大助人形 The Gods of Illness Prevention— 場所: 鹿島神宮
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO61603070W0A710C2L83000/ 【茨城の鹿島神宮、コロナ禍終息願い「大助人形」設置】 より
江戸期の建築様式を示す奥宮には多くの参拝客が訪れる
江戸期の建築様式を示す奥宮には多くの参拝客が訪れる
茨城県鹿嶋市の鹿島神宮は全国に点在する鹿島神社の総本社で、関東最古の神社とされる。武道の神である「武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)」をまつり、防人(さきもり)が道中の無事を祈った「鹿島立ち」の場として知られる。
鹿島則良宮司は「御朱印ブームが示すように若い方の参拝が増えた。神道の作法が伝わりつつあることに新鮮な印象を受けている」と語る。
森には多様な植物があり、鹿園や奥宮、御手洗池(みたらしいけ)など見どころは多い。境内の奥の要石(かなめいし)は地震を起こすナマズの頭を押さえているといわれる。
要石は地中深くに埋まり、ナマズの頭を押さえていると伝わる
要石は地中深くに埋まり、ナマズの頭を押さえていると伝わる
新型コロナウイルスで4~5月はバスツアーが影を潜めたが、参拝客は徐々に戻り始めた。祈祷(きとう)の人数を制限したり、お参りする人の間隔を確保したりと感染対策を徹底している。
安全確保のため、9月の「神幸祭(じんこうさい)」はみこしを出さない居祭(いまつり)と呼ぶ祭儀に変更し、関連の「提灯(ちょうちん)まち」は中止する。鹿島宮司は「地域にも痛手。早く落ち着いた世の中になるよう願う」と語る。
コロナ禍終息を願い「大助人形」を本殿近くに10体設置した
そんな思いから6月、「大助(おおすけ)人形」を設置した。10体のわら人形の腰に竹刀を差し、墨で書いた顔を半紙に描いた。鹿島の神が香取の神と東北を平定した際に加勢した兵の姿とされ、疫病などを防ぐとの言い伝えがある。茨城県北部には今も大助人形を飾る風習が残るという。8月18日に取り外して焼き、灰を川に流す予定だ。
「歴史を受け継ぎながら新しいものも採り入れ次世代にバトンを渡したい」(鹿島宮司)。混雑緩和などのため、2014年に祈祷殿や社務所を竣工。20年1月にはお札やお守りを扱う授与所の運用を始めた。
境内では汚れを清める「茅(ち)の輪くぐり」も行われる
6月には鹿島アントラーズとのコラボで限定1800冊の御朱印帳を販売し、2日で売り切れた。「アントラーズは平成の歴史の一ページ。手を取り合っていきたい」。歴史の重みに加え、時代の変化も感じられる場所だ。
https://mainichi.jp/articles/20200626/k00/00m/040/033000c 【「大助人形」でコロナ退散! よみがえる50年前の風習 茨城・鹿島神宮】
鹿島神宮(茨城県鹿嶋市宮中)が、厄よけ目的で「大助(おおすけ)人形」を宮内に設置した。地元では約50年前まであったという風習だが、新型コロナウイルス感染症の早期終息を願い、神宮が公の祭事として初めて採用した。
「大助」は、わらを編んだ高さ1メートルほどの武者人形で、腰には篠竹(ささたけ)の刀を帯びる。地域で差異はあるものの、鹿島神宮の「大神」が東北の地を平定した際に加勢した兵の化身と伝えられている。
また、大助を集落境に立てることにより、疫病や災厄禍の侵入を防ぎ退散させるとも伝わる。鹿嶋市内では昭和40年代まで、「鹿島さま」の悪魔払いとしてこの風習が続いたが、廃れて今は常陸太田市など県北の一部に残るだけという。
https://yomiuri-townnews.com/oosuke-ningyou/2020/07/12/ 【”疫病平定”願い大助人形 鹿島神宮で初めて飾り付け】より
鹿嶋市宮中の鹿島神宮に、同神宮にまつられる武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)に由来するわら人形、大助(おおすけ)人形が飾り付けられている。新型コロナウイルスの早期沈静の願いを込めたもので、同神宮での飾り付けは初めて。
大助人形は武者を模した人形。伝承によって差はあるが、鹿島の神の東北平定の際に、神を助けた兵士の姿がモデルだという。
全長約1㍍で、頭には半紙に描かれた武者の顔、体にはたすきを模した葉が張られ、手には、輪切りのナスをつばに見立てた竹刀が取り付けられている。場所は、楼門近くで、10体が並んでいる。
県内では、常陸太田市などで、大助人形の風習が伝わっている。家の前などに立てて、疫病や虫を退けてもらおうというものだ。鹿嶋市でもかつて、「人形送り」という風習で、同様の行事を行っていたが昭和期に廃れたという。
今回初めて大助人形を飾り付けたのは、「新型コロナに対する願いを、武神をまつる私どもらしい形で表現したかった」と同神宮の中嶋勇人さん。制作は、常陸太田市で大助人形の風習を続けている同市上宮河内町の菊池明徳さんと菊池好道さんに依頼した。8月18日まで飾られ、終了後は、たき上げし、その灰を御手洗川に流す予定だという。
https://4travel.jp/travelogue/11644622 【鹿島神宮大助人形とウチワサボテン群生地2020~コロナ退散とかつて島だった神栖市(茨城)】 より
茨城県の鹿島神宮では、厄除け目的で「大助(おおすけ)人形」を6月から8/17まで境内に設置しました。
地元では約50年前まであったという風習で、新型コロナウイルス感染症の早期終息を願います。
「大助人形」は、わらを編んだ高さ1mほどの武者人形で、腰には篠竹(ささたけ)の刀をさします。
地域により習俗の差異がありますが、常陸太田市金砂地区では鹿島の大神の東北平定に際し、これをお助けした兵士の姿と伝わっています。
人形は集落の境に立てることで、疫病や厄災が集落に侵入することを防ぎ、退散させるものとの伝承を持ち合わせています。
神栖町と波崎町が合併した「神栖市」は、地図で見ると細長い半島のように見えます。
今から1300年以上前は、海の中に浮かぶ中島と言われる島でした。
その後、鹿島灘の沿岸流と利根川の堆積作用で砂が寄せ集まり、潮の流れに沿って次第に銚子方面へ陸地を伸ばして行きました。
そうしてできたのが「波崎」。中島から刃先(当初の地名)のような形の砂嘴になったのが鎌倉時代。
江戸時代に入り砂漠地帯の新田開墾が始まったのですが農地の生産性が低く、昭和30年代に茨城県知事により三井・三菱・住友の日本を代表する企業を誘致する「鹿島開発」が始まります。
そして鹿嶋市、神栖市一帯に、鉄鋼業、発電所、石油化学等の工場群の「鹿島臨海工業地帯」が昭和40年代にできあがります。
今日は鹿島神宮を参拝して「大助人形」に祈願し、鹿島神宮駅から銚子駅まで路線バスに乗り、神栖市を縦断します。
バスの車窓からは鹿島臨海工業地帯の工場群の景色を眺め、途中で「ウチワサボテン群生地」を訪れます。
帰りは銚子駅から電車に乗り、千葉駅近くの海鮮食事処「波奈」で夕食にします。
なお、旅行記は下記資料を参考にしました。
・鹿島臨海鉄道HP
・鹿嶋市観光ガイドマップ
・龍神社の現地説明板
・鹿島神宮HP
・鹿島神宮案内板「大助人形」
・毎日新聞「大助人形でコロナ退散!よみがえる50年前の風習 茨城・鹿島神宮」
・日本経済新聞「茨城の鹿島神宮、コロナ禍終息願い「大助人形」設置」
・鹿嶋市HP「市章」「鹿島アントラーズデザインのマンホール」
・日本マンホール蓋学会「鹿嶋市のマンホール」「神栖市」
・関東鉄道バスHP
・80s岩手県のバス”その頃”「バスのカラーリング、関東鉄道」
・神栖市観光協会「ウチワサボテン群生地」「波崎ウインドファーム」
・NHKみんなの趣味の園芸「オモダカ」
・イタリア好き通信「シチリアではサボテンの実を食す!」
・安全工学「サン・ペトロケミカル鹿島工場の安全活動」
・神栖市教育委員会「地域の歴史シリーズ」:神栖市の地形
・海鮮の國 波奈本店HP
・ウィキペディア「鹿島線」「鹿島臨海鉄道」「鹿嶋市」「さざれ石」「君が代」「茨城県の市町村章一覧」「波崎町」「鹿島臨海工業地帯」
http://kashimashi.info/bunkazai/?page_id=4893 【人形送り】 より
人形送りはかつては鹿嶋市域の多くの地区で行われていた家内安全・悪魔祓いの行事ですが、詳細な記録が残っているのは、爪木地区の人形送りだけです。
【爪木地区の人形送り】
人形送りの人形は、真竹を芯にして藁で作られており、篠竹でつくった大小刀を差して腕を組んでいる武者の姿をした人形です。この人形を各家で作り、お弁当と路銀(旅にかかるお金)を持たせて、大掾辺田の下の宮中との村境に、悪魔祓いや家内安全の願いをこめて立てました。念仏を唱える家もあったそうです。
爪木の人形送りはもっぱらお年寄り達によって行われていました。人形送りの日の選定は、村の法眼様(男の年寄りで、葬式の時に太鼓・鉦(かね)を叩く最年長者でいわば村の世話役)が決め、当日は各家で、家の中をなでるように藁人形を左右に振り「悪魔祓い」と三回唱えながら家内安全を祈ります。
そして午前九時ごろ熊野神社の前に藁人形を持ち寄り、全員が集合したら法眼様を先頭に送列をつくって太鼓と鉦を鳴らしながら人形を手に持って村境の広場へ向かいます。用事があって参加できない人は家の門口に人形を立てておくと、近所のお年寄りが持って行ってくれました。
全員が広場に着くと、藁人形を立て、悪魔祓いと家内安全を祈る念仏を唱えて終わりになります。
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