時空を超えて

https://enkieden.exblog.jp/23327057/ 【Eテレ放送「時空を超えて」】より

アメリカの俳優・モーガン・フリーマン(79才)の「時空を超えてー死後の世界はあるのか?」が7月22日(金)の午後10時から10時45分までNHK教育テレビで放送されました。これは2015年3月放送の再放送でした。

人間は死んだらどうなるのか? 死後の世界はあるのかという究極の謎を生物学・物理学・哲学などの科学者たちに聞く。

意識は脳から生まれるのか、意識は脳死の後にも存在するのか。魂は宇宙とつながる量子コンピューターで、魂は死とともに宇宙に広がっていく。

ある脳神経外科医が脳髄膜炎により臨死状態になったが、手術が成功して助かった。彼の臨死体験によれば「蝶になって飛んでいくと、皆が神と呼んでいるものが愛であることが分かった。」と云った。

これに対して精神科医は「臨死体験は脳のニューロンが酸素不足で起こす幻想だ。」と云う。

意識研究センターの所長は「永遠の魂」について研究しているが、脳のマイクロチューブル(微小管、細胞骨格)が量子コンピューターのように働き、「量子もつれ」によって意識が伝達されると考えている。

量子もつれにより、脳内のつながっていない部分にも情報を伝える。この情報が宇宙全体に張り巡らされていると云う。

脳内の意識が宇宙全体に広がっている。これはビッグバンの時から存在しており、マイクロチューブル内の意識は脳死後に宇宙に広がる。死なずに生き返ればまた脳内に戻ってくる。

神経科学者の実験によると、人間が起きているときはニューロン同士の連携は活発に働くが、寝ているときは刺激に対する反応はあっても、ニューロン相互の連携はしなくなる。

人間の魂を見つけたと主張する人がおり、魂の重さは21グラムだと云う。

ある生物学者・工学者がニューロンはコンピューターであり、ニューロンが連携することにより意識や魂が生まれる。そこから感情も生まれてくる。魂も物質だから死ねば無くなると考えている。(唯物論)

ある認知科学者は、魂は死んでもなくならない。魂の一部は他にコピーできる。出会った人々の心の中に残っている。ショパンが作曲した楽譜により、ショパンの魂の一部は後世に伝えられた。

神経工学者がマウスの脳のニューロンとコンピューターを結ぶことにより、人工頭脳を造った。この人工頭脳に「意識」を持たせることが将来できると考えている。この神経工学者は自分の「意識」をコピーして他の生物に移す夢をもっている。

私の体験は臨死体験と云えるのかどうか分かりませんが、57才の時にクモ膜下出血で倒れ意識を失い、夢の中で断崖絶壁に立たされ、上空から神の声のようなものが聞こえてきました。

「右側に転げ落ちたらお前はそこで死ぬことになる。左側に転げ落ちたらお前は助かる。さ~、お前はどちらに転げるのか返事しろ。」と云われると同時に、返事する間もなく私は左側に引っ張り落されました。そして、病院の集中治療室で目を覚ましました。1か月後に退院し、後遺症もありませんでした。

私は古代史の研究と共に古代人が神と呼んだ存在を研究しています。若いころから宗教的には相当経験しましたので、50代半ば頃からは物理学的に、天文学的に、医学的に「神」を研究するようになりました。

肉体は変化し滅びても、魂の存在は死後にも続きます。魂の存在する場所は人間の認識できない異次元だと思います。0次元(霊次元)です。魂の重さは0だと思います。

人間は1次元から4次元までは認識できますが、0次元や5次元は認識できません。

昔、アメリカ人の美人物理学者・リサ・ランドールの「ワープする宇宙―5次元時空の謎を解く」を読みました。難しい分厚い本でした。

彼女はまた、「宇宙の扉をノックする」という題名の本も著しています。英語の題名は”Knocking On Heaven Door”です。Heavenが日本語の題名では宇宙になっていますね。

異次元の証明はそれほど遠くない時期に検証できると思います。日本もこの作業には関わっていますよ。


https://www.bliss-ayumi.com/diary/20201025 【時空を超える寺社巡り】 より

鎌倉はぴてくCLUBの寺社巡りツアーに参加しました。昨年の10月に1回目、1月に2回目、

その後春の予定がコロナで延期となり、やっと今月開催でした。

ガイドは山岳ガイド、寺社ガイドとしてご活躍、NHKにもよく協力、ご出演されている太田先達。

さすがの知識とおやじギャグで、毎回とても楽しく廻ることができています。

「へえええ!!」という知識がたっぷりですが、覚えていられるのは雑学!?含めほんの2つ、3つ。

それでもお参りする際にはエネルギーワークだと思い真剣にしているので、自分では良しとしています。

3回めの昨日は、明王院 浄妙寺 杉本寺 鎌倉宮 永福寺跡地 荏柄天神社と巡りました。

解説の中には当然のことながら、そのお寺が建てられた背景や、そこにかかわった人々の話がたっぷり出てきます。

(昔歴史の授業で聞いたなー、と思いつつも、似たような名前ばかりで区別はつかないし、記憶も・・・?。歴史を勉強しなおしたい、という思いがこんな時だけ湧き上がり。

こういう時は、大河ドラマ見ておけばよかったー、なんて思ったり。テレビはもう8年くらい見ていません。)

幽閉されていた穴を拝みながら、また身代わりになって自害した方のお話を聴きながら、

そこにいた人々、その時代に生きた人々の日々の心の状態はいかほどだったのか・・・

と想像するも、眉間にしわがよって思考がストップし、とても計り知れません。

でも時々、思考を止めているバリアをかいくぐってその痛みがギューンと伝わってくる感じがします。

何百年の時を超えて、エネルギーに触れる感じ。

時間という概念は、この惑星ならではの錯覚でしかないから、瞬時にその時代につながれるのかもしれません。

今やっと、真言を覚え始め、瞑想やサットサンで、少しでも考えない練習をしている私ですが、このころ生きていたら、毎日お経や真言を唱えずにはいられなかっただろうと想像します。

そして一日が無事に過ごせただけで、感謝する日々だったのではないかと。

鎌倉はエネルギーに敏感な人は歩けない、と言われることもあります。

土地を掘り起こせばそこかしこに人骨が埋まっているそうです。

当時の人たちの亡骸を収める洞窟のようなものもあちこちにあります。

だからこそ、神様仏様を祀る寺社もたくさんあるんですよね。

仏様の前で手を合わせる時だけでなく、歩く道すがら、心の中で真言を唱えつつ、光をいただいていました。

仏様ごとに、太田先達が真言を教えてくださって、みんなで唱えられるのもありがたいことです。(全部は覚えていませんが、3回目にもなると、なんとなく耳が覚えていて、1度きくと唱えられます。)

なるべく記憶の新しいうちに、同じルートを復習で巡りたいね、写経もまたやりたいね、と一緒に参加した元受講生の葉子ちゃんと話していました。


http://www.kogumaza.jp/1202haikujihyuu.html 【惟然を想う】 渡辺 誠一郎  より

昨年、伊賀上野への旅で初時雨にあった。芭蕉の生家の屋根を打つ時雨の音は、感慨深さも格別であった。その後、大津に足を運んだ。東日本大震災、そして原発事故のことが、心の底に淀んだままだであったが、澄み切った冬空の下に淡海が青々と拡がり、清々しい気持ちにさせてくれた。
しかし、石山寺に向かうタクシーの運転手が、毎年宮城から米を買ってもらっていたが、原発の事故の事もあり、今年は迷っていること。地域の水源である琵琶湖と福井の原発群の近さが気がかりであることなどに話が及び、東日本の「やまい」が日本列島全体に拡がっているのを感じた。夜宿に入り、一人持参した筆と墨で、芭蕉が伊賀や大津で認めた『幻住庵記』などを、書写して遊んだ。
十一月十二日、大津の義仲寺では芭蕉忌・時雨会が執り行われた。ここで、沢木美子氏に再開した。小熊座の同人であり、広瀬惟然研究家で知られる。沢木氏は、長い間、岐阜県関市にある惟然ゆかりの弁慶庵の庵主を務めた。

当日は、芭蕉忌・時雨会の法要の席で「風羅念仏踊り」が半世紀ぶりに奉納された。この踊りは、義仲寺無名庵の代々の庵主によって伝えられてきたが、長い間廃れてしまっていた。この廃れた風羅念仏踊りを沢木氏が苦労の末にこの度半世紀ぶりに復元したのだ。踊り手は、茶人頭巾を被り、手に扇子を持ち、腰に瓢箪を付けた格好で、和琴や三味線の音に合わせて輪になって踊る。この日は男女五人の踊り手が、本堂の芭蕉の位牌の前で風羅念仏踊りを披露した。哀愁を帯びた調子に、ゆったりとした踊り。時空を超えて惟然が躍り出てくるような幻想を覚えた。
風羅念仏踊りの復元までの足取りや惟然の世界については、沢木美子氏の『風羅念仏にさすらう 口語俳句の祖 惟然坊評伝』(翰林書房)に詳しい。沢木氏の著作を傍らに置いて、改めて惟然の世界に触れてみた。風羅念仏とは、芭蕉の菩提を弔うために、弟子の惟然の踊念仏である。風羅の言葉は、『笈の小文』に「風羅坊芭蕉桃青」とあり、芭蕉の俳号による。惟然は芭蕉の発句を唱えて踊る、この風羅念仏踊りをしながら各地を巡ったという。この念仏踊りは、芭蕉ただ一人のためだけに捧げられたものである点が特徴といわれる。惟然の師芭蕉への追慕の気持の深さとともに、惟然の世界の特異さを表している。
よく知られる踊り念仏は、一遍上人の「踊躍ゆやく念仏」である。この踊りは、太鼓や鉦を打ち、念仏や和讃を唱えながら踊る。惟然の風羅念仏踊りは、歌詞にすべて芭蕉の発句を取り入れる。内容は次の通りだが、初めの句章にある、椎の木の句は、芭蕉が大津で認めた『幻住庵記』の末尾に置かれた作品である。

   先ずたのむ椎の木もあり夏木立     なもうだなもうだ

          音はあられか桧木笠         〃

          折れてかなしき桑の杖        〃

   雪ちるや穂屋の芒のかり残し           〃

         友を今宵の月の客           〃

         雪の袋や投頭巾            〃

  以下合わせて六章句仕立てになっている。

  「なもうだなもうだ」は「南無阿弥陀仏」のこと。

ところで、惟然は美濃の国、関の人。後に『惟然坊句集』を編んだ曙庵秋挙の序に、「或

日庭前の梅花時ならずして鳥の羽風に落散るを感動せしより、しきりに隠遁のこころざし

起こりてやまず、」と妻子を捨て出家したことが知られる。

芭蕉最後の旅に従い、最期を看取る。その後は、乞食同然の姿で、古瓢箪を打ち鳴らし風羅念仏を踊りながら諸国を行脚するのだ。

同時にこれ以後、惟然の句の世界は口語調を一層強めていく。

    きりぎりすさあとらまえたはあとんだ  惟然

    のらくらとたゞのらくらとやれよ春    惟然

    梅の花赤いは赤いはあかひわさ    惟然

    水鳥やむかふの岸へつういつうい   惟然

沢木氏は、惟然の口語俳諧が歌舞伎役者に大きな影響を与えたことを指摘している。役者にとって、口語俳諧が、「せりふ回し」に大いに役に立ったからという理由だ。同時に惟然が諸国を回って、「お国言葉」の、いわゆる生の言霊の力に影響を受けたとの見方も興味深い。このことは、俗語なども好んで表現に取り入れるなど、飄逸な惟然の資質のよるところが大きいのかも知れないと。この風羅念仏は、姫路、尾張、京都、山形にも伝わったとされる。
惟然の口語俳諧と風羅念仏との関係を考えると、俳諧の口語のリズムが、そのまま自然に、所作の表現まで昇華された姿が念仏踊りのように思われる。惟然の句、その言葉が「たましい」の一つのかたちだとすると、「風羅念仏踊り」もたましいのかたちである。それが夢幻の中で新たなたましいのかたちとなったのが、惟然の風羅念仏の世界であったと言えよう。言葉を換えれば、言葉の表現そのものが、「身体言語」化していったというべきだろう。その場合、惟然のたましいは、芭蕉のたましいとの交感を通して昇華されていく。それは、風羅念仏踊りが、何よりも、唯一師芭蕉のためだけのものであったからだ。まさに惟然のたましいの踊りとしての風羅念仏踊りであった。その意味で、惟然は、誰よりも違う境地に立っていたのだと思われる。
惟然が他と違って特別なのは、資質はもちろんのこと、芭蕉追善への思いの深さが、魂の底から突き上げように湧き上がるものがあったからであろう。その想いを受け止め、口語俳諧に、そして念仏踊りという所作に及ぶ。言葉の揺れ、たましいの揺れは、身体との共振れに及んだのだ。義仲寺で踊りを目の当たりにして、そんなことを想った。
惟然の没年は定かではないらしいが、宝永八年二月九日とされる。故郷美濃にあり、病吟として残したとされる次の句からは、惟然の漂泊への強い思いが偲ばれる。まさに最後まで風狂の人であった。

    としの雲故郷に居てもものぞ旅  戒名は〈安心唯然居士〉。

ところで、惟然は元禄十年、芭蕉とは逆順路で『おくのほそ道』の旅に出ている。まさに乞食行脚であったようだ。そして、平成の時代にあって今私は、東日本大震災の被災地東北の地に、惟然が風羅念仏を踊りながら流離う姿を幻想している。


http://www.second-academy.com/lecture/MSN10008.html  【『奥の細道』を読む  - 芭蕉と辿る時空を超えた旅 -】より

主催:武蔵野大学 地域交流推進室[武蔵野大学 三鷹サテライト教室(東京都)]

問合せ先:武蔵野大学 地域交流推進室 TEL:042-468-3222

開催日 8月 7日(金)~ 9月18日(金)

講座回数 6回

時間 13:00~14:30

講座区分 前期 

入学金  -  受講料 9,000円 定員 30

補足

資料を請求する

※この講座の申し込みは既に締め切りました。

講座詳細

【講座内容】

『奥の細道』は、日本古典のなかでもとりわけ有名な芭蕉の紀行文です。元禄2年(1689)に深川を出発し、日光・奥州・出羽・北陸路を行き、岐阜の大垣で終わりを迎えた芭蕉の5ヶ月の旅は、数年に渡って何度も何度も推敲が重ねられて『奥の細道』という作品になりました。歌枕(昔の和歌で詠まれた名所)や旧跡を巡り、西行や義経ら歴史上の人物たちと魂を通わせながら辿る芭蕉の旅は、時空を超えた旅の文学です。最新の研究成果をふまえながら通読してゆくことによって、その面白さを再発見してもらえるのではないかと思います。「五月雨をあつめて早し最上川」「荒海や佐渡によこたふ天河」などの名句を味わいながら、芭蕉の旅を辿ってみませんか。

持ち物:筆記用具、持っている人は『奥の細道』の本(何でもよい)

【講座スケジュール】

第1回 8月 7日(金) 芭蕉と『おくのほそ道』の紹介

第2回 8月21日(金) 冒頭部を読む「月日は百代の過客にして…」

第3回 8月28日(金) 旅立ち・草加

第4回 9月 4日(金) 室の八島・日光(一)

第5回 9月11日(金) 日光(二)・那須野

第6回 9月18日(金) 黒羽・雲巌寺