自宅看取り

https://dot.asahi.com/wa/2018030100019.html?page=1  より

永源寺地域の在宅医療を担う「東近江市永源寺診療所」(撮影/青田貴光)

日本人の8割は医療機関で亡くなる。ところが、滋賀県東近江市の永源寺地域では、半数近くの人が自宅で最期を迎える。医療・介護・地域がつながり、「チーム」で患者を支えているからだ。チームの中心として活躍している医師に、現場の様子を聞いた。

 永源寺地域は、鈴鹿山脈のふもとの山間部にあり、のどかな田畑が広がる。秋には紅葉目当ての観光客でにぎわうものの、高齢化、過疎化が進む。住民約5300人のうち、65歳以上が約35%を占める。一見すると、日本のどこにでもありそうな凡庸な中山間地域だ。そんな田舎町で“奇跡”は起きた。

 入院施設はない。同市永源寺診療所が在宅医療を担っている。スタッフは、医師で所長の花戸貴司さん(47)と看護師数人。午前は外来、午後は花戸さんが車を運転し、患者宅を回る。

 在宅患者は約80人。訪問診療は年1500回にのぼる。昨年は地域で亡くなった人の4割にあたる30人を在宅で看取った。

 誰しも「住み慣れた家や地域で最期を迎えたい」と願う。だが、厚生労働省の全国統計によると、約8割の人が医療機関で亡くなっている。自宅で亡くなる人が「4割」というのは、驚異的な数字だ。

 花戸さんが永源寺診療所に赴任したのは2000年。ちょうど介護保険制度が始まった年だった。

 当時29歳。出身医大が卒業生に課す「へき地勤務の義務」に従い、ここで4年間だけ働いて再び大きな病院へ戻るつもりだった。ところが、診療所での仕事に大きなやりがいを感じるようになり、着任して18年となる今も、別の場所へ移るつもりはないという。

「最先端の医療を施し、1分1秒でも命を延ばす。それが医師の使命と疑いませんでした。でも、ここで診療を始めてみて、『それだけが地域の人たちの望みではない』と悟ったんです」

 初めて在宅で看取った患者は、難病で10年近く闘病生活を送っていた。寝たきりで次第に食事ができなくなり、点滴も入らなくなった。それでもなんとかしたいと、点滴の準備を進めていたところ、背後から家族に「先生、もうあかんな」と言われた。

 そのときは一瞬、反感も覚えた。

「治すために一生懸命やっているのに何を言っているのか、と。でも、生活を共にしてきた家族はもう死を受け入れていたんです。わかっていないのは私だけだった。病気だけを診ていては在宅医療はできない。その人らしい生活がどんなものか、知っていないと元気になんてできない、と教えていただいた」

 多くの患者が在宅医療を望む。だが、それぞれの希望を聞いていたら、診療の手が回らない。花戸さんは自問自答を繰り返し、当然すぎる答えにたどり着いた。


「医者1人では何もできない」

 これが、医療と介護の専門職に加え、地域の人、警察、お寺、高齢者施設などがつながり、患者をケアする「チーム永源寺」の出発点だった。

 薬局やケアマネジャーらとの会議に様々な立場の人を誘ううちに、患者から「チームで支えてくれるのが心強い」と言われるようになった。軌道に乗るまで10年を費やした。

 チームでは、「顔の見える関係」をめざし、患者のお薬手帳やヘルパーの介護日誌に必ず全員が目を通す。そのうえで定期的に会合を開き、情報共有につとめる。中でも大きな役割を果たすのが、民生委員を含む地域の人々。話し相手になったり、ゴミ出しや掃除をしたり。「家にいたい」という希望をかなえるため、みんなが動く。

「医療や福祉で支えられない部分をご近所の人たちが助けてくれる。在宅看取りが増えているのは、チームでケアする仕組みが定着し、人々の『自宅で暮らしていけるんだ』という安心感を生んでいるからでしょう」

 最先端の医療設備や技術に、周囲のケアや気遣いが勝ることだってあるのだ。

 花戸さんは1月に刊行した『最期も笑顔で 在宅看取りの医師が伝える幸せな人生のしまい方』(小社刊、税抜き1400円)の末尾で、自身が椎間板ヘルニアで苦しんだ体験に触れ、こう記している。

「病気になってつらいとき、本当の支えとなるのは、薬だけでなく、医師の言葉や家族の気遣い、痛むところをさすってくれる『手当て』だということを改めて実感しました」

 花戸さんは、患者の支援態勢に加え、「本人の意思表示が大事だ」と説く。

「私は患者さんが元気なうちから『ご飯が食べられなくなったら、どうする?』と繰り返し尋ねます。どんな場所で誰と過ごしたいのか、延命治療を望むのか、自分らしい最期は自分で考えるしかない。最初は戸惑っても、対話を重ねていけば雄弁に本音を語ってもらえるようになる。本人の意思が示されれば、周囲の覚悟も決まるものです」

 死がタブー視されがちな日本社会。意思を示すには、家族ら周囲への遠慮も壁になる。花戸さんは、2年前に81歳で亡くなった男性の事例を挙げる。

 その男性は、胃がんの手術を受けて退院したころから、外来に通っていた。どんな最期を迎えたいのか、いくら尋ねてもはっきりと答えてくれなかった。

 肝臓への転移が判明し、「残された時間は1年ほど」と告げられても、「家にいるのは無理やろ」と繰り返すばかり。

「一人暮らしだったので、周囲に迷惑をかけてしまうと思っていたのでしょう」(花戸さん)

 男性はいよいよ口からご飯を食べることができなくなった。実際に入院してようやく「できるだけ家で過ごしたい」と言い出した。

「対話はかかりつけ医の大きな役割。その際、大事なのは、病気だけでなく、患者がどんな暮らしをして毎日を過ごしているのかをみること。治療方法ばかりを提案する医師なら、最期をどうしたいのか、なんて考える機会がなかったのではないでしょうか」

 男性は間もなく、自宅でご近所や親族ら大勢の人に囲まれ、穏やかな表情で旅立ったという。

 花戸さんは永源寺地域での成功体験をもとに、人生の最期を笑顔で迎えるための五つの要素を挙げる。その中でも強調する一つが、「自らが果たす役割があること」だ。暮らしに張り合いがあるのとないのとでは大きな違いがある。

 90歳を前に脳梗塞を発症した女性。麻痺は残らなかったが、退院後は畑仕事も、得意だった裁縫もやらなくなり、自分の部屋にこもる時間が増えていた。ところが、2人目のひ孫が生まれた途端、自然と居間へ出てくるようになり、元気を取り戻したという。

「病気になったり、もの忘れが始まったりすると、私たちはその人から家庭や地域での『役割』を取りあげがちです。治療はもちろん大事ですが、役割を持つことで、治療を上回る効果が出ることもある。病気のことばかり考えなくて済むということでしょうか」

 人口の少ない地方では、地域住民の関係が濃密だ。「永源寺も田舎だからうまくいく」という指摘もあるが、花戸さんは反論する。

「ここに暮らせば、祭りや葬儀の付き合いなど、都会とは違う『煩わしさ』を感じる人も多いでしょう。しかし、煩わしさの積み重ねこそ、将来、その地域から返ってくる蓄え。お金とは違う『絆(きずな)貯金』です。絆貯金のおかげで、医療や介護が十分でなくても暮らしていけるんです」

 さらに、こう続けた。

「絆貯金は都会でも蓄えられる。それぞれが暮らす地域、長く付き合ってきた友人や同僚、同じ趣味を持つサークルの仲間……どんな関係でもいい。人との関係性を大事にしてほしい。人とのつながりが一番の財産。それがなければ、老後を笑顔で過ごすことはできません」

(朝日新聞・青田貴光)

■人生の最期を笑顔で迎えるための5カ条

(1)暮らしのなかで、自分の果たすべき役割を持つ

(2)人生の最終章をどう過ごしたいか、明確な意思を持ち、周囲にも伝える

(3)医療・介護の専門職が連携した「チーム」がある

(4)地域・ご近所の理解や支援がある

(5)病気だけではなく「生活」もみる、かかりつけ医がいる