水の神

https://newikis.com/ja/%E6%B0%B4%E7%A5%9E 【水神】 より

木曽川にある水神

水神(すいじん、みずがみ)は、水(主に淡水)に関する神の総称である。

日本の水神

農耕民族にとって水は最も重要なものの一つであり、水の状況によって収獲が左右されることから、日本においては水神は田の神と結びついた。田の神と結びついた水神は、田のそばや用水路沿いに祀られていることが多い。

また、水源地に祀られる水神(水分神(みくまりのかみ))は山の神とも結びついている。農耕以外の日常生活で使用する水については、井戸・水汲み場に水神が祀られる。

水神の象徴として河童、蛇、龍などがあり、これらは水神の神使とされたり、神そのものとされたりする。


http://www.ohirasanjinja.rpr.jp/info/detail.php?n=0031 【蛇と水神のはなし】 より

太平山神社には蛇神を祀るお社があります。

日本の蛇信仰は広汎に渉りますが、まずは水神信仰との関係についてお話ししたいと思います。

もともと日本には、縄文時代の地層から「蛇を頭に巻き付けた女性」を象った土偶が発見されているように、蛇に対する信仰は古くからありました。

日本の蛇である「地ムグリ」は、鼠を捕らえ穴にもぐるのが好きな蛇です。

「山カガシ」は水辺に多く蛙や淡水魚などを補食し、「青大将」は鼠が好きで山村に多いのが特徴です。

一般に、蛇が「田を守る神」とされるのは、蛇が男根への連想から種神(=穀物神)として信仰されたからであり、田の稔りを荒らす野鼠を補食するからと考えられています。

水田稲作を中心とする日本の農耕においては、農耕神は水神ととても密接な関係にあります。

古来「雨乞い」が重要な祭祀の一つであった所以です。

そして蛇神は、蛇と龍との習合、および湿地を好んで生息する習性にもとづき、水神の使い、もしくは水神そのものと考えられるようになりました。

これに加え、命の再生の象徴のように見なされる脱皮という生態やその生命力の高さが、蛇に対する畏怖の念を強め、さらにそれが「蛇信仰=水信仰」を根強いものにしたと考えられます。

また一方で、水神としての蛇は、弁財天(べんざいてん)や宇賀神(うがじん)の神使としても信仰されています。

宇賀神というのは穀霊であり、弁財天には本来水の神の特性があります。

これらの神が中世以降、習合して各地に流行し、海辺や川・池の畔に祀られるようになったのです。

弁財天の縁日(巳待講)が巳の日に行なわれるのは、そうした由来によるものです。

太平山神社の境内には、江戸時代まで弁天社があり、その社殿は池の近くに建てられていました。

明治以降、弁天社は無くなりましたが、水神信仰そのものは残りました。現在の蛇神社は、江戸時代の水神信仰の名残を僅かに留めているのです。


http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20170521/dms1705211000001-n1.htm

【【竹内流 神社の神髄】水商売の神様?!「水稲荷神社」 江戸時代、霊水湧き出し評判に】 より

 早稲田にある水稲荷神社は、関東最強の武士、俵藤太(藤原秀郷)が稲荷大神を勧請したことに始まる。天慶4(941)年のことだ。秀郷は、下野国押領使で、現在でいえば栃木県警本部長ぐらいである。大百足(おおむかで)を倒したことで有名になったが、平将門を射抜いたことで歴史に名を遺したといえる。

 時は移り、元禄15(1702)年。境内の大椋の下に霊水が湧き出した。眼病に効果があるとされ、江戸で評判になった。その時の神の御神託に「我を信仰する者は、火の難を逃れる」とあったので、それ以来「水稲荷」と呼ばれるようになった。水商売からの信仰を集めた。

 御祭神は倉稲魂大神(うかのみたまのおおかみ)。稲荷、つまり財産を持っているので、今でいうところの財務大臣である。『古事記』にある通り、素戔嗚神(すさのおのみこと)の子である。

 神社はもともと早稲田にあったが、昭和38(1963)年の土地交換により、現在の地に移った。徳川御三卿(清水徳川家)の跡地の甘泉園が隣にある。

 日本各地に「富士見」という地名がある。かつて富士山が見られた場所だ。富士山は有史以来18回の噴火の記録があるが、人々は書物に「不二」「不尽」「不死」などと記し、霊峰としてあがめてきた。自然は時に猛威をふるうが、豊かな水や実りをもたらしてくれることをわれわれは感覚として知っていたからである。

 日本最古の富士塚は、水稲荷神社の富士塚といわれる。この塚は高田富士と呼ばれる。これは、富士の溶岩を持ち込んで作った人造の山である。文化・文政期に富士山を崇拝する人々によって組織された講社、富士講が流行し、一般の人々も富士山に登拝した。ただ、老人や体の弱い人が富士山に登れないので、その体験をしてもらいたいと思ったのが始まりだ。

 毎年、海の日の前後の2日間に登ることができる。本物の富士山に登るのは不可能でも、富士塚で富士=不死の信仰が垣間見られる。

 東京都新宿区西早稲田3の5の43

 東京メトロ東西線「早稲田駅」徒歩10分、都電荒川線「面影橋」徒歩3分

 ■竹内睦泰(たけうち・むつひろ) 昭和41(1966)年、大阪府出身。古神道の教えや秘儀を口伝で残す「竹内文書(たけうちもんじょ)」の伝承者として第73世武内宿禰(たけのうちすくね)を受け継ぐ。著書に『古事記の宇宙』『古事記の邪馬台国』(青林堂刊)など。