https://japanese.hix05.com/Myth/myth08.sarutahiko.html 【猿田彦と天狗】より
東京各地の祭りでは、ほとんどどこでも猿田彦が登場して、神幸祭の行列を先導している。長い鼻と赤ら顔の天狗の面をかぶり、一枚歯の高下駄をはき、色あでやかな衣装をまとったその姿は、行列の人気者である。いつの頃から猿田彦が天狗となり、神々の先導役を勤めるようになったか、その鍵は天孫降臨神話の中にある。
猿田彦について、日本書紀天孫降臨の条はつぎのように書いている。
「一神あり、天八達之衢(あめのやちまた)に居り、其の鼻の長さ七咫(ななあた)、背の長さ七尺余り、まさに七尋(ななひろ)といふべし、且(また)口尻明り耀れり、目八咫鏡の如くにして、?然(てりかがやけること)赤酸漿(あかかがち)に似れり、即ち従の神を遣はして往いて問はしむ、時に八十萬神あり、皆目勝ちて相問ふことを得ず、故(か)れ特に天鈿女(あめのうずめ)に勅して曰く、汝は是れ人に目勝つ者なり、宜しく往いて問ふべし、天鈿女乃ち其の胸乳(むなち)を露にかきたて、裳帯(もひも)を臍(ほぞ)の下に抑(おした)れ、あざ笑ひて向ひ立つ、是の時に衢の神問ひて曰く、汝かく為ることは何の故ぞや、対へて曰く、天照大神の子の幸(いでま)す道路に、此の如くにして居るは誰ぞ、敢て問ふ、衢の神対へて曰く、天照大神の子今降行(いでま)すべしと聞きまつる、故れ迎へ奉りて相待つ、吾が名は是猿田彦大神」
この後、猿田彦は天鈿女の問に答えて、天孫の降臨すべき場所は筑紫の日向の高千穂である旨を告げる。この告げに従って天孫の一行は高千穂の串触(くしふる)の峰に天下るのである。
ここに描かれている猿田彦の形相は、長い鼻に真っ赤な顔というのであるから、今日いう天狗のまさに原型のようなものである。その猿田彦が天孫の天下りすべき場所を教えているというのは興味深い。天孫一行は猿田彦の案内がなければ、無事天下ることができなかったとも受け取れる。そこからして、今日の祭においても、神々の行く手は猿田彦が案内するものと、相場が決まったのだろう。
猿田彦の形相は天狗を思い出させるが、実はもともと天狗であったわけではない。日本書紀の中でも、天狗への言及があるが、それは流れ星をさして天狗といっているのであり、もともとは天狗と猿田彦とは別のものであった。両者が結びついて、今日のような天狗のイメージが定着するのは室町時代以降のことである。鞍馬山に住む天狗や、謡曲に多く出てくる天狗のイメージが其の始まりと見られている。
天狗は長い鼻を持ち、一夜にして千里を翔る。形相においては猿田彦を連想させ、神出鬼没な面は流れ星に似ている。日本人の想像力が育てた傑作といえるかもしれない。
mintun.exblog.jp 【猿田彦の下駄 1⃣ 神託の続き】より
久高島・西海岸にある御嶽・アカララキ。王府時代には「ちみんとぅまい」(聞得大君の泊)と呼ばれた港のすぐ前にある。
1月末に島に寄ったときにも、いちばんに足を運んだ。御嶽名にちなんで「曉の御嶽」とも呼ばれる。
石祠に祀られている神の名前は不明だ。これまで、アラハバキ・瀬織津姫では? と書いたが、ふと、ここには龍宮神が祀られているのではないかと思った。
昨秋訪れた、伊勢・伊雑宮の奥宮「天の岩戸」の祭神 猿田彦大神と瀬織津姫とよく似た、龍神の神気が感じられた。
実際、アカララキの大きな神徳は、
久高島最大の祭・イザイホーでいかんなく発揮された。
イザイホーの開始前には、ここで「御願立て(うがんだて)」が催され、またイザイホーの期間中、アカララキの祠は祭祀場に出張して、神女たちの成巫儀礼(神魂の転生)を見守った。
このアカララキで不思議な現像に遭遇したのは、1年前の旧正月。祠の中に、白い玉がくっきりと投影された。
島人に尋ねると、「フシマ(火島)へ行けという神託ですよ」と言う。
さすがに「神の島」。噂に聞く霊能で即座に言い当てた。
旧正月と違い、この日は極寒。釣り人もいなかった。1年前に語り部が言ったことを思い出す。「フシマに棲む龍宮神は、神馬に乗って来たそうです。
そしてその馬は、イン二ヤーという拝所に繫がれていた」
尋ね尋ね集落を歩き、どうにかイン二ヤーに辿り着いた。
右に立つのが、神馬が繫がれたと伝わる、がじゅまるか。扉のある拝所は初めてだった。
作法が分からず、知り合いの島人に電話すると…。「下駄が祀られているはず。杖もあるはず…」とのこと。恐る恐る中を覗いてみると、本当に下駄が祀られていた。
しかも、高下駄。上には毛筆で「魚根家」と。
イン二ヤーとはこう書くのだったか!魚根(いんに?)家か、魚の根家(にーや)か。
それにしても、どうして下駄と杖が祀られているのか。
猿田彦の下駄!? まさか…
。
https://mintun.exblog.jp/20844481/ 【猿田彦の下駄 2⃣ 古代海人族】 より
失礼しますと拝礼しつつ「イン二ヤー」と呼ばれる拝所の扉を開くと、拝壇の隅に高下駄があった。手に取るとズシリと重い。また、壁の上部には、木の長い杖も掲げられていた。
高下駄は、一本歯ではなかったが、杖も祀られているとなれば、猿田彦の立像を想像せずにいられない。
魚根家と書いてインニヤーと読むことも知った。方言読みで、魚は「いゆ」、根は「に」、家は「やー」。
そうすると、屋号の意味は「魚根の家」「魚の根家」または「魚の根の家」か。
いずれにしても「根」がつく以上、相当な旧家であることは間違いない。
古代海神族の痕跡ここにあり?
インニヤーは既に廃絶したようだが、比嘉康雄氏の著書『神々の原郷 久高島』には、
旧家のひとつとして拝所図が載っている。
インニヤー家(1979年調べ)として、次のような説明文が。
「当家は龍宮神で、昔はフシマを管掌していた」。また拝壇の香炉名も「龍宮神」「根人」とある。
イラブー海蛇の漁場でもあるフシマの漁獲権は外間根人が持つというが、それはイン二ヤー家から受け継いだものと聞いた。
ここで、イン二ヤーの情報を整理すると…
・根人(男の神役)を輩出した旧家 ・ニライ大主(女の神役)をも輩出
・龍宮神(=龍蛇神)の神魂を継ぐ ・フシマのイラブー海蛇の獲る権利
・神馬を繫ぎ止めていた聖木がある
久高島の真南に浮かぶ、龍宮神の棲むフシマ(火島)。
そして、あっと、下駄の鼻緒に気がついた。イザイホーの「アリクヤーの綱引き」で使う
稲藁と酷似している。
水の少ない久高島では稲は育たないため、祭具として使う稲藁は、アマミキヨの居住地と伝わるミントングスクから送られていたのだった。
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