認知症の予防やリハビリに、「音楽療法」が注目されているのをご存知でしょうか?音楽療法とは、音楽を楽しむことで心身をリラックスさせ、健康の回復や向上を促す療法です。まだ日本での認知度は低いですが、終末期や認知症ケアに大きな力を発揮するとして、年々期待が高まっています。音楽は、私たちの身近にあるものですが、療法として取り入れるには、専門的な知識が必要です。今回は、音楽療法士として、アメリカのホスピスで音楽療法を10年間実践し、昨年の12年2月には、『ラスト・ソング 人生の最期に聴く音楽』(ポプラ社)を出版された、米国認定音楽療法士・佐藤由美子さんにお話を伺いました!
末期の認知症でも、意識を失っても、「聴覚」だけは残っている
――― 音楽療法とは、一体どのようなものなのでしょうか?
簡単に言うと、音楽療法はエビデンスに基づく臨床診療です。「治療の一環として」音楽を患者さんと共有することで、心身の健康の回復、向上を促す療法です。信じられないかもれませんが、意識を失い、目を開けることも話すこともできなくなった患者さんであっても、聴覚だけは残っているんです。
音楽療法では、音楽療法士の資格を持ったセラピストが、音楽を聴いたり、歌を唄ったり、楽器を弾いたり、歌詞について話しあったりします。その他、即興で演奏をしたり、作曲をしたりなど、活動内容はさまざまで、どれを活用するかは患者さんの能力やニーズによって異なります。ただ単に音楽が「効く」というのではなく、なぜ音楽が効くのか、どのように音楽を使えばいいのかを研究し、そのデータに基づいて行うことがポイントです。
――― 音楽療法は幅広い年齢層に効果的と言われていますが、特に「認知症」においては、どんな症状に対して、どのような効果が期待できるのでしょうか?
音楽療法が認知症の治療に効果的であることは、さまざまな研究結果からわかっています。具体的には、
うつ状態を軽減する
言語力や記憶力の改善をサポートする
社会性を高める
攻撃的な行動を軽減させる
身体の痛みをやわらげる
などがあげられます。また、末期の認知症でも音楽療法に反応を示しますし、介護をされているご家族の心のケアに音楽療法を利用するのも大変効果的です。
私は、26歳の時から音楽療法士としてたくさんの認知症の方と接してきましたが、驚くような経験を何度もしてきました。例えば、
【音楽療法によって絆をとり戻した家族の物語】
この動画は2012年12月、
オハイオ州シンシナティの老人ホームで撮影された
音楽療法のセッション風景です。
右に映るのは95歳のアルツハイマー病の患者・ジャック。
普段は目を閉じてうつむき、
車椅子やベッドの上でじっとしているだけ。
発する言葉も意味をなさないものばかりで、
コミュニケーションは難しい状態でした。
左に映るのはその娘のケイト。
衰えゆく父親の姿を見ることに、日々つらい思いをしていました。
ジャックは元ピアニストで、
ケイトも父親からの影響で音楽の道に進んだ、
アイリッシュハーピストでした。
患者さんのご家族と一緒に音楽を弾くというのは稀ですが、
佐藤さんは音楽を通じて二人の絆を取り戻せるのではないかと考え、
「My Wild Irish Rose」と「ジングルベル」を
演奏することにしました。
そして、それを聴いたジャックの反応は…。
ジャックは音楽療法の間だけは、
「すごくいいね」というような感想を口にしたり、
ときには「ケイト」と娘の名前を呼ぶこともあったそうです。
ジャックは2013年9月に亡くなりました。
彼は亡くなる前に「Ode To Joy」
日本語で言えば「歓喜の歌」を口ずさんで逝ったそうです。
音楽療法のとき以外は相変わらず会話も難しい状態でしたが、
それでも父親の最期を看取ったケイトはこう言ったそうです。
「私とお父さんの繋がりは、決して失われてなんかいなかった。
お父さんは安らかに旅立てたと思う。ありがとう」
音楽には、昔の記憶を思い出させてくれる力がある
――― これまでの音楽療法を通して、特に印象深いエピソードはありますか?
そうですね、アメリカのホスピスで出会った、80代の男性で、アルツハイマー型認知症の患者さんがいました。ほとんど話すこともできず、ひどく神経質になり、話しかけられただけで怒鳴りだす症状が出ていました。元々社交的だった患者さんだったので、人とのつながりを持てなくなることはとてもつらい状況だったのだと思います。
そんな彼でしたが、音楽療法を通してお気に入りのジャズの曲を歌い始めると、すぐに機嫌がよくなって、終わると必ず拍手をしてくれました。もっと驚いたのは、思い出の曲を歌い終えた後に、忘れていたはずの娘さんの名前を呼んだり、音楽によって記憶を取り戻すようなことが度々あったことです。音楽には、たとえ一時的にでも、昔の記憶を思い出させてくれる力があるのだと実感した瞬間でした。
――― 音楽と一緒に当時の思い出が蘇ることがあるのですね!演奏する音楽は、どのようにして決めているのですか?
認知症の高齢者との音楽療法では、その人にとって馴染みのある曲を使う場合が多いです。「この世代には、この音楽」と決めつけるのはよくありません。音楽療法でどのような音楽を使うかは、その人がそれまで歩んできた人生や希望によって異なるからです。一番大切なことは、ひとりひとりの患者さんにどの音楽や音楽活動を用いるか、アセスメント(事前評価)を通じて知ることです。その結果に基づいて、治療法を考えるのが音楽療法の基本です。
「音楽療法」という言葉を聞いたことはあっても、それが何かわからない人が多い現状
――― 欧米ではポピュラーな音楽療法ですが、日本ではあまり浸透していないのはなぜでしょうか?
そうですね、アメリカでは、たくさんの音楽療法士が病院やリハビリ施設で働いています。日本で音楽療法が普及しない最大の理由の一つは、音楽療法がはっきりと定義されていないため、理解が深まらないことだと思います。「音楽療法」という言葉を聞いたことはあっても、それが何かわからないという人からたくさんのメッセージをいただきます。
また、音楽療法士の資格の問題もあると思います。現状では、音楽療法士は公的な資格はなく、数多くある民間資格のひとつという位置づけです。そのため、音楽療法士のスキルにはばらつきがあります。「うちの施設で音楽療法士を雇ったのですが、あまりにも下手なのでもう雇わないことにしました」という声をいただくこともしばしばです。
資格の件でさらに言えば、日本音楽療法学会以外にもさまざまな団体、学校、自治体が資格を出していますので、混乱が起きているのです。「『〇〇〇認定音楽療法士』と『〇〇〇認定音楽療法士』のどこが違うのですか?」という質問をよく受けます。その違いは私にもわかりませんから、一般の方は混乱して当然です。資格制度やトレーニングをしっかりさせなければ、クライアントは安心して音楽療法を受けることはできませんし、音楽療法士を雇う雇用者も増えてはいかないでしょう。
日本にも優秀な音楽療法士はいます。今後音楽療法がもっと広まるには、音楽療法士のスキルを高め、音楽療法士が専門職として確立される必要があると思います。
もっと気軽に「音楽療法」を受けるには?
――― 音楽療法を受けたくても受けられない人は多いと思います。例えば自宅で気軽に実践できる音楽療法に近い方法はあるのでしょうか?
例えば自宅で家族と一緒に好きな歌を歌ったり、音楽を聴いたりすることであれば、簡単にできます。また、自宅で介護されているご家族向けに、音楽を聴いてストレスをやわらげる“セルフケア”もおススメです。
ただ、「単に音楽を聴くこと」と「音楽療法」は全く違うものです。音楽療法は、音楽療法士と対象者の“治療関係”の中で行われるものです。その関係性が、セラピーにおいて最も重要な要素であるため、自宅で介護に音楽を取り入れることを音楽療法とはいえません。その捉え方には、少し注意が必要です。
――― もし、個人で音楽療法を依頼する場合、1回のセッションでの料金、時間の目安はどのくらいでしょうか?
音楽療法の料金は、個々によってさまざまですので、一概にはいえません。出張音楽療法なのか、患者さんが音楽療法士のスタジオに来るのかによっても違います。出張音楽療法の場合、個人セッションなのかグループなのかによっても違いますし、それが契約制なのか単発なのかによっても異なります。私の場合、個人の方から出張音楽療法の依頼を受ける場合、1セッション1万5000円とさせていただいています。
――― さいごに、認知症と向き合う人に向けて、メッセージがあればお願いします。
「どんな人の中にも音楽がある」これは、私の恩師がよく言っていた言葉です。認知症の人であっても、音楽を聴くこと本来の姿を取り戻すこともあります。音楽は、そうした可能性を引き出すための道具です。認知症の患者さんは、思考能力は衰えても、感情は残っています。自分がどこにいるかわからないから不安だとか、知らない人に触られて恐いという感情はあります。だからこそ心のケアが必要です。音楽は感情に響いてよみがえらせる力があります。ぜひ、音楽療法の可能性を、もっとたくさんの人に知ってもらえたら嬉しいです。
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