http://hana-diary-bachflower.blogspot.jp/search/label/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%81%E5%8D%9A%E5%A3%AB%E3%81%AE%E8%A8%80%E8%91%89 より
バッチ博士の著作「病気と治癒に関する基本的考察」より
今日は、バッチフラワーレメディを確立したエドワード・バッチ博士が1930年に『ホメオパシー・ワールド』に掲載した“病気と治癒に関する基本的考察”より、抜粋した文章を掲載します。
常々、バッチ博士のものの見方、考え方こそ、フラワーエッセンスだけではなく、私たちが生きる上での基本となる素晴らしいものだと感じています。医師という職業を超えて生きたバッチ博士の生き方と彼の残した言葉は、現代に生きる私たちにとって本当に素晴らしい方向性を示唆してくれていると思います。
今回は前半部分です。
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病気というものを理解するには、また病気になる本当の目的や病気の本質、治療法を知るためには、人間の生きる意味や創造主の教えをある程度把握しなければなりません。
極めて重要なことは、人間には、霊的、精神的な面と、物理的、肉体的な面の両方があると認識することです。そして、霊的、精神的な面に比べれば、物理的、肉体的な面の重要性ははるかに低いと言えます。
永遠の生命である霊的な自己の導きのもとで、人間は知識を得、経験を重ねるために生まれています。そして最終的に肉体という形ある存在として、自らを完成の域へと成長させるためにこの世に生まれています。
魂と交流することのない物理的な肉体そのものは、中身のない貝や水に浮かぶ軽いコルク栓のようなものです。けれども、魂と交流するなら人生を楽しんで過ごせます。それは、人生が、幸福、健康、知識を手に入れる旅路という興味の尽きない冒険になるからです。
人間の成長は、生まれたばかりの赤ん坊の時から始まっています。その時人は、何の知識もなく自分本位の興味しかありません。それは、心地よさ、食事、暖かさといった限られた範囲での欲求です。その後、成長するにつれ、力、権力に対する欲望が生まれます。個人的な利得や自分の世俗的な野心を満たすことだけを欲して、自分本位に生きる時間がしばらく続きます。
そして、やがてまた転機が訪れます。人の役に立ちたいという願いが生まれ、心の中で葛藤が起こるようになります。というのも、人間は成長の過程で、私心を無私へ、自分個人から万物全体という視点へと転換していかなければならないからです。世間で学び、経験を積んで、人間らしい性質を反対の長所へと変えていく必要があります。
私たちは課題を一度に一つずつ、ゆっくりと学んでいます。人が健康で幸福であろうとするなら、魂によって与えられる課題を学んでいかなければなりません。
人間は、皆が同時に同じことを学ぶわけではありません。ある人は、高慢を克服することを学び、別の人は恐れを乗り越えることを学ぶ、また憎しみに打ち勝つことを学ぶ人もいるなどさまざまです。けれども、健康にとって重要なのは、自分に与えられた課題をしっかりと学び取っていくことです。
成長の段階は重要ではありません。原住民であろうと、師から教えを受ける弟子の身分であろうと、健康に生きるという視点からは関係ありません。重要なのは、どの段階にいようと魂の命ずる声に従って生きることです。魂からの指示に従って生きることが、地位や富を得ることであろうと、殉教者としてわが身を捧げることであろうと関係ありません。健康というものは、魂の命ずる声に従い、自らの霊的な自己と調和しているかどうかにかかっています。
魂は、人間をこの世で生きるべき場所に配置し、行うべき仕事を授けています。それがどんな仕事であろうとも―靴磨きでも、国王でも、王子でも、物乞いでも―自分の成長に最適な役割であり、必要な課題を一番学べる場所なのです。大事なのは、自分に課された仕事をするだけです。そうすれば、必ず健康になれます。
病気は、人格が魂の命ずる声に従わず葛藤した結果、起こるものです。人が自分だと思っている低次の自己と、高次の自己、つまり霊的な自己である魂が調和していない時に病気になります。
人は、魂から成し遂げられる以上を課されることも、能力以上を求められることもありません。
ですから、生きることとは、低次の自分本位という性質を、無私による調和という高次の長所へと変えるよう努力していくことです。それも、急激に徹底的に実行するのではなく、緩やかにゆっくり取り組んでいくことが望ましいと成長と言えるでしょう。
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