トランス誘導

https://note.com/mentane/n/n8f062c33e542  【トランス誘導はYESセットと暗示で構成される】より

相手の知識状態を扱うトレーニングとしてトランス誘導、特にYESセットの練習が効果的であると前の記事で述べた。以下ではトランス誘導やYESセットが実際にどのようなものなのかを説明する。

「トランス」「催眠」(*1)などというと、世間一般では催眠(トランス)状態に入った人に対して、暗示を使い、人を操り人形のように動かす、というイメージが強い。フィクションの中ではそのような小道具としてよく用いられているし、テレビのショー催眠などで「あなたは犬になります!」などと暗示された芸能人が、ワンワン吠えているのを見たことがあるかもしれない。

だが、実際はだいぶ違う。人は自分の望まぬ暗示にはなかなか反応できない。「あなたは犬になる」と暗示しても、犬の真似など恥ずかしいしバカらしい、と考えている人の反応は悪いだろう。(*2)

逆に自分が強く望んでいることであれば、暗示にも反応しやすくなる。不眠で強く悩んでいる人に対して「眠れる」と暗示したり、試験で緊張し過ぎて実力が発揮できないことを心配している人に「リラックスして試験を受けることができる」と暗示するのであれば、望まぬ人に「犬になる」と暗示するよりもはるかに反応は良くなる。

YESセットが暗示の成功率を下支えする

しかし、暗示する内容が相手の望みと一致していたとしてもまだそれだけでは足りない。不眠で悩んでいる人にいきなり「あなたは今晩からぐっすり眠れます」といきなり一言だけ暗示してすべて問題が解決するのならば苦労はない。

暗示が効果を発揮するためには、こちらの言葉が相手に対して影響力を持つように、暗示の前の地ならしを十分にしておく必要がある。ここで今回の主役、YESセットの出番となる。YESセットは、一見、地味な技術だが、うまく利用すると、相手に対する強い影響力を確保できる。その結果、普通にやっていては反応しないように見える難しい暗示にも反応したりする。

「トランス誘導」「催眠誘導」と呼ばれる行為も、誘導者が「あなたはトランス状態(催眠状態)に入ります」といった暗示したり、YESセットなどその効力を増すための各種下準備を被験者に行うことによって、被験者をトランス状態(催眠状態)へと導くことを指す。

YESセットで信頼関係を形成する

YESセットの仕組みは簡単だ。相手が内心で「うん、そうだね(YES)」と肯定したくなるような言葉を連続して伝える。これだけだ。

なぜこんな単純なことで相手への影響力が増すのか?

イエスを積み重ねていくと、自分と相手との間に無意識的な信頼関係ができてくる。それを催眠療法や心理療法の世界では「ラポール」と呼んだりもする。ラポールとはフランス語で「関係」「親密さ」という意味を表す言葉だ。

YESセットにおいて形成される信頼関係(ラポール)というのは、被験者(=トランス誘導を受ける側)が誘導者(=トランス誘導を行う側)に対して「この人の言うことは大外しはしていなくて、だいたい当たっているな」「間違ったことは言わないみたいだから、この言葉も信じてもいいかな」という印象を持つ感覚に近い。

ラポールがなければトランス誘導は成功しない

この信頼関係、ラポールがなければトランス誘導は失敗する。

考えてみてほしい。

「今からあなたを催眠術でトランス状態にします。そして、私はこの何の変哲もない2000円で買った壺を、350万円で売りつけるつもりです。さあ、始めましょう。あなたはトランスへと入ります」

こんな風に言われて、素直に喜んでトランスに入る人は滅多にいないだろう。みんな当然警戒するはずだ。

信頼できない相手からのトランス誘導を、たいていの人は拒否する。どんなひどい目にあわされるかわからなくて不安だからだ。この拒否、抵抗は意識レベルだけではなく、身体レベル、無意識レベルでも生じる。

トランス誘導の9割はイエスセット、暗示は1割以下

そもそも「トランス」「催眠」という言葉には怪しげなイメージがつきまとう。

それに、多くの人にとってトランス誘導を受けるのというのは初めての体験だ。様々な不安や反発心などがわいてくる。トランス誘導に乗らないようにする心の動きを全てまとめて「抵抗」と呼ぶ。

「トランスに入ったら、人に話したくないことまでペラペラ話してしまうのではないか?」

「一度、トランスに入ったら、そのまま出られなくなるんじゃないか?」「上手く誘導に乗れず、トランスに入れないんじゃないか?」

「この人の誘導に乗らず、トランスに入らないでいることはできるだろうか?」

「トランスに入ったら、単純なバカで扱いやすい奴と思われるんじゃないか?」

などなど。

こういった誘導されることへの抵抗を軽減したり、逆手にとって誘導に利用したりするために、大半のトランス誘導技術が開発されてきた。これらはまとめて「抵抗操作」と呼ばれる。トランス誘導をするにあたっては、被験者の抵抗操作を避けて通れない。「あなたはなんでも自由に抵抗していいんですよ」という許容的なアプローチが現代催眠(*3)においてはよく使われるが、これも立派な抵抗操作技術である。もちろんYESセットも抵抗操作技術の一つとなる。様々な抵抗操作技術の根底にはたいていYESセットの発想が横たわっていると考えていい。

トランス誘導作業のほとんどはYESセットの構築に費やされる。

抵抗さえなければ、暗示なんて極めてストレートな一言で十分だ。何度も同じ暗示を繰り返す必要はないし、手の込んだ暗示もいらない。手の込んだ暗示というのはその中にすでに抵抗操作の要素が盛り込まれている。

トランス誘導中の言葉がけの分量としてはYESセットが全体の9割くらいを占めると思ってもらっていい。暗示は1割以下である。YESセットのないところにトランス誘導は成立しない。

人間の身体において心臓や脳などの臓器は重要だ。しかし、身体の大半を占める骨や筋肉、血管などがなければ生きていくことができない。トランス誘導におけるYESセットもそれに近い。

YESセットを保つには他者の頭の中を正確に推測する必要がある

YESセットを組み立てるためには、「この言葉であれば、相手は肯定するであろう」という推測を相手の反応に合わせて臨機応変に行わなければならない。そのためには相手の知識状態の推測はもちろんのこと、これからこちらが投げかけた言葉に対して起こるであろう思考や感情の反応まで、瞬時に正しく推測する必要がある。

その様子は次のようにたとえることができるかもしれない。

表面がでこぼこの石垣に向かってボールを投げる。そのボールが石垣に当たる位置をあらかじめ予想し、その部分の石垣の形状からボールがどちらの向きに跳ね返るかを予想し、そこに移動してボールを受け取る。予想が当たればうまく受け取れるし、予想が外れると、とんでもない方向に跳ねたボールを慌てて拾いに行くことになる。

トランス誘導中は呼吸するように可能な限りずーっとイエスセットを保ち続ける。そして、その合間にちょこっと他の誘導的な暗示を挟んでいくことになる。

だから、トランス誘導の練習をしていれば、自然とYESセットを使い続けることにもなる。その結果、相手の知識状態やこちらの言葉への反応を推測する癖がつく。

ぼくは「トランス誘導のトレーニングをすると普段のコミュニケーション、わかりやすいトランス誘導の形を取らない日常会話のキレも良くなる」とよく説明している。YESセット自体はトランス誘導場面だけではなく、日常会話の中でもいくらでも使えるからだ。

次の記事ではYESセットをトランス誘導の導入に用いる実例を挙げながら、どのようなイエスをとることで信頼関係構築の効果が上がるのかという解説をしよう。

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(*1)「トランス」も「催眠」もほぼ同義であると考えてもらっていい。強いて言えば「催眠」という言葉を使うほうが、他者による誘導によって日常との意識状態とは異なるある特殊な状態(=変性意識状態、催眠状態、トランス状態)を引き起こす意味合いが強く、「トランス」というときには誘導者の不在の自然発生的な変性意識状態も広く含むイメージがある。

(*2)テレビのショー催眠はやらせなのか、違うのか、という問題については本題からそれるので、またいずれ機会があれば別の形で書こうと思う。

(*3)古典催眠と現代催眠という対比でよく語られる。古典催眠は形式化した誘導手順に基づき、一目で通常のコミュニケーションとは異なる誘導の仕方を行う従来のやり方。現代催眠は主に催眠療法家ミルトン・エリクソン以後に開発されたもので、通常の会話との境目を持たないより幅広い柔軟なアプローチ法である。「エリクソン催眠」などと呼ばれることもある。ぼくは現代催眠やエリクソンを主に考察や実践の対象としている。


https://note.com/mentane/n/n4914de6b11e3  【本当に効果が出るYESセットとは何か?】

以下では、信頼関係を構築するどころか破壊してしまうような表層的なYESセットと、実際に信頼関係(ラポール)を構築する効果を持つYESセットとの違いについて、実際のトランス誘導の具体例をあげつつ説明する。

YESだけど信頼関係が壊れる言葉

YESセットというと、ビジネス本などで

「今日は天気がいいですね」

「はい」

「暑いですね」

「はい」

「そういえば、昨日も晴れてましたよね」

「はい」

といった感じで、何でもいいから相手がイエスと言えることを積み重ねればよいと表層的な説明をしている本がある。あれは多分YESセットの本質がよくわかっていない人が書いている。

こちらが「昨日も晴れてましたよね」と言ったとして「それは確かにそうだけど、天気の話題なんかには興味がないんだよ。早く話の本題に入れよ」と相手にイラつかれたとしたら、当然、信頼関係は構築されるどころか、破壊されてしまう。

信頼関係を構築するためにYESセットを用いるわけだが、だからといってYESセットを用いれば必ず信頼関係が構築されるわけではない。同じイエスを取ったとしても、信頼関係が強化されるイエスと、信頼関係が破壊されるイエスがあるのだ。もちろん、毒にも薬にもならないイエスもある。

ちなみにノーの時には基本的に減点になる。減点にならない形のノーの言わせ方(受容的なノーセット)というのもあるが、それは今回のテーマからはそれるので今回は説明しない。

重要なのは、イエスの中でも加点になるイエスをつなげていくことである。そうすることで信頼関係を構築することができる。

リアルタイムで頭の中にあるもの

ではどんなイエスを取れば加点されるのだろうか?

一つは、相手が今、リアルタイムでまさに興味を持っていることに寄り添う形でのイエスを取ることだ。

「目を閉じてください」

(目を閉じる)

「目を閉じると周りの風景は見えなくなります」

(はい)

「でも、耳はちゃんと聞こえていて、私が話しているのがわかりますよね」

(はい)

「体の感覚もありますから、今座っている椅子の背もたれの感触を背中に感じることもできる」

(はい)

これはトランス誘導の入り口なんかでよく使う流れになる。目を閉じた人は少し不自然な状態、視覚が制限された状態に置かれる。すると、当然、聴覚や体感覚へと意識が向きやすい。それをイエスセットを組み立てながらさらに誘導している。

一番最初にこういったエリクソン的な現代催眠の手法を学んだ時には、なぜこんな言葉がけがトランス誘導になるのかぼくもよくわからなかった。でも確かにこういう言葉がけを続けていくと人はトランスに入っていく。この辺は実際に体験を積んでいくと実感とともに納得できるようになる。

言われてみるまで気付かないが、言われてみれば確かにそうだと感じること

(先ほどのトランス誘導の続き)

「ひょっとしたら、言われるまでは気づいていなかったかもしれないけれども、あなたの手のひらがももに触れている感触もわかる」

(はい)

「ぼくたちは何かを感じながら、それを感じていることを忘れていることができる」

(確かにそう言われてみればそうだ)

こんな風に「言われてみるまでは気づかないが、言われてみたら確かにそうだ」というイエスも加点が大きくなりやすい。人間は、そういうものを受け取ると、ちょっとうれしくなったり、もっともらしく感じたりする。

不安や違和感などマイナスに見える思考・感情へのコメント

(トランス誘導の続き)

(ガチャ、扉が開く音がして他の人が部屋に入ってくる)

「今、扉が開く音がして、その気配から誰かがこの部屋に入ってきたことがわかります」

(はい)

「目を閉じているあなたにはだれが入ってきたのかはわからないけれど」

(はい)

「大丈夫です」

(はい)

誘導中に予期せぬ騒音、妨害が入るというのは良くないことだと思われがちなのだけど、実際は適切に対処をすればそんなことはない。その音に対して被験者がどんなふうに頭の中で反応するかを推測して、大外ししない言葉をかければいい。それでイエスセットになる。

多くの人は扉が開く音を聞いて「あ、誰かが入ってきた(もしくは出て行った)」「誰だろう?」という考えが頭の中に広がる。そういった自然に起こるであろう思考、感情、疑問を無視して触れないと、誘導者にかけられている言葉と被験者の頭の中で考えていることが不一致になる。だから、誘導者は被験者の頭の中で起きているであろうことに合わせて言葉をかける。

「今、扉が開く音がして、その気配から誰かがこの部屋に入ってきたことがわかります」というのは、今、まさに被験者が頭の中で気にしていることについてコメントしてやることであり、これもイエスセットとしては大きな加点になりやすい。

人によっては「私はトランス誘導されなければならないのだけど、外から入ってきた人の物音によって気が散ってしまっている」=「トランス誘導がうまくいっていない」と認識してしまう。だから、誘導者が積極的にコメントしてやることで「扉が開く音が聞こえる」=「トランス誘導に乗れている」と安心してトランス誘導に乗っていられるような道筋を作ってやるわけだ。

ここにはYESセットを少し踏み越えた暗示的要素が含まれている。しかし、ここまで十分にイエスを取り続けてきているため、たいていはこの「大丈夫です」という言葉をすんなり受け止めてくれる。こんな風にしてYESセットは機能する。