひとつです。けれども、その能力が当然となり固定され自由さを失うと、それは自分を制限するために能力を発揮しはじめ、その能力はまるで呪いのように作用しはじめます。
能力を持っていることと能力を使用できることはその時点ではとても楽しかったはずですが、その能力が何であったか、そして、その能力を自分は遣うことができることを忘れてしまうと様々な問題が生じて苦しみはじめます。
例えば、休日のドライブが楽しいのは、自分が自動車を運転する能力を所有していることに氣づいている間だけです。
そのことを忘れた瞬間、ホラー映画よりも怖い現実が待っています。
能力の所有者が苦しんでいるときは、その所有者は現在の状況を創り出したのがある時点での自分自身であることを忘れてしまっています。
そこで自分の責任(=能力ともいう)を思い出すことによって、目の前の現実に対して適切な対応をすることができます。
そうですね、誰もがいつだったか「そういうことにする」と創り出した対象に縛られてしまうんです。もし、「そういうことにする」と宣言した自分を思い出すことができたとしたら。……もうちょい正確にいって、「そういうことにする」と宣言した自分を忘れている状態を継続させている努力をやめたとしたら、自分が決めたそのことに関して再決定を行うことができます。これは、いつでもどこでもどんなことでも。
さて。
ここで目先のアテンションは常に対象に固着しています。
そのアテンションを意識的に対象から遠ざけ、その背景にある関係に目を向けるようにすると、あなたはもっと創造的に世界と関わることができるようになります。
そして、世界はすでに創造にあふれていて、すべての目に見える現れがそうなるべくして必然的にそう在ったという事実に、ただただ純粋な驚きを経験することだろうと思います。
TaoTaoの64卦(タオタオカード)は、そんな多くの人が「知らない」設定にしたままにしている情報をあなたから引き出そうとしています。
自分を変える旅から、自分に還る旅へ。
先週、Hiroさんのサロンにて「64について話してほしい」とリクエストを受け、お話してきました。
なんでも麻炭でブラックになっているらしく、レジン(樹脂)はずっしりととても存在感があります。Hiroさんはオルゴナイト作りのワークショップなどもなさっているそうです。
僕は特殊な講演(まれにビジネス系の講演でデータをあれこれ準備する必要がある)などでなければ、話すことはあらかじめ考えていません。その場に行って、参加される方と僕も参加者として一緒に創っていく、という感覚なのですが「64」について話すことは僕自身が「聴きたい!」と思っていたテーマのひとつです。
誰よりも僕が聴きたいテーマだったのです。
参加される方々の中で、僕が一番楽しみにしていたにちがいありません!
64といえば易経。
易経において64卦は重大な意味を持つものの、なぜ64なのか? しっかりシステムを説明してくれる人はこれまでいませんでした。易経そのものにおいても、なぜ2つを重ねるのか、についての記載はほぼありません。
「それは八卦を2つ重ねたからだよ、昔の人がそうしたんだよ」
誰もが「昔のエライ人がそう決めたらしい」程度で、
64 = 2の6乗であり、4の3乗であり、8の2乗。
残念ながら、これ以上の解説がなされることはありません。
僕は「これはこうなの、昔っから決まってるの!」という解説が一番キライで、ついていけません。それにそのまま従ってしまうのは、知のパッケージを渡され、それをそのまま暗記させられるということです。
一旦、立ち止まって。その知のパッケージを、実際に世界に向けて開いてみれば……
それが世界の秘密だったのだと、すとんと腑に落ちることでしょう。
さて。
★ マッキーのウィンドウ理論
この64について僕はウィンドウ理論として解説しています。これは空間が持っている8つのウィンドウをとらえた世界観なのだというマッキー勝手解釈です。そして、このウィンドウ理論は、コンサルをする上でもっとも役立つシステムであることが、後々わかってきました。
知識的な情報と経験的な理解の間には大きな距離があります。
経験にもとづく氣づきは、一生の間、忘れ去られることはありません。
そういう意味でも、実際にシステムをカタチとして創り出し。それをあれこれ触れて遊びながらシステムを学んでいくことは、大きな価値があると僕は考えます。
数年前にご紹介した映画に『スライヴ』があります。P&G創業一族の息子であるフォスター・ギャンブルさんが実業家としての未来をなげうって人類を支配するシステムをネタバレする、というもので。このスターテトラヒドロン&ベクトル平衡体は映画の前半15分頃に登場します。
トーラス(円環面体)の構造システムについての解説部分です。
ベクトル平衡体の構造を示しながら
フォスター・ギャンブルさん:
「これを少し展開して、四面体ともいうピラミッドを計64個置きます」
ここでなぜ64なのか(単純にベクトル平衡体なら56個のテトラヒドロンになるはず)、当時はよくわからなかったのですが、Hiroさんの64個のテトラヒドロンに触れたとき、その意味がやっとわかりました。
これは僕の空間への理解とも非常に近い形状となり、いったん氣づいてしまえば、なぜあの映像でわからなかったのか、今では不思議なくらいです。そして、手を合わせずにはいられない氣持ちになりました。
この3次元空間の性質を理解する上で、とても大切なカタチがあります。
それは、ベクトル平衡体。
この構造を再発見したのが『ソウル・オブ・マネー』の著者、リン・ツイストの師でもあるバッキー(バックミンスター・フラー)です。
このカタチを理解すると、そもそも空間とは何なのか? がはっきりとわかってきます。僕たちは1日24時間、常に空間の中で暮らしていますが、それについてほとんど意識的になることはありません。
「3次元空間」という言葉がありますが、ここで次元とは何でしょうか?
次元とは、空間の拡がりの度合いを表現する言葉です。
それでは、一次元(1次元)とは何か?
それは直線として見ることができますね。その直線を僕たちが慣れ親しんだ「直線」という対象として見ることをやめたら、もっとちがった世界が見えてきそうです。
直線はその定義上、太さを持ちません。
当然、面積だって持ちません。体積も質量すら持ちません。
つまり、そこには対象とすべき対象(直線という存在)は何もありません。
よく見てください、そこにあるのは何か?
空間の拡がりというアイデア。
そこには空間の拡がりがあります。
ここで「向き」を見れば、一方向と、その一方向ではない方向。計2つの向きがこの1次元の空間にはあります。
1次元 = 2つの拡がり
となります。次に、
2次元とはいったい何でしょう?
僕たちが慣れ親しんだX軸とY軸というモノサシは実際には存在しないものです。
それを対象ではなく関係として見ていくと、もっとちがった側面が見えてきそうです。
2次元は、1次元の空間を1次元からはみ出す領域に無理やりグニャリって曲げると現れてきます。
ほら、こんなふうに。
2次元は面積を持ちます。
面積を持つということは、内側と外側を持つということです。
2次元の空間は、一方向と、その一方向ではない方向への拡がり(1次元が2次元になるとその向きは回転となる)。さらに、内への方向と外への方向への拡がりを持っています。
2次元 = 4つの拡がり
次に、3次元の空間は8つの拡がりを持っています。
ここには易経の八卦ともつながっています(マッキー勝手解釈)。
古来の日本語には「八方塞がり」なんて言葉があるように、もともと人は世界を8つの方向で捉えていたようです。
3次元 = 8つの拡がり
けれども、どこかの時点で人間はそれを忘れてしまいました。そこで現在は、XYZ軸という対象ベースの6つの方向(6つの拡がり)で考えることにしているようです。
3次元 = 6つの拡がり ?
この直交座標を哲学的に説明したのは、フランスのデカルトさんです。「我思うゆえに我あり」という言葉があるように、彼は対象をもとに何かを説明することに長けていました。逆をいえば、その対象を見ている我という対象になりえない存在にはあまり興味がなかったようです。
以上をふまえて。
僕たちはいったい、3次元をどのように捉えているのでしょうか?
一粒の砂に、世界を観るということ。
実のところ僕たちの眼球ってのは、3次元の世界を2次元としてしか見ることはできません。
3次元の世界を、3次元として眺めることはできないんです。
今目の前の視界をよく見つめてください。
そこに拡がる世界は必ず2次元(平面)になっているはずです。
それでも僕たちがはっきり3次元をリアリティをもって感じることができるのは、2つの眼球でとらえた2次元の平面映像を重ねあわせ、経験的に両目と対象の三角形をイメージしているからです。この三角形のイメージは僕たちの目の前に対象としては現れてきませんが、関係としてはいつだってそこに在りつづけている認知のシステムです。
もし、僕たちが本当に3次元の世界を見る能力を持っていたとしたら、その世界では何も隠すことはできません。その目は先ほど食べたパンケーキが胃の中で消化されていく姿さえ、はっきりと見渡すことができるでしょう。2次元しか見えなくてよかった。
3次元空間は確かにそこにある。
けれども、実際に人間が見ているのは2次元空間(平面)です。
さて。そこで3次元とは何か?
デカルトさんは、この「3次元の世界」という経験を、目に見えるモノサシをもとに説明しようと試みました。
こんな逸話があります。ある日、デカルトさんの部屋にハエが飛んでいました。
ハエの位置をめっちゃ追ってる、デカルトさん。
「上、右、下、上、もっと上、左、右上、左下……お、奥!!!」
部屋の中を飛ぶハエの位置を説明しようとしたとき、上下軸、左右軸、そして手前と奥の奥行き軸、以上の3つの軸を扱えば、どこへハエが向かおうともその位置情報を言葉で表現できることに氣づいたのです。
この話が事実かどうかは置いておいて、90度の角度で交わる軸をもとに考える「直交座標」というのは僕たちの文明では、とても馴染み深いアイデアとなっています。
「空間には神様(偉大なる何か)が置いた直交モノサシがあるんだ」
ウィリアム・ブレイク 「太古の日々」より
直交座標システムはデカルトが発見したものではなく、哲学的に再発見したアイデアだといえるかもしれません。
ちなみに直交座標でも、
2次元 = 4つの拡がり
となります。なぜなら、X軸とY軸は上下左右の拡がりを持つからです。
けれども、直交座標では、3次元は6つの拡がりとなります。
これが僕にはどうにも納得のいかないアイデアでした。
3次元空間は8つの拡がりを持っているはずなのに、学校では6つの拡がりとして教えられるからです。座標システムが学校の算数で関わってくるのは小学校3、4年生くらいでしょうか。システムの説明としてはわかるものの、どうにもモヤモヤと納得のいかないシステムのように感じました。
後に、同じように「当たり前」として教えられている知識体系に疑問を持ち、空間の性質を再発見した人物がいることを知りました。
その人とは『ソウル・オブ・マネー』の著者、リン・ツイストの師でもあるバッキー(バックミンスター・フラー)です。
自然の中に直交座標システムにもとづくカタチなんて存在しません。
よく観察してみれば、その理由はすぐにわかるでしょう。
綿棒にペーパーセメントを塗って、こんな四角形を作ります。
すると、四角形は不安定ですぐにつぶれてしまうことがわかります。しっかりと四角形を作ったつもりでも、すぐにクシャってなっちゃう。
それでは、もっとも自然の中で適したシステムとはいったい何なのか?
それは、
三角形です。
三角形は安定して存在し続けます。
よく観察してみれば、人間社会にだけ存在する四角形でできた構造体も、斜めに交叉するX状の筋交いによって支えられています。なんだ、人間は直交座標システム的に構造物を作っていきますが、そのもの自体を長期間にわたって維持するためには三角形のシステムを採用しています。
この三角形を2つ組み合わせ
6本の綿棒で正四面体というカタチを作ることができます。
こんなカタチ、テトラヒドロン、
正四面体です。
3次元の物体はすべて4つ以上のカド(角)を持ちます。角が3つではこの空間に存在することができません。
つまり、この四面体は3次元の構造体の最小単位ともいえるカタチです。
この最小単位のカタチを、四面体という対象ではなく
そこに存在する向きの関係性を見ていきます。
すると、すべての向き、方向性がが60度で交叉していることに氣づきます。
カタチを対象ではなく関係性で見ていくことができます。
立方体(正六面体)は6つの面を持つことで対象であることを保持していますが、もしも、すべての面を捨ててしまったらそこには何が残るでしょうか?
実は、ここに見えるXYZ3つの方向性が90度で交叉しながら組み立てられていたことがわかります。この意味において、僕たちが馴染み深いサイコロ形、正六面体というのは、3面体としてみることもできます。
よね?
それでは、四面体はどうなるのでしょうか?
まず、四面体のそれぞれの三角形のカタチの「面」という概念からアテンションをいったん離し、この「面」をそれぞれ拡がっている「こちら」と「あちら」の向きとして見ます。そしてそのまま、向きだけを保持しつつ四面体というカタチを消します。面が自由にスライドできる状況をイメージしながら、面をずらしていき、中心にある四面体の空間を小さくしていき最終的に消失します。
なんだかややこしい説明になっちゃいましたが
視点が面という対象にこだわらない場合、そこに見えてくるのは向きの関係です。
すると、それはちょうどこんなカタチとして現れてきます。
ベクトル平衡体です。
『ソウル・オブ・マネー』の著者、リン・ツイストの師でもあるバッキー(バックミンスター・フラー)は、このカタチを「ベクトル平衡体」と呼びました。
平衡とは、平行ではありません。平衡とはつりあいのとれていること、均衡していることを意味します。
空間の持つ8つのベクトルが
もっともバランスのとれた状態にあるとき……
それはどんなカタチになり得るでしょうか?
カタチを実際に創って触れてみるのは、何よりも発見にあふれた創造です。実際の構造体(カタチ)と遊ぶことによって、そこにずっと隠されていた空間の秘密を見ていくことができます。
これは僕が書斎デスク上にて、綿棒でアレコレしている姿をiPhoneで撮ったものです。
『ソウル・オブ・マネー』(リン・ツイスト著)の翻訳中、締め切りまでの過密スケジュールに追われながらも夢中でバッキー(バックミンスター・フラー)の提唱するカタチをこうやって綿棒で作っていました。そのひとときから様々な再発見がありました。
僕は、バッキーが再発見した「ベクトル平衡体」を実際に創ってみて
このカタチが……すべての面を取り去ってみれば
正二十面体(イコサヘドロン)でもあり、
正八面体(オクタヘドロン)でもあり、
正四面体(テトラヘドロン)でもあることに、再会しました。
空間にモノサシの目盛りはありません。
ですから空間には無秩序な拡がりがそこにあるように思えます。けれども、その空間には関係や性質といったものが隠れていて、自然を見渡せばありとあらゆるものがその意図に沿って存在しています。
そのことにふと氣がつくと、あなたは宇宙と再会します。
あなたが宇宙と再会すれば、自然の中にはすでにそのシステムにあふれていて、すべての対象の現れがそうなるべくして必然的にそう在った事実に、ただ純粋に驚かされるだろうと思います。
ずっとそこにあったのに、ただ氣づいていなかったシンプルな真実。
その真実から僕たちが目を背け続けることができたのは、どこかで「私は知っている」と思い込まされてきた人間独自のパラダイムがあったからです。
パラダイムの所有は能力です。その能力は手放すことができることによって、はじめて活用することができます。パラダイムの機能には人間を制限することも含まれますが、それが自由を制限するものでありつづける必要もありません。
さて。
ベクトル平衡体の話を、バッキー(バックミンスター・フラー)のアイデアから。
空間にある点を置いて、全方位に等距離のカタチを創ると何ができるでしょうか?
これは
球体(ボール)です。
ピタゴラスはすべての立体の中でもっとも調和がとれた美しいカタチを球体としていました。だからこそ、この世界は空間に浮かぶひとつの球体「地球」であると弟子たちに教え、天体の観察とは関係なく紀元前5世紀の時点でこの惑星が球のカタチであると考えていました。
同じ大きさのボール(球体)を複数、創造します。
1個のボールに対してくっつけられるだけのボールを複数置くと、いくつのボールが必要でしょうか?
まずテーブルの上に置いてあるボールには、このように6個のボールを置くことができます。さらに、その計7つをサンドイッチするように3個ずつの組み合わせで……。
答えは、1個のボールに対して、12個のボールがくっつきます。
球体の組み合わせは……
1個 + 12個
13のボールの中心点をすべて結ぶと、球体の構造上からも当然ではありますが、すべての角と中心点の距離は等間隔、さらに隣同士の角の距離も等間隔となるカタチができあがります。
ここで12という数は自分のまわりに置くボールの数としては調和がとれていて、中心を合わせた13という数はひとつのベクトル平衡体となり、もっとも空間バランスのとれた形状です。
キリストの弟子が12人だったり、薬師如来のまわりには12神将がいたり、トランプのキングが13だったり、13がしきりに不吉な数だとプロパガンダされているのは……この辺りに由来するのかもしれません。
ボールにボールをくっつけていくと、そのカタチはボールにはなりません。
ボールにボールをくっつけていけば、それはベクトル平衡体になるんです。
ですから、このようなTaoTaoカードをカタチとして創ってしまうのは、いささか抵抗がありました。ナンセンスだとも思うからです。
それでも、実際にそのカタチと触れるということからひらめく何かも発見する出遭いもあると、思い切って可能を開いてこうやってTaoTaoカードというツールを公開させていただいています。
実際の経験の中でそのウィンドウ(空間)を埋めていってほしいので、講座の中でお話しした64の秘密についてはあえて解説はしていません。
ただここでの結論としては「空間は八方である」としておきましょう。
空間は八方であるから64卦が生じ、ありとあらゆる古代の叡智では64が語られているんです。
もし、一度でも空間に氣づいてしまえば、カバラの生命の樹にもその元型を発見するでしょう。タロットカードの大アルカナは、その中での関係性を表現したものだと氣づくでしょう。易経の64卦が内卦八卦と外卦八卦の組み合わせでありながら、それを超えたものでもあるのだということが、はっきり見えるようになってくるでしょう。
かつて錬金術士たちが古来から追いかけていた賢者の石は、対象としてのストーンではありませんでした。それはストーン(対象)の向こう側にある、とてもシンプルで強力な、たったひとつのストーリー(主体)です。
ですから、このようなTaoTaoカードをカタチとして創ってしまうのは、いささか抵抗がありました。ナンセンスだとも思うからです。
それでも、実際にそのカタチと触れるということからひらめく何かも発見する出遭いもあると、思い切って可能を開いてこうやってTaoTaoカードというツールを公開させていただいています。
実際の経験の中でそのウィンドウ(空間)を埋めていってほしいので、講座の中でお話しした64の秘密についてはあえて解説はしていません。
ただここでの結論としては「空間は八方である」としておきましょう。
空間は八方であるから64卦が生じ、ありとあらゆる古代の叡智では64が語られているんです。
もし、一度でも空間に氣づいてしまえば、カバラの生命の樹にもその元型を発見するでしょう。タロットカードの大アルカナは、その中での関係性を表現したものだと氣づくでしょう。易経の64卦が内卦八卦と外卦八卦の組み合わせでありながら、それを超えたものでもあるのだということが、はっきり見えるようになってくるでしょう。
かつて錬金術士たちが古来から追いかけていた賢者の石は、対象としてのストーンではありませんでした。それはストーン(対象)の向こう側にある、とてもシンプルで強力な、たったひとつのストーリー(主体)です。
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