自分の死体を見ているときの、あるいは自分の自殺が引き起こす騒動や、心痛を知ったときの生々しい描写。死ぬとはどういうことかについてのエリックの視点を通して、「いかに生きるべきか」をわれわれに問う衝撃の書。(アマゾンHPより)
http://metaphysicstsushin.tokyo/2018/02/01/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E5%90%9B%E3%81%AE%E6%9C%AC%E3%80%8E%E6%AD%BB%E3%81%AF%E7%B5%82%E3%82%8F%E3%82%8A%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%84%E3%80%8F%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%BC%E3%83%B3/ より
実は彼が自殺で亡くなったことに、私はこれまでほとんど触れて来なかったのですが、それは非常にパーソナルかつ繊細な話題なので、記事として断片的・部分的に扱うべきではないと思っていたからです。でも本書の中では、彼の言葉で自らの死と移行の様子が語られ、そのストーリーの全貌に触れることが出来ます。
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「ぼくの死」
少し本文を引用しようかと思いましたが、内容が多岐に渡っていて、読み返すたびに別の気付きがあり、どこが一番面白いのか、分からなくなります。
個人的には、エネルギーや感覚の話が一番面白いのですが、おそらくみなさんが読みたいのは別のところだと思いますので、一番よさげなところを引用します。彼が亡くなった後、向こう側に移行する前に考えていたことです。
家族や友人には、ちゃんとさよならを言わなければならないと感じていた。いや、さよならを言いたいというより、知らせたかったんだ。ぼくは大丈夫だってこと、いまも存在しつづけてるってこと、そして、みんなに感謝しているってこと。
それに、ぼくからのいっぽう的なさよならになっちゃったことも申し訳ないと思っていた。ぼくは心の準備ができていていも、みんなはそうじゃなかった。その点は、自分でもヘマをやらかしたと思う。
こうして始まった、ぼくのさよなら行脚は、いまにして思えば、それ自体がみんなの救いになっていたんだと思う。
死んでからのぼくは、愛する人たちと簡単につながれるようになった。
「第一章 ぼくの死」より
しかし本書の中で、彼は自らの死を悲壮感たっぷりに語ることなく、非常に乾いた描写をしていて、そこがエリックらしく、また切なくもあるのですが、スピリチュアル的に見た自殺の是非などを掘り下げて知りたい人には物足りないのかも知れません。
むしろ多くのページが割かれているのは、エリックが見たアストラル界の様子や、そこでの暮らし、スピリットとして生きる感覚、他のスピリットや天使たちとの交流、そして人間との関わりについてです。彼が伝えたいのは、辛気臭い話ではなく、文字通り『死は終わりではない』ということであり、「みんなありのままで完全だから、自分を愛し、お互いに愛し合おう」というメッセージなのでしょうね。
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個人的な感想
エリックの語る話は、これまでのスピリチュアルの固定観念を覆すような革命的なものであり、最初に彼らのYouTubeチャンネルを見つけた時は、とても興奮したのを覚えています。彼らの本が日本でも出ればいいなと思っていたら、本当にすぐ出たのでびっくりしました。
見えない世界の話について、信じる・信じないの議論は、本物・偽物の議論と同じくらい、実はどうでもいいことだと私は思っています。どうせ見えないですからね。
ただ、それが自分のマインドを広げてくれたり、インスピレーションを与えてくれるものであれば、人生に適用すればいいだけです。
「死は決して終わりではなく、なくしたように思えても、形を変えて存在し続ける」というのは、スピリチュアルの中でも、最も救済力がある教えだと私は思います。もちろんそれが本当かどうかは、実際に死なないと分かりませんが、死んでから「なんだ、そうなのかよ!」と思うよりは、生きてるうちに、そういう気付きを得られた方が、全然うれしいです。
そして、その気付きを、いわゆる「ありがたい」教えとしてではなく、20歳の青年として等身大の言葉で語ってくれるエリックは、まったくアメージングなガイだよと思います。
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