年神様と門松。序でに、寄生木の話

https://botanical.jp/library_view.php?library_num=630  【ケン幸田の世事・雑学閑談(千思万考)第九十七話:「年神様と門松。序でに、寄生木の話」】

日本の正月は、本来年神様を迎え入れる行事で、年神というのは「歳徳神」のことで陰陽道では、その年度の福徳を司るとされているため、人々は年の初めに何としてもこれを招き入れようとしたようです。各家でこの神を迎えて祭りを行うために選ばれたのが「年男」で、

家長または長男がこれを務めました。

年神にお任せ申す五体かな 小林一茶    年神にたるの口ぬく小槌かな 宝井其角

真白にかしらの花や年男 森川許六

古来、年神様は常緑樹に宿るとされており、その神様をお迎えする為に各家の門口に

「依り代」(年神様の降臨する際の目印)として松飾りや竹飾りを立てたものが「門松」で、この習慣は平安末期に始まったようです。

門松やおもへば一夜三十年 松尾芭蕉    月雪のためにもしたし門の松 向井去来

門松に聞けとよ鐘も無常院 各務支考   花十八門松琴を花十八門松琴を含むかな 井原西鶴

門松やわがほととぎす発行所 正岡子規

序でに、この風習は我が国だけのものではなく、欧米にも長く伝わる風習である話を添えます。

ローマ征服やゲルマン大移動のはるか以前のヨーロッパ文明を支えていたケルト民族が、

冬になってブナやカシの葉が枯れてしまっても、その枯れ枝から鮮やかな緑のヤドリギ(寄生木)が生えていることに驚き、そこには神が宿ると考えたようです。

ケルト人たちは、これをゴールデンバウ(金の枝)と呼び、これを祭司が金の鎌で切り取って祭壇にささげ、冬至に春を待つ祈り(新年の祝い)としました。

今でもアイルランドやスコットランドなどの一部集落には、元旦に寄生木の枝を詰めた駕籠を肉親に送る習慣が残っています。

英国では、今も寄生木は招福植物と考えられ、クリスマスの時にこの枝を玄関や部屋の扉に飾る風習があります。

確かに寄生木は英語でパラサイトと言い、寄生植物ですから、日本人にとってはピンとこない訳ですが、別の観点から思うに、「常緑樹に神が宿る」という点で、共通性が見えてきます。

なお、キリスト教以降の欧州では、地域によって寄生木を魔除けとして用いるところもあり、これを子供の首に巻くとか、家畜小屋の門につるしておくと、悪魔や魔女を追い払ってくれると信じられて来たようです。

また、欧米でも常緑樹を神聖視する風習は、クリスマスリースと呼ぶ、ヒイラギやモミなどの常緑樹の小枝で作った輪状の飾りを玄関や壁に取り付けたり、クリスマスツリーにも、

その名残を今に留めています。


https://yasurakaan.com/otakiage/kadomatsu-yorishiro/  【門松は歳神が降りて来る依り代】 より

門松-依り代

お正月に家の門の所に飾る門松は松竹梅で出来ていますが、お正月を迎えるお飾りと思われているようですが、実は神様が天から降りて来る依り代だったのです。

門松とは

門松とは松の内と言われるお正月を祝う期間に門前にお飾りする、松と竹と梅を使った正月飾りのことです。

松の木は樹齢が長く冬でも葉が枯れないという生命力の強さを表し、竹はタケノコが伸びる驚異的な力と例え全部切ったとしてもまた出てくる強靭な生命力、そして梅は長い冬を乗り越えてまだ葉が出ない内に花を咲かせる美の生命力を表しています。

門松の主役は名前で解るとおり「松」であり、古くは松などの常緑樹を飾っていたが、鎌倉時代以後、竹も一緒に飾るようになったのです。

門松はお正月の期間だけ飾るもので、年中飾るものではありません。昭和の時代には民家の玄関の至る所で見られたものでしたが、大きいことと、作る材料が簡単には手に入らなくなったことなどの理由で、現代の一般的な省スペースの玄関ではみられることが無くなってしまいました。

門松の歴史

根引きの松

平安時代の宮中では「小松引き」という行事が行われ、新年の初子の日に外出して松の小木を引き抜くという貴族の遊びで、その時に持ち帰った松を長寿祈願のため愛好する習慣があったので、門松はこれが変化したものと考えられています。

現在も関西の旧家などでは、「根引きの松」という玄関の両側に白い和紙で包み金赤の水引を掛けた根が付いたままの小松が飾られています。

地域による門松の違い

東京都府中市の大國魂神社では松が「待つ」に通じる事から松を使わない門松を、千葉県市原市の姉崎神社では榊を使った門榊を、兵庫県神戸市の生田神社では松の木が社殿に倒れたとの言い伝えから杉を使うなど様々な門松があります。

祀った後の門松は

正月の松の内の間にお祀りした門松は、どんど焼き、どんと祭りと言われるお焚き上げで焼いて天にお還しいたします。

正月に各家を訪問する歳神が還るまでの間を松の内と言って、歳神様をおもてなしする期間なのですが、松の内とは一般的に1月7日までを示しますが、15日のところもあれば10日のところもあるようです。

元々、松の内は小正月である15日とされており、年神様にお供えをしていた鏡餅を下げて食べる鏡開きを20日に行っていたのですが、徳川家光が4月20日に亡くなった事により、20日という日を忌み嫌うようになった徳川幕府が、20日よりも前の11日に鏡開きを行う事にしたので、関東地方を中心とした地域では、松の内も7日と変更されたと言われています。

どんど焼き・どんと祭りは、松の内が1月7日の場合には7日前後、松の内が1月15日の場合には15日前後に行われますが、行われる場所によって違いますので、事前に確認しましょう。

持って行く所が分からない、適切な受入先が無い場合には、高野山真言宗やすらか庵のお焚き上げ供養をご利用くださいませ。

依り代とは

依り代とは神が天から降りて来て宿る対象で、古くから磐座(いわくら-巨岩や巨石など)や大木、山などの自然物のことで、自然の中のありとあらゆるものに神が宿るという自然崇拝(アニミズム)が起源です。

松も依り代である

松は常緑で寿命が長く、油分が多いことから燃料として、大木となることから材木として、そして松の実は食用としてなどとても有用であり、観賞用としてもとても人気の高い植物です。

松の木は大木に成れば成るほど樹の形が威厳のある神秘的な形となり、神が天から居りてくる依り代としての風格を備えています。そういう意味では松は依り代としてはとてもふさわしい木なのです。

歳神様

歳神様は正月の松の内の期間だけにやってくる来訪神であり、厄を払い、福を授ける神なので、一年間の無事を願うのであれば、歳神様を確実にお迎えしてお接待をして機嫌よく還って頂く必要があります。

家の入口は門であり、神が入ってくるのも門からです。門は家の顔であり、正面であり、綺麗で広くて明るいことが理想で、「笑う門には福来る」とは門から笑い声が絶えない家には福の神がやってくるという諺です。

そこで歳神様の依り代として御幣を付けた門松を門の前にお祀りし(正式には飾るではありません)、一年の無事を授けて下さる大切なお客様なので、松の内の間は精一杯のお接待をするのです。

歳神についてもっと詳しく…歳神とは

歳神様が来なくなった!?

歳神様は正月の松の内の期間だけにやって来て、門松を依り代として天から降りて来るのですから、門松が無い家には来ないということになります。神は皆に平等と言えども、必要の無い所までは行くことはありません。門松をお祀りしている家は歳神様に「この家に来てくださいよ」という意思表示なのです。

神で印刷した門松はどうでしょうか。「この家に来てくださいよ」という意思表示にはなりますが、本物ほどのパワーは無いかもしれません。意味あってのものは、なるべく本物が良いかと思われます。

近年は家の門に門松をお祀りする所は少なくなってしまいました。地方では松、竹、梅は比較的簡単に揃ったりするものですが、都会では簡単には手に入りません。手に入ったとしてもアパートやマンションでは玄関前に門松などの置き場もありませんし、家の前に門がある家なんて中々ないものです。

今私達はお正月のが来るたびに行われてきた文化や習慣をどんどん忘れていってしまっていると共に、その大切な意味さえも語り継がれることなく消えようとしています。

自然や天に感謝し、家族の平和を願うのであれば、伝統の神の力をお借りすることが大切なことです。