https://freegestalt.net/gestalt/practice/emptychair1/ 【エンプティ・チェア(空の椅子)の技法Ⅰ】より
「エンプティ・チェアの技法」は、心理療法の世界においては、ゲシュタルト療法といえば、すぐにエンプティ・チェアの技法が想起されるほどに、ゲシュタルト療法のイメージとなっているものです。また、現在では、カウンセリングやコーチングなどでも、簡易な形でテクニックとして広く取り入れられたりもしています。
エンプティ・チェアの技法は、その作用(構造)原理を深く理解することで、私たちの想定をはるかに超えた領域まで、応用的に使っていくことができるものになります。しかし、エンプティ・チェアの技法は、実際に、その変容体験を深く実感(洞察)していないと、深いレベルでその構造を理解できないようになっています。古典的心理学を超える要素を含んでいるからです。そのため、ゲシュタルト療法の教科書においてさえ(教科書においては)、あまり充分な記述がないということになっているのです。
ここでは、なるべく構造的なわかりやすさを考慮して、記述していきたいと思います。
ところで、エンプティ・チェアの技法は、セッションの中の、さまざまな場面において、利用でき、効果を発揮するものとなっています。一番、多く使用される方法は、誰か実在の人物を、エンプティ・チェアに置いてみて、(そこに居ると仮定して)その人物に、語りかけ、伝いたいことを伝えるというものです。また、相手になってみて、その気持ちを探ってみるという、形のものです。では、この手法の、原理的な意味を少し見ていきましょう。
①原理
さて、心理学、フロイトの精神分析においては、「投影 projection」といえば、自分が心理的に抑圧したもの=自分のものと認めたくないもの=分裂した心的内容を、相手(外部の世界)に投げ込む「防衛機制」を指しています。自分の潜在意識(無意識)に抑圧した心理的内容は、どこかに消えてしまうのではなく、それを投影しやすい他者を見つけて、そこに映し出されるというわけです。
「あの人はなんかすごく嫌な人」「あの人は生理的に受けつけない」という時、多くの場合、私たちは、自分の内にある受け入れたくない要素、認めたくない要素(自分の感情)を、相手に投影しているものです。「あんな邪悪な感情を持っているのは、(自分ではない)あの人だ!」「自分は、あんな邪悪な感情はまったく持っていない!」という風になっているわけです。そのことで、その感情を「自分のもの」と感じることから守られるわけです。自分の心地良いセルフ・イメージが守られるわけです。しかし、そのように制限的なニセの自己像(セルフ・イメージ)を持つことで、心の底では苦しい葛藤も生じますし、対人関係の苦痛や生きづらさも生まれてきてしまっているわけです。
また、そこまで心理的内容に限定しなくとも、私たちは一般に、外部の世界(他者)を知覚でとらえようする時は、無意識的に、自分の内的(心的)要素を外部の世界に投影して、物事を把握しようとしているものです。
後に、「暗黙知」というコンセプトで有名になる科学哲学者マイケル・ポランニーは、私たちが対象世界をとらえる際の、身体知の投影(投射)についてさまざまな考察をめぐらしています。そのアイディアは、フランスの哲学者メルロ=ポンティの身体論などからインスパイアされたものです。
「画家は、その身体を世界に貸すことによって、世界を絵に変える」(メルロ=ポンティ『眼と精神』木田元他訳、みすず書房)
上は、画家が創作活動の中で、身体感覚を投影して、風景(対象)をとらえる(統合・体内化)する様子を比喩的に描いた言葉ですが、私たちは、通常、潜在意識も含めた心身の全存在で、世界や他人に関わり、それを把握しようとしているわけです。私たちは、客観的に、ニュートラル(中立的)に、外部世界をとらえているわけでは決して無いのです。
他人や外部世界が、ニュートラル(中立的)に、客観的にとらえられるようになるのは、ある程度、自分の心的投影の歪みが解決された後での話です。
さて、エンプティ・チェアの技法は、この「投影 projection」の原理を応用したものになっています。そして、その心理的投影の歪みを取り去るため(分裂を統合するため)の技法となっているのです。
②技法と手順
エンプティ・チェア(空の椅子)の技法は、クライアントの方とセッションを進めるなかで、クライアントの方にとって、「或る人物との関係性」が重要なテーマであると感じられた時、また、強い感情的な価値(付加エネルギー)を有していると判断された場合に、まずは提案される技法のひとつです。
(1)まず、クライアントの方に、空いている椅子や座布団の上に、その人が居ると仮定してもらいます。
(2)次に、その人に、言いたい事を伝えてもらいます。
さて、簡単に書きましたが、「架空の劇」にもかかわらず、このようなこと自体が、クライアントの方にとって、心の負担となる場合もあるので、丁寧で慎重なやり取りや場の設定が必要です。
というのも、この原理は、上の図のようになっているからです。
つまり、椅子に置く「その人物」とは、実はクライアントの方の中に存在している心的内容(欲求・自我状態)の投影されたものだからです。言い換えると、心的内容(欲求・自我状態)そのものだからです。
仮に「人物A」を置いた場合、そこに、クライアントの方が見ているのは、人物Aに投影している、自分の心的欲求A(自我状態A)そのものなのです。(本人は、それに気づかず、そこに人物A本人を、見ていると思っていますが…)
そして、この場合、そこに見た人物A=心的欲求Aとの「抑圧・葛藤関係=関係性(非対称性)」において、今度は、自分がただちに心的欲求B(自我状態B)となってしまうのです。意識が、自分を欲求B(自我状態B)と同一化してしまうのです。目の前に、抑圧された欲求(自我状態A)が投影されているので、反発・対立構造的に、自分がアンチAである「自我状態B」になってしまう(同一化されてしまう)からです。
ポイントは、ここです。
心的欲求(自我状態)Aと心的欲求(自我状態)Bとの対立構造(=カップリング・非対称性・葛藤)のなかで、己の意識的なアイデンティティ(同一化)が、一方側の自我状態に拘束され(囚われ)てしまっているわけです。
私たちは普段、自分を十全な自分だと思ってますが(錯覚してますが)、実は、自分の中の「部分的な存在状態」、自我(欲求)Bに同一化している存在でしかないのです。
ここを実感的に理解できることが、エンプティ・チェアの技法を理解するための要点です。そうでないと、形だけで椅子を移ってもらう、中身のないセッションになってしまうからです。
ちなみに、これが、普段の日常の人間関係のなかでも、私たちが苦しめられたり、不自由(拘束的・囚われ)になってしまう理由なのです。
実は普段も、私たちは、目の前の実在する他人に苦しめられたり、拘束されて(囚われて)いるのではなく、その人に投影している自分自身の自我(欲求)状態の、葛藤構造(非対称性・分裂)に拘束されて(囚われて)、苦しめられているのです。世間に多い、加害者と被害者のカップリング、ゲシュタルトでいうトップドッグ(超自我)とアンダードッグ(下位自我)のカップリングも、心の非対称的な分裂構造として、私たちの心の中に、元々存在しているものなのです。
そのため、潜在意識の中にある、この自我(欲求)状態AとBとの関係性を、充分に意識化することや、その苦痛化した非対称的な構造(葛藤・緊張)を解放し、変化(緩和・流動化)させることが、治癒や統合のためには必要なことなのです。そのためには、この非対称的・葛藤的な拘束のなかで、強く緊張している感情エネルギーを解放していくことが必要となるのです。
しかし、そのやり方(方法・技法)は、実はシンプルなことなことでもあるのです。
方法としては、今同一化しているその自我状態の情動や感情を充分に体験し、表出・表現しきっていくということなのです。放出しきるということなのです。
たとえば、今同一化している自我状態Bになった場合は、そこで体験している感情体験をメッセージとして、十分に感じ・体験して、余すところなく、人物(自我状態)Aに向けて表出し、表現し、伝えることなのです。願望、不安、恐れ等々も含めあらゆる感情に気づき、体験し、表現しきることなのです。
そのことを行なうことで、自我(欲求)状態Bの十全な存在体験、存在表現となり、充溢した十全な存在状態を導くことになるのです。そのことで、過度な緊張エネルギーが放出され、弛緩し、強い拘束が少し弛みだすのです。重要なのは、「充分に感じ、体験し、伝えきる」ということです。それが、欲求不満な溜まっている言えない(禁じられた)気持ちを解放し、完了させることにつながるのです。
もしも、ここで、 「自我状態B」に充分同一化できて(なりきれて)いなく、そのBがはらむ情動が充分に体験・表現されない場合は、「自我B」は「自我B」ではなく、「自我B(-A)」のように、「Aの存在に少し毀損されたB」という、葛藤を含んだ中途半端の存在(自我・欲求)にとどまってしまっているのです。これだと、「自我B」の十全な存在状態にならないのです。そうなると、葛藤的・非対称的な拘束を脱するのに、不足が生じてしまうのです。次に見るように、椅子を移っても、自我状態が変わることが起きないのです。ここには、注意深い観察とアプローチが必要となるのです。
③役割交替
さて、次に、クライアントの方に、Bから、Aの椅子(位置)に移動してもらいます。
すると、自我(欲求)状態Bが充分に表現されていた場合、クライアントの方の意識は、直ちに、自我(欲求)状態Aに同一化します。自我(欲求)状態Bが充分に表現されていない場合、Bの要素を、Aの椅子(位置)に持ち込んでしまうため、自我(欲求)状態Aに充分同一化できないこととなります。「自我A(-B)」の状態です。
この自我(欲求)状態変換の技法的原理は、催眠で言うところのアンカリング(知覚情報と自我状態の結びつき)になります。先ほどのBの役の時に、Aの椅子に、自我(欲求)Aを投影していたので、Aの椅子に、座った時に、直ちに自我(欲求)Aに同一化するのです。
まとめると、B(本人役)の時に、自我(欲求)状態Bが充分に表現されていたか否か、Aの椅子に自我(欲求)状態Aを、クライアントの方が充分に投影できていたか否かが、重要なポイントととなります。この表出と投影が充分になされていないと、椅子を代わったところで、充分に自我(欲求)状態Aに同一化することができないからです。
そして、この自我(欲求)状態への同一化を通して、クライアントの方は、普段は分裂(投影)していた、自分の自我(欲求)状態の意図を、深いレベルで体験し、感じ取ることができるようになるのです。
これは、普段の日常生活では、決して起こらない事柄です。
そのため、ファシリテーターは、ワークの各ステップの中で、クライアントの方がそれぞれの役の時に、充分に(混じり気なく)、その自我(欲求)状態単体に深く同一化できているかを、きちんと確認していかなければならないのです。
もし、そうでない場合は、まったく別の心的内容(自我)が、そこに存在している可能性もあるので、場合により、「別のアプローチ(そのⅡ) 葛藤解決」を部分導入しないといけないかもしれないからです。
④役割交替の繰り返し
さて、そして、椅子を交互に移りながら、この役割交替を、何度か繰り返します。
すると、(同じ存在である)意識・気づきが、両方の自我状態A・Bに交互に同一化していくことで、分断していた非対称的なAとBの間に、意図(情報)の流通(横断)がつくりだされます。
相手の自我状態に対して、共感的理解が少しずつ生まれ出すのです。意図(情報)とエネルギーが交流しはじめ、対称性が生まれだすことになるのです。
ここでは、意識・気づきのメタ(上位)的な位置が、情報の経路として効果を発揮します。体験を体験する気づきの力です。
また、役割交替を、何回も繰り返す必要性は、非対称的で、硬化した相互拘束を溶解するには、片方ずつ、少しずつエネルギーを流すしかないからです。固く留められた複数のネジを弛める要領です。各自我状態の中にひそんでいる感情・意識・認識・信念の「塊」は長年に渡り固形化しているので、それを溶かすには、少しずつ動かし、揺さぶるようにエネルギー(感情)をさまざまなパターンで流し、体験する必要があるからです。
自我欲求の非対称的構造は、揺り動かすような動きを与えないと、深い部分のエネルギーが自由に流れ出さないからです。各自我状態の深いところに存在している、真のメッセージを聴き取ることができないからです。役割交替を繰り返すことで、クライアントの方も、各自我状態にも慣れてきて、各自我それ自身(単体)の内実に、より深い気づきをもって同一化をすることができるようになるのです。
そして、ワークを進めていき、たとえば「自我状態B」が充分に体験されていくと、「自我状態B」は「自我状態B´」や「自我状態Y」へと姿(状態)を変えていくことになります。なぜなら、「自我状態B」という状態自体が、相互拘束(反発と葛藤)によって生み出されていた、偏った部分的状態だっただからです。十全な体験と表現ができて、拘束が弛むことで、「自我状態」はより本来の姿(状態)へと戻っていくことになるのです。
そして、変容した「自我状態X」「自我状態Y」として交互に交流を深めていくと、これら自我(欲求)状態を対立している自我(欲求)状態としてではなく、自分の中の「役割」(部分)でしかなかったことに気づける大きな広がった状態に、クライアントの方は移行していくことになるのです。
そして、「自我状態X」「自我状態Y」が溶け合い、合わさったような、そしてさらにそれを超えた、フラットで充実した広がりを、自分自身の中に見出していくこととなるのです。
これが「統合」状態ということになります。
場合により、この統合された自我(欲求)状態が、「自我状態Z」として現れてきた場合は、新しい椅子を用意して、その場所を与えてあげるというのも、技法的にはありです。
そして、クライアントの方は、変容した自我/欲求状態XとYを体験しつつ、自分が過去に外部世界や相手に投影していり、自分だと信じ込んでいた自我(欲求)状態AとBが、偽りの、仮の状態(姿)であったことにまざまざと気づくことができるのです。
クライアントの方が、実在するAさんに投影していた、自我(欲求)状態Xの姿を、自分でもアーハ体験のように気づきくことになるのです。「Aさんだと思っていたのは、自分のXだったのだ!」と驚くことになるのです。幻想や霧が晴れた了解感と、充実した統合的なエネルギーを感じるようになるのです。
そして同時に、実在するAさんに投影していた、自我(欲求)状態A自体が、元来、自分の分裂した自我状態・パワーであったことに気づくのです。そして、そのパワーを、自我状態Xとして、自分のものとすることができるです。
クライアントの方は、分裂して生きられていなかった別の自分と統合されることで、ひとまわり大きくなった自分、パワフルになった自分を実感することができるのです。
※よくある間違い(失敗)について
よく、エンプティ・チェアの技法について、「なかなか終わらない」「終わらせ方が分からない」「腑に落ちない(気持ち悪い、モヤモヤした)終わり方になる」「頭で考えただけの結果になる」というような話を聞きます。
このような場合は、各「自我(欲求)状態の変容」が起こせていないことが一番の問題といえます。ワークの中で、クライアントの方が、それぞれの自我(欲求)状態に深く同一化することや、体験を深めることができていないのです。特に、感情的な要素です。
対立・葛藤状態にある「自我(欲求)状態A・B」のままで、椅子を移っていても、それは元々の葛藤状態を確認するだけのことで、統合は起きません(視点の転換くらいのことはできます)。各自我(欲求)状態への深い同一化(体験とエネルギーの解放)と、自我(欲求)状態X・Yへの変容を通じて、本当の統合も起きてくるのです。
このあたりの誘導は、微細精妙な技法と、自己の変容体験とリンクしてきますので、この技をより深めたい方は、ぜひ当スペースで学んでみていただければと思います。セッションにおいては、ファシリテーター自身の持っている変容体験が、クライアントの方の変容体験に同期しますので、ごまかしの効かない世界となります。より深い変容体験を持っているファシリテーターの方が、クライアントの方により深い体験を起こすことができるのです。シンプルな話です。
さて、以上が、エンプティ・チェア(空の椅子)の技法のあらましとなります。この技法は、さまざまな活用場面を持っており、また、その効果も多様なものです。そのため、ゲシュタルト療法を超えて、色々な流派でも、採用されることになったのです。
しかし、この技法のもつ潜在能力は、それだけに終わるものではないのです。
たとえば、「意識 awareness 」が、限定的な自我(欲求)状態をさまざまに移動していくこの技法のプロセスは、逆に、意識 awareness そのものが持っている非限定的な力を照らし出すことにもなります。それは、トランスパーソナル(超個的・超人格的)といわれる状態の秘密(原理)を解き明かす重要なヒントでもあるからです。
そして、このことが体験的理解できると、トランスパーソナル心理学の理論家ケン・ウィルバーが、「ゲシュタルト療法的な心身一元論的統合(ケンタウロスの状態)は、ごく自然にトランスパーソナル的体験に移行する」と指摘していることの深い(深遠な)意味を理解できるようにもなってくるのです。
そして、それを単なる理論ではなく、実際の体験としても垣間見れることにもなるのです。当スペースでは、なぜ、トランスパーソナル的な体験が得られやすいのかということの原理的な説明にもなっているのです。
同様に、私たち人類が、何万年にも渡って実践してきたシャーマニズム的伝統の秘密も、実は、この技法や、それが生み出す変性意識状態(ASC)との関係に含まれていたりもしていることがわかってくることになるのです。
このようなさまざまな点からも、この技法を深いレベルで身につけていくことは、同時に、人生を根本的に変える(超える)決定的な技法を手に入れていくことにもなるのです。
※実際のセッション(ワーク)は↓をご参考ください
0コメント