http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48214 より
新型インフルエンザやエイズなど、人類を脅かす感染症を伝播する存在として、忌み嫌われるウイルスだが、自然界には宿主に無害なウイルスも多い。
最新のゲノム解析から、生物ゲノムには、驚くほどたくさんのウイルス(およびその関連因子)が存在しており、それらが生物進化に重大な貢献をしてきたことが明らかになりつつある。ヒトゲノムも、その約半分はウイルスとウイルスもどきの遺伝子配列が占めているという。
つまりヒトを含む生物のゲノムは、ウイルスのような寄生者と合体して出来上がっているとも言えるのだ。この驚愕の事実を、植物や菌類のウイルスがご専門の中屋敷均さん(神戸大学大学院農学研究科教授)にインタビューした。
Q.ウイルスというとニュース等でよく聞くのは、エボラ出血熱とか、ジカ熱とか、あるいはコンピューターウイルスもそうですが、何か得体が知れなくて怖いものというイメージが強いです。そんなウイルスの中には、生物の役に立っているものもいると聞き、驚きました。
中屋敷:ウイルスというと、どうしても人の病気を起こすものというイメージが強いですが、この地球上には色んなウイルスが存在しています。役に立っているという表現が良いのか分かりませんが、生物ゲノムに入り込んでいるウイルスの中には、その生物にとって大切な役割を果たしているものが結構、知られています。
というより、実は私たちの大部分はウイルスで出来ていると言っても良いのです。ちょっと奇をてらい過ぎて、正確な表現ではないかも知れませんが。
―「私たちの大部分がウイルスから出来ている」というのは、衝撃的なお話ですが、それはどういう意味なのでしょうか?
中屋敷:ヒトのゲノムDNAの中にも、実はたくさんのウイルスが入り込んでいます。その中には正真正銘のウイルスも相当数いますし、ウイルスとの厳密な区別がよく分からない「ウイルスのようなもの」は、もっとたくさんいて、ゲノムの半分近くを占めているといった有様です。たぶん、どこかで聞いたことがある話だと思いますが。
インタビューに答える中屋敷均・神戸大学農学部教授
―「ジャンクDNA」とか呼ばれている部分のことでしょうか?
中屋敷:そうです。以前は、そういったゲノム中の「ウイルスのようなもの」は、利己的な寄生者たちが勝手に増えて、その死骸というか、痕跡を巻き散らかしているだけの、ゲノムのゴミだと思われていました。
でも、最近、実はその「ゴミ」が生物の機能や進化にとても大切な役割を果たしていることが次々と明らかになっています。
感覚的に言えば、私たちのゲノムというのは、単独の「自己」として進化しているだけではなく、ウイルスのような外部からの侵入者も取り入れ、あるいはゲノムの寄生者みたいなものも積極的に利用して、進化しているということです。
ウイルス感染なんて、計画して起こる訳ではないですから、そんな偶然にやってきたDNA配列を利用して進化が起こり、今の私たちがある、という点が面白いなと思います。
―感染したウイルスの遺伝子を用いて進化が起こっているというのは面白いですね。
中屋敷:1999年にエリック・レイモンドという人が、コンピューターソフトウェアの開発様式を表現するのに「伽藍とバザール」という言葉を提唱しました。
これは、伽藍、つまり整然と配置された寺院や教会の建物群のように、大企業に主導された形でソフトウエアが体系的に開発されていくウインドウズOSのような様式と、バザールにバラバラと人々が集まって来て市場が形成されるように、いろんな技術者がパーツとなるソフトウエアを持ち寄ってシステムを作り上げて行くリナックスOSのような様式を対比した概念です。
生物のシステムというのは、例えば「哺乳動物とはこうあるべきだ」みたいな形で整然と進化してきたというより、ウイルス感染とかトランスポゾンの転移とか、そんな偶然に持ち込まれた「モジュール」を利用して、思いもかけない「プラグイン」がゲノムというOSに付加されて進化が起こったような所があると思います。
つまり「バザール」による進化です。例えば、人間の知性を司る脳も、そういった「プラグインモジュール」の影響で発達してきたと主張されている研究者もおられます。
―ウイルスが、私たちを構成する「パーツ」になっているということですね。
中屋敷:そうです。そんなパーツがたくさんあるのです。
現在、多くの生物の全ゲノムが解読されていますが、どんな生物のゲノムにも、たくさんのウイルス配列が見つかっていますし、「ウイルスのようなもの」まで合わせると、ゲノムの半分以上を占めているということも決して珍しくありません。ものすごい数です。
そういう意味では、「すべての現存生物はウイルスと一体化している」と表現できるのかも知れません。それくらいウイルスは生物界に普遍的に存在しています。
「ウイルスは病原体」というのは、ウイルスを矮小化した見方だと思います。
―中屋敷さんの最新作は「ウイルスは生きている」というタイトルですが、そんな生物ゲノム内で「生きている」ウイルスたちのことを書いたものですか?
中屋敷:そういったゲノムに潜り込んでいるウイルスの例はもちろんたくさん紹介していますが、「ウイルスは生きているのか?」という昔からある大命題にも向き合った本になっています。これは「生命とは何か?」という問題に直結するので、私なんぞが簡単に総括できる話ではないのですが、私が考えていることをお話したいとは思います。
まず、最初に指摘しておきたいのは、生命とは何なのか、ということを考える上で、人の常識というか、感覚みたいなものが非常に邪魔になっているということです。それを本書では「手足のイドラ(幻影)」と揶揄して呼んでいるのですが、どんなものでも手足をつけたら生きているように見える、みたいな話です。
―確かに生命と言えば、何か活動するものであったり、人間や動物に形が似ていれば、「生き物」という親近感は湧きますね。
中屋敷:ただ、生命の起源みたいなことを考えていくと、その昔は、手足はない訳ですよ。まぁ、当たり前ですが。酸素呼吸をするとか、体が温かいということだって、一部の生物の特徴に過ぎません。
現在、生命は化学進化によって生じたとされていますが、そうだとするなら、その昔は細胞構造も持たなかったでしょうし、その当時はエネルギー代謝も単に外部の環境を利用していただけのはずです。
生命の形というのは、地球の歴史と共に変化してきたし、今も変化しており、また未来にはもっと変わって行っている可能性があります。
だから、生命とは何か、を考える時に、現存の生物の姿、特に人間や教科書でよく紹介されているような代表的な生物の姿に囚われてしまっては、正確な判断ができないと思うのです。もちろん手足のあるなしは関係ない(笑)。
―では、生命にとって、何が大切な特徴なのですか?
中屋敷均氏のデビュー作『生命のからくり』
中屋敷:これはむしろ前著『生命のからくり』で詳しく書いたことなのですが、私は「生命」というものを、一つのロジック、ある種の情報と言ってもよいかも知れませんが、それが継続的に発展・展開する現象と捉えています。
これはそれまでに存在する情報をきちんと蓄積する「情報の保存」と、そこに新しいものを加えたり、修正するような「情報の変革」、この二つのベクトルが相互に作用することで発展していく現象です。
その物質的な基盤となっているのが、現状ではDNAやRNAなどの核酸分子です。この物質的な基盤の上で、「情報の保存」と「情報の変革」が周期的に起きるサイクル、これはいわゆる「ダーウィン進化」ということになるのですが、これが繰り返されている。このことが生命の最も重要な特徴だと私は思っています。
―生命現象においてDNAなどの遺伝子が重要であることは分かりますが、遺伝子だけもっていれば「生命」と言えるのでしょうか? それにはちょっと違和感もあります。
中屋敷:ウイルスが生命か非生命かという命題に答えが出ないのは、まさにそのあたりの違和感の問題だと思います。
ウイルスとはどんなものかを、大学の新入生向けの講義で話す時には、生物の細胞の中にある遺伝子だけが、細胞の外で独立して生活しているようなもの、と私は説明していますが、ウイルスは確かに遺伝子だけの存在に見えるので、それを「生きている」と表現するのは、ちょっと、という人が多いと思います。
ただ、それって「手足のイドラ」に囚われていませんか?
―ここで「手足のイドラ」ですか(笑)。ただ、普通に考えて遺伝子が複製するためには基質とか酵素とかが必要ですし、遺伝子単独では、情報の保存も変革もできないように思えます。
中屋敷:確かに、現存の生物の姿から考える限りそうなりますよね。しかし、元々、生命はそういった細胞という構造も酵素もない状態から、生まれてきたのではないのでしょうか?
その当時から、DNAやRNAを遺伝物質としていたとするのは、少々無理があると思いますが、DNAやRNAへ情報の伝達が可能なもっと単純な分子から徐々に複雑化してきたという可能性はあるように思うのです。
もし、その当時からずっと同じ原理が発展・展開して現在まで続いているとするなら、そのロジックを内包しているものは、すべて我々と同じ仲間と考えてもよいのではないかというのが、本書の主張の一つです。
―なるほど。仰っていることは分かりました。少し現実から離れた「想像力」が要求されますね(笑)。
中屋敷:では、もう少し具体的な例を出しましょう。
たとえば最近発見されたパンドラウイルスという巨大ウイルスは、遺伝子を2500個以上も持っています。遺伝子数が2500個と言えば、標準的な古細菌のゲノムくらいです。古細菌はもちろん独立して生きている、れっきとした生物です。他の生物の細胞内に寄生とか共生とかしている細菌だと遺伝子数が数百個しかないものもざらにあります。
そういった細菌たちと、変わらないレベル、あるいはより高度かも知れない、複雑さを持つと考えられるウイルスが次々に見つかっているのです。
これまで一般的にウイルスと言うと、遺伝子も数個しかなくて、遺伝子断片みたいなもの、という認識でしたが、ウイルスは決してそんな単純なものだけでなく、そこからかなりの複雑さをもった存在に進化し得ることが示されたと言えます。
もしかしたら、これから例えば10億年後には、現在のウイルスを祖先とする細胞性生物なんてのも出現するかも知れません。そうなると、明らかにウイルスは生物と連続性を持った存在ということになりますよね。
―ウイルスから、生まれた細胞性生物ですか?
中屋敷均氏の最新作『ウイルスは生きている』。成毛眞氏が絶賛した科学ミステリーの傑作
中屋敷:もちろん本当にそんなことが起こるかどうかは分かりません。でもそれは「起こり得ること」です。
なぜそう言えるかといえば、今の生物は恐らくすべて細胞などないところから生じてきていますし、何よりウイルスは「情報の保存」と「情報の変革」のサイクルを展開できるあの分子装置を持っているからです。
だから、ウイルスは生物進化とまったく同じ様式で、今後様々な姿に変わり得る存在です。
ウイルスが、これからどんな風に進化していくかなんて、誰にも予測できませんが、そういったダイナミックなウイルスのこの世での有り様は、やっぱり「生きている」という風に私には思えるのです。
中屋敷:ウイルスには、マイナスのイメージを持つ人が多いと思いますが、それは矮小化されたウイルスの情報ばかりが流れているからだと思います。ウイルスは、生物のようでもあり、また無生物のようでもあり、生命とは何かを考える格好の材料です。そして読者の皆様が、たぶんまだ知らないような様々なウイルスが、この世には存在しています。
今回の本では、そんな一風変わったいろんなウイルス達を紹介しています。そういったウイルス達の「生き様」を通して“ウイルスは生きている”ということを実感してもらえたらと思っています。
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