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2021.07.07 What's NEW!「ゲシュタルトの祈り」で フリッツが本当に言いたかったこととは。ゲシュタルト療法入門編開催
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ゲシュタルト療法 バーベイティム 著:F・パールズ
皆さま 大雨の被害に合われた方、関係者の皆様に心より お見舞い申し上げます。 本日は七夕ですが生憎の雨ですね。 みなさま、いかがお過ごしでしょうか。 さて、ゲシュタルト療法バーベイティム 著F・S・パールズ ナカニシヤ出版 を読み返していると序文にこんな一節があります。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 序: 「まず、人間性心理学の発展について述べてみたい。 私たちは長い年月をかけてフロイト派の仮面を剝いできたが、 今は新しい、さらなる危険な時代を迎えようとしている。 それは、言葉だけの安っぽい癒しの流行する時代に入りつつあることを意味している。 即効の癒し、つかの間の喜び、インスタントな感覚活性術などである。 (中略) 成長への道は時間を要する過程なのである。 指を鳴らして、「みんなおいでよ、楽しくやろうよ!楽しくなることをやろうよ!」 と言うわけにはいかない。 楽しく装うことだけなら、LSDをやればいい(現在は違法)興奮する事はできる。 しかし、それはゲシュタルト療法と呼ばれている心理療法のアプローチである誠実なワークとは 似ても似つかなぬものである。 セラピーでは、ロールプレイをするだけでなく、パーソナリティーに空いた穴を埋め、 再び全体としてバランスのとれた姿へと再構築しようとしている。 (中略) 実存主義でいう基盤を構築することである。 薔薇は薔薇であるところの薔薇である。 私は私であるところの私である。 私以外の私にはなりえないことを学ぶことである。 ここで、「ゲシュタルトの祈り」をあなたに捧げよう。 一つの指針になれば幸いである。
ゲシュタルトの祈り
と、本の中では、ゲシュタルトの祈りに続いています。 先日、フリッツの直弟子、で最後は同僚となった、ロバート・レズニック博士が ゲシュタルトの祈り関して話してくれました。 とても冷たく受け止められる詩の印象がありますが、
~ゲシュタルトの祈り~
「私はわたしのことをする。そして、あなたはあなたのことをする。私がこの世に生を受けたのは、あなたの期待に応えるためではない。あなたもこの世に生まれてきたのは、私の期待に応えるためではない。あなたはあなたであり、私は私である。もし、期せずして、お互いが出会えるなら、素晴らしいことである。しかし、出会えなかったとしても、それは仕方のない事である。」
フリッツ・パールズが伝えたかったこと
フリッツが言いたかったことは、 私が私に誠実であるように、あなたも自分に誠実であってほしい。 人間とは不完全であり、その不完全なままであえたなら無理がないよね。 お互いに幾つもいくつもの妥協を重ねながら出会っていく。 でも、妥協できないとこもあるよね。 そこはお互いに大切にしてほしい。 幾つもの話し合いを重ねて二人は出会う。 というよな事を、フリッツは伝えたかったのだ。 と話してくれました。
私的には、「幾つもの妥協を重ねながら出会っていく」 本当にそうだなぁっとウルっときました。お互いの違いを、考え、を認めるのは難しいでしょう。グループセラピーは違う人の集まりです。違いに戸惑い、そして、化学変化を起こし、創造性がうまれる。
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