死のワークショップ・コンセンサスゲームのために

死のワークショップ・コンセンサスゲームのために

死生観を深めるために グループでコンセンサスゲームをしませんか?

運命に関しての名言集です。あなたはA~Oのどの考えに賛成ですか?もちろんここにリストアップされていない考えがあったら リストに付け加えてください。

共感するものを上位3つ選んでください。その理由、体験なども考えてください。

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A・運命が決まるのは、あなたが決断する瞬間なのだ。(アンソニー・ロビンズ)

B・どのような運が降りかかろうと、喜びに浮かれることのないように、悲しみに暮れることのないように、万物は流転し、そして運もまた、いつ変わるとも知れないのだから。(ショーペンハウアー)

C・運命というものは、人をいかなる災難にあわせても、必ず一方の戸口をあけておいて、そこから救いの手を差しのべてくれるものよ。(セルバンテス)

D・運命は我々を導き、かつまた我々を翻弄する。(ヴォルテール)

E・人間には、それぞれ運命があるにしても、人間を超越した運命というものはない。(アルベール・カミュ)

F・強い人間は自分の運命を嘆かない。(ショーペンハウアー)

G・人間の運命は人間の手中にある。(サルトル)

H・自分の運命は自分で管理しなさい。でなければ、あなたはだれかに自分の運命を決められてしまう。(稲盛和夫)

I・運命は我らを幸福にも不幸にもしない。ただその種子を我らに提供するだけである。(モンテーニュ)

J・私は大いに運を信じている。そして懸命に働けば働くほど運が増すことを知っている。(トーマス・ジェファーソン)

K・あなたの運命がどうなるかわからないが、ひとつだけわかっていることがある。本当に幸福になれる唯一の者は、人に奉仕する道を探し求め、ついにそれを見出した者である。(アルベルト・シュバイツァー)

L・我々が我々の運、不運をつくる。そして我々はこれを運命と呼んでいる。(ベンジャミン・ディズレーリ)

M・運命は、どこかよそからやってくるものではなく、自分の心の中で成長するものである。(ヘルマン・ヘッセ)

N ・寿命も、お役目も魂が決めるとか…この人生を選んだのは自分。(矢作直樹)

O ・カルマは 神様からの宿題 (立岩 司)

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グループでのコンセンサスをとります。

グループメンバー全員が望ましいと考える項目を3項目選び グループメンバー全員による順位付けをしてください。

メンバー各位は他のメンバーの説に納得いくまで 自説を主張してください。

ただし執着はしないでください。多数決、じゃんけん、くじ引き等、葛藤を避ける

ための手段は取らないでください。

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参考

寿命も、お役目も魂が決めるとか…この人生を選んだのは自分ですね。(矢作直樹)

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article...

(カルマは 神様からの宿題)

立岩 司さんフェイスブック投稿記事抜粋

<チベットの生と死の書>

ソギャル・リンポチェ・著 講談社 2004年9月8刷

● カルマ

転生の背後にある真理、転生をうながす力、それがカルマと呼ばれるものである。西洋ではカルマは運命や宿命と誤解されることが多いが、宇宙を支配する絶対に誤ることのない因果律と考えるのが正しい。カルマという言葉は本来「行為」を意味するものであり、行為のなかにひそむ力であると同時に、行為がもたらす結果でもある。

カルマの法則は不可避であり不過謬である。

そのため、わたしたちが他者を傷つけるとき、わたしたちは自分自身を傷つけているのであり、他者に幸福をもたらすとき、自分自身の未来に幸福をもたらしているのである。

・・・・・・

ダライ・ラマは言う。

寺院など必要ない。難解な哲学など必要ない。

私たちの脳が、私たちの心が寺院なのです。

やさしさが、わたしの哲学なのです。

・・・・・・

つまり、カルマは宿命論的なものでも予定説的なものでもないのである。

カルマとは、わたしたちの創造し変化する能力をいう。

それは創造的なものなのだ。

なぜなら、なぜ、いかに、行動するかを決めるのはわたしたちなのだから。

わたしたちが未来を変えるのだ。

未来はわたしたちの手のなかにある。

わたしたちの心の手のなかに。

チベットでは、「悪行にもひとつ良いことがある。それはあがなえるということだ」という。

そう、つねに希望はあるのだ。

人殺しや極悪な犯罪常習者であっても、変わることができ、彼らを犯罪に導く条件づけを乗りこえることができるのである。

何であれ今起こっていることは過去のカルマの反映なのだ。

そのことを知っていれば、本当に知っていれば、苦しみや困難に見舞われても、それを失敗や破局と見ることはなくなる。

あるいは苦難を何かの罰であると思ったりすることもなくなる。

自分を責めたり、自己嫌悪におちいることもなくなる。

くぐり抜けてゆかねばならない苦痛を、過去のカルマの完成、過去のカルマの結実と見るようになるのである。

チベットでは、苦しみは「過去のカルマをきれいに掃きだすほうき」だという。ひとつのカルマが完了したことをむしろ喜ぶべきなのだ。

http://www.ikisini.com/keyword/kw001.html 【No.1 「デスエデュケーション」】より

デスエデュケーション、その日本語訳を巡って(その1)

 デスエデュケーションという言葉は、近年、マスコミなどでも取り上げられるようになったこともあり、実際に多くの人がそれについて一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。

 デスエデュケーションとは、文字通り、“死に纏わる教育”ということになりますが、「死の教育」と単純に日本語訳にできないという事情があります。

 たとえば、日本において、1982年頃から上智大学教授のアルフォンス=デーケン氏によって提唱された「死への準備教育」は、今日のデスエデュケーションの日本語訳としては最も定着しているといえるでしょう。デーケン氏はこの日本語訳を「死の準備教育」ではなく「死への準備教育」としたところに、「自分に与えられた死までの時間をどう生きるかと考えるための教育」という意味をこめていると記しています(デーケン,2001)。

 他にも、平山正実氏は、デスエデュケーションを将来訪れる死に対する準備としてだけでなく、「死を思い、死を体験することを通して、現在の生き方そのものを問い直し、より充実した生を送ることを目指す」という意味から、「生と死の教育」と名付けたほうがよいのではないかと述べていますし(平山,1991)、教育現場という位置づけから、こどもたちに対する「いのちの尊厳」を教えることなどを含めて、「死生観教育」という呼称する研究者たちもいます(島薗・竹内,2008)。

 さらにいえば、デスエデュケーションという言葉がポピュラーになる以前から、「いのち」という言葉に「生」と「死」を集約した上で、多くの教育者が「いのちの教育」としてデスエデュケーション活動を行ってきました。特に教育現場に特化すれば、「いのちの教育」という言葉もまた、デスエデュケーションの目的を反映した呼称のひとつとであるといえるでしょう。

 つまり、デスエデュケーションの日本語訳が難しい所以として、1. DeathEducationがその内容は「死」とともに「生」をも含んでいること、2. デスエデュケーションにおける目的、そして対象は、多種多様であるということがあります。そのため、正確にそれを一つの言葉で反映することが困難なのです。このようなことからも、デスエデュケーションがいかに幅広い教育であるかが伺い知れますね。

 今後、不定期ではありますが、このような幅広いデスエデュケーションについて、これまでの文献や興味深いニュース等を交え、さまざまな角度から情報をアップしていけたらと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

参考文献:平山正実「死生学とはなにか」日本評論社 1991, アルフォンス・デーケン「生と死の教育」岩波書店 2001, 島薗進・竹内整一「死生学Ⅰ」東京大学出版会 2008

デスエデュケーションの歴史(1)

 デス・エデュケーションの起源については、様々な角度からの解釈が可能であり、ここが始まりであると明言することは難しいといえます。

 しかしながら学術的な分野において死が研究対象とされるようになったということは、死が教育の対象として考えられるようになる大きな第一歩であったと言えるのではないでしょうか。

 そこで今回は、デス・エデュケーションの歴史を「死に関する研究の歴史」という切り口から見ていきたいと思います。

 1917年、学術分野としての死の研究としては、最も古いとも思われる、フロイトの論考「悲哀とメランコリー」が発表されました。

 フロイトはこの中で、“喪”の中心課題を情緒的なエネルギーを放出し、故人を忘れることにあるとし、この考え方が長い間、“喪のプロセス”に関する考え方に大きな影響を与えたといいます。しかしこうしたフロイトの考え方は近年では批判を受けるようになり、健全な仕方で、遺族と故人のつながりを保ってゆけるということを肯定する研究が多く出るようになりました。

 そしてフロイト以降、特筆すべき研究として、ココナッツ果樹園の火災の生存者に関する研究を行い、痛切な悲嘆に関する臨床的所見を発表したリンデマン(1944)の研究があります。この研究の中で、リンデマンは、悲嘆とは、喪失に対する正常な反応であり、認知的、身体的、行動的、スピリチュアル、感情的な表出を伴った、明確に判別できる症候群であると結論づけました。この見解により、後の悲嘆研究の基本が定まったといいます。

 その後、1955年には、近代社会における「死のタブー」の理由に対する論考である、Gorer(1955)の「死のポルノグラフィ」、1959年にはFielfleの「死の意味」が発表され、それに続くように60年代にも死の研究が続々出されるようになりました。この時期にはミネソタ大学において「死の準備コース」という科目が設けられ、死学に関する国際学会がコロンビア大学で開かれたといいます。

 さらに、1966年には現在でも有名な専門誌『Omega』が創刊され、1977年には第2の専門誌『Death Studies(当時Death Education)』が発刊されました。これらの雑誌には、いまも、死に関する多くの論文が掲載されています。

 そして、1969年、かの有名なエリザベス・キューブラ・ロスによる『死ぬ瞬間』が発刊されました。キューブラ・ロスは、末期患者とのインタビューを通し、死に直面した人間が、どのような心理過程をたどるかについて、検討し、そこで得られた、1.否認・孤立、2.怒り、3.取引、4.抑うつ、5.受容という「死の五段階」を理論化しました。

 彼女の功績により、死の研究が学術分野としてしっかりと確立されました。デス・エデュケーションにおいて、「死の準備教育」という意味が強くなったのも彼女の功績が大きく影響していると言えるでしょう。

 そして70年代にはアメリカでは20以上の大学で死に関するテーマを扱うようになり、1974年には1100コースが設けられたといいます。

 そして現在、日本において、死に特化した専門誌はまだまだ数少ないものの、死に関する研究のバリエーションは広がり、看護、医療、心理といった専門職に向けてだけではなく、一般向けの雑誌にも特集が組まれるようになっています。

 デス・エデュケーションは一つの社会的啓蒙運動の一環という考えもあるということから、ひよっこ研究者として、デス・エデュケーションの発展に貢献するように努力していきたいと思っています。

引用・参考文献:

・Elisabeth Kubler-Ross 「On Death & Dying, (Simon & Schuster/Touchstone)」, 1969(川口正吉訳『死ぬ瞬間』読売新聞社 1971)

・Fiefle,H.,The Meaning of Death. New York:McGraw-Hill, 1959

・Freud,S.「Trauer und Melancholie」1917(井村恒郎訳『悲哀とメランコリー』137フロイト著作集 第6巻 自我論・不安本能論(6)人文書院 1970)

・Gorer,G., The Pornography of Death. Encounters. October 1955

・平山正実「死生学とはなにか」日本評論社 1991

・ケネス・ドガ「生と死の教育の歴史、役割、価値」カールベッカー編「愛する者の死とどう向き合うか」晃洋書房 1955

・Lindenmann,E. Symptomatology and Management of Acute Grief. American Jounal of Psychology,101,141-148,1999

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