下野における芭蕉の俳諧

https://yahantei.blogspot.com/2012/10/ 【下野における芭蕉の俳諧】 より

元禄二年( 一六八九) 三月二十七日、松尾芭蕉は江戸深川を出発した。門人河合曽良を伴って、旅程六〇〇里五ヶ月余りにわたる『おくのほそ道』の紀行の始まりである。

千住から北へ向かって真っ直ぐに、春日部・間々田・鹿沼・日光・玉入( 玉生) を経て、那須の黒羽の鹿子畑翠桃( すいとう) を訪ねたのは、四月三日のことであった。芭蕉はここで翠桃や兄の桃雪( とうせつ) の歓待を受け、江戸出発以来の疲れを癒すこととなる。桃雪は、本名を浄法寺図書高勝といい、黒羽の領主大関氏の留守居役を務める人であった。

この逗留の間、翠桃や桃雪などを連衆に俳諧が興行された。これが、『おくのほそ道』紀行中における俳諧第一作であり、『曽良旅日記』に記録されている。また、この歌仙は、芭蕉の三回忌を期して自ら奥羽行脚を決行した天野桃隣によって、元禄十年( 一六九七) に編集された『陸奥鵆( むつちどり) 』に、かなりの改作( 芭蕉の推敲を経たものとも思われている) を経て収録されている。

この歌仙は、主客として芭蕉がまず発句を詠み、亭主の翠桃がそれに脇句を付け、相伴の曽良が第三を付けて興行された。その連句作品数は、芭蕉・八、曽良・八、翠桃・八で、その他の連衆として翅輪・五( 『陸奥鵆』

では六) 、桃里・四、二寸・一、秋鴉( 桃雪) ・一となっている。この翅輪、桃里、二寸については、津久江翅輪( 『曽良日記』では津久井とある) 、蓮見桃里( 余瀬の本陣問屋) 、森田二寸との考証がなされている。

さて、この歌仙については、柳田国男著『俳諧評釈』において、さらには、東明雅著『芭蕉の恋句』等でも取り上げられており、ここでは、この歌仙鑑賞というよりは、この歌仙を通して、俳諧( 歌仙・連句) とは何か、歌仙の構成や式目( ルール) また発句( 俳句) と俳諧の関係等ということに、その主眼点を置き、その総論的な考察を進めることにしたい。

歌仙「* 秣( まぐさ) おふの巻」* = 秣は草冠

歌仙とは、三十六句形式の連句のことである。連句とは、何人かの人が寄り集まり( 連衆ともいう) 、一定のルール( 式目ともいう) のもとに、五七五の詩句( 長句ともいう) と七七の詩句( 短句ともいう) とを交互に連ねて一巻の作品を完成させるところの、協同制作の詩編のことをいう。なお、題目が定まっているものではないが、ここでは、その発句を、便宜上、掲げておくことにする。

連句を記載するには、通常、縦・約四〇センチ、横・約六〇センチの料紙( 懐紙ともいう) が用いられる。その懐紙を二つ折りにして、歌仙の場合には、二枚用いられる。その一枚目を、初折( その表はオ、裏はウ) 、二枚目を名残の折( その表はナオ、裏はナウ) という。

奈須余瀬翠桃を尋( たづね) て

この歌仙の前書きである。奈須は那須、余瀬は、今の、栃木県那須郡黒羽町に属する地名である。「翠桃を尋( たづね) て」は、発句の動機を示したものである。

秣( まぐさ) おふ人を枝折( しをり) の夏野哉芭蕉

発句、「夏野」で夏。発句とは、連句の巻頭の句をいう。発句は、必ず、季語と切字を含んでいなければならない。逆に、五七五の十七音形式と季語・切字の条件を備えていれば、たとえ、それが、単独で詠まれたものであっても、発句と呼ばれるようになり、後には、連句の巻頭として詠まれるものを、立句( たてく) 、単独で詠まれるものを、地発句( じほっく) と称する区別も生じた。正岡子規によって命名された、今日の俳句は、この地発句に当たるものである。

「発句の事は一座巻の頭なれば、初心の遠慮すべし。『八雲御抄( やくもみしょう) 』にも其( その) 沙汰有( あり) 。句姿も高く、位よろしきをすべしと、昔より云( いひ) 侍る。先師( 私注・芭蕉)は懐紙のほ句( 私注・発句) かろきを好( このまれ) し也。」( 服部土芳著・『三冊子』)

〔句意〕広大な那須野の中の、あなたのお宅を尋ねる時、秣を背負ったひとが、道しるべになってくれまして、大層助かりました。

( 秣( まぐさ) おふ人を枝折( しをり) の夏野哉)

青き覆盆子( いちご) 〈を〉こぼす椎の葉翠桃

脇句、「覆盆子」で夏。〈を〉は、『陸奥鵆』による補訂。脇句は、発句と調子・用語などを相通ずるようにしなければならない。脇句は、韻字止め( 体言で止めること) にした方が良いとされる。さらに、脇句は、発句と同じ季を持たせる必要があるとされている。連句における季の約束については、春夏秋冬の季を含む句と、雑( ぞう) の句( 無季の句) とが、ほどよく配分され、全巻として、変化と調和が巧みにとられている必要があるとされている。このようなことから、歌仙の場合、「同季五句去り」( 同じ季を含んだ句は少なくとも五句隔てて付ける) 、景物( 詩の題材) の多い春・秋の句が出た場合は、三句まで続け、夏・冬は一句ないし二句で捨てるというようなルールが存在する。

「脇は亭主のなす事、昔より云( いふ) 。しかれども首尾にもよるべし。客ほ句( 私注・発句) とて、むかしは必( かならず) 客より挨拶第一にほ句( 発句) をなす。脇も答( こたふ) るごとくにうけて、挨拶を付( つけ)侍る也。」( 『三冊子』)

〔句意〕折角お出で下さったのに、何のおもてなしもできず、せめてお盆に代わり、風流にと椎の葉に苺を盛って差し上げましたら、苺がその椎の葉からこぼれてしまいました。

( 青き覆盆子( いちご) 〈を〉こぼす椎の葉)

村雨に市のかりやを吹( ふき) とりて曽良

第三、雑の句( 心は、前二句の夏の季に思いを馳せている) 。発句は、漢詩でいえば、起句にあたり、脇句は承句、第三は転句に当たる。すなわち、第三は、俳諧一巻における変化の始まりである。発句と同じような句姿・句意であってはならず、思い切って離れなければならない。そして、その留めは、「に留、て留め、にて留め、らん留め、もなし留め」などが普通である。

「第三の句、第一の難儀の場所也。上手の入ると云( いふ) は第三也。発句の打越( うちこし) 、脇の句にはなれて付( つくる) を上手の手際とは云也。しかも第三のふりを持て、留りに去嫌ひあれば、第一の難所也。一巻の出来・不出来、脇・第三より極( きはま) る也。」( 森川許六・他編・『宇陀法師』)

〔句意〕( その青い苺を売っている) 物売り市の小屋掛けが、村雨まじりの突風で吹き飛ばされてしまいました。

( 村雨に市のかりやを吹とりて)

町中を行( ゆく) 川音の月はせを( 私注・芭蕉)

オ・四句目、「月」で秋。五句目が月の定座( じょうざ) であるが、この四句目に、その定座が引き上げられいる。ちなみに、定座より後に来ることを、定座をこぼすという。芭蕉は、前句が村雨という天象の句なので、五句目の月の定座で月を詠むと、一巻の進行が前に進まず、後戻りすることになり、この輪廻( りんね) を嫌い、ここに、同じ天象の月の句を詠み、定座を引き上げたという。

「四句めは、むかしより四句目ぶりなど云て、やすくかるきをよしとす。師( 私注・芭蕉) のいはく『重きは四句目の体にあらず、脇にひとし。句中に作をせず』と也。」( 『三冊子』)

〔句意〕( 村雨混じりの突風で市の小屋掛けが吹き飛ばされた夕暮れ、) 何時しかすっかり晴れ渡り、空には月がかかりました。そして、その街の中を一条の川音が聞こえてきます。

( 町中を行( ゆく) 川音の月)

箸鷹( はしたか) を手に居( すゑ) ながら夕涼翠桃

オ・五句目、「箸鷹」で秋。箸鷹は「はいたか」ともいう。「夕涼」は夏の季語でもあるので、『陸奥鵆』では、「鷹の子も手に居ながらきりぎりす」と改作されている。秋の句( 前句・月) が出ると、最低三句は続けるというルールがあり、この句は秋の句。

「五句め、七句めの事『三て五覧』( 私注・第三は「て」留まり、五句目を「らん」留めにするのが良い) などゝ古説あり。七句めも同じ心得也。」( 『三冊子』)

〔句意〕( 空には月がかかり、街の中を一条の川音が聞こえますが、) その川べりを、鷹を手にして、鷹を飼い馴らしている老人が、夕涼みをしています。

( 箸鷹( はしたか) を手に居( すゑ)ながら夕涼)

秋草ゑがく帷子( かたびら) はた〈私注・誰〉そソラ( 私注・曽良)

オ・六句目( 折端ともいう) 、「秋草」で秋。帷子は、夏の季語でもあるので、『陸奥鵆』では、「萩の墨絵の縮緬は誰」と改作されている。この句は、秋草に象徴されるような佳人が登場してきたことにより、次の句に、恋の句を誘い出そうとするような句で、恋の呼び出しの句といわれる。

「その一句だけでは恋の句とは考えられないが、何となく恋の余情、余韻を示唆するところがある句を『恋の呼び出し』という。」( 東明雅・他編『連句辞典』)

〔句意〕( その鷹を手に据えた老人の側には、) 秋草模様の華やかなな絵帷子を着た美しい人がひとり、あの人は誰なのでしょう。

( 秋草ゑがく帷子( かたびら) はた〈私注・誰〉そ)

ものいへば扇子に* ( かほ) をかくされてはせを*=異体字

ウ・初句( 折立〈おったて〉ともいう) 、恋の句で、雑の句。扇子は、夏の季語でもあるので、『陸奥鵆』では、「物いへば小傘に顔を押入るゝ」と改作されている。

「六句目までを表六句といって、序・破・急の序にあたる部分とし、神祇・釈教・恋・無常、その外述懐・懐旧・病体・軍体・地名・人名など、あまりけざやかなものをここに持ち出すことを忌まれているのに対して、この七句目からは破の段に入るから、先にのべたようなものがすべて解禁になる。俳句( 連句) 一巻は、この辺り

から次第に盛り上がって来るのである。だが、ここが肝腎なのであるが、すべての禁忌が解除されたからと言って、すぐさま神祇・釈教・恋・無常、その他を持ち出すのは、あまりにはしたないと言うか、現金だと言うか、そのように昔の人は考えていたようである。だから、禁忌が解除になった途端に、第七句目に恋の句を出すのを『待兼の恋』と言って、嫌ったこともあったようである。芭蕉も『待兼の恋』ということがあって、それを嫌う人たちのあること、そしてその理由も知っていた。知り抜いていたであろう。しかし、彼はそのことにこだわっていない。第六句目に曽良の『恋の呼び出し』があると、それに素直に応じてはっきりと恋の句を付けた。このようなところに、いかにもとらわれない柔軟な芭蕉の精神を見ることができる。」( 東明雅著『芭蕉の恋句』)

〔句意〕( 秋草模様の華やかなな絵帷子を着た美しい人に、) 言葉をかけましたら、恥ずかしげに、扇子で顔を隠されてしまいました。

( ものいへば扇子に* ( かほ) をかくされて) * = 異体字

寝みだす髪のつらき乗合翅輪

ウ・二句目、恋の句で、雑の句。ここで、翅輪が登場する。表六句は、芭蕉、翠桃、曽良の三吟で二順しているが、この初裏の十二句で、翅輪が加わり四吟で進行する。「乗合」は、「乗合舟」の略で、この八句目で、乗合舟の中に場面が転ぜられている。「寝みだす髪」は、閨の中を連想するとされ、『陸奥鵆』では、「みだれた髪のつらき乗合」となっている。

「恋の句は人情の句の最たるもので、一巻の中に恋の句が詠まれていないと、その巻は不完全なものであるといわれる程で、連句では月・花と同じく大事なものとされている。( 中略) 芭蕉は恋の句は一句で捨ててもよいとはしているが、実際は恋の句が二句以上続くことが多い。」( 『連句辞典』)

〔句意〕( 扇子で顔を隠されましたその人は、) 乗合舟の中で、しきりに乱れた髪を気にしておられます。

( 寝みだす髪のつらき乗合)

尋( たづぬ) ルに火を焼付( たきつく) る家もなし曽良

ウ・三句目、雑の句。前句を早朝と見て、「火を焼付( たきつく) る」と、朝の炊事の場面に転じている。

「先師( 私注・芭蕉) 曰、ほ句( 私注・発句) はむかしよりさまざま替り侍れど、付句は三変也。むかしは付物を専らとす。中比( 私注・頃) は心付を専とす。今は、うつり( 私注・移り) 、ひゞき( 私注・響) 、にほひ( 私注・匂) 、くらゐ( 私注・位) を以て付るをよしとす。」( 向井去来著『去来抄』)

〔句意〕( その乗合舟は、) 朝の暗い中を岸辺に着きましたが、朝餉の支度なのに火を焚きつけている家とてなく、ものを尋ねるにも、どうしたら良いか、本当に途方にくれました。

( 尋( たづぬ) ルに火を焼付( たきつく) る家もなし)

盗人こはき廿六( とどろく) の里翠桃

ウ・四句目、雑の句。「廿六( 二十六) 」の読みは、中田亮著『下野俳諧史』による。なお、柳田国男著『俳諧評釈』では、「とどろき」、中村俊定・他校注の『芭蕉連句集』では「はたむり」とある。今市から鬼怒川沿いに、「轟」という地名があるが、とにかく、辺鄙な里の名であろう。

「国名: 国の名や地名を詠み込むことで、初折の表には出さないことになっている。二句去りで一句から二句続けるが、現代連句では片仮名の外国名も多く見られる。」( 『連句辞典』)

〔句意〕( 朝飼の支度に火も焚きつける家もない) この川辺の里は、恐ろしい盗人が出るということで、近辺に轟いています。

( 盗人こはき廿六( とどろく) の里)

松の根に笈をならべて年とらんはせを

ウ・五句目、「年とらん」で冬。「笈」は、行脚僧が仏具・衣類などを入れて背に負う脚・開き戸のついた箱のこと。

「付( つく) といふ筋は、匂・響・俤・移り・推量などゝ、形なきより起る所也。こゝろ通ぜざれば及がたき所也。」( 『三冊子』)

〔句意〕( その恐ろしい川辺で、) 大晦日の夜、二人の行脚僧が、松の根に笈を置きながら、そして、野火を焚きながら、年越しをしています。

( 松の根に笈をならべて年とらん)

雪かきわけて連哥( れんが) 始( はじむ) る翠桃

ウ・六句目、「雪」で冬。『陸奥鵆』では、「雪になるから」で収録されている。

「付味: 付句を前句のどこに着目して付けた『付所』とか、どのような案じ方で付けた『付心』とか、どのような意味内容の句である『句意』とかを吟味するのではなく、前句の句意以外の雰囲気的な勢いや情調といった言外余情的な要素が、付句にどのように感合し合い映発し合って、どのような余情を醸し出しているかを吟味するものである。」( 『連句辞典』)

〔句意〕( 松の根で野宿して年越しをしている二人の行脚僧が、) 折りからの雪をかきわけながら、今、静かに、連歌に興じています。

( 雪かきわけて連哥( れんが) 始( はじむ) る)

名どころのお〈私注・を〉かしき小野ゝ炭俵( ママ) ( 私注・翅輪)

ウ・七句目、「炭」で冬。『俳諧書留』で、曽良は、この付句の作者を書き落としている。『陸奥鵆』では、翅輪と記してあり、句順からしても、それが正しいとされている。「名どころ」は名所。「おかしき」は風雅で情趣のあるさま。「小野ゝ炭俵」は炭の産地の小野の炭俵の意。また、初裏の月の定座は、後世になって、この七句目とされるようになったが、この頃は、おおよその月を出すべき位置として弾力的に運用されていたという( 尾形仂著『歌仙の世界』) 。

「この付句は、前句が、『わすれてはゆめかとぞ思ふおもひきやゆきふみわけて君をみんとは』( 『古今和歌集』の在原業平の歌) の本歌取りで、その業平の歌の前書きに由来がある」( 阿部正美著『芭蕉連句抄』) という説もある。

「本歌取といふは、古歌の詞を取合て付るを云ふ。」( 『三冊子』)

〔句意〕( 雪の中で連歌に興じている二人の僧を見ていますと、) あの業平が詠んだ雪中の連歌の歌が偲ばれてきます。そして、その歌の前書きの中の、名にしおう炭の産地の小野の炭俵のように、俵は粗雑であってもその炭は殊の外味わいがあるように、その二人の行脚僧の光景は、みすぼらしい姿はしていますが、真に風雅で趣のある様でした。

( 名どころのお〈私注・を〉かしき小野ゝ炭俵)

碪( きぬた) うたるゝ尼達の家曽良

ウ・八句目、「碪」で秋。この句は、「色変る小野の浅茅の初霜に一夜もかれずうつころもかな」( 『新千載集』) に由来があるとされている。

「『碪』は秋の季語で、詩や和歌にも多く詠まれているが、李白の『子夜呉歌』に『長安一片月万戸擣衣声秋風吹不尽総是玉関情何日平胡虜良人罷遠征』とうたわれているように、必ず月と結びつき、また女子が夫を思う情と結びついている。だから、『碪』という語が出ただけで、次句に恋句をさそう『恋の呼び出し』になる。」( 『芭蕉の恋句』)

〔句意〕( その小野の里では、) 身分の高い尼達のおられます家から、砧を打つ音が聞こえてきます。

( 碪( きぬた) うたるゝ尼達の家)

あの月も恋ゆへ〈私注・ゑ〉にこそ悲しけれ翠桃

ウ・九句目、「月」で秋。恋の句。ここでは、初裏の月を定座より一句こぼして出している。

「この尼さんたちは、もう恋にも愛にも関係のない身になり果てている。しかし木石の身でない以上、そのような悟りきった境地に達するのはなかなか大変であろうし、また髪は剃っても本当に忘れることのできない思いもあるだろう。そのように、過去にいろいろの思い出のある尼たちが、一緒に碪をうちながら、昔を語り合っているのである。」( 『芭蕉の恋句』)

〔句意〕( その尼達の語らいの中に、) 「あの、今日の、あの月のような夜に、悲しい悲しい恋の思い出がございます」との、しみじみとしたやりとりがありました。

( あの月も恋ゆへ〈私注・ゑ〉にこそ悲しけれ)

露とも消( きえ) ね恋のいたきに翁( 私注・芭蕉)

ウ・十句目、「露」で秋。恋の句。「翁」は、芭蕉の敬称、この巻では、ここで初めて用いられている。「ね」は、完了の助動詞「ぬ」の命令形、「露のように消えてしまえ」の激しい気持ちを表したもの。

「この『露とも消ね』の露は前句を付けた場合、すばらしい効果を発揮している。もともと、月と露とは貞門の時代からの付合語であるが、『あの月も』と指すあたりの野辺の露を連想させるとともに、露のようにはかない命をも連想させよう。そして『胸のいたき』には、つれない人を恨む気分がこめられ、それがはっきり言い切られていないところに、綿々とした尽きない情がたゆたっているように思われる。おそらく前句は、恋に破れた若い女性が泪を一ばい浮かべながら、月を見入っているところであろうが、芭蕉はその句を受けて、その女性になりかわって、その心の痛みを述べている。芭蕉は本当にその女性になった気でこの句を作ったのだろう。そして美しくここに謳われている。」( 『芭蕉の恋句』)

〔句意〕( あの月を眺めていますと、) 本当に胸が張り裂けるばかりで、この身も、この露のように、はかなく消えてしまえと、そのように、もう、この激しい恋の悶えをどうすることもできません。

( 露とも消( きえ) ね恋のいたきに)

錦秋( きんしゅう) に時めく花の憎かりし曽良

ウ・十一句目、「花」で春、花の定座。「錦秋」は、美しい衣服。「時めく花」は、時を得て栄華を誇っている人を花に例えている。初裏の花の定座で、秋から春への季移りである。

「『花の句』の詠まれるべき所はおよそ定まっているが、四句目は軽い句を出す所であるとされるから、そこには『花の句』は出さない方がよいとされる。また定座から引き上げることはあっても、こぼすことがないのも『花の句』を大事にする表れであろう。」( 『連句辞典』)

〔句意〕( この悶え苦しんでいる私とは対照的に、) あの人は、「今よ、花よ」と栄華を極めているのが、実にうらめしく、切ない気持ちで一杯です。

( 錦秋( きんしゅう) に時めく花の憎かりし)

をのが羽に乗( のる) 蝶の小車( おぐるま) 翠桃

ウ・折端、「蝶」で春。「蝶の小車」は、色々な解があるが、「牛車の形の錦文〈小車錦〉と蝶のこと」と解する。

「蕉門の付句は、前句の情を引来るを嫌ふ。唯、前句は是いかなる場、いかなる人、其業・其位を能( よく)見定め、前句をつきはなしてつくべし。」( 『去来抄』)

〔句意〕( 錦秋のときめく春、) 蝶が、小車錦の蝶の模様の羽に、己の羽を休めています。

( をのが羽に乗( のる) 蝶の小車( おぐるま) )

日がささす子どもを誘( さそひ) て春の庭翅輪

ナオ・折立、「春の庭」で春。定座の花から始まった春の三句目である。これより、名残の裏の始まりである。表は、序・破・急の序、裏は、序の段の序盤から中盤、そして、この名残の裏で、破の段の中盤から終盤という局面である。その初句は、美しい春の景気の句から始まった。

「先師( 私注・芭蕉) 曰、『気色はいかほどつゞけんもよし。天象・地形・人事・草木・虫魚・鳥獣の遊べる、其形容みな気色なる』と也。」( 『去来抄』)

〔句意〕( 錦秋がときめき、蝶が飛び交う春、) 私は、日傘をさし、幼子の手を引きながら、その春の庭にでました。

( 日がささす子どもを誘( さそひ) て春の庭)

ころもを捨( すて) てかろき世の中桃里

ナオ・二句目、雑の句。「ころもを捨て」は、仕官を止めての意味。名残の裏の二句目は、景気の句から人情の句へと転じている。

「『人情の句』は、『自』『他』に大別され、『自』は自分本人の動作・思考・状態等を指すもので、『他』は他人の動作・思考・状態等を指すものである。」( 『連句辞典』)

〔句意〕( その春の庭で胸に去来することは、) それは、仕官を止めて、身も心も、何と軽やかなことかという実感のみである。

( ころもを捨( すて) てかろき世の中)

酒呑( のま) ば谷の朽木も仏也翁

ナオ・三句目、雑の句。名残の裏の最初の芭蕉の付句である。

「名残の裏、随分かろく、やり句勝に、事がましき事をせず、早仕廻べき也。」( 『宇陀法師』)〔句意〕( その官衣を捨てた男は、) 酒に酔い、その酒に酔った目で、谷の朽木を見れば、それは、きっと、仏様の恰好に見えることでしょう。

( 酒呑( のま) ば谷の朽木も仏也)

狩人かへる岨( そま) の枩明( たいまつ) 曽良

ナオ・四句目、雑の句。曽良の、前句の「谷の朽木」から、山の険しい岨道を連想したのであろう。山水画のような景気の句である。

「歌に『景曲は見様躰( みるやうてい) に属す』と定家卿もの給ふ也。」( 『宇陀法師』)

〔句意〕( その谷の朽木のある) 険しい山の岨道を、今、松明をかざして、狩人が家路につくところです。

( 狩人かへる岨( そま) の枩明( たいまつ) )

落武者の明日の道問( とふ) 草枕翠桃

ナオ・五句目、雑の句。「草枕」は、旅の枕詞であるが、単独では、旅とか旅寝( 野宿) などの意。

「連歌に旅の句三句つゞき、二句にてすつるよし。多くゆるすは神祇・釈教・恋・無常の句、旅にて離るゝ所多し。当流、旅・恋の句難儀にして、又よき句も旅・恋に有( あり) 。」( 『宇陀法師』)

〔句意〕( その家路につく狩人に、) 落武者が野宿の準備をしながら、明日から行こうとしている道程などについて、あれこれと尋ねています。

( 落武者の明日の道問( とふ) 草枕)

森の透間( すきま) に千本の片そぎ翅輪

ナオ・六句目、雑の句。「千本の片そぎ」は、神社の社殿で棟木の端の片方を削いだ形のものをいう。『陸奥鵆』では、「水ことと御手洗の音」で収録されている。ナオ・三句目からの視覚的な景気の句に比して、水音と聴覚的な景気の句である。

「体格は先( まづ) 優美にして、一曲有( ある) は上品( じゃうぼん) 也。又、たくみを取( とり) 、珍しき物によるはその次也。中品( ちゅうぼん) にして多くは地句也。」( 『三冊子』)

〔句意〕( その落武者は、) 行く手の森の隙間から、神社の千本の片そぎを見つけた。そして、その神社は、野宿をするのに適当な所と思われた。

( 森の透間( すきま) に千本の片そぎ)

日中の鐘つく比( ころ) に成( なり) にけり桃里

ナオ・七句目、雑の句。名残の裏からは、桃里も加わり、五吟となっている。「日中」は、正午のこと。

「不易をしらざれば、実( まこと) に知れるにあらず。不易といふは、新古によらず、変化流行にもかゝわ〈大礒義雄校注・は〉らず、誠によく立( たち) たる姿也。」( 『三冊子』)

〔句意〕( その神社の森の辺りで、) 正午を知らせる鐘の音が響いておりました。

( 日中の鐘つく比( ころ) に成( なり) にけり)

一釜( ひとかま) の茶もかすり終( をはり) ぬ曽良

ナオ・八句目、雑の句。「かすり終( をはり) ぬ」は、中に入れたものが少なくなって容器の底をかするようになったということで、場面は外の叙景から一転して茶飲みの叙景となった。

「新( あたらし) みは俳諧の花也。ふるきは花なくて木立ものふりたる心地せらる。」( 『三冊子』)

〔句意〕( その正午のこと、) 一釜の茶も底を擦るまで飲み尽くしてしまいました。

( 一釜( ひとかま) の茶もかすり終( をはり) ぬ)

乞食ともしらで憂世の物語翅輪

ナオ・九句目、雑の句。「憂世の物語」とは、世間話し程度の意。

「案ずるばかりにて出( いづ) る筋にあるべからず。常( つねに) 務( つとめ) て心の位を得て、感( かんず)るもの動くやいなや句となるべし。」( 『三冊子』)

〔句意〕( その茶を飲みながらの相手は、) 実は乞食なのだが、それとも知らず、あれこれと、世間話しに興じています。

( 乞食ともしらで憂世の物語)

洞の地蔵にこもる有明翠桃

ナオ・十句目、「有明( 月) 」で秋。名残の表の月の定座を一句引き上げている。

「月は上句( かみのく) 勝( まさり) たるべし。落月、無月の句つゝしむべし。時によるべし。法にはあらずと也。星月夜は秋にて賞の月にはあらず。もしほ句に出( いづ) る時は、す〈大礒義雄校注・素〉秋にし、他季にて有明などする也。」( 『三冊子』)

〔句意〕( その人が乞食と分かったのは、) 洞窟の地蔵尊にお祈りをしていて、有明の月が空に残る明け方になって、その明るさで分かったのです。

( 洞の地蔵にこもる有明)

蔦の葉は猿の泪や染( そめ) つらん翁

ナオ・十一句目、「蔦」で秋。乞食と「其人」の付けが続いたので、芭蕉の遁句( にげく) 〈一巻の進行にねばりが出てきた時など、会釈よりも一層軽い付けをして場面を転回するもので、巧者の人のやることとされている〉の一つと解されている。

「其人: 前句を受けて、前句の動作や行為にふさわしい人物の身分・職業・年齢・性別・身体・癖・性格・着用品・状況・状態・言動などを見定め、これを手がかりにして付けるものである。会釈( あしらい) : 打越からの変化が難しいときなど、前句の人の容姿・持物・衣類または周辺の器材・食物などをもって程よくその場をあしらってゆく方法である。」( 『連句辞典』)

〔句意〕( その洞窟あたりの景色は、) 蔦の葉が紅葉し、それは、きっと、猿の涙で紅く染まったのかも知れません。

( 蔦の葉は猿の泪や染( そめ) つらん)

流人( るにん) 柴刈秋の風桃里

ナオ・折端、「秋風」で秋。折角、芭蕉が遁句と場面転回をしたのに、また、「流人」が現れて、この名残の表は、「述懐」の句が伝染したようである。

「述懐・述懐は文字通り、心中の思いを述べることをいうが、俳諧では通常は世を恨み、老や貧を慨嘆する気持の句をいう。」( 『連句辞典』)

〔句意〕( 蔦の葉は、猿の泪で染まり、) 秋風の吹く中、流人が柴を刈って、冬の薪の支度をしている。

( 流人( るにん) 柴刈秋の風)

今日も又( また) 朝日を拝む石の上蕉

ナウ・折立、雑の句。この名残の裏の折立は、芭蕉の句で始まった。この名残の裏は翠桃を欠いて、芭蕉・二寸・曽良・翅輪・秋鴉・桃里の六吟となっている。すなわち、この歌仙は、表六句が、芭蕉・翠桃・曽良の三吟、初裏の十二句は、翅輪が加わって四吟、名残の裏十二句が、桃里を加えて五吟となり、この名残の裏の六句は、六吟である。この名残の裏の折立の句が、この歌仙での芭蕉の最後の句となる。この歌仙の芭蕉の発句「おふ人を枝折の夏野哉」そして「今日もまた朝日を拝む石の上」と、俳諧師・芭蕉の面目躍如という感が大である。「今日もまた」とは、今日またこの命ありとの実感の表白であろう。「朝日を拝む」には、その命あっての、その風姿の様であろう。「石の上」には、今ここに命あり、そして、漂泊の身の風羅坊・芭蕉その人の境遇の表白であろう。そして、これらのことは、山本健吉著の「芭蕉」( 『芭蕉読本』所収) の次の一節を連想させる。

「発句は芭蕉のはるか以前から、いや、発生の当初から、連句の場を離れて自己充足しようという傾向が見られる。また一方、それはあくまでも連句の場の発句として、付句を欲求する性質を内在させている。少なくとも

芭蕉の発句は、発句の二律背反的性格の微妙なかねあいのうちにあった。一方において、それは十七音詩型のうちに、内容的にも形式的にも、言語表現としての完結を求めようし、他方においては、付句を要求して無限に連鎖しようとする。一方においては、それ自身、一つの認識の刻印として、断定の言葉を投げ出そうとし、他方においては相手に問いかけて、その答えを求めようとする。一方においては、孤独のモノローグに飽くまで徹しようとし、他方においてはダイアローグの声を裏側から響かせようとする。」

すなわち、芭蕉の句は、それが、発句であろうが、付句であろうが、その連句における、そのダイアローグ( 対話) と共に、必ず、芭蕉その人の、詩人の魂としての孤独なモノローグが表白されているのだ。すなわち、言葉を代えていえば、俳諧( 連句) は、芭蕉によって完成されると共に、芭蕉その人によって破られ、今日の俳句という一ジャンルを生み出す要素を、その完成の時から、常に内包していたということなのである。芭蕉の、いずれの句にも、それが、どんなに名のない句であれ、そんな思いが込められているように思えるのである。

「師〈私注・芭蕉〉の曰『此道の我に出( いで) て百変百化す。しかれども、その境、真草行の三つをはなれず。その三つが中にいまだ一二を不尽( つくさず) 』と也。」( 『三冊子』)

〔句意〕( その流人は、) 冷たい石の上に座し、今日あることの生命をいとおしみつつ、大自然への帰依のもとに、今、朝日を拝んでいます。

( 今日も又( また) 朝日を拝む石の上)

米とぎ散( ちら) す瀧の白浪二寸

ナウ・二句目、雑の句。『陸奥鵆』では、「殿付けられて唯のする舟翅輪」とある。どちらにしても、芭蕉の前句の、芭蕉その人の孤独のモノローグには、目が向いていないように思われる。

「松の事は松に習へ、竹の事は竹に習へと、師〈私注・芭蕉〉の詞のお〈大礒義雄校注・あ〉りしも、私意をはなれよといふ事也。」( 『三冊子』)

〔句意〕( その朝日を拝む行者は、) 滝の水で米をといで、朝餉の支度をしています。

( 米とぎ散( ちら) す瀧の白浪)

籏の手の雲かと見えて飜り曽良

ナウ・三句目、雑の句。『陸奥鵆』では、「奥筋も時は替らずほとゝぎす〕の夏の季語の句で収録されている。

「巧者( こうしゃ) に病あり。師〈私注・芭蕉〉の詞にも『俳諧は三尺の童にさせよ。初心の句こそたのもしけれ』などとたび云( い) ひ出( いで) られしも、皆巧者の病を示されし也。」( 『三冊子』)

〔句意〕( 米洗う谷川から山上を見上げますと、) 雲が靡いているように、戦いの旗が無数に翻っているではありませんか。

( 籏の手の雲かと見えて飜り)

奥の風雅をものに書( き) つく翅輪

ナウ・四句目、雑の句。『陸奥鵆』では、「噛ずに呑メと投ル丸薬」と全く別形のもので収録されている。『俳諧書留』の方が、奥羽の源頼義父子の前九年・後三年の役などを連想させ、この歌仙に相応しいように思われる。

「高くこゝろをさとりて俗に帰るべしとの教なり。常に風雅の誠をせめさとりて、今なす処俳諧に帰るべしと云( いへ) る也。」( 『三冊子』)

〔句意〕( その靡く籏を見ていますと、) 奥羽の数々の戦や、それにまつわる連歌などが思い出され、その奥筋へと旅立つ翁の、これからの旅などが偲ばれ、それらのことを書きつけておきたいとと思います。

( 奥の風雅わものに書( き) つく)

珍しき行脚を花に留置( き) て秋鴉

ナウ・五句目、「花」で春。『陸奥鵆』の句形では、「花の宿馳走をせぬが馳走也桃雪」とあり、この桃雪の号は、秋鴉の別号である。「留置き」は、引き留めるの意味。芭蕉等は、事実、『おくのほそ道』紀行で、四月三日から十五日までの長きにわたり、この黒羽に滞在することとなる。その芭蕉等の歓待の中心人物が、この秋鴉こと、浄法寺図書高勝ということになろう。その秋鴉が、この歌仙の最後の、花の定座を担当し、この歌仙全体の構成に花を添えているという趣である。

「飛花落葉の散乱( みだる) るも、その中にして見とめ聞とめざれば、お〈大礒義雄校注・を〉さまることなし。その活( いき) たる物だに消( きえ) て跡なし。又、句作りに師の詞有( あり) 。物の見へ〈大礒義雄校注・え〉たるひかり、いまだ、心にきえざる中にいひとむべし。」( 『三冊子』)

〔句意〕( その奥筋へと旅立つ翁を、) この満開の花に事寄せて、旅の主客として、引き留めています。

( 珍しき行脚を花に留置( き) て)

弥生暮( くれ) ける春の晦日( つごもり) 桃里

挙句、「春の晦日」で春の句。「弥生」は、陰暦の三月で春の末である。「挙句は付( つか) ざるをよしと古説有( あり) 。今一句に成( なり) て、一座興覚( さむ) る故也。また、兼て案じ置くとも云( いへ) り。」( 『三冊子』) すなわち、挙句は、あらかじめ作って用意しておくものともいわれている。余瀬の本陣問屋の主人・蓮見桃里が、執筆( 書記役) のような形で、この最後の歌仙を締め括っている。

「弥生暮( くれ) ける」には、この歌仙にピリオドがうたれることの惜別の情が込められていようし、「春の晦日( つごもり) 」には、花も過ぎれば留め置くこともかなわないという惜春そして惜別の情も込められていよう。「弥生暮( くれ) ける」と「春の晦日( つごもり) 」の二重のリフレインも印象的である。なお、『陸奥鵆』では、「ふさぐというて火燵そのまゝ」の句形で収録されている。

「学ぶことつねに有( あり) 。席に望〈大礒義雄校注・臨: のぞみ〉て文台と我と、間( かん) に髪( はつ) をいれず、思ふ事速( すみやか) に云出( いひいで) て、爰( ここ) に至( いたつ) て迷ふ念なし。文台引おろせば即反故( ほんご・ほうぐ) 也。」( 『三冊子』)

〔句意〕弥生のつごもりとなって、花が、今、終わろうとしていますが、私たちの、この風雅な饗宴も、その桜花と同じように、静かに幕を閉じようとしています。( 時あらばまた、この黒羽の里で、花の季節に貴方達と、再び、このような饗宴をしたいと切に思うものです。)

【補注・付記】

① 東明雅氏は、「俳諧に現代語訳をつけるのは蛇足かも知れないが、句意をどのくらい正確に理解しているか、それは結局は現代語訳にあらわれるものである。現代語訳を付けることは容易のようで難しく、誤魔化しがきかない。だから、作品鑑賞をする場合、自分の立場を明確にするためにも、現代語訳は必要で、現代語訳を付けないで曖昧なことを述べる批評や鑑賞を、私は信用できない」( 『連句入門』) と指摘している。

このように、歌仙一巻( 三十六句) の全部に現代語訳を付ける困難さの故に、俳諧( 連句) 鑑賞から、研究者はともかくとして、実作者( 特に、俳句作家) また一般の鑑賞者を遠ざける最大の理由となっているとも思われる。すなわち、歌仙一巻・三十六句の全部を正確に理解するということは、これは甚だ困難なことであり、このことが、俳諧( 連句) という分野の裾野を閉ざしているということと、そして、そのことが、連俳非文学論( 正岡子規) などを生む素地の一つの理由とも思えるのである。このことに関し、あの博覧強記の、柳田国男氏ですら、かく嘆いているのである。

「前代の俳諧のごときは殊に読者を限定して、いわば銘々の腹の中のわかる者だけで鑑賞し合い、今日存する篇汁( へんじゅう) はその楽しみの粕のようなものである。時代が改まって程なく不可解になるのも自然であった。面白味の判らぬだけならまだ曲従することもできる。わかったような顔もしていられるが、どう考えても全然意味がとれない句、または人によって解説の裏はらになったものさえある。」( 『木綿以前の事』所

収「生活の俳諧」)

とすれば、俳諧( 連句) 愛好者は、他人の批判を恐れることなく、今の、そして、自分の、限られた知識と経験とを最大限に披露して、誤った理解と罵られようが、俳諧( 連句) 関連の情報を沢山提供しあうこと、このことが、今、何よりも重要なことであって、そして、そのような積み重ねが、必ずや、世界に類を見ない独自文学形態の「俳諧之連歌」( 連句) の再生を促すものと、そんな思いを強くするのである。

「歌仙は三十六歩也。一歩も後に帰る心なし」( 『三冊子』) 、すなわち、躊躇することなく、自分の付句( 考え方・理解) を場に晒すこと、これが、俳諧( 連句) 愛好者の第一歩と、そんな思いを強くするのである。そして、まだまだ未知で未開拓の世界である芭蕉以外の俳諧( 連句) を鑑賞するための、数多くの文献や情報が容易に一般の人にも手に入ることのできるようになることを切に願うものである。

② 俳諧( 連句) を鑑賞する上で、意味不明( 現代語訳不明) の場合、東明雅氏( 『連句入門』) の、付合( 付けの種類) 、付心( 付けの手法・態度) 、付所( 付けの狙いどころ・手がかり) 、付味( 付けの効果) の観点からの鑑賞は、大変に有効な道具立てと思われた。参考に、以下、要約しておくこととする。

Ⅰ 付合( 付けの種類)

ⅰ 物付( 前句の詞や物の縁によって付けるのをいう。)

ⅱ 心付( 物付のように前句の詞や物に頼らずに、前句のあらわす全体の意味や心持に応じて付けていく方法

「句意付」を指す。)

ⅲ 余情付( 広義の心付で、「移り・響・匂ひ・位」などの余情を主として付けていく方法を指す。)

Ⅱ 付心( 付けの手法・態度)

Ⅲ 付所( 付けの狙いどころ・手がかり)

Ⅳ 付味( 付けの効果)

※ 付心と付所については、次表の各務支考の七名八体説によっている。

【参考文献】【主要参考文献】記載のものの他に、次の図書を参考とした。

1 『芭蕉連句集』・中村俊定・他校注・岩波文庫・昭和五〇

2 『俳人名言集』・復本一郎著・朝日文庫・平成四

3 『芭蕉連句抄( 第七篇) 』・阿部正美著・明治書院・昭和五六

4 『蕉門俳論俳文集( 古典俳文体系1 0) 』・大礒義雄・他校注・集英社・昭和五一


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