https://kotarou1031.at.webry.info/201105/article_4.html 【★雑記/旅に病んで・・・】より
◎旅に病んで……
「旅に病んで 夢は枯野をかけめぐる」松尾芭蕉の辞世の句である。
1644年、松尾芭蕉は忍者の里、伊賀上野の地に六人兄弟の次男として生まれた。母親の姓は「百地」(ももち)といった。百地といえば、百地三太夫という有名な忍者を輩出した家系である。したがって、芭蕉自身も忍者であったか、あるいはその血統である可能性はきわめて高い。そのため、幼少から忍者としての訓練で広い山野を走り回っていたのかもしれない。
そう考えると、老いて旅の途中で病の床に臥し、「自分はもう、長いことはないな……」と思いつつ、子どもの頃に走り回って過ごした伊賀の地を思い描きながら詠んだ句のような気もするのである。
芭蕉についてもう少しふれておこう。テレビの見過ぎだと言われそうだが、芭蕉は水戸黄門(水戸光圀)とは切っても切れない関係にあったと推測出来るのだ。
芭蕉の地位を不動のものにした「奥の細道」は、一般的には芭蕉本人の単なる俳諧紀行程度にしか解釈されていない。が、もしかしたら、それはとんでもない誤りかもしれない。僕は、この旅の目的が単なる俳諧紀行ではなかったと思うのだ。
◎道祖神のまねきにあひて……
芭蕉が旅に出発したのは元禄2年(1689年)3月下旬のこと。門下の一人である曾良(そら)なる人物をを伴い、奥羽・北陸道(ほくろくどう)を経て岐阜の大垣まで約5ヶ月の長旅だった。重要なのは「奥の細道」の冒頭部分である。ここを見過ごしたら、NHKが喜びそうなただの“芭蕉オジサンの俳諧紀行”になってしまう。
画像「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして、旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり……(中略)……道祖神のまねきにあひて取るもの手につかず、もヽ引の破(やぶれ)をつヾり、笠の緒付(つけ)かえて、三里に灸すゆるより……」という有名なくだりがそれだが、道祖神のまねきがあったのでどうしてよいものやら分からず、取るものも手につかない、と書いている。その上、この道祖神は芭蕉に同行し、一緒に旅をすると言ってきたのである。
道祖神とはいったい何者なのか? この道祖神こそ、非常に高位にある人……水戸光圀だったのではあるまいか?
道祖神は、そのむかし悪霊から人々を護るために道端に祀られた。道祖神、つまり水戸光圀が同行者ならどんな“悪霊”も手が出せない。芭蕉にとって、これほど心強いことはなかった。光圀を道祖神と呼んだのには、そうした意味があったからだと思えるのである。
上に黄門様のことを書いたが、奥の細道の中に光圀は登場しない。門下の曾良ともう一人、つまり二人の随伴者だけである。
ところで、「奥の細道」の旅に出発する2年前に行われた「鹿島詣」には、曾良ともう一人、宗波という禅僧が同行している。ともなふ人ふたり。浪客の士ひとり、ひとりは水雲の僧。浪客の士とはもちろん、曾良である。となれば、もう一人の僧というのは……(芭蕉は、自分より“年上”のこの僧を「宗波老」と尊敬の念をこめて呼んでいたという。もちろん、光圀は芭蕉よりも年上だった)。
◎旅の目的は……
話を奥の細道に戻そう。俳諧紀行を表向きにしたこの旅の目的は、いったい何であったのか?
一つは現状視察。二つ目は、当時のキリスト教では禁書扱いだった「ヨハネの黙示録」の翻訳本を手に入れること。これは隠れキリシタンにとって秘本中の秘本だった。そして三つ目だが、二つ目の点について光圀自身が動くことによって隠れキリシタンたちを抑え、同時に刀鍛冶や鉄山で働く人々などの、いわゆる産鉄集団といった当時の地下組織を支配下に置き陰のネットワークを構築することである。
当時は製鉄技術のレヴェルが低く、作られた鉄はもろく鉄砲には使えないとされていたため、一部の刀鍛冶は進んでキリシタン信者となり、南蛮の製鉄技術をマスターしようとした。とりわけ東北の鉄山にはキリシタン信者が多かったという。また、徳川幕府による徹底的なキリシタン弾圧で、相当数の信者が東北の鉄山に逃げ込んだといわれる。……こうしたことから、東北へと奥の細道の旅は始まるのである。
興味は尽きないが、僕は歴史にはとんと疎いのでこのあたりにしておこう。なお、ここに書いたことは僕個人の見解、感想であり、他のあらゆる既説を否定あるいは肯定するものではないことをお断りしておく。
◎夢
この雑記、なぜ、旅に病んで……の句から書き始めたのか、いま自分でもよく分からないのだが、思い起こせば、まだガンの病魔に冒されることなくラテン・アメリカの国々と日本を行き来していた頃、メキシコの片田舎で高熱を出し数日寝込んだことがあった。
古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず……のくだりが脳裡をよぎる。
「ああ、こんな異国の地で果てることになるのか……」
孤独な安宿の一室で熱にうかされながら見た夢は、夕暮れの広大なメキシコ平原の中に立つ若い日の自分の姿だった。
そこは風が吹いているのに枯れ草もざわめかず、薄暮の空に光る星さえ瞬かぬ不可思議な世界。なぜ、過去の自分がそんなところに立っているのか? 僕はこうしてここにいるのに、なぜ気づいてはくれないのだ? 声をふりしぼって名を呼んでみるが、その響きは静謐な世界に吸いこまれるように空しく消えていくのだった。
やがて、しばらくすると周囲の山々にこだまする緩やかな笛の音。誰かが奏でるパン・フルートらしきその音色は、時折、木々の梢で休みながら長い尾を曳くように山の端をわたっていった。若い日の自分は身じろぎもせず、まだ風の中に立ち尽くしている……。
うとうとするたびに繰り返し見た夢。僕が見た夢は、芭蕉のようにあちらこちらと紀行世界をかけめぐることはなかったが、旅先で病み、深い孤独感を味わったという点では何か共通したものを感じずにはいられないのである。
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