卑屈やコンプレックスは 自分と他人を区別し、無智ゆえに「自分だと誤解している自分」だけを愛する自我執着によると言われます。
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縁起の法ではすべては相互に依存し 他から独立した固定した実態は無いと教えられ、観音菩薩の教えでは 全てのものは仏の胎児であり、仏になる存在だと教えられました。
これが本来の自己イメージのはずです。
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宇宙の有機的な相互作用はよく 小宇宙といわれる人体に譬えられます。
目には目の役割があり 排泄物には排泄物の役割があり 善悪を超えて 優劣を超えて 全体のバランスを保ちます。
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然し排泄物にはなりたくないと思っている方は多いのではないでしょうか?
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それでも自業自得、カルマの法則に従えば 顕在意識の願いを超えて
自らの願いが 自らを排泄物に仕立て上げているといえます。
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昔 結婚式に参列した時 新カップルへのはなむけの言葉として
「胸のオシャレなハンカチではなく 足元の雑巾になる喜び」という話を聞いたことがあります。
雑巾は一見汚く、胸の飾りには決してなりません。
然し穢れをふき取り、全てを浄化してゆきます。
黙って耐える奉仕の心を象徴します。
言いかえれば愛するものの幸せを自らの幸せとする 喜びを生きる姿とも言えます。
ハンカチも雑巾も自らが選択する役割です。
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唯識論では 全てのものは心の現れであると説きます。
排泄物であることもハンカチであることも 心の現れであるということです。
言いかえれば自分だと信じている通りに 自分が現れてくるとも言えます。
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「自分だと信じている自分」は「自己イメージ」とも言いかえられます。
イメージがどれほど 自分の存在そのものを規定しているか見てみましょう。
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アメリカで死刑囚に対してした実験があります。
被験者として応募した全員に目隠しをし 手首に刃物で切ったような刺激を与えます。(もちろん実際はきっていません)まるで手首から血のしずくが滴り落ちることを連想させるように 水滴が落ちる音を聞かせると 全員死んでしまったという報告です。
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また薬のプラシーボ効果はあまりにもよく知られていることです。
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全てのものは心の現れであると言われる以上 100% 望めば叶わないことはないとも言えるわけです。
逆に望まないのに 現象として 生じていると見えることは 潜在意識が望んでいることが形になったと考えられるわけです。
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潜在意識、マナ識には自覚できない信じ込み 色眼鏡、仮面がひそみ続けます。
パーソナリティという言葉をご存じですね。その語源はペルソナ、仮面、役割という意味です。
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社会に生きる以上 役割を負い、仮面をつけ続ける必然性があるわけです。乳児として、子どもとして、大人として、男として、女として、日本人として、、、、、、数えあげるときりがありません。
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ですから潜在意識と顕在意識が真反対の願いを持っていたら 顕在意識の願いは決して決して叶わないということです。
潜在意識と顕在意識が乖離していて 顕在意識で頑張れば頑張るほど 心のアクセルとブレーキは同時に踏まれ続け 卑屈コンプレックスから 無気力に
さらに自責の念、自己嫌悪、自殺と行きついてしまいます。
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卑屈コンプレックスを超えるには 優劣に対する視点変更、マナ識の浄化、カルマの清算、自業自得の知恵が大切だと言えます。
それにより 誤った自己イメージから解放されるとも言えます。
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優劣に対する視点変更は 「競争原理に従えば劣って見える人」が 「共生原理に従うと優れて見える人になる」そんな視点変更ともいえます。
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自己一致、自分を愛すること(足るを知る=自分の役割個性を知り 利他のために生かす道を歩むこと)がベースにあれば 卑屈コンプレックスの罠にはまらずに済むのではないでしょうか?
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