https://butsuzolink.com/kukaistory/ 【空海が残した数々の伝説-仏様との縁で結ばれた空海】 より
空海
数多の高僧の中でも抜きん出て有名で、日本の歴史上最大級のスーパースターでもあります。彼がこの世に生を受けてから1200年以上。彼を慕う人々、彼に導かれる人々、そして彼と共に歩む人々。いつの時代にも彼の名は消えることなく、そして彼の残した伝説もまた人々に語り継がれています。
最近でも、夢枕獏さんの原作を基にした映画、『空海 KU-KAI美しき王妃の謎』が公開され、染谷将太さんが空海役を演じ、話題となりました。この映画は中国の有名監督がメガホンを握り、阿部寛さんや松坂慶子さんなど日本人俳優の他、中国や台湾の人気俳優たちがキャストを飾る超大作としてリリースされました。
内容は空海と彼の周囲で巻き起こるサスペンスを描いたもので、ファンタジーに要素が強いために賛否の分かれる作品となりましたが、「空海の残した歴史的インパクトが日本でも中国でもとても強かったのだな」と思わせる作品であったことには間違いないようです。
このように、空海と言えば、数々の伝説に彩られた「ミラクルな超人」のイメージや、真言宗の開宗や治水事業などのような「歴史的偉人」のイメージで語られ、こちらの記事でも「空海の生涯と空海伝説」の中で紹介されています。
しかし、空海が数々の偉業を成し遂げることができたのは、彼を導き護った仏様や神様の力があったからこそでした。なんでもかんでも「仏様や神様の力」と言ってしまうと、途端に胡散臭くなってしまいます。
「それは空海の夢の中での話でしょ?」「そんな出来事は偶然でしょ?」と思えてしまうエピソードがたくさんあります。
ただ、空海の出逢った「仏様」や「神様」こそ、空海の残した「ミラクルな伝説」と「実際の偉業」をつなぐ、パズルのピースなのだと思います。この記事では、空海と、彼の人生のターニングポイントで出逢うことになった仏様や神様との、不思議な縁の数々をご紹介したいと思います。
このエピソードは先に紹介した「空海の生涯と空海伝説」でも紹介されています。
空海19歳の時、大学でエリート官僚を志して勉学に励みながらも、「自分がすべきことはこんなことなのか」と自問自答していました。いつの時代も、ハタチ前後の若者にはこんな悩みがつきまといます。あの空海もそうだったと思うと、なんか親近感が湧いてきます。
そんな時、1人の老僧が空海にある修行を勧めます。
それが「虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)」です。
この修行は、マスターすればどんなお経でも全て記憶し、理解して、決して忘れることがなくなる、なんともミラクルな力が宿るものなのだそうです。
幼い頃から頭脳明晰であった空海でも、この修行にはとても魅かれるものがあったのでしょう。彼は大学を辞め、現在の高知県・室戸岬にある御厨人窟(みくろど)に籠ってこの修行に打ち込みます。
虚空蔵求聞持法は、教えられた作法通りに真言100万回を、100日の間に唱えるという気の遠くなるような修行で、並大抵の努力では満行は叶わないものです。最初はそのミステリアスな魅かれて修行を始めたとしても、私なら諦めて途中で辞めてしまいそうです。
しかし、空海は修行を成し遂げました。
そして修行を終えた時、空に浮かんでいた明星(金星)が空海の口に飛び込んできたのです。
この明星こそ、「明星天子(みょうじょうてんし)」という神様で、無限の智慧と慈悲を持ち授ける「虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)」の化身だと言われています。
虚空蔵菩薩の「虚空」とは、「何も妨げるものがなく、全てのものが存在する場所・空間」という意味の仏教用語で、そのような広大な空間を「蔵」として持ち、悟りの智慧を一手に預かっている、それが虚空蔵菩薩様です。
今でも、虚空蔵菩薩様の智慧と力にお世話になることがあります。
特に京都を中心にした関西では、「十三詣り」という行事がいまだに続けられています。
これは、数え年13歳を迎えた子供たちが、3月13日に虚空蔵菩薩様に広大な智慧と福徳を授けて頂く儀式で、平安時代に13歳で即位しなければならなくなった清和天皇が、政治を行う大人としての智慧を得るために虚空蔵菩薩様にお詣りされたことに由来したイベントです。
京都・嵐山の法輪寺さんはその発祥の地として知られていて、嵐山では13歳の子供たちが七五三のように着物に身を包んでお詣りに向かう姿をよく見かけます。また、法輪寺さんで十三詣りを終え智慧と福徳を戴いた子供たちは、帰り道にある渡月橋を渡り切るまで決して振り返ってはいけません。戴いた智慧が逃げていってしまうのだそうです。お詣りを終えた子供たちが、前を向いて一心に歩みを進める姿はとても微笑ましく、春を迎えつつある嵐山を彩る風景のひとつになっています。
空海は19歳にして悟りの智慧を司る果てしない仏様と出逢い、その仏様は私たちにも今をより善く生きるための智慧を授けてくださっているのですね。
密教の最高尊 大日如来との出会い
虚空蔵菩薩様とご縁を結んだ空海は、体得した素晴らしい智慧を駆使して仏教の真髄をとことん学んでいきました。しかし、いろいろ学んでもなお「これじゃない」感につきまとわれる空海。そんな彼が26歳のある日、またしても夢の中でお告げがありました。
夢に現れた老僧は空海に、「大和国(現在の奈良県橿原市)にある久米寺(くめでら)に行けば、求めているものが手に入る」と告げたのだそうです。
空海が久米寺に行き、塔の中で見つけたもの、それこそ空海の求めていたもの、『大日経』でした。(ちなみに今も、久米寺や塔(多宝塔)が残っています。多宝塔は重要文化財に指定されています)
『大日経』とは、「密教」のお経です。
密教とは読んで字の如く「秘密の教え」なのですが、「秘密」と呼ばれるのには、大きく分けて2つのワケがあります。ひとつは、「約束」です。
密教には多くの修法がありますが、その一つ一つを学ぶにあたって、必ず「灌頂(かんじょう)」という儀式を経なければなりません。これから仏様に関わる教えを学ぶにあたって、学んだことを悪用しないこと、人々のために使うこと、約束をしていない者に教えてはいけないことなどを、教えを授けて頂く仏様に「約束」するのです。俗に言う「秘伝の~~」のような感じで、これが「秘密の教え」と言われる所以なのでしょう。
もうひとつは、「文字にしない教え」です。
仏教の教えは、大抵「お経」に書いてあるものと思われがちです。しかし密教には、唱えるお経の他にも、護摩や加持祈祷のような独特の修法があります。そしてそのほとんどは、先ほどの「約束」を誓った者しか学ぶことができず、それもお師僧さんから「口伝」で受け継がれるスタイルなのです。これが、文字として継承されない教えとしての密教なのです。
そして、『大日経』は密教の最高位の仏様であり、全ての仏様の根本を司る「大日如来(だいにちにょらい)」について述べられているお経で、現在でも真言宗の根本経典のひとつになっています。
大日如来についてはこのサイトのこちらのページにも書いてありますが、大切なのは、
大日如来が「すべての物事の根本である」ことと共に、「悟りの道のゴールであること」です。
これは密教の最も深淵な部分なので理解することはとても難しいですが、とても単純に言うと大日如来には2つの顔があるのです。
まず、すべての物事の根本を司る仏様としての大日如来を「胎蔵界(たいぞうかい)大日如来」。
一方、悟りの道の行き着く先にいらっしゃる仏様としての大日如来を「金剛界(こんごうかい)大日如来」。
このような胎蔵界と金剛界という2つの世界観と、それぞれに表される大日如来の側面が密教の基本になっています。とても簡素な説明に留めましたが、この後の話にもかかわりますので、覚えておいてくださいね。
とにかく、空海は夢によって『大日経』へ導かれ、これこそが自分の追い求めていた真髄だと感じてますます追求していきます。
海の向こうで大日如来と強く結ばれた空海
26歳で初めて大日如来の存在に驚嘆した空海。彼はその仏様を追い求めて、30歳で唐に渡ります。
唐で空海を待っていたのは、一人の老僧、「恵果(けいか)」でした。恵果は当時の唐でNo.1の実力を持つ密教僧でしたが、自分のこの世での命が尽きようとしていることを悟っており、自分が持っている密教の法を継承しようと考えていました。そこへ空海が現れ、彼の能力を瞬時に見抜いた恵果は、空海に自分の持てる密教のすべてを託そうとしたのです。
早速、恵果の弟子になった空海。
恵果の頭の中にすべて収まっている密教の奥義を伝授してもらうべく、伝法の灌頂を受けます。
灌頂は先ほどお話しした胎蔵界と金剛界に分けて行われました。灌頂の内容は秘密にされていることが多いようですが、その中の最初の一部分が伝説的に語り継がれています。
その伝説は、伝法灌頂の前に行われる胎蔵界と金剛界それぞれの仏様とご縁を結ぶ結縁灌頂でのことです。
結縁灌頂では、とても大きな曼荼羅に密教の仏様たちがたくさん描かれていて、そこに向かって目隠しされた状態で花弁を投げる「投華」という儀式が行われます。目が見えない状態の自分が投げた花弁が舞い落ちた場所。そこに描かれている仏様とご縁が結ばれるというわけです。
とても大きな曼荼羅なので、皆それぞれいろいろな仏様とご縁が結ばれます。また、曼荼羅の中には仏様のみならず鬼神や悪魔の代表格である羅刹なども描かれており、そのような方々と縁が結ばれたら…どうしましょう。。。
しかし空海が投げた花弁は、胎蔵界でも金剛界でも、まっすぐに大日如来のもとへ向かって舞い降りたのです。
この奇跡が空海の前に起こったのは、師である恵果が結縁灌頂をした時でした。
空海の結縁灌頂を見た恵果は、彼こそがやはり正統な密教の継承者であることを再確認し、彼に「遍照金剛(へんじょうこんごう)」という称号を与えました。そう、お遍路さんにはお馴染み、「南無大師遍照金剛」です。
「遍」は「あまねく」という意味ですので、「遍照」は「あまねく照らす」こと。「金剛」はダイヤモンドのように何があっても絶対に壊れないもので、転じて「揺るぎない信心」などを表します。したがって、遍照金剛とは「揺るぎない心であまねく照らす」ことと理解することができます。
お大師様の揺るぎない御心で、私たちはあまねく照らされている。
真言宗の信徒さんやお遍路さんのみならず、高野山を始め空海所縁のお寺に訪れた人は皆、いにしえからそのように感じてきたのかもしれません
現代の我々も結縁灌頂ができる!
空海が唐で受けた結縁灌頂は、実は現代の私たちも受けることができます。
高野山・壇上伽藍の金堂にて、胎蔵界は春(5月3日~5日)に、金剛界は秋(10月1日~3日)にそれぞれ行われ、事前の予約が必要なビッグイベントです。毎年大勢の方々が訪れ、僧侶の方々に導かれながら、空海と同じように仏様とのご縁を結ばせて頂けます。
結縁灌頂を受けさせて頂く前には、まず阿闍梨さんにご法話を頂いたり、お坊さん方に真っ暗な金堂の中で手を引いて頂くなど、幾人ものお坊さんに導かれます。導いてくださる方々には初対面であるにも関わらず不思議と安心を感じ、その日限りではあっても「お師僧さん」と慕う心が自然に芽生えます。そして、恵果に導かれた空海の気持ちに思いを馳せながら、満ち満ちた厳粛な空気にただただ手を合わせることができるのです。結縁灌頂とは仏様とご縁を結ぶチャンスです!
20代で『大日経』に出会い、魅了された空海は、まさに大日如来に導かれて30で唐へ渡り、大日如来と結ばれました。空海の足跡を眺めると、まさに密教の正統な継承者として生きることが運命づけられていたように思えます。
空海を守った不動明王
さて、唐で恵果という素晴らしいお師僧さんと運命的な出会いを果たし、密教の最高尊である大日如来とも結縁した空海。彼のミラクルはこれに留まりません。
5月から恵果に師事して学び始めた空海は、密教の最深部までを習い、お経200巻を読破し(もちろん中国語ですよ)、さらにそれらの原典であるサンスクリット語のお経と比較しながら理解するという、気の遠くなる学びを、なんと3ヶ月でマスターしてしまいます。
そんなミラクルを起こした空海に、恵果は「阿闍梨(あじゃり)」の称号を与えました。「阿闍梨」とは信仰の伝統を守り、他の模範となる僧侶が受ける称号で、並大抵の修行では到達できない位なのです。
そして、空海にすべてを教え伝えた恵果は、この世での自分の役目を終えたかのように息を引き取ります。
恵果が旅立つ少し前、彼は空海に一本の霊木を授けました。その木に不動明王(ふどうみょうおう)を刻み、日本までの道中の安全を祈願せよと言うのです。
日本から唐へ渡り、帰国するということは、現在では考えられないような困難な道のりでした。潮の流れが強すぎても弱すぎてもいけない、嵐に見舞われるかもしれない、海賊に襲われるかもしれない。
そんな過酷な旅路で、命を落とす遣唐使や僧侶もたくさんいました。
「空海には必ず帰国して、密教の真髄を後世につなげてほしい」
そんな風に、恵果は思ったのかもしれません。
空海は言われた通り、譲り受けた霊木に不動明王を自らの手で現し、帰国の時には船にお祀りしました。
空海の乗った船は、恐れていた嵐に遭遇してしまいます。空海はその不動明王像を掲げて、一心に不動明王のご真言を唱えました。すると、船を飲み込まんとしていた大波が真っ二つに割れて、日本までの道ができたではありませんか!
空海は不動明王に守られて、無事に帰国することができました。
これ以来、不動明王は空海を守った仏様として厚く信仰されることになり、空海が自ら彫って嵐を切り抜けた不動明王像は「浪切不動明王(なみきりふどうみょうおう)」として、今でも高野山の南院に秘仏(6月28日にご開帳)として伝わっています。
不動明王は、こちらの記事にも説明がありますが、先ほど登場した大日如来の「化身」と言われています。大日如来は密教においてすべての物事の真理を司りますが、それを学び取ることは人間にはなかなか難しいことです。中にはいろいろな仏様が理知や慈悲を以って人間に伝えようとしても、素直に受け取ろうとしない人々もいます。
しかし大日如来は諦めず、そんな人でも悟りの境地へ導こうと、パワープレイを仕掛けます。そのパワープレイモードが不動明王なのです。
また不動明王は、修行する人々を様々な災厄から守る役目も担ってくださいます。空海のこの伝説も相まって、この後日本では不動明王への信仰がとても盛り上がりました。いにしえより日本列島各地の信仰は神様に対する「畏怖」から生まれていたということもあったためか、「導くための怒り」という一見斬新なスタイルも、歓迎しされたのでしょうか。
空海は唐で大日如来と固く結ばれ、浪切不動明王は、人間として修行する空海をあらゆる災厄から守るために、大日如来が変化(へんげ)して駆けつけたお姿なのかもしれませんね。
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