鉄の蛇(日高見とアラハバキ)

https://dostoev.exblog.jp/22523491/  【鉄の蛇(日高見とアラハバキ)其の二十三】より

「補陀洛山修行日記」には、弘仁十一年(820年)日光を訪れた空海は、見つけた滝に白糸の滝と名付け、その背後にある亀の形をした山があるので、それを亀山と名付けた。亀山の麓に、年に二度の大風を吹き出す大きな羅刹堀の穴があって竜の棲家になっているので、空海はその穴を大竜穴と名付け、庵として住む事にしたという。その後白糸の滝傍にあったと云われる八葉蓮華池で結壇し、仏眼金輪の法を修したところ、その結願の夜に八葉蓮華池から、小さな白い珠が飛び出したという。その小さい珠に問うと天補星と名乗った。天補星は虚空蔵菩薩の化身でもあった。その天補星である小さな白い珠を祀ったのが日光山輪王寺にある小玉堂なそうである。そしてその後に大きな白い珠が飛び出して、空海が問うと「我は妙見尊星、大師の請いにより現れた。この峰は女体の神の居られる所だから、その神をお祀り申せ。我の棲家は中禅寺である」と答えたという。空海は、その後中禅寺に妙見大菩薩を祀ったという。さらに呪文を唱え神霊の降下を願うと、神々しい天女が雲間より現れた。そこで空海は、弟子とともに竜穴の上に堂を建て女神を祀った。それが今の瀧尾神社であり、先の年二度の大風を出す羅刹堀の穴を辟除結界した事などが、二荒の謂れともされている。

ところで竜穴であった羅刹堀の穴だが、羅刹とは北方鎮護の神である毘沙門天の眷属として仏法守護の役目を担わされるようになる全身黒色で、髪の毛だけが赤い鬼とされる。しかし、転じて吉祥天にもなるとされるのは、そのまま蝦夷征伐に来た坂上田村麻呂を助太刀した鈴鹿の鬼女と云われた鈴鹿明神であり、その後に姫神山に祀られたりした話を想起する。そして蓮華の池から、太白であり妙見が飛びあがるのは、そのまま遠野三山の伝説にも繋がりそうな話である。

「日光狩詞記」によれば、男体山の山神は、男神であるという認識と、女神である認識があるようだが、圧倒的に女神であるという認識が多数になっている。例えば、下山衣文「古代日光紀行」を読むと、男体山を望む平野部では男根を象った物を奉納するという。これは古来から、山神は醜いものを好む事から、海のオコゼや男根を象った物を奉納すると同じである。ただそれは、山神が女神であるという前提に従うものだ。二荒の語源説に、男体山と女峰山の二神を祀るからというものがあるが、山頂から発掘される遺跡からみても、信仰の殆どが男体山に集中しているという。つまり二荒山とは女峰山を含める連山だとしても、その信仰は男体山に集中している為、男体山を二荒山と言っても良いのだろう。それは当然、その神の棲家である中禅寺湖を含めての二荒山という事だろう。

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ところで話を「補陀洛山修行日記」に戻すが、池から虚空蔵菩薩と妙見菩薩が出て来たという話になっている。例えば、虚空蔵菩薩を祀っていた佐野市の星宮神社の旧社地は、塚が七つあって七星の形に配置されていた為に星宮妙見菩薩を祀っていたとも云われる。また栃木県における妙見に関する神社の殆どが、日光連山の山村において祀られ、その日光連山とは日光修験の修行場である事から、日光修験と妙見信仰の深い繋がりを感じる。

勝道上人の時には明星を感得したかのようであるが、これが空海の属していた真言宗と結び付いてから、妙見信仰の色合いが濃くなったとも取れる。しかし、前回書いたように中禅寺湖畔には、蝦夷らしき先住民が信仰していた神がいたようである。それは女神であり、竜蛇神であったようだ。また男体山山頂には、今は諏訪大社にだけ見られるサナギの鈴と呼ばれる鉄鐸が奉納されている。他にも、遺跡からは鉄に関するものが多く出土している事から、鉄と蛇のイメージが強く重なる。そう、本来祀られていた神とはアラハバキ神ではなかったのかと。

「花園山縁起」には「安倍ノ貞任、宗任ノ兄弟、多賀郡ノ山を隔テテ大高城ニ籠り星ノ御門ノ子孫ナリ。」とある。大高城とは現在の福島県に属するようだが、また別に栃木県にも安倍貞任伝説がある事から、この関東にも安倍貞任という蝦夷の英雄の伝説があるのは、同じ民族が住んでいたという事であろう。また、星の御門という事であるが、やはり先に紹介したように安倍一族の末裔は星宮神社を祀っており、その教義はアラハバキ神社のそれと同じであった事から、関東周辺にも蝦夷の信仰の残存がある事を伺える。それはつまり、関東が蝦夷国であった時代に遡り、征服されていった地は新たに為政者によって、その信仰が塗り替えられていったという憶測に繋がる。そこで二荒山であるが、あれだけ高い山であるから、昔の装備では簡単に行けないのが理解できると共に、何故に白山やら英彦山、そして二荒山であり早池峯もそうだ。一斉に真言宗や天台宗の僧が、山を極めて開祖となる話が日本中に広がったのは、旧勢力の信仰を塗り替える算段が仏教勢力に出来上がったからではなかろうか。勝道上人が長年かけてやっと二荒山に登ったのも、その先住民族の教化に時間を有したからという説に対応する。当然、地元の早池峯であれ、始閣藤蔵が早池峯の頂を極め奥宮を建て、その後に麓に妙泉寺が建立されたのも、先住民が信仰する神を仏教色に塗り替える為であったろう。

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下山衣文「古代日光紀行」に面白い記述があった。

「私は、前世で重い罪を犯したので、今、神となっている。その為に、この地方では災害や疫病が絶えない。仏によって、私が神の身から救われれば、災害や疫病もなくなるだろう。」

確かに本来、神とは一方的に祟る存在であった。民衆は、祟らないで下さいと一方的にお願いするしか無かったものを、仏教が入り込んでから、現世利益というものが登場した。つまり祀って一生懸命参拝すると、願いが叶うというもの。となれば、今まで一方的に祟る存在であった神が、仏と習合する事によって、民衆に利益を与える事が出来るとなれば、それに飛びつくのは当然だった。それから本地垂迹に則って、仏は神の上に位置した。しかし利益を希望する民衆からは、その受け入れが容易であったのは理解できる。神を損なわずに、仏を受け入れるが、真言宗や天台宗が行ってきた信仰の教化であったのだろう。つまり、神の棲む山を仏僧が征服する事によって、他民族の信仰する神を取り込んだのが神仏習合であり、それは朝廷側の狙いであったのだと思うのだ。これは全国規模で行われた為、どこでも本来の祭神がわからなくなっていったのだと思う。その消されてしまった神の代表格が、早池峯の女神であったのではなかろうか。

  

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